第十二章 決意
翔は創が去った後、一人廊下に佇み考えに耽っていた。
先ほど創は苦しむなら死んだ方がマシだという考えを打ち明けた。
しかし、その考えは間違っていると翔は否定する。
今考えれば、どちらも正解であり、間違いなどないかもしれない。
なぜなら、命はその人自身の物だ。
確かに命は無駄にしてはいけないし、その人の物でも、悲しむ人もいる。家族や恋人、友人や親戚など、大勢の人が悲観するはず。
しかし、その人自身が生きたくない。終わりにしたい。未来が見えない。
そういって決意が固ければ、止めることはできないかもしれない。
そう……生まれて一度の幸せが来ず苦しんでいる人なら……。
翔は壁に背を預け、腰を下ろすとうつむく。
もしそんなことを巴が言えば、翔自身はどうすればいいのだろうか。
もちろん、止めるはずだ。
でも……自分は止める資格があるのだろうか……。
「……翔くん」
頭上で名前を呼ばれ、翔はそっと顔を上げる。そこには慎先生が立っていた。
「翔くん、いたんだ……」
「先生……。あの、巴は……」
「ああ。……ちょうど良い。一緒に来てくれ」
慎先生は少し悲しげな表情をしながら背を向け歩き出す。
翔も立ち上がると、その背を追いかけた。
二人が訪れたのは集中治療室だった。
先ほどまで巴は最善の治療をされ、今では静かにベッドの上で眠っていた。
慎先生は翔を中に促し、翔は巴のそばに座るとそっと手を握った。
「もう落ち着いたはずだ。心配ない。しかし、病気の進行は今でも続き、どんどん悪い方へと向かっている。恐らくだが、このまま続けば満足に歩くこともできなくなるかもしれない」
「……先生」
「うん?」
翔はぼそっと呟き、巴の手をぎゅっと握りながら口を開く。
「正直に言ってください。……巴は……。巴は……もうすぐ……死ぬんですか?」
その質問に慎先生は顔を伏せる。
「先生……お願いです。俺、ちゃんと受け止めますから……答えてください……」
翔の声は震えており、ベッドの上にぽたぽたと涙が落ちていく。
慎先生は答えるべきか迷っていた。
言ったほうが良いのかもしれない。しかし、これ以上翔を追い込ませるわけにはいかない。何もかも背負いすぎだ。ここでこれを言えば、もっと責任を感じ、翔自身が壊されてしまう。
「先生……。お願いします……」
それでも、慎先生は迷っていた。なかなか言わないので、翔は仕方なく打ち明けた。
「先生……。俺さ、巴が病気治ったら言いたいことがあるんだ。ずっと言いたかったけど、言えなくてさ……。この前、学校のクラスメイトに気づかせてくれたんだ。……俺さ、そのためなら何だってする。巴のためなら何でもする。だってさ、俺……」
そのあとの言葉を聞き、慎先生はふと笑みを浮かんだ。
巴に言いたい言葉。伝えたい気持ち。
その想いは、前から気づいていたが。
「……わかった。正直に話すよ」
「……はい」
翔は覚悟を決め、じっと耳を傾ける。慎先生は巴のカルテを掴み答えた。
「今の巴ちゃんの現状を全て話す。今巴ちゃんの容体は前にも言った通り最悪と言っても過言ではない。いつ異変が生じてもおかしくない状況だ。恐らくだが、巴ちゃん自身何か内に秘めた願望があるのだろう。つまり、その精神力だけで持っている感じだ。今後の治療としては、いつか手術を行い、完治へと向かわせたい。しかし、それには巴ちゃんの体力と機会が一致しなければならない。今は体力もないし、手術するにも成功する可能性は低すぎる。以前同様、検査や体力作り、鎮静剤や薬で病気の進行を妨げる治療を行う。そしてその期限、いや、巴ちゃんの寿命は……」
翔は巴の手を握る力が増す。そしてごくっと唾を呑み込み、覚悟を決めた。
「巴ちゃんの寿命は……残り……」
慎先生はそっと告発する。
「……二か月」
「……え?」
翔は手の力が緩み、するっと巴の手を離してしまった。
そして後ろを振り返り、慎先生の顔を覗き込む。
「ほ、ほんとに……それだけしか……残っていないんですか?」
慎先生は翔の目を見ながらコクッとうなずく。
「ほんとうだ。つまり、夏休みの終わりに、巴ちゃんは……」
「そ、そんな……」
翔は絶望を思い知った。それほど長くはないと思ったが、あと一年くらいあると思った。
なのに、あとたった二か月だなんて……。何が何でも短すぎる。
「こちらとしては今こうして生きているのが不思議なくらいだ。いつ死んでもおかしくない。いったい、何が巴ちゃんに力を与えているのか……」
翔はうつむき、呆然と目の前に映るタイルを見つめる。
あと二か月で何をすればいいんだ? 何をすれば巴は喜ぶんだ?
そもそも、巴は起きてくれるのか? このまま眠ったままじゃないのか?
そんな風に悪い方向へと思考が進む。
「翔くん……」
慎先生が呼び、翔は顔を上げる。
「今後、巴ちゃんは外出禁止させる。今までは庭くらいまでは許したが、それも辞めよう」
「え? そ、そんな……」
「今後部屋から出るときは検査か体力作りのみだ。何かあってからでは遅いからな」
慎先生はそっとしゃがみ込むと、ぽんと翔の肩に手を置いた。
「翔くん。前に話したね。巴ちゃんの力になってほしい。後悔させないために、手助けをしてほしいと。……それを、今後も続けてくれ」
そう言い残し、慎先生は部屋から出て行った。
翔も出て行かないといけないと思い、立ち上がると、最後に一目眠っている巴を見届け、慎先生に続いた。
病院から出ると、すでに辺りは真っ暗になっていた。急いで家に帰らなければ。
翔は自転車に跨り、家へと走らせた。
その途中、翔は自転車を止め、急転回させある場所へと向かった。
翔が向かった場所は自分の学校である河守高校。
夜なので、当然すべての電気は消え、少し不気味な静けさに包まれていた。
翔は校門の前で自転車を降り歩き出す。
確か、校門は依然から鍵が壊れており、閉ざされていても鍵はしまっていない。なので簡単に開けることができる。
そしてそのまま校庭を進み、校舎に近づく。
さすがに校舎はどこも鍵が閉まっているが、昼なら開いているだろう。先生だっているだろうし、受験生は補習などで通う。
翔は玄関をガラス越しに覗き込む。
良くは見えないが、覚えている限り高い段差もないので心配はいらないだろう。
翔はドアを開けようとするが、やはり閉まっているので諦める。
そのとき、カーテンがふわっと外に出てきた。そこだけ窓が開いている。誰かが閉め忘れたのだろう。
翔はそこからよじ登り、中に入った。
一度玄関を訪れ観察し、次に自分の教室へと向かう。
やはり行くには階段を使うしかない。自分の教室は三階にある。
校舎にエレベーターはないし、スロープがあるわけでもない。ここは持ち上げるしかないだろう。
教室に着くと、ドアを開け中に入る。ドアには初めから鍵は着いてないので容易に入れる。
ドアから見える教室の景色。今考えると、本来はここに巴の姿があったのかもしれない。
でも、自分のせいでここには来られなかった……。
翔は電気を点け、自分の席に着く。
この席に着いて、何度も思ったことがある。一緒に、授業を受けられたらいいな、と。
翔はふっと笑みを浮かべる。
「巴……」
翔はそっと窓から見える星を眺める。
「学校に行こう」