表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/30

第二十五章 共感

 翔は朝早くから設定していた目覚ましを止め起き上がる。


 すでに陽は昇り、鬱陶しい暑さや眩しさを感じながら、急いで出かける支度をする。


 時刻はまだ十時前と、面会時間まで時間はあるが、それでもじっとしてられなく、朝食も食べずに自転車を走らせる。


 向かう先はもちろん、河守総合病院だ。




 休むことなく足を動かし飛ばした自転車は、いつもかかる時間よりずっと短い時間で到着した。


 おかげでやはり面会時間はまだまだである。


 息も上がり、体温が上昇して汗が滴り落ちていく。


 それでも翔は中に入り、受付にいる知り合いの看護婦のもとに向かった。


「あら、翔くん。どうしたの? こんなに早く」


 若く可愛らしい看護婦は翔を見て少し疑問の表情で尋ねるが、若干の含み笑いを浮かべていた。


 翔は少し迷ったが、正直に答えた。


「え、えと、その、面会時間を早めてもらえないかと……」


「え? 巴ちゃんに会うために?」


 看護婦の表情が一層いじわるそうな笑みに変わる。


「え、えと、そ、そうです! 巴に会いに来ました。だから、そのっ」


「でも、まだ面会時間まで時間あるわよ」


「そ、そうですねっ。で、でも、そこを何とか、その、僕だけ特別に、お願いしたいと……」


「ふふ、ふふふふふ」


 看護婦は突然口元を抑えて笑いをこらえるが、最後には大声で笑っていた。


 その姿を見て翔は呆然とする。


「ふふ。ごめんね。笑っちゃって。別に、会いに行ってもいいわよ」


「え?」


「慎先生から特別に許可をもらってるわ。どうせ早く来るから通してやれって」


 翔はちょっと恥ずかしそうに頬を朱に染めるが、今だけは慎先生に感謝した。


「あ、ありがとうございますっ」


「うん。早く行ってらっしゃい。まだ寝てるかもしれないけどね。あまり変なことしないでよ」


 翔は最後に文句を言い残し、まだ人の少ない廊下を走ってエレベーターに乗る。


 すぐに五階のボタンを押し、早く着かないか焦る。


 そして五階に着くと、開いた瞬間再び走り出し502号を目指す。


 ドアの前に貼られている名札にはしっかりと『春風巴』と書かれてある。


 翔は軽く乱れた息を整え、そっと二回ノックした。


 そしてガチャリと小耳の良い音を聞き、ドアノブを捻って中に入った。


「巴? 起きてるか?」


 そっとゆっくりと中に足を踏み入れる。


 しかし、誰かが動く様子も声を聞こえず、静かな空間が広がっていた。


 それもそのはず、巴はまだベッドの上で眠っていたのだ。


 翔はそっと近づき、安らかに眠っている巴を見て、安堵の息を吐き微笑む。


 そばにある椅子を持ってこようと手を伸ばすと、そこに一通の置手紙があるのに気付いた。


 広げて読んでみると、差出人は慎先生だった。


『昨夜の内に集中治療室から運んでおいた 寝てるからって襲ったりするなよ』


「誰がするかよ……」


 翔は手紙をぐしゃぐしゃに丸めるとゴミ箱に放り投げる。


 改めて椅子を引っ張り横に座り、目の前で眠っている巴の寝顔を見つめる。


 可愛い寝息を立て、何事もなかったかのように幸せそうな表情をしている。


 翔はそっと腕を伸ばし、指でツンツンと頬を突いてみた。


 白くすべすべしてもっちりとしている肌の感触。


 指圧がわかったのか、『うぅ~ん……』と可愛らしいうめき声を上げる。


 翔は起こさないようにクスクスと小さく笑う。


 すると、巴の目がゆっくりと開かれ、長い髪を垂らしながら起き上がった。


「あ、起きたか」


「ん……。あれ? なんで翔くんがここにいるの?」


「ああ。会いに来たんだよ」


「会い、に……? ……………………」


 そこで巴は顔をパッと真っ赤にさせ、近くにあった枕で自分の顔を隠した。


「な、なんで人の寝顔見てるのよぉ! ヘンタイっ!」


「え? いや、ごめん! 悪かった! そんなつもりじゃっ」


「も~う! まだ面会時間もまだなのに何で来てるのよ!」


「と、巴に会いに来たからに決まってるだろっ!」


 そこで二人の口論が止む。


 そして二人とも見つめたまま顔を染める。


 二人はパッと視線を外すと、視線を下げうつむく。


「あ、ありがと。その……。ごめんね。いきなり怒鳴っちゃって……」


「い、いや、お、俺こそ、勝手に入ってごめん……」


 気まずそうな空気が流れ、会話が進まなくなった。


 巴は枕を抱きしめたままキョロキョロと視線を泳がせ、翔は乱暴に頭を掻き部屋の隅を見つめる。


 そこであるものに気づいた。


 微かに残る壁の染み。


 白い壁にある茶色の斑点や液体の着いた跡。


 それを見て理解した。


 これは血の跡だ。


 そこで翔は巴を見る。


 巴は見られていることに気づくと、再びパッと枕で顔を隠し目だけを見えるする。


 翔はぐっと拳を握ると、唇を噛み、すっと頭を下げた。


「……え?」


「……ごめん。巴」


「な、なんで謝るの? あ、さっきのことはもういいだよ。そこまで気にしてないから――」 


「違う!……俺は、本当にバカだ……」


 翔の目から自然と涙が溢れる。それが拳の上に落ち、その量が多くなっていく。


「な、なんで……泣いてるの……?」


 巴が少し困惑しながら翔のもとにベッドの上から近寄る。


 そこで巴はあるもの気づく。


 ベッドの金属部分、壁にある染み渡った跡。


 それだけで容易だ。ずっと繰り返してきたのだから。


 巴は肩を落として脱力する。


「そっか……。知ってるんだ……。見られちゃったのかな……」


「……ああ。全部、見たよ……」


 深夜に忍び込み、巴が闘ってきた病の真の恐ろしさ。


 どれだけ苦しめ、どれだけ弱らせ、どれだけ絶望を与えるか……。


 それを、巴は幼いころからずっと耐えてきたのだ……。


 そして、翔に隠し通してきた……。


「はは……。ああ、そうなんだ……。ずっと、隠してきたんだけどね……。あはは」


 巴は力のない笑みを見せる。


「発作もほとんど夜だから、このまま知られずに済むと思ったんだけど……。ばれちゃったか……」


 すると、次は巴の目から一滴の雫が流れた。


「え? 巴?」


 巴は目にいっぱいの涙を溢れさせ、悔しそうにぎゅっとベッドのシーツを握りしめる。


「……うっ……ふっ……、げ、幻滅したよね……。あんな、姿見て……。が、がっかりしたよね……。もう、私なんかに……会いたくないよね……」


 震える中でも必死に話す巴の声。その声に翔は自分の涙を拭いて戸惑いを見せる。


「な、何言って……」


「私、怖かったの……。翔くんに、嫌われるんじゃないかって……。だって、あんな苦しそうな姿見たら、誰でも引いちゃうもん……。もう、来てくれなくなると思ったから……。だから、ずっと隠そうって……元気な姿だけを見せようって思ったんだけど……」


 巴は何度も目を擦り涙を拭き取るが、それでも零れ落ちる涙はシーツを濡らしていく。


「きょ、今日来たのは……ぐすっ……うっ……お、お別れを……言いに来たんだよね……? これで……ううぅ……最後なんだね……。ふっ……あふっ……い、いいんだよ。き、気にしなくて……。むしろ、今まで本当に、あ、ありがとう……。もう……何年も、私なんかの……ために、うっ……ぐすっ……良くしてくれて、嬉しかった……よ……。か、翔くんは……はぁ……うっ……すごく、頑張ったよ……。もう……自分が悪い、とか……うっ……ふっ……き、気にしなくていいから……。これからは、一人で頑張るから……だ、大丈夫……だよ……。い、今まで……」


 巴は今にも大声で泣き崩れそうなのに、我慢して自分の言いたいことをはっきりと伝えようとしている。


 そして、


「ありがとうね。翔くん」


 最後に涙まじりの笑顔を見せる。


 そこで翔の感情は、嬉しくも、悲しくもなく、怒りが芽生えていた。


 これは……巴に見捨てられたのだ。


 気づけば、翔はすっとその場に立ち上がると、ベッドの上に乗っかり、巴は優しく自分の腕の中に包みこんでいた。


「え……? か、翔くん……?」


 翔は巴の入院服もといパジャマをぎゅっと掴む。


 翔の目には大量の涙で溢れていたのだ。


「巴……。そんなこと……言うなよ……」


「え?」


 翔の抱きしめる強さが増す。


「もっと、俺を信じてくれ! 巴のあんな姿見ても引いたりなんかしてない! もうここに来たくないなんて思ってない! これからも……ずっと……お前のそばに居ようと思って、俺はここに来たんだ!」


「か、翔……くん……」


「確かに責任は感じてる……。俺のせいで、巴は長期入院したと思ってる……。でも! 俺がここに居続ける理由はそんなんじゃないんだ! ずっと、そのために通い続けたんだ……」


 翔はそっと巴を離し、肩を掴んで見つめる。


「俺はお前が死ぬまでずっとそばに居続ける。お前の頼みなら何でも聞いてやる。もっと、俺を頼ってくれ。俺は……巴の力になりたいんだ」


 翔の目から伝わる熱意と決意。


 巴はそれをしかと受け止め、手で顔を覆い隠すと、コクッとうなずいた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ