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第七章 少女

 昨日は巴のもとに向かわず、創と喫茶店で話した後帰ってしまい、翔は騒がしい教室の中、一人机に座り外を眺めながらため息を吐いた。


 今日は巴のところに行かなければならない。今まで二日連続ですっぽかしたことはない。


でもどんな顔をして会いに行けば良いのだろうか。


 今の病気の進行具合を巴は知らない。今の状況は危険で、いつ生死を彷徨うことになるかわからない。


 そんなときに、心配させないよう笑顔を見せいつも通りに振る舞えるだろうか。


 翔は再び重いため息を吐いてうずくまる。


 自信がない。どちらかというと、自分は嘘を吐くのが苦手である。


それに巴は鋭い。何か少しでも違和感を味わえば一発で気づくだろう。


 自分のやるべきことは、巴にストレスを与えず、いつも通りに振る舞い、そして後悔のない人生を送れるようにしなければならない。


 これが今自分がやるべき使命であり、責任を果たすための役目でもある。


 失敗は許されない。巴のためにも……。


 翔はチラッと顔を上げると黒板の端に書かれてある日付を見る。


 明日は一学期の終業式。そして明後日からは夏休みに入る。


 この夏季休暇は巴のために全て捧げよう。


 そう決意したときだ。


「あの、瀬川……くん……」


「……ん?」


 翔は名前を呼ばれ顔を横に向け上げる。


そこにはクラス委員長である逢坂薺あいさかなずなが立っていた。


ショートカットのサラッとした髪に、ひょろっとした細身で、どこかいつもおどおどしており、人見知りなのかあまり目を合わせないし、一瞬合ってもパッと外す恥ずかしがり屋。


そんな性格だが、クラス委員長をするほど責任感と統率力がある。


でも、みんなが面倒なので何も文句を言わなさそうな彼女を推薦し決まったのだ。


 今でも薺はおどおどしており、若干頬が朱を帯びていた。


「なに?」


「え、えと、瀬川くんだけ、進路希望の紙を出してないから、今日中に持っていかないといけないんだけど……」


「ああ、悪い。そういや今日までだったな。後で持って行くよ」


「で、でも、先生は私が持ってくるようにと頼んだので……書き終わるまで待ちます……」


「……え?」


 そして放課後、急遽二人は教室に残り進路希望を書くことになった。


 すでにみんなは帰ってしまい、今教室は二人だけ。


 翔は進路希望の紙を前にシャーペンを構えながら悩み、その前で薺はじっと視線をキョロキョロしながら待っていた。


 わざわざ待たなくても代わりに持って行くから帰ればいいものの、薺は責任感が強いのか、真面目すぎるのか言われた通りに行動しようとする。悪く言えば応用や融通が利かず、効率性が悪い。


でも、そんな薺だからこそ、クラス委員長を任されたのかもしれない。


 翔は未だ真っ白な進路希望の第一希望にペン先を何度も突きながら頭を捻る。


「そ、そんなに悩まなくても、今やりたいことを書けばいいんだよ……」


 なかなか書かないので、痺れを切らしたのか薺が助言をする。


「そのやりたいことがないんだよ」


「な、なら、進学と就職どっちを考えているの……?」


「どっちかというと進学かな。まだ働こうとは思ってないし」


「そ、それなら、自分の行きたい大学を書けばいんじゃないかな……」


「行きたい大学か……」


 翔はふとある学部が思い浮かんだ。


 医学部……。


「なぁ、逢坂さん」


「え? あ、な、何かな……?」


「その……医学部って、やっぱり難しいかな」


「え? い、医学部? そ、それは難しいよ。だって、人の命に関わる学問だから、いっぱい勉強しないといけないし、平均的に一番偏差値の高い学部だよ……」


「そうだよな……」


 翔は進路を医学部と書こうか迷っていた。正直、今の成績で医学部などと書いても笑われるだけだろう。あと一年半しかないのに、頑張ってもギリギリ間に合うかどうか……。


 翔はいったんペンを置き、薺に問いかけた。


「なぁ、俺が医学部目指すって言ったら……笑う?」


「え?」


 薺は頭に?を思い浮かべ首を傾げる。


「……どうして笑うの?」


「え、あ、いや、そこまで頭良くないのに、医学部目指すって可笑しいかなって」


 薺は珍しくおどおどせず、翔を見て応える。


「笑うわけないよ。その人が夢に向かって頑張るんだから、笑うわけないじゃない。それよりもすごく良いことだと思うよ。私応援するから頑張ってね」


 薺はニコッと笑みを浮かべる。その笑顔を見て、翔はちょっとだけ意欲が湧いた。


「そうだよな。逢坂さんの言うとおりだな。……よし」


 翔はペンを掴むと、第一希望のところに医学部と書く。


「瀬川くんお医者さんになるんだ」


「ああ。絶対凄腕の医者になってやる。……治してやりたいやつがいるからな」


 翔はちょっとだけ哀しげな眼をする。そのとき、薺がぽんと手のひらを叩いた。


「そういえば、秋元くんも医学部志望って書いてあったな」


「え? あいつが……?」


「枚数を確認するときチラッと見えたんだけど、そう書いてあったよ」


「そうか……。あいつも医学部志望か……」


 翔は若干のやる気が芽生えた。


 あいつには負けたくない。


 すると、薺がそっと口を開いた。


「そういえば、瀬川くん、いつも河守総合病院にいるよね。何してるの?」


「え? なんで、逢坂が知ってるんだ?」


「うん。私のおばあちゃんがそこで入院してるから、たまにお見舞いに行くんだけど、何度か瀬川くんを見かけたことあるんだよ」


「そうだったのか……」


「瀬川くんも、誰かのお見舞い?」


「あ、ああ……うん……そんなもんだ」


 自分のはお見舞いというよりも罪滅ぼしといった方が妥当かもしれない。


「そっか。それじゃ、これ持って行くね」


「あ、ああ。頼むな」


 薺は翔の進路希望の紙を持って立ち上がる。


 翔も立ち上がると、鞄を持っていつものように病院へ行こうとする。


 そのとき、薺が鞄を持って問いかけてきた。


「……あ、あの、せ、瀬川……くん……」


「ん? なに?」


 薺は鞄で顔を掻くし、目だけを見えるようにしてお願いする。


「あのね……せっかくだし、その……い、一緒に、帰らない……かな?」


「え?」


「あ、いや、その、い、嫌ならいいの。ごめんね……」


 薺は顔を真っ赤にしながら恥ずかしそうに固く目を瞑り返事を待つ。


 翔は別にかまわなかったので素で答えた。


「俺今日は用事あるから、途中までなら別にいいぞ」


「ほ、ほんと……?」


 薺は恥ずかしそうにしながらも嬉しそうに笑みを浮かべた。




 玄関に向かう前に職員室によって翔の進路希望の紙を渡すと、駐輪場で翔の自転車を取りに行き、二人は並んで歩く。


 薺はおどおどしながら、もじもじしていた。


「え、えと……瀬川くんは、自転車で学校来てるんだね」


「ああ。放課後は寄るところがあるからな。自転車じゃないと、ちょっと遠いんだ」


「そ、そっか。大変だね……」


「いや、今までこれが苦になったことはないよ。……俺のせいなんだし」


 翔は遠くを見つめるような目をしながら歩く。


「そ、その……瀬川くんは、中学の頃、私と一緒のクラスになったの覚えてるかな……? 中2のときなんだけど……」


「ああ。そういえばそうだったな。あまり俺ら話したことなかったな」


「う、うん。そうだね。翔くんはいつもクラスの中心だから、いつも誰かいて話す機会がなかったし……。それに、放課後はすぐに帰っちゃってたね……」


「俺のことよく知ってんな」


「う、うん……」


 薺は視線をさげうつむく。


「そういえば、逢坂さんは進路希望はなんて書いたんだ?」


「あ、うん……私は、その……社会福祉士になりたいなって……」


「社会福祉士?」


「う、うん……。障碍者やお年寄りの介護をするお仕事で、おばあちゃんのお世話をしているとに、こんな人の役に立つ仕事がしたいなって思って……」


「そっか。すごいな」


「う、ううん。そ、そんなことないよ。瀬川くんだって、医者だなんてすごいよ」


「でも、俺は逢坂みたいに頭良くないし」


「だ、大丈夫だよ。今から頑張れば、きっとなれるよ」


「そうだな。ありがとな、逢坂さん」


「う、ううん。そんな……」


 そして二人は立ち止まる。


「じゃ。また明日な」


「うん。またね、瀬川くん」


 翔は自転車に跨ると病院向かって漕いで行く。


 その後ろ姿を見送り、薺は小さく手を振って、見えなくなるとゆっくり降ろした。


「瀬川くん……」

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