獄中記
私は盗んで投獄されました。
少しばかりの金のために罪を犯したのです。溺れる者は藁をもつかむのです。
投獄されてから私は一冊のノートとペンを与えられました。獄中は何もなく小さな鉄格子と染みのついた灰色の壁しか無かったので、私が欲しいと看守にせがんだのです。
私はこのノートに獄中で感じたことを書き残すことにしました。
八月八日。
私は運動場へ出ることを許されました。運動場の空には金網が張り巡らされていました。白い雲にかかれた網目を見て、私は真っ青な空に浮かんだ雲が恋しくなりました。
私がしばらく空を眺めていると、中年の男がキャッチボールに誘ってきました。男が私にどんな罪を犯したのかと聞いてきたので、私は盗みだと答えました。
私が男に何故捕まったのかと聞いたら強盗だと答えました。
私がさらに何故そんなことをしたのかと訪ねると男はきっとあなたと同じだろうと答えました。
八月十二日。
あいかわらず暑い日が続いています。刑務所は蚊が鬱陶しく、寝付けない夜ばかりです。しかし蚊は生きるため私たち人間から血を盗み、怒った人間から罰せられます。
私と同じです。
そういえば今日仕事場で若い男に出会いました。男の話が心に残っているので書き残しておこうと思います。
男はまだ二十代で、長身で痩せていました。
男は怠けていたので看守に働くように言われていました。男は悪態をつきながらも、同じ作業班の私のほうへ向かってきました。
私は男の風体に恐怖を感じました。しかし男は思ったより気さくに私に聞きました。何をして刑務所に入れられたのかと。
やはり私は盗んで捕まったのだと答えました。そして決まりきったように私は男に何故捕まったのかと聞きました。男は人を殴ったと答え、さらに付け加えました。自分には暴力しか取り柄が無いのに、その取り柄を生かして罰を受けるなんて変だと。
私は男をエゴイストなのだろうと思いましたが、一理あると思いました。恐らく私もエゴイストなのだろうと自分を蔑みもしました。
盗むのが罪なのでしょうか。
貧困が罪なのでしょうか。
私は貧困は罪なのだと思います。
そして私たちは貧困という罪を背負い罰を受けたのだと思います。キリストが生まれる時代を間違えたため罰を受けて処刑されたように、きっと私たち囚人も時代が違えば尊ばれることもあったのでしょう。