第6話:『クルセイダーは女神を前にして、女神を語る』
水の都アクアリアが誇る優雅な喧騒と、運河を渡る涼やかな風を背に受けてから、どれほどの時間が経っただろうか。俺、佐藤ユウキが率いる一行の西への旅路は、もはや「パーティ」という言葉が持つ冒険的な響きとはかけ離れた、さながら珍妙な出し物を抱えた移動サーカスの一座と化していた。その実態は、街道を行き交う他の旅人たちから、好奇と畏怖、そしてその大部分を占めるであろう呆れの入り混じった、複雑な視線を一身に浴び続ける、騒々しくも奇妙な集団なのである。
「師匠! どうかご覧ください! 長年の研鑽の成果が、今ここに結実します! このセレスティアが放つ、完璧なる魔力制御の極致! 万物を永遠の静寂に閉ざす絶対零度の棺! 『アイス・コフィン』!」
街道のど真ん中で、セレスティアが両手を高々と掲げ、周囲のマナを凄まじい勢いで収束させ始めた。その指先には、空中の水分が凍りつき、ダイヤモンドダストのようにきらめく、極低温の魔力が渦を巻いている。その光景は美しくもあるが、それ以上に危険極まりない。
「おい、やめろセレスティアーっ!」
「あんたがそれを本気でやると、俺たちの向こう三日分の食料が永久氷漬けになるって、何度言ったら分かるんだよ!」
「前回は街道そのものが壮大なスケートリンクになって、馬車がスリップ事故を起こしたばかりだろうが! 少しは学習しろ!」
セレスティアの暴走を阻止すべく、ジン、サラ、そしてゴードンの三人が、まるで手慣れた猛獣使いのように、三方向から同時に飛びかかり、彼女を羽交い締めにして地面に押さえつける。ジンが右腕を、サラが左腕を、そしてゴードンが屈強な体で背後から全体重をかけて押さえ込むという、もはや芸術の域に達した連携プレーだ。その騒ぎの後方で、荷馬車の御者台に座っていたリックは、またしても胃のあたりを押さえ、土気色の顔で遠い空を見つめていた。彼の胃痛の原因の八割は、間違いなくこの天才魔道士の奇行にある。
一方で、俺の周囲では、物理的な戦闘とはまた別の、静かで熾烈な戦いが繰り広げられていた。
「ユウキの水筒は、わ、私が責任を持ってお預かりします! 水分補給は、戦いの基本ですから!」
「いえ、師匠の身の回りのお世話は、唯一の弟子である私の当然の務めです! そのような雑務、リナ様にさせるわけにはまいりません!」
「そもそも、ユウキの隣を歩くという栄誉ある権利は、このパーティの初期メンバーである私にあるはずよ! 新参者は少し後ろを歩きなさい!」
俺の右側ではリナが、左側ではセレスティアが、そしてなぜか後方から割って入ってきたサラが、俺の水筒一つ、あるいは俺の隣というポジションを巡って、水面下でバチバチと激しい火花を散らしている。聞こえてくるのは丁寧な言葉遣いだが、その裏に隠された闘志は、先ほどのセレスティアの魔法にも劣らないほどのプレッシャーを放っていた。その中心にいる俺は、ただ「あはは……」と乾いた笑いを浮かべ、流れ弾が飛んでこないことを祈ることしかできない。
俺たち一行が進む街道の風景は、水の都アクアリア周辺の、瑞々しい生命力に満ちた緑の丘陵地帯から、少しずつその様相を変え始めていた。土は乾き、草の色は薄れ、空気を構成する湿度が明らかに低下しているのを感じる。広大な平原へと姿を変えた大地の上には、どこまでも高く青い空が広がり、夏らしい巨大な積乱雲が、まるで神々の庭に咲いた綿菓子のように、悠然と浮かんでいた。道端には、かつてこの道を歩んだ巡礼者たちが建てたのであろう、慈愛に満ちた表情の女神像を祀る小さな石の祠が、まるで道標のように、等間隔に点在している。
そんなカオスとしか言いようのない状況の中、ただ一人、ソフィアだけが、その喧騒から一歩引いた場所を、いつもと変わらぬ優雅さと静けさで歩いていた。彼女の唇に浮かぶ完璧な微笑みは、もはやいかなる騒動にも揺らぐことのない、鉄壁の城壁のようにも見えた。
だが、その完璧な女神の行動には、ここ数日の間に、誰にも気づかれない、しかし明らかな変化が見られるようになっていた。
それは、剣の道に生きるサラが、俺との稽古について何らかの閃きを得たのか、熱っぽく話しかけてきた時だった。彼女の瞳は真剣そのもので、その情熱がこちらにも伝わってくる。
「ユウキ、さっきのジンの太刀筋、見た? 普通なら右に避けるところだけど、あえて一歩踏み込んで、懐に入り込むことでカウンターを狙えると思うの。具体的には、相手の剣の軌道に対して、こう……」
サラが身振りを交え、俺の腕を取って説明しようとした、その刹那。
「ユウキ」
すべての音を支配するかのような、凛としたソフィアの声が、二人の間に割り込んだ。その声は決して大きくはないが、不思議と耳に届く。
「少し、よろしいですか? この先の街道の分岐について、地図の確認をお願いしたいのですが」
ソフィアは、いつの間にか俺たちのすぐそばに立っており、その手には広げられた羊皮紙の地図があった。
「あ、はい! もちろんです! 今行きます!」
俺はサラに断りを入れるのも忘れ、反射的にソフィアの元へと駆け寄る。彼女はごく自然な仕草で俺を自分の隣に立たせ、地図上の細い線を指し示した。その完璧な横顔からは、何の意図も読み取れない。その間、話の腰を完全に折られたサラは、何か言いたげな、少し不満そうな顔でこちらをじっと見つめていたが、地図の確認という正当な理由の前には、何も言い出せないようだった。
またある時には、パーティのファッションリーダー(自称)であるセレスティアが、新調したローブを見せびらかしに来た時のことだ。
「師匠! 私の新しいローブ、見てくださいませ! 師匠がお好きだとおっしゃっていた、夜空のような深い青色に染めてみたのです! この、体のラインを美しく見せるドレープが、我ながら素晴らしい出来栄えでして!」
彼女が見せてきたローブは、確かに美しい青色だったが、それ以上に、魔道士の衣服としては不必要なくらい体のラインを強調する、やけに扇情的なデザインだった。彼女はくるりと一回転し、その姿を俺の目に焼き付けようとする。
「ユウキ」
またしても、である。まるで計ったかのような、絶妙すぎるタイミングでソフィアの声がかかった。
「そこの崖は、長年の風雨で足場が脆くなっているようです。あまり私のそばを離れると危険ですよ」
声のした方を見ると、ソフィアが崖の縁を指さしている。言われてみれば、確かに地面に亀裂が走っているようにも見える。
「は、はい! すみませんでした! 気をつけます!」
俺はセレスティアに曖昧な賞賛の言葉をかけつつ、すごすごとソフィアの隣へと戻っていく。彼女の言うことは、すべてが完璧な正論であり、俺の身を案じる純粋な気遣いに満ちている。だからこそ、俺はそこに何の疑問も抱かない。ただ、彼女の深い優しさに感謝するだけだ。
その完璧な正論と、一点の曇りもない善意の裏で、俺と他の女性メンバーとの間に、巧妙かつ不可視の「壁」が、着実に築かれていることには、このパーティの誰も、そしておそらくは、壁を築いているソフィア自身すら、まだ明確には気づいていなかった。彼女はただ、自分の大切なパートナーが、他の些末なことに気を取られて危険な目に遭わないように、保護者として、あるいは導き手として、当然の務めを果たしているだけなのだと。そう、自分自身に言い聞かせているに過ぎなかった。
◇
そんな奇妙な旅を続けること数日後、俺たちの目の前に、信じがたい光景が広がった。
地平線の彼方に、白い、巨大な都市が現れたのだ。
その光景は、これまで俺が旅してきた中で見てきたどの街とも、全く異質だった。エルフの森の神秘的な都とも、水の都アクアリアの華やかな街並みとも違う。そこには、圧倒的なまでの「白」と「聖」の概念が、具現化して存在していた。
城壁も、家々の壁も、石畳の道も、そのすべてが磨き上げられた純白の大理石で出来ており、真昼の太陽を浴びて、街全体が神々しい光を放っている。まるで、巨大な一つの彫刻作品の中に迷い込んだかのようだ。街の中心には、天を衝くかのような鋭い尖塔を持つ、壮麗な大聖堂がそびえ立っている。その鐘楼から響き渡る鐘の音が、ゴォーン……ゴォーン……と、厳かに、しかしどこまでも優しく、俺たちの魂にまで染み渡るように響いていた。
街を行き交う人々の服装も、他の都市とは大きく異なっていた。豪華な装飾の鎧をまとった騎士や、派手な服装で客引きをする商人の姿はほとんどなく、その大半が、質素な巡礼者のローブを身にまとっている。彼らの表情は、皆一様に穏やかで、その瞳の奥には、揺るぎない深い信仰の色が宿っていた。
空気は、どこまでも清浄に澄み切り、大聖堂の方角から微かに流れてくる聖歌隊の荘厳な歌声と、街の至る所に設置された香炉から立ち上る聖なる香の匂いが、俗世の穢れを洗い清めるかのように、あたり一帯を満たしていた。
「ここが……宗教都市サンクトゥス……」
リナが、ゴクリと息を飲む音が、やけに大きく聞こえた。
「女神教の総本山、か。俺たちみたいな荒くれ者が、足を踏み入れていい場所じゃねえな……」
いつもは軽薄な態度を崩さないジンも、さすがにこの街が放つ神聖な雰囲気には気圧されたのか、神妙な顔つきで大聖堂を見上げていた。
言うまでもなく、この街全体が、今まさに俺の隣で涼しい顔をしている女神、ソフィアを信仰する「女神教」の聖地なのだ。もちろん、そのとんでもない事実を知っているのは、世界でただ一人、俺だけ。当の本人であるソフィアは、どこか懐かしそうな、それでいて特に感慨もないような、不思議な表情で、自分の「信者たちの街」を静かに眺めていた。
俺たちが、大聖堂へと続く中央広場に差し掛かった時だった。広場に併設された市場の一角で、何やら人だかりができており、騒動が起こっているようだった。野次馬根性を出すわけではないが、自然と足がそちらへ向いてしまう。
人だかりの中心で、一人の女性が仁王立ちになっていた。
彼女こそ、騒動の中心人物だった。
降り注ぐ陽光を浴びて、白銀にきらめく流麗なデザインの全身鎧。風に美しく流れる長い髪は、澄み切った高山の雪解け水が集まる川の流れのような、美しいアクアブルー。そして、その意志の強い瞳には、いかなる不正も、いかなる悪も見逃さないという、鋼のような正義の光が宿っていた。まさに、非の打ち所のない、聖騎士という言葉をそのまま体現したかのような、凛とした女性だ。
彼女は、見るからに高価な絹の服を着て、指にはこれみよがしに宝石の指輪をつけた、悪徳商人らしき肥満体の男を、厳しく、そして朗々とした声で断罪していた。
「神聖なるこの聖地サンクトゥスにおいて、遥々この地を訪れた心優しき巡礼者たちから、法外な値段で粗悪な聖具を売りつけようとは、言語道断! その罪、我らが慈悲深き女神ソフィア様への、許しがたい冒涜に値します!」
「ひ、ひぃぃ! ど、どうかお許しを! クルセイダー部隊長、アンジェラ様!」
商人は、彼女の威圧感に完全に屈し、地面に這いつくばって命乞いをしている。
「問答無用! 神々の御前で、その汚れた魂を洗い清め、己の罪を心から悔い改めるのです!」
クルセイダー――アンジェラと呼ばれた彼女は、そう高らかに叫ぶと、右手に携えた、彼女の華奢な体には不釣り合いなほど巨大なウォーハンマーを、天に突き上げた。ハンマーの頭には、女神教のシンボルが刻まれている。
「いざ、神罰の鉄槌を! 我が正義は天を穿つ! 『神罰・垂直上昇』!」
次の瞬間、アンジェラは、その巨大なウォーハンマーを、地面に向かって力強く振り下ろした。
ゴッ! という鈍い音と共に、凄まじい衝撃波が地面を走り、なんと、悪徳商人が立っていた足元の石畳だけが、まるで地中の火山が小規模な噴火を起こしたかのように、猛烈な勢いで天高く突き上がったのだ。
「ぎゃあああああああああああああああああ!?」
悪徳商人は、この世のものとは思えない断末魔の悲鳴を上げながら、物理的に空の彼方へと打ち上げられていく。そして、美しい放物線を描き、遥か彼方の空に小さな点となって消えていった。
……俺が呆然と空を見上げていると、落下予測地点に、まるで最初からそこにいるのが運命だったかのように、干し草を山のように積んだ荷馬車が都合よく停車しているのが見えた。どうやら、命までは取る気はないらしい。ある意味、親切な神罰である。
「ふぅ。また一つ、聖地の穢れを浄化しました」
涼しい顔で、巨大なウォーハンマーを軽々と肩に担ぎ直すアンジェラ。
その瞳に宿る正義感は、間違いなく本物なのだろう。しかし、その正義の執行方法が、あまりにも物理的で、直接的で、そしてどこか、致命的にズレているように思えてならなかった。
◇
騒動を鮮やかに(物理的に)収めたアンジェラが、ふと、広場の隅で固まっていた俺たちの存在に気づいた。
そして、彼女の視線が、俺――というよりは、俺が背負う女神様謹製の聖剣に注がれた瞬間、その凛々しい表情が、劇的に変化した。
彼女の大きく見開かれたアクアブルーの瞳が、まるで信じられない奇跡でも目の当たりにしたかのように、俺自身と、俺の背にある剣を、何度も、何度も交互に見つめている。
(な、なんという……! この、微かでありながら、決して間違いようのない、聖剣から放たれる清浄にして強大な波動……! そして、この方自身から、まるで後光のように滲み出る、人知を超えた圧倒的なオーラ……! まるで、歩く奇跡そのものではないか……!)
アンジェラの脳裏に、女神教に古くから伝わる、一つの預言が雷鳴のように閃いた。それは、クルセイダーならば誰もが暗唱できる、希望の言葉。
――聖地に最大の危機が訪れる時、女神の使徒たる『聖勇者』が現れる。彼は、星の輝きをその身に宿した聖剣を携え、森羅万象を味方につけ、あらゆる邪悪を滅するであろう――
「ま、まさか……! この御方こそ、預言に語り継がれし、伝説の……!」
アンジェラの体が、わなわなと感動に打ち震え始めた。
そして、彼女は、俺の前に一直線に駆け寄ると、その場で恭しく、片膝をついた。その一連の動きは、騎士の礼法に完璧に則った、流れるように美しいものだった。
「おお……! 聖勇者様! この日を、このアンジェラ・アークライト、どれほど待ち望んだことか! ようやく、ようやくお会いすることができました……!」
「…………はい?」
俺は、完全に思考が停止した。聖勇者? 俺が? 何かの間違いではないだろうか。俺の周りにいた仲間たちも、全員が「ポカーン」という擬音が聞こえてきそうな顔で、このあまりにも突拍子もない展開をただただ見守っている。
「聖勇者様! 私は、女神教クルセイダー部隊の隊長を務めております、アンジェラ・アークライトと申します! この命、この魂、今日この時より、すべてを貴方様に捧げます! どうか、この私を、貴方様の忠実なる剣として、お側に置いてください!」
一方的に、しかし一点の曇りもない瞳で、忠誠を誓ってくるアンジェラ。
俺は、もはや「えっと」「あの」「人違いでは」としか言葉が出てこない。
そんな俺の混乱をよそに、アンジェラは、俺の隣に静かに立つソフィアを一瞥した。ソフィアの、人間離れしたあまりの美しさに、一瞬だけ息を呑んだようだったが、すぐに彼女を「聖勇者様の従者か、あるいは信仰心の篤い信徒の一人」だと判断したようだった。
そして、同じ女神を信奉する同志を見つけたとでも思ったのか、満面の、太陽のような笑みを浮かべて、ソフィアに向かって熱く語りかけ始めた。
「聖勇者様。そして、そちらにおわす敬虔なる信徒の方。貴方様方も、我らが敬愛する、慈悲深き女神ソフィア様の教えを広めるために、この聖地を訪れたのですね! 素晴らしい! なんと素晴らしい信仰心でしょう!」
そして、ここから、アンジェラの、熱く、情熱的で、しかし、絶妙に、いや根本的にズレている女神講座が、広場中に響き渡る声で、高らかに開幕したのだった。
「ご存知ですか!? 我らが女神ソフィア様は、清く、正しく、そして何よりも! 表面が炭化する寸前までカリカリに焼いたパンをこよなく愛するお方なのです! ゆえに、我ら信徒は、毎朝の祈りの前に、女神様への感謝と敬愛を込めて、三枚の黒焦げのトーストを祭壇に捧げるのが、信仰者としての務めとされております!」
(…………パンは、別に好きでも嫌いでもありませんが……。というか、黒焦げは普通に食べたくありません……)
本物の女神は、心の中で、静かに、しかし的確にツッコミを入れた。
「そして! 女神様が最もお好みになる色は、悪しき者を焼き尽くす、情熱の赤! そう、この私の髪の色のような、燃える赤です! ゆえに、我らクルセイダーは、女神様への揺るぎなき忠誠の証として、皆、燃えるような真紅の下着を身につけているのです! さあ、そちらの信徒の方も、恥ずかしがらずにご一緒に! 赤き信仰を掲げましょう!」
(…………赤は、どちらかというと、少し目がチカチカするので苦手な色なのですが……。下着の色まで指定した覚えは、全くありません……)
本物の女神は、少しだけ、完璧な微笑みを浮かべた顔を、引きつらせた。
「さらに! 女神様は、三日月に照らされる静かな夜、こっそりと天上の御座から地上に降り立ち、日々の勤めに励む健気な信徒たちの靴下の中に、こっそりと甘いお菓子を入れてくださるという、大変お茶目で可愛らしい一面もお持ちなのです! なんと、なんと心優しきお方なのでしょう! 私も幼い頃、何度もその奇跡を体験いたしました!」
(…………それは、どこの世界の、どの神様の逸話と混ざっているのですか……。あなたの靴下にお菓子を入れていたのは、おそらくあなたの御両親だと思われます……)
本物の女神は、もはや、ツッコミを入れる気力すら、失いかけていた。
アンジェラは、キラキラとした純粋な瞳で、本物の女神を目の前にして、女神について、延々と、そして熱弁をふるい続けている。
俺は、助けを求めるように仲間たちの方を見たが、ジンは腹を抱えて肩を震わせ、笑いをこらえるのに必死だ。サラとセレスティアは「またヤバいのが増えた……」という顔で揃って遠い目をしている。リナに至っては、アンジェラの白銀の鎧に興味津々で、持ち主の許可なくこっそり触ろうとしていた。誰も、このカオスな状況を助けてはくれない。
◇
俺が、この収拾のつかない状況をどうしたものかと頭を悩ませている間、俺の隣に立つソフィアの心境は、複雑で、そして興味深い変化を遂げていた。
最初は、自分のことを、自分自身を目の前にして熱く語るアンジェラという存在に、ただただ困惑していた。そして、その語られる内容の、あまりのズレっぷり、事実との乖離に、呆れ果てていた。
(私のイメージは、この聖地で、一体どうなっているのですか……。パン好きで赤好きで、夜中に靴下を漁る……まるでどこかの国のサンタクロースではありませんか……)
しかし、である。
アンジェラの語りは、どこまでも真剣で、その瞳には、一点の曇りもない、純粋で、ひたむきな信仰の光だけが宿っていた。そこには嘘や、欺瞞、計算といったものは一切存在しない。ただ、女神ソフィアという存在を、心の底から敬愛し、信じていることだけは、痛いほどに伝わってくる。
その、あまりにもまっすぐで、熱量のある想いに真正面から触れているうちに、ソフィアの心の中にあった、呆れや困惑といった冷めた感情が、次第に毒気を抜かれるように、ゆっくりと薄らいでいった。
(……まあ、私に対する解釈は、だいぶ、いえ、根本的に間違っていますが……。それでも、この人間が、私という存在を、これほどまでに強く、純粋に想ってくれているのは、決して、悪い気は……しませんね……)
むしろ、なんだか、その一生懸命な姿が、少しだけ可愛く見えてきた。
自分の知らないところで、自分の逸話が、こんなにも面白おかしく(本人は大真面目なのだが)創作され、語り継がれている。それは、悠久の時を孤独に生きてきた彼女にとって、初めての、そして非常に新鮮で、興味深い体験だった。
そして、アンジェラが、その熱弁のクライマックスとばかりに、天を仰ぎ、ウォーハンマーを掲げて、高らかに叫んだ。
「おお、我らが女神ソフィア様! なんと偉大で! なんと慈悲深く! そして、なんとパン想いの、素晴らしいお方か!」
その時だった。
それまで静かに聞いていたソフィアが、ほんの少しだけ、くいっと優雅に胸を張った。
そして、その完璧な造形の唇の端に、微かな、しかし確かな満足げな笑みを浮かべ、まるで「えっへん」とでも言うかのように、わずかに得意げな表情を、ほんの一瞬だけ、見せたのだ。
その、ほんの一瞬の、人間味あふれる、最高に愛らしい表情の変化を、俺、佐藤ユウキの目は、見逃さなかった。
ドクン、と心臓が、またしても大きく、そして強く跳ねる。
いつも完璧で、冷静で、慈愛に満ちた女神様が見せた、ほんの少しのドヤ顔。その想像を絶するギャップに、俺の心は、またしても、完全に、そして抗いようもなく鷲掴みにされてしまったのだった。
(うわあああああ、今のソフィアさん、めちゃくちゃ可愛い……! 尊すぎる……!)
こうして、敬虔で、美人で、腕も立つが、致命的なまでにズレているクルセイダー、アンジェラ・アークライトが、俺たちの仲間に(半ば強引に)加わることになった。
パーティのカオス度は、もはや計測不能の領域にまで達してしまった。
ソフィアは、ユウキの周りに、またしても強力な個性を持つ女性が増えたことに、一抹の、いや、かなりの不安を感じていた。だが同時に、自分を熱烈に崇拝する、忠実なる(しかし致命的にズレている)信者が常にそばにいるというこの状況は、彼女の心を、少しだけ、くすぐったいような、奇妙な優越感で満たしてもいた。
「……貴方は、本当に……」
ソフィアは、アンジェラと何やら信仰について語り合おうとしている俺を見て、小さく、しかしどこか楽しげなため息をついた。
「面白い人間と、実に面白い信者を引き寄せる、何か特別な才能をお持ちのようですね」
その言葉には、呆れと、困惑と、そしてほんの少しの、機嫌の良さが混じり合っていた。
女神様の心は、俺との旅を通じて、ますます複雑に、そして豊かに、その色合いを変化させ始めている。そのすぐ隣で、聖勇者(仮)と聖騎士(本物だがズレてる)という、新たな嵐の目が生まれようとしていることなど、まだ誰も知らずに。俺たちの旅は、さらに混沌の度合いを深めていくのだった。