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平凡と運命のあいだで  作者: 星月 ましろ
8/21

学期末試験

福岡で両親と束の間の時間を過ごした数日後、俺――七宮真は再び黒金学院へと戻ってきていた。

三日月家の飛行機とヘリを乗り継ぎ、護衛の車列に囲まれて学院の正門をくぐると、まるで日常から非日常へと一瞬で引き戻されるような感覚に襲われる。パン屋の息子として暮らした日々と、今この豪奢で閉ざされた学園都市に身を置く自分。その落差が、胸の奥で小さな棘となって疼いた。


校舎の掲示板には、学期末試験の日程表が貼り出されていた。

赤字で記された「Sクラス・Aクラス特別科目試験」という文字がやけに目につく。俺のいるDクラスはそこまで特殊な試験はなく、国数英理社に小論文、それに経営学や時事問題の実技程度だ。だがSクラスの面々は、世界情勢や金融市場、さらには国際法まで出題されると聞いた。――同じ学園に通っているのに、要求される次元があまりにも違う。


「よお、七宮」

背後から声をかけられて振り向くと、同じDクラスの山本が立っていた。官僚の父を持つ彼は、クラスの中では比較的冷静なやつだ。

「帰省してたって聞いたぜ。どうだった?」

「……まあ、普通だよ。親に顔見せて、少し話して、店を手伝って」

「いいな。俺なんか、官僚の父親から『成績上げろ』って手紙が届くだけだ」

冗談めかした口調だったが、その奥にある苛立ちは隠せていなかった。Dクラスの生徒は皆、中小企業の後継や官僚の子息。十分に恵まれているはずなのに、この学院では常に上を見せつけられる。特にSクラスの存在は、俺たちにとって一種の壁だった。


その日の放課後、図書館に寄って参考書を探していると、ふと視線を感じた。棚の向こうから現れたのは――三日月 翠だった。

漆黒の制服を纏い、冷ややかな表情を崩さぬまま歩み寄ってくる。

「……試験勉強か」

「ま、まあな」

「Dクラスの範囲は基礎的だ。努力すれば追いつける。問題は――努力できるかどうかだ」

相変わらずの無機質な口調。だが、その眼差しは俺の心を射抜くように鋭い。

「お前は七宮家の名を背負っている。その責任を忘れるな」

そう言い残すと、翠は足音もなく去っていった。


責任。

その言葉がずっと耳に残っていた。俺がDクラスにいることすら、翠たちから見れば「甘え」に映るのかもしれない。けれど、俺は俺なりにここでやっていくしかない。パン屋の息子として育ち、突然「七宮家の跡取り」となった自分に、完璧を求めるのは酷だろう――そう思いながらも、胸の奥の焦燥感は消えなかった。



試験当日の朝。相変わらず校門前には黒塗りの車列が並び、各家の護衛が子女を送り届けていた。Dクラスの面々もそれぞれの事情を抱えながら、重苦しい空気を纏って教室に入っていく。


一限目は国語。だが問題文の中には、古典文学に絡めた現代社会論の記述があり、単なる知識ではなく思考力を問われるものだった。

(くそ……簡単じゃない)

必死にペンを走らせる。隣の席の山本が難しい顔をして唸っているのが視界に入った。周囲の生徒も同じだ。Dクラスとはいえ、ここは黒金学院。全国のトップを集めてなお、その中で選別される環境なのだ。


昼休み。弁当を広げると、前列の女子――小野寺が声をかけてきた。

「ねえ七宮くん、社会の範囲ってどこまで復習した?」

「えっと、去年の国際会議の資料まで」

「よかった。私もそこまで」

こうして会話を交わすだけで、少し安心する。Dクラスの連帯感は、上位クラスにはないものかもしれない。俺たちは「二番手」であることを自覚しながらも、互いに支え合っていた。


三日目の試験を終えた放課後、廊下で偶然、幻人とすれ違った。

「七宮。試験はどうだ?」

「……まあ、なんとか」

「Dクラスの基準ならな。だが上は容赦ないぞ」

幻人は微笑んでいたが、その声音は厳しかった。

「お前がどこまで伸びるか、楽しみにしている」

そう言い残して去っていく背中を、俺はただ見送るしかなかった。彼らSクラスは、試験期間中も堂々としたものだ。差は歴然――それを痛感させられる日々だった。


最終科目の小論文。テーマは「国家と企業の責任」。

筆を取った瞬間、脳裏に蘇ったのは三日月蓮の言葉だった。

――七宮真。お前に問う。責任とは何だ。


震える手で書き始める。俺は七宮家の跡取りである前に、パン屋の息子だ。庶民としての生活を知りながら、今は財閥の中に身を置いている。その視点をどう活かすか。

「国家や企業は富を分配する責務を負う。しかしその根底にあるのは、人が人として生きるための『食』や『生活』の保障だ。俺はそれを両親の店で学んだ」

言葉を積み上げながら、自分の中で答えが形になっていく。責任とは、誰かに押し付けられるものではなく、自ら選び取るもの。そう書き終えたとき、胸の中に奇妙な充実感があった。


試験がすべて終わったあと、教室の窓から見えたのは――グラウンドを歩くSクラスの面々。翠、奏、幻人、樹璃、翔。彼らは眩しく、遠い。だが、俺はその背中をただ羨むだけでは終わらせない。

いつか必ず、あの場所に並び立つ。

そう心に刻み、俺は拳を握った。



-試験から数日経った頃、朝のホームルームが終わった直後、担任が厚い封筒を抱えて教室に入ってきた。

「学期末試験の結果が出た。成績表を配布する」

淡々とした声が教室に響く。途端にDクラスの空気が重くなった。誰もが息を潜め、紙が配られる音だけがやけに耳につく。


机の上に置かれた成績表を見つめ、俺――七宮真は深く息を吸った。震える手で封を切り、紙を引き抜く。

目に飛び込んできた数字は――


242位/250名


一瞬、頭が真っ白になった。心臓が跳ね、耳の奥で血の音が鳴る。

「……っ」

声にならない吐息が漏れる。紙に記された順位を何度見直しても、そこに記されているのは変わらぬ現実だった。


「うわ、やば……」

後ろの席の山本が小さく呻いた。彼の順位は220位台。決して良くはないが、それでも俺よりは上だ。周囲の連中も似たり寄ったりで、230位前後に名前が並んでいる。

「Dクラスはやっぱり厳しいな」

「まあ、最下層だし」

囁き声が飛び交う。だが彼らの視線が一斉に俺に向いたとき、空気がさらに重くなった。


「……七宮、お前、順位……」

「……ああ」

俺は小さくうなずくしかなかった。笑い飛ばすことも、開き直ることもできない。250人中242位という現実は、ただ冷酷に胸に突き刺さるだけだった。


黒金学院に入学してから、ずっと感じていたことがある。

――ここは、常識が通用しない場所だ。


全国から選りすぐりの跡取りやエリートが集まり、その中でさらに序列が生まれる。Sクラスの生徒たちは世界情勢を語り、企業経営を議論する。対してDクラスは「凡才の集まり」と揶揄される。だが、その「凡才」ですら全国規模で見ればトップクラスの秀才ばかりなのだ。


そんな中で、俺の順位は242位。

つまり、黒金学院という怪物の中で、俺は底辺に近い存在だと突きつけられた。


帰りの電車――ではなく、学院の送迎車の中。

俺は成績表を握りしめたまま、窓の外の景色をぼんやりと眺めていた。


(努力が足りなかった……)


それしか言葉が出てこない。

授業についていくだけで精一杯だった。試験勉強もやったつもりだったが、夜遅くまで勉強するSクラスの連中を思い出せば、自分の取り組みは甘すぎた。福岡でパン屋を手伝いながら過ごした日々。あの平和で温かな時間が、今は胸を締めつける。両親の前で「頑張ってる」と胸を張ったのに――この結果をどう説明すればいいのか。


放課後、成績上位者は学園の掲示板に名前が張り出された。

一位は――やはり三日月 翠。

その隣には誨冥院 幻人と誨冥院 樹璃の名前。水無月 奏も五位、大林 翔も八位に入っていた。生徒会執行部がほぼ独占している形だ。


俺は掲示板の前に立ちながら、その光景を呆然と見上げていた。


「……七宮」

背後から呼びかけられ、振り返ると翠が立っていた。冷徹な瞳が俺を射抜く。

「242位か」

「……ああ」

「学園のレベルを軽く見ていたな」

刺すような言葉。だが反論できない。事実その通りだからだ。


「だが、ここで腐るか這い上がるかはお前次第だ。七宮家の名を背負う以上、逃げ場はない」

「……わかってる」

翠は一瞥をくれただけで去っていった。その背中は相変わらず遠く、俺との距離を痛感させる。


夜。

三日月本邸の広大な敷地の一角にある「七宮邸」。重厚な扉を抜け、自分の部屋へと戻った俺は、机に成績表を広げていた。


窓の外には、整然と手入れされた庭園。廊下では、護衛と使用人が規則正しく動いている音がする。

だが、目の前にある数字――242位――は、この豪奢な屋敷の中でただひとつ、俺の惨めさを暴き出していた。


「国語……平均以下。数学……壊滅。英語……惨敗……」

口に出すほど情けなくなる。理科も社会も大差ない。唯一、小論文だけが平均を超えていたが、それが何になるというのか。


重厚な書棚に囲まれた自室で、俺は小さく笑った。

(結局、俺は“場違い”なんだろうな)


パン屋の息子として平凡に暮らしてきた俺が、世界を動かす名家の子息たちと肩を並べようとしている。無理があるのは、最初からわかっていたはずだ。


――だが。


「だからって、ここで終わっていいわけがない」


手にした成績表をぎゅっと握りしめる。

俺には背負うものがある。七宮家の名も、両親の想いも、そして自分自身の未来も。


悔しさが、熱となって胸の奥で燃え始める。

「……次は這い上がる。絶対に」


机に広げた参考書にペンを走らせる。夜の静けさの中、紙を擦る音だけが部屋に響いていた。




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