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第四章 宣告

 学校も残り一週間となり、待ちに待った夏休みへと向かっていた。


 期末試験も終わり、皆残る面倒な授業を受けるばかり。


 新しく迎えられた転校生である秋元創は、あっという間にクラスにも馴染み、得意の勉強で成績は上位を占めていた。


 その反面、翔はちょうど真ん中と平凡な成績だった。


 そんな翔を、創は見下すようにニヤッと笑うのだった。




 放課後になると、今日も巴のいる病院へと向かう。


 自転車を漕いでいる途中、ポケットに入れてあった携帯が震えた。


 翔は一度自転車を止め、携帯を取り出す。


 着信相手は慎先生からだった。


『はい、もしもし』


『あ、翔くんかい? すまないが、今から病院に来てくれないか?』


 そこで翔は嫌な予感が走った。


『ま、まさか……、巴になにか!』


『いや、それは大丈夫。それより大事な話があるんだ』


『は、はい……』


『それじゃ、病院の屋上で待ってるよ』


 そういって慎先生は携帯を切る。


 翔は電話口から耳を離すと、なぜか自転車を漕ぐ気になれなかった。


 巴のことは無事だとわかっても、嫌な予感は収まらない。


 慎先生がこうやって電話をするのは初めてだった。


 翔は何とか心を落ち着かせ、自転車を漕ぎ始めた。




 病院に着くと、受付の看護婦から屋上で慎先生が待っていると言われ、ゆっくりと階段を上っていく。


 エレベーターを使っても良かったのだが、なぜか使う気になれなかった。


 使えば数秒とあっという間に着いてしまう。それが嫌で階段を選んだ。


 体が拒否しているのが分かる。聞きたくない、行きたくないと拒んでいる。


 でも、その気持ちを打ち破り、全てを受け止めなければならない。


 今上る階段が、天国へと繋がってそうで、恐怖心が芽生えてしまった。


 屋上に着くと、真っ先に見える空模様はどんよりとした厚い雨雲が覆われていた。


 蒸し暑く、むわっとした暖気が襲いかかる。


 高い場所に居ても、風はまったく吹いてなかった。


 慎先生は端の方で一人タバコをふかせていた。


 翔が近づくと、足音で気づいたのか、こちらを振り返った。


「あ、来たね。待ってたよ」


「……話って、何ですか?」


 翔の語尾は震えていた。それに気付いたのか、慎先生は穏やかに笑みを浮かべ目を細める。


「ああ。そうだね。その前に……」


 慎先生はフェンスに背もたれながら、タバコの煙を吐く。


「翔くんは、……死というものを、考えたことはあるかい?」


「……死、ですか?」


「そう」


 慎先生はタバコを携帯灰皿に押し付け火を消す。


「仕事柄、僕は人の死を何度も見てきた。この世に未練を残すもの、愛すべき人を残すもの、全てをやり終えたものと、さまざまな想いを残し、この世から去って行った」


 慎先生は再び新しいタバコに火を点ける。口から放たれた煙が風に流され見えなくなっていく。


「人は死から逃れることはできない。これは絶対的掟であり、生き物全てに与えられた決定事項だ。でも、その死がいつ訪れるかは、それぞれによって違う。早いものは生まれてすぐってこともあるし、長い年月を超えたあとの可能性もある」


 慎先生は口から出た煙を空に向かって吹きかけ続ける。翔はその姿をじっと見ながら聞いていた。


「つまり、いつ来るかわからない死期までに、どれだけ満足に、後悔しない生涯を送られるかということが大切なんだ。僕はその死期が少しでも伸ばせればいいと思い、この仕事に就いた」


 翔はぐっと拳を握った。嫌な予感が、悪寒が背中を走る。


 慎先生は問いかけてきた。


「翔くんは、死をどう考える?」


「……わかりません。そんなこと、考えたこともありません。ただ……」


 翔は視線を降ろし、乾いた唇を舐めた。


「……死ぬことは怖いです。僕もですが、それよりも……その死でもう会えないということが……」


 その答えに慎先生はうなずく。


「それだけわかっていれば十分だろう」


 慎先生は真剣な目つきに変わる。その眼を見て翔は少し怖気づいたがぐっと耐えた。


「君には正直にいう。今日君に来てくれたのは……実は巴ちゃんのことだ」


「っ」


 翔の表情が一瞬で絶望へと変わる。


「で、でも、さっき、電話で巴のことではないって……」


「すまない。君を動揺させたくなくて……」


 慎先生は続ける。


「君は巴ちゃんの一番の友人であり、信頼できるからこそ伝える」


「……はい」


 慎先生は重い口を開いた。


「……今の巴ちゃんの状態は……良くない」


「なっ」


 そこで翔は怒り任せに慎先生の白衣の胸ぐらをおもいっきり掴んだ。


「きっと治すって言ったじゃないですか! そのために来たって……良い方向に向かってるって……。あれは嘘だったんですか!」


 先生は胸ぐらを掴まれても動じず翔を見ながら答える。


「……患者にストレスを与えないためだ。だから君に話したんだ」


「あんたは医者だろ! 病気を治すのが専門だろ! だったら治してくれよ! 巴を助けてくれ! あいつはまだ何もしてないんだ……。まだ何一つ楽しんでないんだ! 頼むよ、先生!」


 翔の目にはいつしか涙が溜まっていた。その涙が頬を伝って流れていく。


 慎先生は目を瞑り、申し訳なさそうに首を振る。


「君は、医者という仕事を誤解している」


「……誤解?」


「医者はね、病気を治すことが仕事じゃない。病気を治す手伝いをするのが仕事なんだ。病気を治すのは、その人が治したい、生きたいという精神力と、生まれ持った治癒力だけだ。……この世に、万能薬は存在しないんだから」


 翔の手の力は緩み、いつしか慎先生の胸ぐらを離していた。


「……君に頼みたいことがある」


「……はい」


「巴ちゃんに……後悔のない人生を送らせてあげるんだ」


 翔は目を赤くしながら黙って聞く。


「もちろん、僕もまだ諦めたわけではない。これからだって、最善の治療を続けるつもりだ。でも、彼女に残された時間は……もう少ないはずだ」


 翔は黙って耳を傾ける。


「…………」


「だから、彼女が、巴ちゃんがしたいと思うことに協力してあげてやるんだ」


 慎先生が翔の肩を掴む。


「これは君にしかできないことだ。できるね?」


 翔はどう反応したらいいのかわからなかったが、仕方なく小さくうなずく。


「まだこのことは巴ちゃんには話してなし、話すつもりもない。無理にストレズを与える必要はないし、精神的負担が増すからね。このことは僕と彼女の両親と親しい友人だけの秘密だ。……頼んだよ」


 慎先生は最後に翔の頭を掴み、そして屋上を後にした。


 翔の頭にはある言葉が何度も復唱されていた。


『彼女に残された時間は……もう少ないはずだ』


 もうすぐ巴と別れる……。もうすぐ巴が消えてしまう……。もうすぐ……、巴が死んでしまう……。


 そう思うだけで、体の震えが止まらなかった。


 翔はその場にひざまづく。


 そのとき、上から大粒の雨が降り出した。


 その雨の中に、翔の涙も入り混じっていた……。

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