第十一章 反発
慎先生の目の前に立っている人物。
ドアを開け入ってきたのは秋元創だった。
「こんにちは、先生」
創はいつもの穏やかな笑みを浮かべて挨拶する。
「君か……。どうしたんだ?」
「いえ、巴さんのことが気になりましてね。……興奮で発作が起きたようで?」
「……誰に聞いたんだ?」
創はパイプ椅子を出し、足を組んで座った。
「先ほど知り合いの看護婦に会い教えてもらいました。やはり心配ですね」
「……そうだな」
慎先生は創に背を向け巴のカルテを見ながら思う。
彼はなぜ猫を被るんだ……。
「先生。僕が思うに、巴さんの容体はかなりやばい状態ですよ。早急に手を打たなければ、後戻りできない状況かと」
創が腕を組みながら少し偉そうに話す。
「君に言われなくてもわかっているさ。それを今考えていたんだ」
「そうですか。なら最善の治療をお願いします」
そして創は立ち上がり、パイプ椅子を直してドアを開け出て行こうとする。
そのとき、創は立ち止まり、背を向けたまま冷笑を浮かび、ゆっくりと口を開いた。
「ああ、すみませんが、父があなたのことを教えていただきました。……先生が大学病院でしでかしたこともね」
「なっ」
慎先生は後ろを振り返るが、すでにそこには創の姿はなかった。
追いかければすぐに捕まるが、捕まえたところで何もできない。
慎先生は大きく息を吐き、茜色に染まる空を眺める。
彼の父親は確か国会議員だったな……。その権力で調べたのか……。
でも、調べて欲しいと頼んだのは創くんだろう。
いったい、彼の目的はなんだろうか……。
ポケットに手を突っ込みながら廊下を歩く創。
穏やかな表情をして行き交う看護婦に挨拶するが、内心冷酷な笑みを浮かべ嘲笑っていた。
父に聞いたときは驚いたが、あんな過去があったとは知らなかった。まさか、先生があんなことをするとはね。
でも、この情報は貴重なものだ。使えるべき時がきっと来るはず。
そのとき、目の前から一人の少年が走っていた。
同じ高校の制服を着ており、忘れるはずがない顔。
瀬川翔だった。
ちょうど良かった。
「おや、翔くんではないですか。ダメですよ、廊下を走っては」
いつものように親しみやすそうな穏やかな表情をして声をかける。
「創……。何でお前がここに?」
翔はその場に立ち止まる。
「ちょっと慎先生に用がありましたので。巴さんに会いにきたのですか? 恐らく今は面会謝絶だと思いますよ。あと、慎先生なら何か用があるとのことで先ほど出て行きました」
「あ、そうか……」
翔は残念そうにうつむく。
二人とも用があって走ってきたのに……。
「わかった。なら、今日は帰るよ。じゃあな」
翔は創に背を向け出口に向かって足を進ませようとする。
そのときに、創はそっと笑みを消して口を開いた。
「……巴さん、ほんとうに死にますよ」
その言葉で翔の足が止まった。そしてゆっくりと振り返る。その表情には若干の怒りも混じっていた。
「だからなんだよ。確かにそうかも知れないけど、今すぐってわけじゃないだろ。それに、治る可能性だってあるはずだ。俺は巴の力になればいい」
「でも、もう時間は残されてませんよ。まして、これ以上無理をさせればもっと寿命は縮むでしょう」
「そんなことはわかってる。だから、できる限りのことをするんだ」
翔はじっと創を睨み付ける。その眼を見て、創は壁に背を当て寄りかかりながら腕を組んで話し始めた。
「前に『死』について、ファミレスで話しましたね。ここで僕の考えを言わせていただきます」
創の言葉を翔は黙って聞いた。
「死んだ人間は、その後どうなると思いますか? 昔からいろんな説がありますよね。今では天国や地獄に行くというのがしっくり来るようですが、僕はそれはありえないと思います。恐らく子供に恐怖心を与え、悪いことをさせないために作ったのでしょうけど。そもそも、天国や地獄を誰がこの世に伝えたのでしょうか。天国と地獄は死後の世界。つまり、その人は死んだあと天国や地獄を見て体験し、再びこの世界に帰ってきたということになります。そんなことがあるんでしょうかね。この時点で、僕はこの説は矛盾していると考えます。そんな僕が一番信頼できる説は……輪廻です」
「輪廻?」
「あまり聞かないかもしれませんが、輪廻というものがあり、簡単に説明すると、生まれ変わりという意味です。今は人間でも、昔は魚だったかもしれません。もしかしたら鳥、あるいは昆虫の可能性も。つまり、地球上に存在する生物に何度も魂がとりこみ、今は人間であるということです。死ねばそれまでの記憶がすべてリセットされ、新しい生涯が待っているということです。これにはこんな話がありまして、ある少女が初めて訪れるはずの知らない町を、ここに何があるやここを曲がれば何があるなど、その地形を詳しく知っていたということです。知らないはずなのに知っていた、つまり前の器、今の姿より前に生きていたときの記憶がわずかに残っており、このような事が起こったと考えられます。これが、輪廻というものです」
翔は聞き終え、全てを理解した。
「それで、お前は何が言いたいんだ?」
「僕が言いたいことは……巴さんは運が悪かった。次は普通に生きられる可能性があるということです」
翔の怒りはだんだんと上がっていた。いつのまにか固く拳が握られている。
「今を諦めて次に賭けろ。……死んでもいいと?」
「……それが彼女のためになるかもしれません」
そのとき翔は創の胸ぐらをおもいっきり掴んだ。
「ぐっ……」
「……この世に無駄な命なんてないんだよ……。捨てて良い人生なんてないんだよ! 誰でも幸せに生きていいんだよ! 例外なんてない……最初からどんなペナルティーを背負おうと、絶対良いことはあるんだ!」
翔は真剣な目つきで睨み付ける。創は少し苦しそうな表情をし、力づくで翔の手を解いた。
そして乱れた制服を直して言う。
「それは君が先ほど自分でいった最初から持つペナルティーを知らないからだ。生まれた瞬間から苦しみを味わい、幸せを知らない僕らにとっては、リセットしたいくらい逃げ出したい苦痛しかないんだ……」
創は悔しそうに歯を食いしばる。翔も言い返した。
「確かに俺はそのペナルティーを知らない。でも、だからといって全員が幸せとも限らないんだ。お前らだけが苦しいとは限らないんだよ」
翔はふっと息を吐いた。
「確か、お前将来医者になりたいんだよな」
「……ああ、そうだが」
「今言ったことを、世界中の医者に言ってみろよ。その発言は……患者を見捨てたのと同じことだぞ」
その言葉に創は怒りを覚えた。怒り……つまりそれは自分でも証明したということになる。
創は殴りかかろうと思った。しかし、ケンカで勝てるはずない。
力も体力もあっちのほうが上だ。何年もベッドの上で寝ている自分では相手にならない。
創は拳を緩ませ翔に背を向ける。
「……すまないが、少し気分が悪くなった。先に帰らせてもらう」
翔の返事を待たず、創は少し早歩きでその場から去ってしまった。
翔はその背を見届け、少しの間、その場に立っていた。
そう……。捨てていい命なんてない。全員が苦しむ必要はない。
だから、俺は巴を助けるんだ……。
創は病院の出口に出ると今までに見ない激怒の表情を見せた。
あいつに苦しみを与えてやる……。