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母の誕生日  作者: とうり
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28歳の無職の僕、小学生の僕と出会う。


――人生は分岐の連続であり、それぞれの選択が異なる未来を形づける。

  こうして生まれる無数の可能性が、平行世界として広がっていく。

 

  たとえ過去に失敗したとしても、それもまた新たな分岐点。選び直すことで、別の未来へとつながる道が、開かれていく、と。

 

 そう教えてくれたのは、高校で数学を教えていた母だった。


 

***


 25歳の春、僕は新卒で入社した会社を辞めた。

 特に大きな不満があったわけではない。けれど、仲の良かった同期が次々と転職していく中で「自分の可能性を試してみたい」という耳障りのいい言葉に、いつしか僕も惑わされていた。そして退職を選んだ。

 

 会社の寮を出て実家に戻ってきた。

 最初のうちは資格試験の勉強をしたり、精力的に動いていた。けれど働かなくても暮らしていける環境に慣れてしまい、気がつけば学生時代のような昼夜逆転の生活に戻っていた。

 そうして三年が過ぎ、僕は28歳になった。


 父は今も現役で働いている。妹が一人いるが、結婚に失敗して実家に戻って来たため、僕に対して厳しいことはあまり言わない。それは本当にありがたかった。

 しかし、経済的に困ることのないこの状況が、僕の怠惰な生活をさらに甘やかしていった。


*



 その日は歯医者の予約があったため、珍しく早起きした。

 治療を終えて帰ろうとしたが、麻酔がまだ切れていないのか、暑さのせいなのか、それとも体力が落ちているせいなのか――僕は気分が悪くなり、近くのショッピングセンターに逃げ込んだ。

 ベンチに腰を下ろすと、少しずつ気分も落ち着いてきた。そろそろ帰ろうかと立ち上がったとき、小さな子供が二人、なにやら相談しているのに気がついた。

 

 どうやら小学生の兄妹らしい。兄はTシャツと半ズボン、そばにいる妹はワンピースを着ていた。財布からお金を取り出し数えている。妹は目に涙を浮かべていた。


――『お金足りないねぇ、お兄ちゃんどうする?』

――『消費税がいるんだ』 

――『買えないってこと? 家に戻ってお母さんにお金もらってこようか』

――『バカ、そんなことしたらお母さんにバレる』


 ベンチの真正面には花屋があり、妹は何度も店に足を運んでは、値段を確認していた。

 どうやらこの兄妹は、花を買いに来たものの、消費税分のお金が足りず目当ての花を買えないために途方に暮れているようだった。


 ぼんやりと僕はそんな二人の様子を眺めていたが、彼らのことを見ているのは僕だけではなかった。


 兄妹より明らかに体の大きい少年たちが、二人の持ち金を狙っていたのだ。しかも三人もいた。


「いくらあるの? 俺らにも見せてくれない?」

 

 にやにやと笑いながら兄妹を取り囲むと、少年のひとりが兄の財布をひょいと取り上げた。

 兄は顔を引きつらせ、小さな声で「やめてください」とわずかに抵抗した。妹は恐怖で竦んだように、声を殺しながら泣き出した。



 ――たかりか。


 いつの時代も、弱い者から金を巻き上げようとするやつらはいる。小学生の頃、一学年上というだけでひどく怖かった覚えがある。

 少年たちは、小学五年か六年生くらいか、もしかすると近隣の中学生かもしれない。

 この辺の校区はあまり治安が良くない。


 子供の頃から犯罪まがいのことをする連中は大人になっても同じようなことをするんだろうな、と思うと無性に腹が立ってきた。


「へえ、けっこう持ってるじゃん」

「借りるだけ。盗るんじゃないから、ちゃんと返すよぉぉ」


 なんて図々しいやつらだ。僕は立ち上がると、


「小さい子からお金をとるのはダメだよ」

 

 そう静かに言った。

 普段ならこういう場面では見て見ぬふりをするのだが、さすがにもこの状況では黙っていられなかった。

 ベンチに座っていた大人がいきなり文句を言ってきたので、たかり少年たちは明らかに怯んだ。

 

「こいつ、トモダチなんで、なっ!」

「そうそう」

「………ちがいます」

「なに言ってるんだよ。俺たちトモダチだろぉ?」


 兄妹は必死に否定していたが、たかり少年たちは一瞬怯んだものの、すぐにへらへらとした口調に戻った。

 兄の肩を抱き、「なっ?」と返答を執拗に求める。


「その子たちは君たちの友達じゃないだろ、君たちのしていることは………犯罪だよ」


 小心者の僕がここまで言えたのも、相手がまだ子どもだからだったかもしれない。

 

 少年たちはしつこかった。

 学校に連絡する、親に連絡する、は効果がなかったが「警察に連絡する」というとさっと帰っていった。

 逃げていく彼らの後姿を確認して、兄妹は頭を下げてきた。


「ありがとう………ございます」


 泣き止んだ妹は嬉しそうに花屋の方へ走って行った。


「花、買いに来たの? さっきから見てたけどお金足りないのかな?」

 

 普段の僕なら、見知らぬ小学生にかかわったりはしない。しかし今日はどんどん積極的に話をしている。


 ――どういうことだ?


「もしお金が足りないなら、お兄さんが出すよ」


 なぜか自然とこの言葉が口から出た。

  


 事情を聞いたところ、母親の誕生日プレゼントを買うために花屋に来たが消費税分を計算に入れていなかったため、二百円ほど足りなかったという。


「一緒に買いに行こうか?」


 僕は兄妹と花屋に入り、目当ての花を買った。足りない分は僕が出した。

 店員さんが包んでくれた、淡い色合いでまとめられた可憐なミニブーケを兄の方に渡すと、二人は嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「色々、ありがとうございます」

「………ありがとう、おじちゃん!」


 おじちゃんという言葉にチクリと胸の奥が傷んだが、なぜか充実感が得られた。

 

 ふと、兄の方を見ると随分昔に流行ったアニメのTシャツを着ている。確か、自分も小学生の頃に好きだったなと思い出した。なにげなく足元のビーチサンダルを見ると『さわだ ゆうき』と記名があった。



 ――さわだ ゆうき?

 ――えっ、ちょっと待て、『さわだ ゆうき』は僕の名前じゃないか!?


 どうして僕の名前の入ったビーチサンダルを、この少年が履いているんだ。同姓同名か、それなら理屈は通じるが――。


 いや、このビーチサンダルには見覚えがある。小学生の頃に好んで毎日のように履いていた気がする――。

 混乱する頭の中で納得できる答えを必死に探した。



「おじちゃんの家は近く?」


 そう訊いてきた妹の方を改めてよく見ると、僕の妹の小さい頃に似ているような気がした。

 

 ――どうしてだ? 何が起こっているんだ? 

 

 思考が追いつかない。全身から汗が噴き出してきた。

突如、何か不思議な感覚が足元から這い上がってきた。

 首の後ろに、痺れにも似た感覚がじわりと生じ、ゆるゆると目の前の景色が色を失い、歪み始めた。   


 ――『おじちゃん、ありがとう!』

 

 遠くで兄妹の声が木霊するように聞こえていたが、僕の意識は次第に薄れていった。

目の焦点はぼやけ、手足から力が抜けていき――倒れる、と思った瞬間、ふいに意識が戻った。

 

 気がつくと、二人の姿はもうなかった。

 


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