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ジェームズ・ナナモと蘇りの輝跡  作者: まれ みまれ
13/30

(13)ストーンブリッジでの講義

 船に乗っていたはずなのにアヤベと話している間少しも揺れなかった。だからどこかに向かって移動しているという感覚も覚えなかった。しかし、アヤベがいなくなったとたん両足で踏ん張らないと倒れてしまうという横揺れではなかったが、それでもかすかな上下の振動も重なって、やはり船に乗ってイワヤに向かっているんだと感じた。

 ほんのりと心地よい。それにここは社の中だ。ナナモはそう思っていたら、急に船が何かにぶつかったのかゴーッという音とともに、ナナモは進行方向とは逆の壁に打ち付けられた。きっと、イチロウのⅤRの世界なら、アメーバのように体がぺしゃんこになっていただろうが、異世界ではそういうことはない。ナナモはそれでも背中の痛みで思わず、うっ、と悲鳴を上げた。

 船は何かに挟まっているのか、がたがたと音を立てながら横揺れしている。それでも大きくはない。だから、その揺れにしばらく体を慣れさせていたらそのうち気にならなくなった。

「きっとイワヤに着いたんだ」

 ナナモは社の扉を開けようと、ポケットに手を突っ込み、三角縁神獣鏡を取り出そうとした、確かに感触があったが、出てきたのはスマホだった。

えっ、異世界じゃないの?と叫びそうになったが、急に扉が開いて、ナナモは背中を誰かの強い力が働いたかのように社の外に押し出された。

「お客さん、ぐずぐずしないで早く降りてくださいよ」

 明らかにアヤベとは異なる声が聞こえる。ナナモはその声につられて振り返ると、煌々と明かりがついていて、ちょっとした観光船が光の粒子の中で映えていた。

 ナナモは見てはいけないものを見てしまったかのように、すぐに前方に視線を移した。それでも、船上から下を見ると漆黒の世界のはずなのにごつごつとした岩肌に激しくぶつかる荒波の白さが際立っていた。ただし、その波は確かに岩場に向かって荒くれているが、まるで踊っている様だし、ザブーと何度も打ちつける音はまるで楽器を奏でている様だった。きっと、あの月が照らしているからに違いないと思ったが、見上げても月は全く見えなかった。

 ナナモは今まで感じていた五感との誤差に眼が回りかけたが、先ほどより長く伸びた渡り板を通って岩場にゆっくりと降りて行った。

 おそらくイワヤに続く道なのだろう。大人が三~四人で並んで歩けないことはない。それにきれいに整備されてつまずいたりはしない路面だ。ナナモはそれでもまだ異世界に居るはずだと、そうじゃないとあの人に会えないと思ったが、その願いを打ち消すように、どこから来たのかわからないが、ぞろぞろと人が歩いていた。

 ここは現実世界なのだろうか?でも、アヤベはイワヤへ行けばあの人に会える。そして、あの人の講義を聞かなければならないと言っていた。あの人がいるなら現実ではない。異世界だ。ナナモはまったくナナモの事を無視しているというか、楽しそうに連れ立って歩く人達が全て浴衣を着ている事に違和感を覚えたし、浴衣を着ているから日本人だと思っていたのに、その大部分の顔貌は何がしかの異国の香りが漂っていた。

 もしかしたら、一人で歩いているのはナナモだけなのだろうか?それにナナモはTシャツにジーパンだ。もしかしたら、浴衣ではないと、洞窟だと言っていたイワトに入れないのだろかと思ったが、ナナモが振り向いても後ろの浴衣カップルは特に怪訝な顔をしなかった。

 もしかしたら、僕自身にはわからないが、僕もTシャツにジーパンではなく浴衣を着ているのかもしれない。

 ナナモは異世界と現実の狭間に居るのだと、自らを納得させるしかなかった。それでもナナモは入り口の料金所できちんとお金を払って中に入った。もし、異世界なら僕の払ったお金は木の葉ではなく、海辺なので昆布になってしまうのだろうかと思いつつも、少しも愉快な気分にならなかった。ただし、道すがら折角吸い込まれていたのに、また、噴き出してきた汗を、まるでタオル代わりに洞窟内の冷気が拭ってくれたことはありがたかった。

 観光地の洞窟だからだろうか、路面は相変わらずきれいに整備されていた。さすがに大人が二人並んで歩けるほどの幅に狭くなっていたが、それでも半円でくりぬかれたトンネルのような通路の両側も岩がごつごつ飛び出してくるということはなかった。その上、暗闇の中を手探りで歩かなければならないのではないかと思ったが、洞窟のところどころに備え付けられている燭台の蝋燭の灯りが、案外すんなりと奥へと導いてくれた。

 しばらく歩いていると、もう一度料金所のような所に着いた。ナナモはまたお金を払うのかと思ったが、ここから先は燭台がないようで、一人一人に手持ちの蝋燭を渡してくれる蝋燭の貸し出し所だと言うことが分かった。

 ナナモは前の人が係りの人から一人用に燭台を渡されていたので、自分も受けとろうと手を差し出すと、少し大柄の髭面の作務衣をきた係の人に急に止められた。

 ナナモはもしかしたらやっぱりTシャツにジーパン姿だから、余計にお金がかかるんだと財布を後ろポケットから取り出そうとしたら、「赤かい?、それとも、白かい?」と、尋ねられた。

 英語?でも、どうして急に?ナナモは意味が分からなかったが、それでもとっさに「白」と、答えたら、その髭面の係りの人は、しばらくじっとナナモの顔を見ていたと思ったら、「今夜はまず赤だろう」と、どういう根拠で言ってきたのか分からないが、ナナモに赤色の蝋燭を渡し、左だから、右に行っちゃあだめだよと呟くと、もはや、ナナモの事は全く眼中にないという風な態度で次の来訪者に無言で蝋燭を渡そうとしていた。ナナモは何色だろうと振り返り確かめようと思ったら、先ほど船から降りた時よりも強い力で前へと押されて、路面はすべりにくいように整備されているのに前のめりにこけそうになった。

 あれだけぞろぞろという音が聞こえてきそうなほど近くを歩いていた人の気配が突然消えた。そして、それに呼応するように身体が少しずつ冷たくなっていく。だからナナモは立ち止まり振り返ることなく、蝋燭の灯りを頼りに前へ足を踏み出すことで少しでも体温を上げるしかなかった。

 暫く進むとあの髭面の係りの人が言っていたように、分岐点にきた。確か、左へ行けと言っていたので、左に行こうとしたが、右に戻れなかったらせっかくお金を払ってまでイワヤの中に入ったのにもったいないと右を少しだけでも覗いてから左に行ってもいいんじゃないのかとあまのじゃくというか、初めてのイワヤで少しワクワクしていたこともあって、右へいこうとしたら、急に蝋燭が消えて真っ暗になった。ナナモはしまったと、とっさの事でつい見えるはずもないのにただキョロキョロと顔を動かしただけで、動揺が止まらなかった。すると、どこからか、胆が据わってないからナナモは試合に勝たれへんのやと、関西弁の声がする。タカヤマ?とナナモは思ったが、その声はナナモ自身の声だ。もしかしたら、ナナモのあまのじゃくが本物のヨウカイを呼んだのかもしれない。なせなら、ここは鎌倉だ。ナナモの行く手を遮るなどヨウカイにとって屁でもない。

 ナナモは怖くなって思わず瞳を閉じた。そして、暗闇に眼が慣れるまで待とうと、その場から動かないことにした。

 すると、思わず知恵も湧いてくる。

 ナナモはスマホを取り出した。しかし、イワヤの冷気がバッテリーを食いつぶしたのか、全く点灯しない。いいアイデアだと思ったのにと呟いてみたものの、余計に心細くなった。ナナモは、素直に助けて下さいと大声で何度か叫んでみた。しかし、何の反応もない。だから、とりあえず、五感を集中させて分岐部までゆっくりと後ずさりする。そして、手に持っていた燭台を前に置くと闇の奥に向かって一礼二拍し、ごめんなさい、いや、申し訳ございませんと、丁寧に謝った。すると、しばらくナナモを目踏みするように、燭台の蝋燭が弱々しく点いたり消えたりしながら、最後には再び元の明るさで灯った。

 そうか、ここは神域なのだ。エノシマノイワヤとはもしかしたらヤオヨロズのカミガミが通う神道なのかもしれない。だからヨウカイではなくカミの使いが居るのだ。

 ナナモは、もう一度一礼二拍してから燭台を持ちあげると、分岐点から左方向へ進んだ。今までとは違い、人ひとりがやっと通れるくらいの道幅だし、ナナモはかなり背をかがめなくてはならなかったし、通路全面の壁は岩肌がごつごつしていて、注意深く歩かないと足を捉えられるくらい路面も岩だらけだった。 

 玄武岩!そうだ、イワヤはフジノオヤマとつながっているんだ。

 ナナモはアヤベの言葉を思い出して、大きく頷くと同時に先ほど一人になった不安は完全に消え、ワクワクした高揚感に包まれて、身をかがめているはずなのに、身体がフワフワと浮いている様な感じになっていた。だから、ナナモはもう迷うことも欲を出すこともなく、先を急がなくてはと思った途端、何か生き物がナナモの身体の下にすべり込んできた。

 ヤなのか?でも、ここは空ではない。それに僕は死んだわけではない。だったら……。

 ナナモはもしかしたら神木の船もこの生き物が曳いていたのではないかと、そして、エノシマの言い伝えと関係がある生き物ではないかと、思わずその名を口にしかけたが、ナナモが手にしていた蝋燭が大きく膨らみ、最大限輝いたあと光の粒子となって伸びていくと、その光路に導かれるように、その生き物はナナモを乗せたまま洞窟を超高速で突っ切るかのように急発進した。

 ナナモは漏れ出る息をもう一度押し返すような迫力に圧倒され、思わず意識を失くしていた。


岩屋に響く八百万

萬世不変の憂いあり

陽陰別れし常世にも

花の咲き散る季節あり

譲り譲られ縁にも

悔やむ心はまさに真

再起を願う蘇り

されど叶わぬ契りかな


 ここはどこだろう。暗闇の中にいる。周りは何も見えない。ただ、じっとしていると聴きなれない音がする。鳥の鳴き声の様だ。否、その音にはきちんとした旋律がある。そして、それに合わせるかのように声がする。でも音楽ではないし、歌でもない。

 それでも、心に浸み込んでくる。この音を奏でているのは何だろう?記憶を掘り起こしてみる。すると、誰かが蹴鞠をしている。だったら雅楽なのかもしれない。でも楽器はひとつだけだし、やはり歌声ではない。旋律にのせて何かを伝えようとしている。講義なのだろうか?でも、一体どこから聞こえてくるのだろう。ものすごく身近なところに拡声器が置かれているように思う。だから、必死でその場所を探してみる。

 突然パッと灯りが付いた。すると無数の耳の形をした岩石が窟の壁から飛び出ていた。ナナモは、やはり物の怪?と訝ったが、いや違うと、ナナモは顔を背けはしなかった。なぜならそれらはピクピクと動いていたからだ。


「ではいまから講義を始めます。皆さんよろしいでしょうか」

 懐かしい声がする。でもいつもと違って丁寧な物言いだ。ナナモはその声に応じて目を大きく見開いていた。

 月も星もない漆黒の世界だったが、野外ではない。閉鎖された空間だ。周囲には灯籠の灯りが弱々しく輝き、幻想的というか清々しさに包まれている。ナナモはイワヤに戻ったのかと思ったが、その空間は切り取られてすぐの石材で周囲をすべて囲まれていて、剣道の試合会場よりは数段狭かったが、見下ろすとまるで大学の階段状の講義室のように中央に教壇が置かれていた。その石造りの階段には聴講が目当てなのか、多くの人が座っていて、これから始まる講義のためじっとはしているが、ワクワク感が抑えられないのか、一番後ろの場所で座っているナナモにもその緊張感が伝わって来た。

 カタスクニのあの場所に似ている。ナナモは周囲の石壁から光の粒子が漏れ出ていないかと確かめたが、確かにその岩壁は鏡のようにすべすべしていたが、灯籠を反射させているだけだった。

 眼が慣れるまで時間がかかったが、良く見ると教壇に立っていたのはやはりハルアキ師だった。そうか、やはり、ここは、カタスクニなんだ。アヤベさんの力添えで、カタスクニに行けることになったんだ。

 ナナモは思わずほくそ笑む気分が抑えきれなかった。

「オヤマはままならないものです。皆さんならその意味をもはやご存知だと思います。だから、すこし離れた場所ですが、ここストーンブリッジで、本日の講義を行いたいと思います」

 物腰の柔らかい講師の優し気な声が再び聞こえる。ナナモはもう一度教壇に立つ講師を見た。やはりハルアキ師だ。ナナモはその事を知ると急に落ち着いたし、講義に間に合ったのだと安堵した。でも、カタスクニではなくストーンブリッジだと言っている。ストーンブリッジってどこだろう。日本の地名ではなさそうだ。もしかしたら、ここはイギリスなのか?

 ナナモはアヤベがイギリスの方が自由だと言っていたことを思い出したが、ストーンへンジなら知っているが、ストーンブリッジって聞いたことがなかった。もちろんナナモは全てのイギリスの地名を知っているわけではない。

「以前お話ししました平安の都からずいぶんと東に離れたこの場所は、鎌倉の蘇りを語るには最適な場所かもしれません」

 ナナモはやはり日本なのだと思い直した。そして、イワヤから続いている少し大きな洞窟なのだろうと思ったし、きっとオヤマとも関係する場所なのだろうと想像した。

しかし、その想いもすぐに消えた。だからか、ナナモは、ハルアキ師、いや、ハルアキ師を仮の姿としているカタリベの講義が早く聞きたくて膝をガクガクと小刻みに震わせていることさえも分からなかった。

「以前お話した講義の続きです。覚えておられますね」

 ナナモはもはや続きといわれても不思議だと思わなかったし、異世界の記憶がところどころ抜けているのに、講義内容だけは忘れていなかった。それでもスラスラとコンピューターの検索のようにワンクリックで、頭の中に文字が浮かび上がるわけでも音声として語りかけて来るわけでもなかった。

 でも、どこかの棚から本を取りだせたら、パラパラとページをめくりながら、うんうんと頷くことが出来る。

 ナナモはハルアキ師が新しい講義を始める前に何とか本棚に駆け込む時間が欲しいと思った。

「平安の都では、それまで皇家に対抗しようとしていた豪族たちはいなくなり、貴族という新しい組織人が皇家を助けるような朝廷というシステムを作りだしました」

 ハルアキ師とは異なる声が聞こえる。ハルアキ師と同じような柔らかい声色だが、優しさより力強さを感じる。ナナモはその声の主の方に視線を送った。 

 目の前にはタブレットが開かれていて、その画面を見ながら、最前列で聴講している女性がハルアキ師に語りかけている。

「あれ?」

 ナナモはいつもとは異なる光景をいつもと異ならないという風にその講義を聞こうとしていたのに、その女性を見て思わず声が出ていた。何故ならハルアキ師に語りかけていたのは、ナナモが剣道の試合を行った会場にマギーの傍らにいた女性だったからだ。

 どうしてここに?彼女はいったい?

 しかし、最後列に座っているナナモが彼女にその理由を訊きに行くことは出来ないし、もしかしたらナナモの見間違えだということもあり得る。それでもナナモは少しだけ腰を上げ眉間に皺を寄せながら目を細めたが、彼女が近づいてくれるわけでもナナモに気が付いてくれるわけもなく、再びハルアキ師に語り始めていた。

「しかし、それは皇家を信頼していたからではありません。自らを公家と称し、皇家に直接使える貴族として特別視させるようにしただけではなく、皇家を利用して自らが皇家に代わってタミを意のままに動かそうとしたのです」

 ナナモは毅然とした彼女の声を聞いているうちに以前聞いた講義の内容が次々に思い出された。彼女の言う通り、皇家はやっとオンリョウが容易に入ってこられないような強固な都を創ったのに、その維持には西の教えの力を借りなければならなかったし、何よりも日々古から続く祭祀をもっと頻繁に行い、そして、穢れやままならないものを出来るだけ産みださないように天文や占いの技術をもっと高めることが必要になったのだ。

「その結果、どうなったのでしょう」

 彼女がハルアキ師を差し置いて急にナナモに話しかけてきた。いや、今まで洞窟の階段講義室に聴講生が開溢れんばかりいたのに、いつの間にか、ハルアキ師と彼女とナナモだけになっている。

 でもナナモは不思議だとは思わなかった。

「皇家はタミの事を見なくなったんでしょう」

「そうですね。しかし、正確に言うと、見えなくなったと言った方が正しいのかもしれません」

「見えなくなった?」

「そうです。そうしないと公家は皇家を意のままに操れないからです。しかし、もともと穢れもままならないものも生き物ではありません。葬ることなど出来ないはずです。それでも皇家だけがそれらを葬り去ることが出来る権威を造りだせるのだと、そして、カミに近しい皇家を敬うことでタミは救われるのだと、それらを恐れるタミに信じさせることで、もはや皇家を祭り上げた公家は、権威を産みだす皇家を中心とした朝廷というそれらを権威で葬り去ろうとするシステムを完成させるとともに、タミはみなタミであるはずなのに誰もがそのシステムの中に容易には入り込めないように、閉鎖された階級だけが支配する世界を創り上げ、その中に皇家を閉じ込めてしまったのです」

「オンリョウが関わっていたのですか?」

 ナナモはつい尋ねていたが、彼女から返事はなかった。

「でも、このころになるとタミは平安の都にだけではなく、いたるところに居たんだよね」

 ナナモはついフランクな言葉づかいになっていた。

「そうですね。それにこのころになると都から離れれば離れるほどそのシステムの影響を受けにくくなります」

 彼女は再び話し始めた。

「だから、勝手なことを」

「勝手なことではありません。まだ、遠く離れていてもタミが皇家を敬らないということはなかったのです。ただし、スマホがある時代では在りません。もめ事は現実の日々として生じていたし、その解決は切羽詰まったものであれば、現場で解決しなければなりません。それなのに公家たちは皇家を雅な世界に取り込んだそのシステムに胡坐をかいて私利私欲に走り、タミを全く返りみなくなります」

 だから、皆一所懸命にならざるを得なかったのだ。

 ナナモは、タミが新しい集団であるモノノフが生まれた理由をそう教科書で習ったような気がする。

「確かに、命がかかっているのに、権威だけに従うことには矛盾が生じますからね。それも、権威は現場には決して来ませんから。だから、モノノフの不満は日に日に大きくなったのかもしれません。それに、モノノフが折角争ってまで和の世界を取り戻したのに、穢れだと一蹴するどころか見向きもせずに放っておいたのですから。そして、どれだけ穢れようが、皇家を敬い、朝廷というシステムに順ずれば、穢れは祓われ、清き身体でまた穢れに立ち向かうことが出来るということを知ったモノノフは、貴族たちと決定的に異なる集団として皇家に近づいていったのです。それに、モノノフは 認めるか認めないかは別にして朝廷の公家も皇家とつながりがなければタミであるが、その反対に、認められるか認められないかは別にして、朝廷の外で暮らしていても皇家とつながりがあればタミとは言えないことも知ったのです」

 彼女の口調は、もはや聴講生の様ではなかった。講義をしている時のカタリベそのものだった。

「それに皇家も次第にシステムに取り込まれているだけだということを知ります。そして以前のように皇家が自らタミを守ろうと考えます。しかし、完成されたシステムは強固でがんじがらめにされていて何もできなかったのです。それが、ある時、朝廷の外で暮らしていても皇家とつながりがあればタミとは言えないモノノフが声を掛けてきます。私に任せてくださいと」

 ナナモは今度こそオンリョウではないかと言いたかったが、その反面、オンリョウの仕業だったら、なんだか悲しすぎるように思えて言わなかった。

「だからモノノフは貴族たちが創ったシステムとは異なるシステムを創ったのですよね」

 ナナモはもはや話し相手が誰でも良かった。こうした場所で久しぶりに語りあえることが嬉しかった。

「そうですね。タミを庇護するという名目でタミを支配するシステムです。ただし、このシステムの中心には皇家はいません。いや、いるのですが、いないと思わせることで作動させなければならないシステムです」

「いないと思わせる?」

「そうです。モノノフを見ているタミは都にはいません。だから、本来皇家は見えていないのです。しかし、モノノフは都に行かなければなりません。カミに近しい皇家によって穢れを祓ってもらわなければならないからです」

「ただそれだけのためにですか?」

「そうです。もはや、公家が創ったシステムは盤石なのです」

「いくら盤石でも蟻の一穴で崩壊することだってあるでしょう」

「もうお忘れですか?地上の世界はヤオヨロズのカミガミによって守られていることを。しかし、そのヤオヨロズのカミガミが創りしヒトでさえ、タミを守れなかったので、カミに近しい皇家が遣わされて王家から地上の世界を譲り受けたことを」

 ナナモは忘れたわけではない。しかし、それなら貴族がそうしたように皇家は常に中心に居るべきだし、新しいシステムを必要としないはずだ。

コトダマでタミを守れば良い。

「いくら和を唱えても言葉だけではタミを守れない時もありますよね」

ナナモの独り言に彼女は幾分口調を弱めた様だった。そして、この時だけはハルアキ師でもカタリベでもないように思えた。

和か?

 ナナモは、しかし、あの時言葉だけで攻められた。まったく暴力を振るわれたわけではない。だから、暴力で対抗出来なかった。そして、そのまま……。 

 ナナモは意識を失いかけたが、頭痛が辛うじて意識をとどめてくれた。それも束の間の事だった。だから、再び彼女に尋ねることができた。

「タミの中には皇家と関わりのあるモノノフがいたはずですよね。だったら、そのモノノフは皇家に代わって新しいシステムの中心となることを譲ってはもらえなかったのですか、いや、譲ってもらおうとしなかったのですか?」

 ナナモの質問にすべての切り立った岩壁が凍り付いた。そして、時が止まる。

 もしかして、ナナモを凍らせようとしているのかもしれない。

 木箱?

 ナナモが突発的に思い浮かんだ言葉の続きを話そうとした時に、ナナモの記憶が瞬時に凍らされて、大きな小槌で粉々に砕かれた。

「先ほどもいいましたよね。モノノフを見ていたタミは皇家を見ていなかったのです。それに皇家と何らかの関わりがあったとしても、もはや都から出て行ったものを公家たちは認めなかったし、モノノフとしてタミを守っていたとしたら穢れていることになります。二度と穢れたくないと誓った皇家がモノノフに譲るわけがありませんし、タミを守る新しいシステムの中心に居ることを許しもしません」

「だから二つのシステムが存在した」

「そうです。皇家はカミに近しい存在です。いくら、タミが皇家ではなくヤオヨロズのカミガミを信じようと、タミはカミに近しい存在では決してありません。したがって、もはや、元は皇家と近しい存在であったとしても一旦朝廷から出てしまったモノノフが皇家の代わりなどできないのです」

「力ずくでも、そうすることはできたでしょうし、そうしても新しいシステムがうまく機能していればタミはもはや古いシステムのことなど簡単に忘れるのではないのですか。それにタミはカミから生まれたものではなくて、ヒトから生まれたって以前は話していませんでしたか」

「そうですね。しかし、ままならないものがカミになりヒトとなったとしても、あの時、ヒトは地上に生まれた新しいままならないものをコントロールできなかったはずです」

「また、譲りですか?」

「譲りは大切なのです。なぜなら、カミがそのことを決めたからです」

「だったら、カミが決めれば……」

 ナナモは言いかけて、これではまた振り出しだと思った。彼女も大きくうなずいている。そして、そのうなずきは、どんな世界でも、否、今の日本ではどうかわからないが、カミとはそういうものなのだと、言いたげだった。

「でも、貴族に操られていたことを知った皇家はモノノフに近づき、タミを守ろうとしたのではないのですか?」

「でもそれは古いシステムです」

「皇家は新しいシステムをモノノフとともになぜ作らなかったのですか?」

「先ほども言いましたが、おそらく皇家はモノノフの穢れを嫌ったからでしょう。ただし、それだけではありません。皇家は、その当時まだ豪族と呼ばれていたある豪族と穢れを犯してしまって、その禊を一生かけて償うと強い決意で誓ったことが都で粛々と受け継がれていたからだと思うのです」

 コッツウォルズでのでき事だ。

 ナナモの記憶はそう叫んでいた。

「皇家はきっとその穢れを悔いてカミに近しいものとして地上の世界に遣わされた時に戻りたいと思ったのかもしれません」

「蘇り?」

「でも、それはかなわないことです」

 ナナモの問いに直接答えるのではなく、彼女は否定の言葉でつぶやいた。

「カミに近しい皇家でもですか?」

「はいそうです。なぜなら、皇家ですらカミに近しいだけでカミではないからです」

「どういうことですか?」

「いずれ黄泉の世界に行かなければならないということです」

「黄泉とは地下の世界のことですか?」

 ナナモはつい彼女に駆け寄りたくなる。しかし、彼女はそんなナナモの思いをまったく気にすることなく、ハルアキ氏の方を向いた。

「さあ、どうでしょう?」

 ハルアキ師は表情一つ変えない。それでも彼女は、まるでナナモに話しかけるように言葉を継いだ。

「いずれにしても、これからモノノフは、次から次に出現し、新しいシステムを作ります。しかし、新しいシステムは古いシステムと相まみえることも吸収したり合併したりすることもありません。新しいシステムは進化するのですか、古いシステムは退化することなく現状を維持していきます。そして、その節目節目に朝廷は固いきずなで抵抗し、そして、古いシステムを次の世代に形を変えることなく譲り与えていくのです。ある時期までは。そのことはいずれお話しすることになります。そうですよね」

 彼女は今度はにこりとハルアキ氏に笑顔を見せると、急にタブレットから視線を外して座った。と同時に、これまで三人だけだった講義室はまた聴講生でいっぱいに戻っていた。

「ではこれから、鎌倉とモノノフについてもう少し詳しくお話ししたいと思います」

 ハルアキ師が久しぶりに口を開いた。しかし、ナナモにとってその声の主はどうしてもハルアキ師だとは思えなかった。

 そんなナナモに先ほど聞いた演奏が聞こえる。ナナモはこの楽器は何だろうと、ハルアキ師をじっと見つめていると、ハルアキ師の容姿が少しずつ代わって来た。

 あっと、ナナモはもう少しで叫びそうになった。なぜなら、講義室の教壇の上で凛として座りながら語っているのは、なぜか片方だけの大きなヘッドホンを耳に掛け、やけにだぶついた着物を身に纏い、仰々しく琵琶を持ったカタリベの姿だったからだ。

 ナナモはその姿を久しぶりに見て、うれしくて、つい、カタリベと、叫んでしまったが、その瞬間、誰がカタリベじゃ、何度言ったらわかるんじゃ、カタリベさんと敬え、という声が鼓膜を破りそうなぐらいの勢いでやってきた。ナナモはそれでも笑顔が収まらなかったが、このまま怒鳴り続けられたら脳天を突き破られるかもしれないと、嬉しさが優っていたのに、初めて自ら意識を失くそうと思った。



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