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平凡と運命のあいだで  作者: 星月 ましろ
6/21

黒金学院へ

翌朝、まだ夜の冷気をかすかに残した空の下、黒金学院の敷地はすでに活気を帯びていた。


その威容を前にして、七宮真は思わず息を呑んだ。


――これが黒金学院。


王侯貴族の宮殿を思わせる白亜の校舎群、城壁のように連なる石造りの建物、緑に整えられた広大な庭園。外界から隔絶された巨大都市のようなその光景は、ただの学校とは到底思えない。


 正門から続く長大な並木道を、黒塗りの車列がゆっくりと進む。車の窓から学院の全貌を目にするたび、真の胸は高鳴りと不安で激しく揺さぶられた。


後部座席に並ぶのは、三日月翠と水無月奏。翠は相変わらず表情を変えず前を見据え、奏は窓の外に淡々と視線を向けていた。その落ち着きは、真の動揺を一層際立たせる。


「緊張しているな、真」

 声をかけたのは運転席後ろの補助席に座る大林翔だった。長身の体を少し窮屈そうに折り曲げながら、にやりと笑う。

「まあ仕方ねえ。ここはそういう場所だ」


「……ああ」

 真は短く返すのが精一杯だった。


 別の車には誨冥院幻人と誨冥院樹璃が乗っている。六人揃っての登校は異例であり、その行列は学院内外に強烈な印象を残すに違いない。


 やがて車列は広大なロータリーに到着した。すでに多くの生徒たちが登校しており、車から降りる翠たちを見つけて一斉にざわめきが広がる。


「生徒会長だ……!」

「三日月翠様……」

「副会長のお二人も……」


 その視線は驚きと畏怖に満ちていた。学院生にとって、生徒会執行部は単なる自治組織ではない。名家の後継者にして、未来の月蓮会を担う存在。彼らは生徒会室に君臨する小さな王族のような存在なのだ。


 真はその輪の中に立たされる。周囲から向けられるのは、好奇、懐疑、そして露骨な侮蔑を含んだ眼差し。


「誰だ、あいつ」

「見たことない顔だな」

「……まさか、編入生?」


 真の心臓は強く打ち続けた。背筋に冷たい汗が流れる。だが退くことは許されない。ここで怯めば、それは即ち七宮家の敗北を意味するのだ。


 六人はそのまま講堂へと進む。今日の午前は全校集会――学院式典が行われる。その場で真は正式に紹介されるのだ。


 講堂は劇場のように広大で、金色の装飾と大理石の柱が荘厳な空気を作り出していた。数百名の生徒たちが席に並び、その中央の壇上には学院長――三日月楓人の姿があった。


 世界有数の財閥を率いる現役の実業家にして、学院の象徴。穏やかな笑みを浮かべるその人は、真にとって「三日月家」という巨大な存在をさらに遠く高く見せる。


「生徒諸君、こんにちは。みなさんのご活躍はいつも耳にしております。」

 楓人の声は澄んでおり、講堂全体に柔らかに響いた。

「今日は特別に、一人の新しい仲間を迎えます。七宮真君――前へ」


 視線が一斉に真へ注がれる。全身が焼けるように熱くなり、足が鉛のように重い。だが真は必死に前へ進んだ。


 壇上に立つと、ざわめきがさらに広がった。


「七宮?」

「聞いたことない……」

「地方の家系じゃないか?」


 嘲笑混じりの声も確かに届く。

 真は唇を強く結び、堂々と名を名乗った。


「七宮真。……これから黒金学院の一員として学びます。どうぞよろしくお願いします」


 一瞬の静寂。

 次いで、ざわめきが再び広がる。だが今度は小馬鹿にした声だけではなかった。壇上に並ぶ翠たち生徒会執行部が無言で真の背後に立ったからだ。


「生徒会と一緒に……?」

「まさか執行部に関わる存在なのか?」

「いや、そんなはずは……」


 動揺と困惑が混じる空気。真はその中に立ち、ただ自らの鼓動と向き合った。


 楓人は穏やかな微笑を崩さず、最後に言葉を添える。

「彼は七宮家の跡取りであり、ここで学ぶに値する人物です。皆さん、仲間として迎えてください」


 講堂全体がざわめきに包まれたまま、式典は続けられた。

 だが真の胸には深く刻まれた。――ここは戦場だ。立場も、血筋も、力も、すべてが試される。


 黒金学院での日々が、今まさに始まったのだ。



入学式を終え、真は一人、学院案内の教師に導かれて自らの教室へと向かっていた。

 広大な校舎は迷路のように入り組んでおり、壁には美術館のような装飾が施されている。歩くたびに革靴が大理石の床に響き、緊張が胸を締め付ける。


 ――Dクラス。


 教師から渡された名簿にそう記されていた。

 S、A、B、C、そしてD。編入生である自分がどの位置に置かれるか、不安と期待が入り混じっていたが、結果は最下層のDクラス。


 ただし、教師は小声でこうも付け加えていた。

 「Dクラスといっても落ちこぼれではない。多くは中小企業の社長や官僚の子息で、世間から見れば十分にエリートだ。しかし、この学院の基準では……ということだ」


 つまりここでは、すでに「大財閥の後継」であるSクラスとの差が明確に線引きされているのだ。


 真は扉の前で一度深呼吸をした。手のひらにじっとりと汗が滲む。

 ノックをして、扉を開ける。


 教室内の視線が一斉に彼へ注がれた。


 ざわめき。

 だがSクラスで感じた畏怖や羨望の入り混じった空気とは違う。ここにあるのは、冷めた好奇心と測るような視線だった。


「転入生か」

「へえ、七宮? 聞いたことないな」

「官僚系か? それとも地方企業?」


 真は壇上に立ち、担任に促されて自己紹介をした。


「七宮真。……よろしくお願いします」


 短い挨拶の後、教室の空気はすぐに元の雑談に戻った。歓迎の拍手もなければ、敵意むき出しの視線もない。ただ「観察対象」として受け入れられたに過ぎなかった。


 案内された席は教室の最後列。窓際。

 座ると同時に、前の席の生徒が振り返った。眼鏡をかけた細身の少年で、名札には「古賀」とある。


「七宮君、ね。よろしく。俺は古賀、官僚の家系だ。……君、どこの出身?」


 探るような声色。真は少し間を置いて答える。

「……七宮家。福岡の」


「福岡? ああ、地方系か。なるほど」

 古賀は納得したように頷き、興味を失ったように前を向いた。


 その一瞬の会話で、真は理解した。

 ここでは「家の格」がすべてだ。

 中小企業や地方官僚の子弟が大半を占めるこのクラスでさえ、序列と比較が日常的に行われている。


 休み時間。数人の生徒が真に近づいた。

「七宮ってどこ系?」

「資産は? 何代目?」

「まさか借金持ちじゃないよな?」


 冗談めかした問いに、真は曖昧に笑うしかなかった。七宮家が三日月家に名を連ね、七宮流の本家ということを、ここで正直に語っても誰からも信じられず白い目で見られることは確かだった。


「……まあ、それなりに」

 とだけ答えると、彼らは「ふうん」と興味を失い、それぞれの仲間の輪へと戻っていった。


 孤独感が胸に広がる。

 Sクラスにいる翠や奏たち――彼らは学院全体の頂点に立つ生徒会執行部だ。対して自分はDクラス。階級の差はあまりにも大きい。


 昼休み。食堂に足を運ぶと、さらにその差を実感した。

 Sクラスの生徒たちは専用席に座り、取り巻きに囲まれている。そこには翠や幻人の姿もあった。

 遠目に見えた翠は、淡々と食事を口にしていたが、彼の周囲には絶えず人が集まり、その存在感は圧倒的だった。


 一方、Dクラスの生徒たちは端の方で固まって食事を取っている。話題は家の事業や親の役職、次の派閥争い――互いに牽制し合いながらも、一定の連帯感があるようだった。


 真はその輪に加わることもできず、一人でトレーを持って席を探す羽目になった。

 孤独に食事を始めたとき、不意に背後から声がかかった。


「お前、Sクラスと一緒にいたよな」

 振り返ると、体格の良い男子生徒が腕を組んで立っていた。名札には「佐原」とある。どうやらDクラス内で力を持っているらしく、数人の取り巻きが背後に控えている。


「三日月会長たちと同じ車で登校したって噂だ。どういう繋がりだ?」


 食堂内の視線が集まる。真は息を呑み、答えを探した。

 だが、安易に「友人だ」と答えれば虚勢と取られ、沈黙すれば「隠している」と見なされるだろう。


「……縁があって、少し面識があるだけだ」


 答えは無難だった。しかし佐原は鼻で笑った。

「面識ねえ。ま、せいぜい利用されて終わりだろ」


 その一言に、食堂内の笑いが広がる。

 真は拳を握りしめたが、反論する言葉が見つからなかった。


 結局、その日の放課後まで、真はDクラスの輪に入りきれず孤立したまま過ごすこととなった。

 机に鞄をしまいながら、ふと窓の外を見やる。遠くに見えるのは学院の中庭。そこを歩く翠と幻人の姿が目に入った。


 彼らは同じ学院にいながら、まるで別世界の住人のように遠かった。


 ――自分は、本当にここで生き残れるのか。


 心の奥底から、不安が重くのしかかってきた。


翌朝-

白亜の校舎はまだ朝靄を纏い、巨大な正門前には黒塗りの車列が並んでいた。降り立つたびにスーツ姿の秘書やSPが扉を開き、磨き上げられた革靴や制服姿の生徒たちが校内へ吸い込まれていく。


七宮真は、その流れの中でひとり立ち尽くしていた。

制服の着こなしに特別な飾りはなく、持ち物も質素だ。だが、背筋はまっすぐに伸ばされていた。先日の三日月本邸で三日月蓮から告げられた言葉が耳に残っている。


——おまえの居場所は、ここで証明せねばならん。


学院の門をくぐると、すでに多くの生徒がざわめき、視線がこちらに集まるのが分かる。生徒たちは年齢こそ同じ十六、十七歳前後だが、その態度はどこか大人び、磨かれている。父や母が企業を率い、国の要職にある家に育った者たちの余裕。彼らの眼差しには、見知らぬ編入生を値踏みするような冷ややかさがあった。


Dクラスの教室は校舎の中層階に設けられている。

黒金学院では学力や家系の格、さらに学院の審査によってAからDまで振り分けられる。

A・Bは大企業や旧華族の血筋、あるいは卓越した学力や実績を示した者たち。

Cは地方大企業や名門官僚の二世たち。

そしてDは、中小企業の社長や高級官僚といった「準エリート」の集まり。外から見れば十分に高い身分だが、この学院では「末席」扱いである。


朝のチャイムとともに、校舎に静かなざわめきが広がる。

廊下の石床を踏みしめるたび、革靴が軽く響く。

真は今日も、ほかの生徒たちに混じってDクラス教室へ向かっていた。


教室の扉を開けると、中央の机には、すでに数人が着席している。

「おはよう、七宮」

席につくと、前の席の古賀が軽く声をかけてきた。

「昨日は式典、緊張しただろ?」

真はわずかに肩をすくめ、無表情で答える。

「まあ、少し」


古賀は納得したようにうなずき、机の上の書類を整え始めた。

周囲の目線は時折真に向くが、表情を変える者はいない。皆、互いの立場と力を測り合うだけだ。


授業が始まると、Dクラス特有の緊張感が漂う。

教師は経済学の教授で、地方企業や官僚の子弟を意識して話を進める。

「このモデルケースでは、中小企業がいかに経営判断を下すかが重要だ。財閥や大企業の話ではない」


真は自分の家柄がここでは通用しないことを痛感する。

三日月家の孫としての資産や権威は、Dクラスの論理では一切関係ない。

黒板に書かれる経営戦略の計算式や政策判断を前に、真はただ黙ってノートに向かうしかなかった。


昼休み、食堂に向かう。

Dクラス専用の席は端の方に設けられ、中央にはSクラスの生徒たちが座る専用席がある。

相変わらず遠くに翠や幻人たちの姿が見える。彼らは静かに、だが確実に周囲を支配している。


真は自分のトレーを持ち、隅のテーブルに座る。

隣には佐原という体格の良い生徒が座っており、彼が自然にDクラス内での序列の中心になっていた。

「七宮、俺たちと仲良くやれるか?」

笑みを浮かべながら尋ねるが、真にはその笑みが試すように見えた。


「……もちろん」

短く答え、視線を外す。これ以上の深入りは、今の自分には危険すぎる。


午後の授業ではディベート演習が行われた。

テーマは「地方企業の成長戦略」。

生徒たちは家庭環境を盾に、互いに優位を競う。

真は黙って資料に目を通すが、議論に加わるとすぐに論破される。

Dクラス内でさえ、家柄や先祖の実績は有効であり、真の地方企業の情報だけでは力不足だった。


放課後、クラブ活動に目を向ける。

体育館や音楽室、研究棟にはさまざまな部活動の生徒たちが集まっている。

真はどのクラブに入るか迷ったが、声をかけてくれる者はなく、ただ遠くから見つめるだけだった。

孤独感が深く胸に沈み、これまでの生活では味わったことのない重さを感じる。


帰宅時、校門から見上げるSクラスの建物。

翠が生徒たちに囲まれ、静かに歩く姿が目に入る。

その背中は圧倒的で、近づくことすら許されないように思えた。


夜、自室でノートを開く。

今日一日の出来事を振り返ると、孤立と屈辱、そして少しの希望が交錯していた。

希望——それは、自分が三日月蓮に認められたこと。

その覚悟があれば、Dクラスの壁も、Sクラスの権威も、いつか乗り越えられるはずだ。


授業、昼休み、放課後。

毎日の繰り返しの中で、真は少しずつ学ぶ。

家柄が通用しない場所での戦い方、人を見極める目、力を測る感覚。

そして、自分に足りないものを知る痛み。


数週間が過ぎ、Dクラスの日常は変化を見せる。

最初は無視され、侮られていた真に、少しずつ仲間意識が芽生える瞬間もあった。

古賀や佐原との会話は形だけの牽制から、議論や戦略を交わす場へと変わっていく。

それでもSクラスとの距離は圧倒的に遠く、翠たちの存在は常に影のように迫る。


真は夜、寝床で目を閉じる。

孤独、孤立、競争、嫉妬……

すべてが重く、息苦しい日々だ。

だが、その一方で、胸の奥に小さく光る炎もある。


——俺はここで生き残る。

——必ず、認められる。


Dクラスの壁は厚く、高く、重い。

だが、三日月蓮に背中を押され、目指すべき道を知る真にとって、これは避けられぬ試練だった。


すぐに学園生活の一日は過ぎ、また次の日が始まる。

真の挑戦は、まだ始まったばかりだ。


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