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第三章 医師

 転校生が来たその日、翔はいつもよりも力を込めて自転車を漕ぎ、河守総合病院を訪れる。


 しかし、翔はすぐに巴の下には向かわず、その前にある人物に会いに行った。


 今診察中だったら会えないが、そうでないことを祈り、目的の人物の部屋をノックする。


「どうぞ」


 中から男の声が聞こえた。どうやら都合良くいるようだ。


 翔はドアノブを捻り、中に足を踏み入れた。


「こんにちは。先生」


 翔のお目当てである先生は目の前で椅子に座り、書類の記入に忙しそうにして、こちらを振り返った。


「やあ、翔くん。どうしたんだい?」


 先生の名前は水瀬慎(みなせまこと)。まだまだ若く、歳は二十代後半。


東大の医学部卒で、異例の若さでこの病院の医師として務め、医学界でも期待されているほどの名医である。


 巴の担当医でもあり、3年前から務めている。何度も顔を合わせることにより、こうやって気軽に訪れる真柄になった。


「今日うちのクラスに転校生が来たんですよ」


 翔はドアを閉めると、いつものパイプ椅子を引っ張り出し、慎先生の前に座る。


「はは。秋元創くんだろ。一緒のクラスになって良かった。仲良くしてやってくれよ」


 慎先生はコーヒーの入ったカップを二つ机に置き、一つを翔に渡した。


「俺のこと教えたの先生でしょ?」


 翔はお礼を言い、カップに口をつけた。


「はは。同い年で同じ高校だったからね」


「かまいませんけど、仲良くなれるかわかりませんよ。なんか俺逆に嫌われている感じしましたし」


「はは。彼も入院生活が長かったからね。友達作りもまだわかんないんだろう。でも、勉強はけっこうできる方だと思うぞ。入院中もずっと本か勉強ばかりしてたからね」


 慎先生は書類の記入をしながら答える。


「聞いてもいいですか? 彼がどんな病気にかかっていたのか」


「ああ。まあ、言ってもいいか。彼は巴ちゃんと同じ病だよ」


「……え? じゃ、じゃあ、巴も治るんですか?」


 翔はその場に立ち上がるほど興奮してしまっていた。


 それを慎先生は翔の肩に手を置いて座らせる。


「すぐに治るとはいえないが、可能性はあるはずだ。あの難病を彼は完治させたんだからね。ただ、彼よりも巴ちゃんのほうが病気の進行が深く、その分遅れるといった感じだ」


「そ、そうですか……」


 翔はがくっと肩を落とす。


「大丈夫だよ。きっと治してやるさ。そのために僕はここに来たんだからね」


「……はい。お願いします」


 翔は丁寧に頭を下げる。


「ああ。最善は尽くすつもりだよ」


 慎先生は懐からタバコを取りだし一服する。


「あれ? ここで吸っていいのですか? いつも屋上なのに」


「え? あ、ああ、すまない。ついな」


 そういって慎先生はすぐにタバコを灰皿に押し付け火を消す。


 そのとき、翔は少しだけ焦りを覚えた。


 慎先生がタバコを吸うのは自分を落ち着かせるためだ。緊張やその場の雰囲気から逃げるために。例えば、手術の前や相手に何か隠し事をするときなどだ。


 となると、先生は何か隠している。


 もしかして、巴のことじゃ……。


「あ、あの、先生」


「ん? なんだい?」


 慎先生はコーヒーを一口啜る。


「先生が診るに、今の巴の状況は、深刻なほど悪いのですか? 治る可能性はどのくらいなのですか?」


 その質問に慎先生は一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐにパッと笑顔になった。


「正確なことは言えないが、治る見込みはある。翔くんが心配しなくても大丈夫さ。僕を信じて」


「あ、はい。わかりました……」


 慎先生は最後に優しく微笑みかけ、書類の整理に移る。


 翔は立ち上がると室内にあるさまざまな資料を眺め始めた。


 慎先生の部屋には多くの書類や本、研究資料などで溢れている。


 どれを読んでも難しく、一般人には理解できないものばかりだ。


 ……これはあくまで仮説だが、もしこのまま巴の病気が治らなかったら、どうすればいいのだろうか。


 巴がああなったのは俺の責任だ。俺が無理やり遊ばせたから……。


 翔は書類に目を向けるのを辞め、慎先生に振り返る。


「あの、先生」


「ん? なんだい?」


 慎先生は書類に記入しながら声だけ返事する。


「その……医者になることって、大変なことなんですか?」


「え?」


 そこで慎先生は振り返り、少し唖然とした表情で翔を見る。


 そして唇を緩ませ、説明し始めた。


「そりゃ、簡単なことではないさ。人の命に関わる仕事だからね。生半可な気持ちや努力じゃなれっこないさ」


「そうですよね……」


「ああ。大学の医学部を卒業したからすぐに医者になれるとも限らないし、資格もたくさん獲らないといけない。最初は安月給だし、その割に雑用やら仕事や夜勤とやることはありすぎる。おまけにその間に論文や研究発表などの準備もしないといけないし、ほんと辞めたくなる仕事だよ」


「ほんと、大変そうですね」


「うん。そうだね。でも、最後は喜びが待ってるんだよ」


「え?」


 慎先生はそっと壁に貼られてある写真に目を向ける。そこにはここを退院した多くの患者の写真があった。


「病気が治るとみんな笑顔になる。その瞬間が、たまらなく嬉しいものだ。そして、人の力の不思議さを実感する。人間は複雑で理解し難い生き物だが、素晴らしくもある」


 翔はそっと笑みを浮かべた。


「そうですね」


 翔はさっき考えていた案を心の奥にしまい込んだ。


「さて、今から巴ちゃんの診察に行きますか。翔くんも来るかい?」


「廊下までなら」


 診察は聴診器を当てたりするので、さすがに翔は中には入れない。


そんな翔に慎先生はクスクス笑う。


「なんなら、翔くんが聴診器で巴ちゃんを診てみるかい? お医者さんごっこだ」


「か、からかわないでくださいよ!」


「はっはっはっ」


 慎先生は大笑いしながら、頬を赤くする翔の肩を叩いて巴の部屋に向かった。




 診察が終わると、翔も中に入り、三人が居合わせる。


「とりあえず、今は大分安定してるし、新しい異常もない。このまま治していこう」


「はい」


 巴は嬉しそうにうなずく。


「それじゃ、僕はこれで。次があるからね。翔くんは、面談終了時刻までには帰るんだよ」


 そういって先生は部屋から出ていく。


「良かったな。早く治るといいな」


「うん。そうだね。そしたら、私も翔くんと同じ高校に行きたいな」


「それにはまず転入試験に受からないとな」


「うん。毎日ちゃんと勉強してるよ」


「そっか。偉いな」


 翔は巴の頭を撫でてやる。巴は可愛らしく、えへへと笑う。


「あ、そういえば、今日転校生来なかった?」


 巴が手をパチンと手のひらを合わせ思い出したかのように言う。


「ああ。来たぞ。同じクラスだ」


「そうなんだ。優しそうな人だよね」


「うん。でも、なんで巴が知ってるんだ?」


「この前庭で会ったんだ。そのときに友達になったの」


「そっか。実はな、そいつも巴と同じ病気だったらしいんだ」


「え? そうなの? あ、でも、そんなこと言ってたかも」


「ああ。だから、お前もああして治して学校に通えるんだよ。だから頑張っていこうな」


「うん。そうだね」


 巴は満面の笑みを見せる。


 そこで翔はあることを思い出した。


「あ、そういや夏休みなんだけど、巴は何かしたいことあるか? 俺はほら、どうせ暇だから時間は有り余るほどあるし。巴のしたいことしようぜ」


 その質問に巴はうつむき、視線を下げる。


「うん……。そうだね……。それなら……」


 しかし、巴は口を閉ざし、ゆっくりと首を振った。


「ううん。やっぱり、いいや。……また今度話すね」


「あ、そ、そうか」


 巴が何か言いたいことがあるということはわかる。しかし、それはいったい何なのだろうか。


 結局、その日も、巴が自分の願いを打ち明けることはなかった。

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