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第二十四章 真相

 突然の慎の恋人である環の転倒。


 環が発見されたのは、慎が夜遅く帰ってきたときだった。


 キッチンの横で、横になりながら苦しそうに胸を抑え、荒い息をしながら尋常じゃない汗を掻き、肌は青白く最悪な状態だった。


 慎はしばらく目の前の現状を把握できず、また信じられず、ハッと我に返るとすぐに環のそばに寄り診断を始める。


 症状からして今まで見たことがないものだった。


 ここでは詳しい検査は行えない……。


 慎はできる限りの応急処置を施し、すぐに自分の勤める病院へと環を運んだ。




 深夜なので、まだ残っている医師や看護婦は少ない。


 しかし、万が一のための事故などの対応のため、手術ができるくらいの人数は揃っている。


 慎は環に鎮静剤を打ち、すぐにMR検査や詳しい診察を始める。


 しかし、今まで勉強してきた中に、このような症状の例はなかった。


 新手のウイルス? それとも稀で知られていない病?


 どちらにせよ、すぐに何らかの処置を施さなければ命が危ない。


 慎は片っ端に知り合いの医師に連絡を取り、今の症状を事細かに伝え、その真意を探ろうと試みる。


 そして一番の古株で、長い経歴を持つ医師のおかげで原因がわかった。


 それは翔の幼馴染、巴と同じ病気だった……。




 慎は病名を知っていた医師、羽山先生と共に検査を行う。


 羽山先生によると、症状はすでに末期に到達し、進行が深く命が助かる可能性は低いと判断する。


 恐らく前から多少の違和感や症状は出ていたはず。


 しかし、彼女は経済的余裕がなく、それを心配したのか、ここまでずっと我慢してきたのだろう。


 そうとう苦しかったはずだ。なのに、ここまで我慢してきてしまった。


 もう何年も我慢して、痛みと苦しさと闘ってきたのだろう。


 羽山先生はカルテを見て厳しい表情をする。


 慎はどうすれば治るのか、強く懇願して問いかける。


 治すには手術しかないが、それで完全に治る保証も、後遺症がないという保証もなければ、手術中に息を引き取る可能性が高いと告げる。


 一番良いのは、このまま安らかに安楽死を進めることだが、慎は今自分の恋人が死ぬということしか頭になく、冷静に判断ができないでいた。


 慎は目に闇を宿し、誰にも許可を取らず、環を手術室へと運び、一人で執刀を決意する。


 慎はまだ若く優秀でも新米であり、手術も助手や許可がなければできない身分。


 しかし、それを独断で行おうとしていた。


 鍵をかけているので中に誰も入ることはできない。


 外から戸を叩く音が中にまで響くが、慎は気にせず、目の前の患者、自分の恋人を救うことしか頭になかった。


 目の前に麻酔で眠っている姿を見、そっと頭を撫でる。


 まだ若い。まだ結婚もしていない。


 彼女は、まだ歩むべき人生がある。


 やることがたくさんある。


 結婚して、子供を産んで、育てて、子供の旅立ちを見送って、老後を楽しんで。


 やり残したこと、やりたいこと、お互い満足していないことなど、山ほどある。


 慎はゴム手袋をはめ、ふっと息を吐く。


 自分は期待の新人。凄腕を持つ若き医師。


 自分なら、できるはずだ。今まで何でもできたのだから。


 どんなことをしても、環を助ける……。


 慎はメスを取り出すと、集中し始め環の胸部にそっと力を込めた……。




 手術は難航した。


 慎自身、手術は初めてでなく、何度も助手をやってきたし、執刀医を任されたことも数回ある。


 しかし、こんな大手術を一人で行うほどの経験や知識はまだ乏しいはず。


 期待の新人といえど、それは知識や技量だけで、経験値はまだまだ習うことは山ほどある。


 いわばこれは無謀ともいえる挑戦である。


 それでも慎は必死に治そうと、成功させようと腕を動かし進めていく。


 しかし、ここで思わぬことが起きた。


ピ―――――。


 ここで環の心拍が停止した。


 慎はその音を聞き急いで電気ショック機を取り出し、環の腹部に押し当てる。


 何度もドンッという鈍い音と共に環の体が跳ねるが心拍は戻らない。


 慎は焦りを感じながら何度も行う。


 すでに十回はしているはずなのだが、電気ショックは効果がなく停止したまま。


 慎はそれを放り投げると自らの手で行う。


 そのときだ。


 いきなり環の口から大量の血が吹き出し顔を真っ赤に染めた。


 メスで開けた胸部からも血が溢れ流れている。


 このままでは大量出血で死んでしまう……。


 慎はすぐに輸血用の血を取り出しチューブの先の針を環の腕に射す。


 しかし、その間にどんどん血は流れ、心肺も停止したままだ。


 それに早く手術も終わらせなければ、環の体力も底がついて死に到ってしまう。


 同時に起きた三つの命の危機。


 まずはどれから取り組めばいいのか頭の中が混乱してきた。


 目の前の真っ赤な血、耳に響く電子音、そして時間との勝負。


 慎は今悟った。


 環のことは助けたい。


 しかし、今の自分では何もできない……。


 そう……、見捨てることしかできないのだ。


 優秀だの、期待の新人だの言われてきたが、目の前の患者、しかも自分の恋人の命でさえ守れないのだ。


 今の自分の力じゃ、環は助けることができない。


 慎はその場に膝ま付き、ガクッと肩を落とし項垂れる。


 そして少しずつ嗚咽を漏らし涙を流した。


 自分の不甲斐無さ、愚かさ、傲慢さ、それだけじゃない。


 知恵、技術、経験、経歴、素質、能力、才能、全てにおいて、自分の力の無さに絶望を感じた。


 一番救いたい人。守りたい人。そばにいて欲しい人。


 そして、世界中で誰よりも愛している人を、助けることができなかった……。


 こんなの、自分が目指していた医者ではない……。


 慎は精神崩壊し声を荒げ、暗闇の中へと落ちて行った――。




 外では一人が鍵を取りに行き、中に入ったときには、床に座り込んでぐったりと意気消沈している慎と、すでに命を落とし心臓の止まった環が無残に横たわっているのを発見された――。




 そのあと、慎は無断での新人による手術と独断での行動が問題視され、医学会からは医師免許の剥奪の意見も上がったが、慎の腕や才能を認めることも多く、しばらくの反省も込めた謹慎処分と地方へと派遣が決められた。


 その場所がここ、河守総合病院だった。


 慎は一人で静かに荷物をまとめ転勤の準備をする。


 その前に、慎は一人あの病気について研究をしていた。


 世界各地を飛び、有名な医師の下でサポートを行い、解明へと急ぐ。


 環を救えなかった。しかし自分は医師ということは変わりない。


 今後、この病気の患者と出会ったときに治せるよう、力を、技術を、知識を、今より多く取り入れたいと思った。


 そして十分な知恵を得とくした慎は、翔と巴のいるこの街へと訪れた。




 全てを話し終え、慎先生は殻になったタバコのケースを握り潰し、いっぱいになり溢れ返っている灰皿を取りゴミ箱に捨てた。


 静かに聞いていた翔は、少し戸惑ったがそっと口を開いた。


「……巴と同じ病で死んだのですね……。慎先生の恋人は……」


 慎先生は再び席に着き残ったコーヒーを口に含んだ。


「……ああ。その通りだ。すでに末期で、奥深くまで進行しててね。今思えば、どうやっても助かるはずがなかったんだ……」


 慎先生はふと笑みを浮かべ立ち上がると、棚の中から研究資料を取り出した。


 そしてその中にある恋人である環の写真を眺める。


「……先生のことはわかりました。話してくれて嬉しかったです」


「いや、いつか話そうと思ったことだけどね」


 黙っていても、おそらく創くんが教えるはずだからね。どちらにせよ知ることになったはずだ。


 慎先生は写真を元に収め資料を戻すと、机の上にある巴のカルテを手に取った。


「私は身近な人の死を知っている。その辛さ、苦しさもね。だからこそ、君にはそんな二の舞を味あわせないためにあのときは怒鳴ったんだ。わかるね? 命は重いけど脆いものなんだ。絶つことなど造作もないこと。君には、分かってほしいんだ」


 翔は素直にうなずく。そして立ち上がった。


「先生の気持ちはわかりました。言いたいことも、分かってほしいことも……。でも、僕は巴の意志を優先したいです。それが僕の巴とした約束だから」


 慎先生はじっと翔の目を見つめる。その視線をぐっと翔は軽く笑みを浮かべながら受け止める。


 信じている。きっと、私ならこの病気を治せると。


 だからこそ、安心して巴ちゃんの願いを叶えられると。


 慎先生はふと口元を緩ませた。


 いいだろう。君が信じるなら、僕も信じるだけだ。


 慎先生は棚から小さな白い錠剤の入ったビンを取り出し翔の前に立った。


 全て、君にかけようじゃないか……。


「これは僕が開発した病気の進行を抑える薬だ。朝昼晩の食後に一粒ずつ飲むと良い」


「え?」


「ちゃんと今の言うことを聞けば、巴ちゃんの外出を許可しよう」


「ほ、ほんとですか!?」


「ああ。しっかり、自分の務めを果たすんだぞ」


「は、はい! あ、ありがとうございます!」


 翔は丁寧に頭を下げる。


「なら、さっさと帰って体を休めなさい。面会は明日から許してやる。その頃には巴ちゃんも目が覚めているはずだ」


「は、はい! 失礼します!」


 翔は勢いよくビンを握って出て行ってしまった。


 慎先生は再び椅子に座り、予備で持っていたタバコを取り出し一服する。


 病は気から……。


 もしかしたら、翔くんのおかげで巴ちゃんの病気が治る可能性もある。


 あとは、彼ら次第か……。




 その頃、集中治療室で酸素マスクをつけて眠っている巴は、小さく口元を動かし、寝言のように呟いた。


「……か……ける……く……ん……」

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