プロローグ
あの日のことは、今でも鮮明に覚えていた。
忘れることができない。いや、忘れることは許されない過酷な思い出。
今思えば、悔しさと哀れさに襲われた苦い記憶。
毎日、心が蝕まれる思いがした、消えることがない罪悪感の塊。
俺が犯した罪は重い。
それに伴う罪滅ぼしは、果たすことはできたのだろうか……。
あれは幼稚園の年長組のときの夏だった。
この日は特別に暑く、気温30度を超える猛暑だった。
夏休みに入った小学生は休みを有効に楽しく使っていた。
旅行や買い物、海や山に出かける者が多かった。
親が仕事などで行けない者は、友達と自転車に乗って駆けまわっていた。
家が隣で、入園したときから仲が良かった瀬川翔と春風巴は、その日一緒に近くの公園で遊ぶことにした。
遊びに誘ったのは翔だった。
昔から毎日のように大好きな公園で遊んでいるが、その回数は日が経つに連れて少なくなっているのだ。
翔は、今回はどうしても遊びたく、すぐに二人の親に交渉した。
遊ぶことは普通のことで、親はすぐに承諾するものだろう。
しかし、二人の親は、頑として許すことはなかった。
翔は泣いた。
わからなかった。どうして遊ぶことができないのか。
理解できず、玄関の前で一人体育座りをしてうずくまり、涙を流していた。
その後ろ姿を見ていた巴は、優しく声をかけ、翔の手を取り、親に黙って外に飛び出した。
二人は走って公園に向かった。
親に見つからないように、巴は懸命に走った。
翔も、もうすぐ公園で遊べると思い、この気持ちを抑えきれず、巴よりも前に出て走っていた。
二人が向かった緑山公園には、ブランコや砂場、滑り台や鉄棒など、他の公園と比べて楽しい遊具がたくさんある。だから、この公園はお気に入りなのだ。
着いたときには、公園には誰もいなかった。
時刻はすでに5時を回っていたので、子供たちは帰ってしまったのかもしれない。
翔は貸切りだと思い、好きなだけ遊べるので胸が躍るような思いがした。
「さっそく遊ぼうっ!」
巴と遊べると思えるだけで胸が弾んだ。
翔が勢いよく中に入っていく。
巴は走ったせいか息が乱れ、右手でぎゅっと胸を押さえつけていた。顔は尋常じゃない汗でいっぱいだった。
このときに、翔は巴の状態が異常なことに気づくべきだった……。
二人はまず、大好きなブランコに乗った。その隣に巴が座る。
翔は一番ブランコが大好きだった。翔は空に届くような勢いでブランコを漕いだ。
前に進む度に、風が顔や体に襲いかかる。それが好きだった。そして、高いところまでいけるのが好きだった。
楽しそうに笑っている翔に代わり、巴はさっきから漕いだりせず、うつむいた顔で、脚を地面に着けて、ゆっくり動かして座っているばかりだった。
そこで翔は、巴はブランコがおもしろくないのだろうと思い、砂場で遊ぶことにした。
砂場に着いたとき、急いで来たので道具を持って来ていないことに気づいた。
そこで、砂の山を作ることにした。これなら道具は必要ない。
翔はさっそく自分の周りにある砂を掻き集め、山を作っていった。
最近雨は降っていなかったので、砂は乾燥してしまい、小さな砂埃がたっていた。
それを巴は吸い込んでしまい、何度も咳き込んでいた。
何度も崩れやり直した砂の山はようやく完成し、次はトンネルを掘ることにした。
二人して反対側からゆっくりと穴を広げていく。崩れ落ちないように、慎重に進めていった。
そして、無事崩れることなくトンネルは通過し、二人は手を握った。
完成することができ、翔は嬉しそうな顔して巴を見る。
巴も小さく笑みを浮かべるのだが、すぐに表情を崩し、悲しげな眼をしていた。
それからも、さまざまな遊具で遊んだ。
しかし、翔はじっとして遊ぶのを飽きてしまった。
せっかく広い遊び場があるのでおもいっきり走り回りたい。
そこである提案をした。
「ねえ、鬼ごっこしよう」
それを巴は否定することなく了解する。
じゃんけんをして、逃げる側と追いかける側に別れる。
結果、巴が勝ち、翔が負けたので、鬼である翔は十秒数えた。
数え終わった翔は巴を追いかけた。
巴は息を切らし、胸を抑えながらも翔から逃げる。
いつもなら、はしゃぎ声を上げ、楽しそうに逃げるのだが、この日は、声一つ上げず、ただ必死に逃げるだけだった。
そして、巴はすぐに捕まってしまった。
「次は巴ちゃんが鬼だよ」
翔は巴から逃げた。巴はその場で十秒数え、翔を追いかけ始めた。
翔は楽しそうに逃げ回る。巴はその後ろを必死に追いかけた。息を切らしながら、一生懸命に追いかける。
巴は左手を胸に抑えながら激しく息をしていた。そのときの表情は、とても苦しそうだった。
そして、十分くらいして、翔はとうとう巴に背中を触れられた。
「捕まっちゃった。次は僕が鬼だね」
翔が後ろを振り返る。
そこには、自分の胸を苦しそうに押さえ、汗を大量に流して倒れている巴の姿があった。
「巴ちゃん?」
翔は首をかしげて巴のそばに座った。
まだ幼稚園児の翔には、これがどういうことなのかわからなかった。
翔は巴の肩を揺らす。巴は目を固く瞑り、荒い呼吸をしていた。
そのとき、後ろから声が聞こえた。
「巴!」
二人の親が走って公園に入ってきた。
巴の状態を見た二人は、すぐに救急車を呼んだ。そして巴はお母さんに抱き起こされ、何度も名前を呼ばれた。
巴はそっと目を開くと、翔を見て微笑んで言った。
「また……遊ぼうね」
翔はその言葉を聞いてうなずいた。
なぜかは説明できないが、このとき、もう一緒に遊べないのではないかという過程が頭をよぎった。
巴は翔を見届け、ゆっくりと目を閉じた。
それから十分くらいして、救急車は到着し、巴とその母親は近くの病院に運ばれた。
翔はその光景を、ただ黙ってじっと見ていた。
その後、翔はお母さんにこっぴどく怒られた。叩かれもした。
そこで、初めて知った。
巴が重い病にかかっていることを……。
幼稚園に入園し、半年してから状態が悪くなり、何度も病院で検査をしていた。
今の状態ではとても外で遊べるほどの体力もなく、病気を悪化させるだけだと言われている。
巴本人も、そのことを知っていた。
それにも関わらず、優しい巴は泣きじゃくる翔を見て遊んでくれた。
翔は一人部屋の隅にいた。電気も着けず。窓から差し込む月の光だけが中を照らしていた。
今わかったのかもしれない。自分がした、大きな過ちを……。
そして、自分がすべき役目を……。