第十三章 許可
夏休みが始まり、その初日を迎えた翔。
皆待望でもある長期休暇を有意義に過ごそうと、私利私欲の生活を満喫することだろう。
しかし、翔はいつもよりも少し起きる時間が遅くとも、以前と同様に制服に身を包み、同じように河守高校へと向かった。
自転車を漕ぎ、学校の駐輪場へと止め、一人静けさに残った校舎に足を踏み入れる。
受験生である三年生は、自分の教室で補習や自習をとり行い、他の学年は夏休みなので教室は空いている。
もちろん、翔のクラスも空いている。
翔はそのことの確認を終え、次は職員室へと向かった。
「失礼します」
職員室の戸を開け中に入る。
受験生の科目の担当する先生もいるが、中には部活動で出てくる先生もいるのでほとんどの先生が職員室に集う。
翔の担任である先生も部活動の顧問をしておりその時職員室にいた。
「お、瀬川か。どうした。部活もしてないのに、学校に来て」
「先生、お願いがあるんです」
「ん?」
翔は真剣な姿勢と目つきで訴えかける。
その姿勢が届き、先生は真面目に受け止めようとする。
「なんだ?」
「実は……この夏休み中、教室を自由に使わせてください」
翔は丁寧に頭を下げる。
「……その理由は? 使用目的は何だ?」
「……それは、いえません」
「ん? なぜだ」
先生の機嫌が若干斜めになる。
それはそうだろう。理由もなしに本来は閉められている教室を使わせてもらうのだから。
それでも翔は負けじと交渉を進める。
「別に悪用するわけではありません。ただ普通に使わせてもらいたいだけです。しっかりとした勉強目的でもありますし、学校側に迷惑をかけるわけでもありません。だから……お願いします!」
翔はより深く頭を下げる。粘る翔を見て担任の先生は腕を組みながら考え込む。
「お前の言い分は分かったが、しっかりとした具体的目的がなければ、夏季休暇中は使用できないぞ。この承諾書にも記入しないといけないし、勉強なら何も教室でなくても、図書館や家でもできるだろ」
「……いえ、学校じゃないとダメなんです。教室じゃないと意味ないんです。だって……俺、このままじゃ、何もしてあげられないから……」
すると、翔はすっと腰を降ろした。
「なっ」
翔の行動を見て、担任の先生は愚か、周りにいる先生たちまで注目する。
翔は土下座をしてまで懇願しているのだ。
「……お願いします。許可が下りるなら何でもします。だから、どうか理由は聞かずに承諾してください……」
先生は段々と焦りが募っていく。
「……どうしてそこまで?」
翔は頭を下げたまま、閉じていた目を開けた。
「……俺は、あいつのためにまだ何もしていない。何一つ責任を果たしていない。……これであいつの願いが叶うなら、これくらい何ともない。いくらでもしてやる。あいつに……」
翔は泣きながらも自分の想いを打ち明け、学校に行きたいと打ち明ける巴を思い出す。
「初めてお願いされたから……」
先生は組んでいた腕を解き、承諾書に理由はなしと書いて翔の前に渡す。
翔はそっと顔を上げ先生を見る。
「わかった。許可してやる」
「あ、ありがとうございますっ」
「しかし、一つだけ聞かせてくれ」
翔は疑問の表情になり、その質問に耳を傾ける。
「どうして、その理由が言えないんだ?」
翔は納得する。その場に立ち上がると、承諾書を受け取り、それを見つめながら答えた。
「これは誰にも言えません。俺自身が決めたことです。そして……先生は知ってほしいんです。俺は何もできなかったって……」
「何もできなかった?」
「……はい。……俺は、言われなければ、何もできなかったんです……」
そう言い残し、翔は職員室を後にした。
学校の許可が貰え、翔はすぐに河守総合病院を訪れる。
看護婦によると、先ほど巴は集中治療室から元の病室に戻ったようだ。
翔はいつものように502号室の戸を開けた。
「巴……」
中にはベッドに座り上半身を起こしている巴がおり、元気のない瞳を外に向けていた。
いつも使っているパソコンも起動した気配はない。
翔が入ってきたことに気づき、ゆっくりと顔を向ける。
「……翔くん、来たんだね……。どうぞ……」
気力、いや精気も活力も見えない巴の瞳。まるで死人同様の目だ。
無理もない。巴自身、自分の寿命が残り少ないことを薄々感づいており、半ば自分の人生を諦めてもいる。
これならば元気がなくて当たり前とも言える。
翔自身、そんな巴を見たくなく、すぐにでもこの場から逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、吉報があるのでどうしても伝えたい。
翔はいつもの場所に椅子を置き座り、巴に話しかける。
「巴。前に、屋上で俺に言ってくれたよな。……学校に行きたいって」
その言葉に反応し、外の景色が見える窓から視線を外し顔を翔に向ける。
「いつも、俺は巴のために何かしたいと思っていた。責任を、いや、巴の役に立ちたいと思っていた。でも、俺何をしたらいいのかわからなくて、結局何もできなかった。でも、巴は俺に初めて自分のやりたいことを打ち明けてくれた。だから、その願いを叶えてやる」
巴の表情がだんだんと明るみを覚えていく。
「……学校に行こう、巴」
はっと息を呑んだ巴は、その言葉を信じ、ゆっくりとうつむくとぎゅっと掛布団を掴んだ。その上にポタポタと雫が落ちていく。
翔はその雫を見て、少し慌てたがすぐにそっと笑みを浮かべ、優しく頭を撫でた。
「さっきちゃんと許可も貰った。計画もしてある。明日から、お前の行きたかった学校に行けるんだ。……これが、今俺にできる精一杯のことだけど、絶対成功させてやるからな」
巴はだんだんと嗚咽を漏らすようになり、掛布団を持ち上げると自分の顔を押し当て、体を小刻みに震わせる。
翔はそんな巴を見てずっと頭を撫で続けた。
そんなときに、巴は小さな声で、ありったけの感謝の込めた言葉を送った。
「……あり……が……と……」