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白々と輝く月が宵闇を照らしている。
ヴァインは石畳を見下ろし、昼間の出来事を思い出していた。哀れな男の遺体は教会に運ばれて行ったが、大きく広がった血痕は薄く残っている。
「--よう、待たせたか」
掛けられた声に振り返ると、ザックスが戦斧を右肩に担いで立っていた。ヴァインはそれを見て、腰に差した長剣をすぐに抜けるよう、柄を握る。
「そうでもない。--調査はこれからどうなる?」
「学者頼んだのは冒険者協会からだからな。犯人と、残りのヤツ探しをウチで請負うことになるだろうよ」
普通に会話をしながらも、ヴァインはザックスを注視している。
辺りを照らすのは月明かりだけだが、竜人族は夜目が利くので問題ない。それは相手も同様だろう。
「ユグドラシルが自分で独自に動くかは分かんねぇな。そういうのはいつもウチに頼んでるし」
「神霊協会は?」
問いながら、ヴァインは重心を少しずつ、僅かに下げる。ザックスは相変わらず力を抜いた立ち方のままだ。
「魔神絡みだったら、まず手を引くこたぁねぇだろ。このままアルが担当するんじゃねぇか?後は秘蔵っ子の情報部が--」
ザックスの言葉を聞き終わる前に、ヴァインは地面を蹴って一気に間合いを詰めた。
長剣を抜き放ち、容赦なくザックスに切りかかる。しかしザックスは素早く反応し、戦斧でその一撃を受け止めた。
「--東方刀なら、もっと速く抜けたんだがな」
「確かにな」
ザックスが長剣を押し返し、渾身の力で戦斧を振るう。受け流すのは難しいと判断し、ヴァインは後転してそれを避けた。
立ち上がると同時に投擲ナイフを3本投げつけるが、ザックスは左手で抜いた短剣でそれを落とす。その間にヴァインは距離を詰めなおし、再び切りかかった。ザックスはその懐に入りながら回避すると、ヴァインを蹴り飛ばした。
受け身を取ったヴァインの頭上に、戦斧が振り下ろされる。それをヴァインは膝を着いたまま、長剣で辛うじて受け流す。ザックスはその胸ぐらを掴んで投げ、力任せに地面へ叩きつけた。ヴァインは衝撃に喘ぎながらも剣を振り上げようとするが、腕を踏み付け抑えられた。
ザックスは戦斧を振りかぶり、振り下ろす途中で動きを止めた。
「相打ちよりは、避け優先だろ」
「……避けられる気がしなかったんだよ」
戦斧はヴァインの胸上で止められ、ザックスの首元にはナイフが突き付けられている。ザックスは戦斧を上げて足を退かすと、ヴァインに手を差し出し立たせてやった。
「しかしまぁ、お前から手合わせしたいって言ってくるのは珍しいな」
そう言いながらザックスは岸壁に座る。どこからか酒瓶を2本取り出し、1本をヴァインに投げて寄越した。
ヴァインは歯で王冠を開け、ザックスが持つ瓶と軽く打ち合わせてからそれをあおった。
「気懸かりな事でもあるんだろ」
「……」
ヴァインは他方を見て黙り込む。どう話したものか考えているのだろうとザックスは予想する。こういうときは先に言ってやったほうが早い。
「昼間の学者先生の言葉か? 確か"神への反逆"、"魔神が"、あと"ダンドルグ"だったか」
反逆のために魔神を喚ぶ、ということだろうか。そして人名。ザックスにはその名前に覚えがあった。
「--ダンドルグって、前にエルスが倒した神官だよな。"禁忌狩り"とかいう大層な二つ名持ちの」
ダンドルグ本人とその傀儡に歯が立たない、という理由で、神霊協会が珍しく冒険者協会に討伐を依頼してきた相手だ。神殿や魔道士の研究所などを襲い、禁呪や禁書、封印された魔法の品などを奪ったが、最期はザックスの友人によって倒されたはずだ。
「同じ名前を名乗ってるだけかもしれない」
「まあな。だが、何にせよ魔神召喚が目的なら」
ザックスは言葉をいったん切って辺りを伺った。周囲に何者の気配も無いことを確認してから続ける。
「--ガデスが目を付けられる可能性があるってか。考えるだけで胸糞悪ぃが、あいつを使えばもっと強ぇ魔神も喚べるだろうな」
「……そんなことは、させない」
吐き捨てるように言うザックスの言葉に、ヴァインは奥歯を強く噛みしめた。幼い頃にガデスの母親と交わした約束を思い出す。
その様子を横目で見ながら、ザックスはさらに続けた。
「で、だ。もしソイツが本物の"ダンドルグ"なら……3回ともアクアが関わったのは必然かもしれない。そう考えてんだろ」
「……」
ザックスの指摘にヴァインは答えない。しかし険しさを増したその表情が、図星だと物語っている。
一番長く自分と共に行動している長男が今何を考えているのか、ザックスには手に取るように分かる。
「手を引くか、迷ってんだろ。初めてのダチだもんなぁ」
やっとお前にもオトモダチが、などと涙を拭うフリをしながら言うと、ヴァインに無言で睨まれた。しかしザックスは意に介せずににやりと笑う。
「んなもんどっちも取っちまえ! 迷うのも面倒くせぇ」
「……できるかな」
足下に視線を落とし、珍しく自信がなさそうに言うヴァインの背中を、ザックスは思い切り叩いた。
「お前にできなきゃ、誰ができるんだよ! 大体「お前を守りたいから手を引こう」なんてガデス本人に言ってみろ。ぶっ飛ばされるぞ?」
かわいい顔して凶暴だからな、とザックスは付け加える。
「--そうだな。確かにそうだ」
何もできず、自分の無力を呪った子供の頃とは違う。
ヴァインは頷くと、視線をザックスに戻した。彼はいつも通りの自信に満ちた笑みで、拳を上げている。ヴァインは薄く笑みを浮かべ、力強く拳を打ち合わせた。
冒険者協会本部の対応はとても早かった。報告を受けた協会本部は、神霊協会とユグドラシル自治領に連絡をするとともに、連携を待たず独自に調査を続けるという方針を、翌日の朝に打ち出した。
魔神が3体ともペルキア周辺で喚ばれたことを鑑みたのか、ザックスがペルキアに待機し、アクア達が調査に動くことになった。まずは死亡した学者の足取りを辿ることになっている。
アルテミスは引き続き、アクア達と行動を共にすることになった。神霊協会としては、魔神を喚ぶような者を野放しにはできないのだという。
「なんつうか、息子の旅立ちを見守る親父の気分だな」
ゴードンは心なしか寂しそうにそう言いながら、大量の保存食を持たせてくれた。アクアとしても第2の故郷とも言えるペルキアを離れるのは、少々後ろ髪を引かれる思いだった。だが、調査に行かなければならない理由がある
「神への反逆と、"ダンドルグ"……か」
同じ名前の別人である可能性もある。だがアクアは、どんな形にせよあの男が関わっているような予感がしていた。
「--アクア」
不意に声を掛けられ、アクアは無意識に触っていた聖印から手を離した。
振り返るとヴァインが立っている。昨日は何かを考え込んでいたようだったが、答えが出たのか、今日は心なしか表情が晴れやかだ。
「タルタニから先に行くのは初めてですか?」
「そうだな。タルタニの外には出たことがない」
タルタニは、ペルキアからユグドラシル自治領へ行くときに必ず通る港町で、お互いを行き来する定期船が出ている。アクア達が乗っている船もそれだ。
「明日には新天地ですか」
「ああ。少し緊張する」
アクアの言葉にヴァインは薄く笑う。アクアも僅かに笑みを浮かべ、視線を海に遣った。波は穏やかで、太陽の光を反射して輝いている。
明日の昼には船はタルタニに到着する。それをずっと止まっていた自分が歩き出す第一歩にしようと、アクアは輝く海を見ながら決意を固めた。