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平凡と運命のあいだで  作者: 星月 ましろ
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三日月本邸へ

ジェットから降りあと車は、広大な三日月本邸の敷地を静かに走り抜けた。

闇に浮かぶ庭園の灯りが低く光を放ち、舗装された道の両脇に並ぶ樹々が夜風に揺れるたびに影を落としていく。

車の窓から見える風景は、日常では見たことのない規模と荘厳さを帯びていた。


「もう少しだ」

樹璃の穏やかな声が車内に響く。彼は後部座席で足を組み、外の光景を淡々と眺めていた。

真は緊張で握り締めた拳を椅子の縁に押し付け、窓の外に目をやる。

巨大な建物が視界に入ると、心臓が跳ねた。

石造りの壁、夜に煌めく窓明かり。

これが、三日月家――彼がこれから足を踏み入れる場所だ。


車が玄関前に到着すると、使用人たちが整列して待ち構えていた。

黒の燕尾服に白手袋、整然とした列はまるで儀式の前の静寂のようで、真の胸に緊張を刻んだ。

車のドアが開くと、夜風がわずかに吹き込み、冷たさが肌を刺す。

翠は無表情のまま車を降り、静かに前を歩く。

奏もまた淡々と後に続くが、目の端で整列した使用人を見やり、少し身を引き締めているようだった。


樹璃が先頭に立ち、真の肩に軽く手を置く。「こちらから玄関へ」と指し示す。

足取りは軽くも、歩くたびに空気が張り詰める。

真は心臓を押さえつつ、一歩一歩ついて行った。玄関の大扉は漆黒の木材でできており、金の装飾が光を反射して妖しく煌めく。

扉の前に立つと、その重厚感に息を呑む。樹璃が扉の前に立つと、扉は軋むことなく静かに開いた。


内部は想像以上に荘厳だった。大理石の床、天井まで伸びる柱、壁にかけられた油彩画や調度品が並ぶ長い廊下。真は思わず息を飲む。

これほどの空間に足を踏み入れたのは生まれて初めてだった。

翠は無表情のまま、先導する樹璃の後を歩き、時折廊下の装飾に目をやる。

奏もまた視線を床や壁に落とし、音を立てぬよう歩く。

静けさと緊張が同時に漂う中、三人は互いに言葉を交わすこともできず、ただ空気に身を委ねていた。


やがて、樹璃が一枚のドアの前で立ち止まる。「ここが客間だよ。今日はここで宿泊してね」

ドアを開けると、広々とした空間が現れた。

柔らかな絨毯が床を覆い、壁際には小さな暖炉が温かい光を灯している。

高級感のある家具が配置され、調度品は静謐さと格式を兼ね備えていた。

夜の闇が差し込む窓際の席には、上質なシルクのカーテンがひらりと揺れている。


「夕食はここにおいてあるから食べてね。簡単なものだけど」樹璃が案内する。

テーブルには軽い夜食が並び、香りがほのかに漂う。

真は椅子に腰を下ろすと、緊張のあまり背筋が伸びたまま、箸に手を伸ばせなかった。


翠が淡々と隣に座る。「落ち着け。ここで何か失敗しても、責められることはない」

奏も同意するように頷く。「確かに。明日のことを考えろ。おじい様に会う前に緊張で動揺するな」


真は深く息をつき、箸を手に取る。小さな夜食を口に運ぶが、味は脳まで届かず、心は一晩先に控える蓮との謁見でいっぱいだった。

部屋の静寂は、逆に心臓の鼓動を鮮明に浮かび上がらせる。

窓の外では夜風が樹々を揺らし、時折遠くの庭園の灯りがちらりと視界に入る。

全てが、非日常の世界の一部であることを真に突き付けていた。


樹璃は最後に柔らかく笑った。「無理に眠ろうとしなくてもいいよ。でも、体を休めて。

明日は長い一日になるから」

翠と奏も同じく静かに頷く。三人の存在に安心感を覚えつつも、真の胸には緊張が残った。

彼は布団に身を沈めると、夜の静寂と重厚な本邸の雰囲気に包まれながら、目を閉じるしかなかった。


夜は深く、森の奥から時折風が吹き抜ける音が聞こえる。

外界から完全に隔絶された空間の中で、真は今日という日が終わり、

そして明日が始まることを静かに待っていた。

客間の静寂は、未知なる運命への前奏のように、重く、しかしどこか凛とした空気を漂わせていた。


-

朝の光が、客間のシルクのカーテンを淡く透かす。深夜の静寂が支配していた館内に、柔らかい陽射しが差し込み、時折床に反射して揺れる。真はまだ眠気が残る目を擦りながら、昨夜の非日常を思い返す。滑走路から客間までの道のり、煌びやかな廊下、そして夜の静謐に包まれた客間――すべてが夢のようで、しかし現実として胸に残っていた。


「起きたか?」

客間の扉が開き、軽やかな足音とともに声が響く。振り返ると、そこに立つのは奏。

長身で整った顔立ちに知性が宿り、笑みを浮かべながらもその視線は鋭く、真の心を一瞬で測るようだった。ただの高校生にしてはあまりにも重すぎる存在。


「おはようございます……」真は小さく挨拶する。奏は軽く頷き、傍らに立つ大林 翔と誨冥院 幻人を紹介する。


「そしてこちらが大林だいりん しょう。少々豪胆なところがあるが、面倒見はいい方だ」

翔は笑みを浮かべ、腕を組んで真たちを見下ろす。陽光に照らされた顔は陽気で、しかし鋭い眼差しは隙を見せない。


「隣に立つのは誨冥院かいめいいん 幻人げんと。樹璃の従兄弟で宗家の次期当主だ。」

幻人も握手をするため手を出してきたが、とても高校生とは思えない力でてを握ってきた。


翠は相変わらず無表情で、真の隣に立つ。樹璃は後ろから控えめに二人を見守る。


「昨日の車中での説明、まだ頭に入っていないか?」

奏の声は柔らかいが、真の内面の緊張を一瞬で増幅させる。


「はい……正直、まだ混乱しています」

真は正直に答えた。すると翔が大きく笑いながら肩を叩く。

「まあ、初めて来たなら当然だろう。でも、すぐ慣れるさ。」


「慣れる……」真は呟く。その言葉が心の中で繰り返される。慣れるべき世界――それはもう、日常とは程遠い“権力と運命の空間”だ。


幻人は微笑み、静かに言葉を続ける。

「今日は、おじい様への謁見だ。全員揃った状態で臨むことになる。準備はよいか?」

翠は一言も発さず、無表情のまま頷く。奏も軽くうなずく。樹璃は控えめに微笑んでいる。真は小さく息を吸い込み、肩を落ち着かせるしかなかった。


「よし、それでは行こう」

幻人の一声で、6人は廊下を進み出す。静まり返った館内に足音が反響し、まるで重厚な鐘の音のように響く。廊下の両脇には絵画や調度品が並び、重厚な壁が昼の光を吸収して奥深さを感じさせる。


途中、翔が軽く真に耳打ちする。

「緊張するだろうけど、余計な力は抜け。おじい様は怖いが、俺らもついてる」

真は小さく頷く。翔の存在が、少しだけ背中を押してくれる感覚だった。


樹璃はさりげなく翠の肩に手を置き、静かに先導する。翠はいつも通り無表情だが、その瞳には鋭い光が宿っている。奏は窓の外をちらりと見ながら、冷静に道を確認するように歩いた。


やがて、大広間の扉が視界に入る。扉は天井まで届くほど高く、装飾は最小限に抑えられているものの、威圧感は計り知れない。


大広間の扉が、重厚な音を立てて開かれた。

その瞬間、空気が変わった。広間に漂う静寂は、ただの静けさではない。そこにいる者の存在感が、空間そのものを支配している――そうとしか言い表せない。


玉座に座していたのは、三日月 蓮。

彼の背後に広がる壁は巨大な絵画と調度品に覆われているが、誰もそれに目を向けることはできない。視線は自然と、その男ただ一人に縫い付けられる。


「――よく来たな」

低く、しかし澄んだ声が広間を震わせた。その声には威厳と重みだけが宿る。


翠と奏、樹璃、幻人、翔、そして真は、揃って前へと進み出る。孫たちは自然に「おじい様」と呼ぶ声を揃えるが、真はその言葉を口にすることができず、ただ深く頭を下げた。


蓮の鋭い眼光が、まっすぐ真に注がれる。

「七宮 真――楯山の血を引き、七宮を継ぐ者よ」


呼ばれた瞬間、真の背筋は強張った。名を呼ばれることが、これほどの圧力を伴うとは想像もしていなかった。


「お前はこれから、七宮家の跡取りとして、ただ名を受け継ぐだけでは済まぬ。お前の一挙手一投足が、七宮を、そして一族全体を左右する。……その覚悟があるのか」


広間には沈黙が落ちる。

真は喉が乾き、声が詰まりそうになる。だが逃げ場はなかった。翠も奏も、幻人も翔も、皆がその場で真を見守っている。


「……あります」

震える声で、しかし確かに答えた。

「私は七宮家を継ぐ者として、責任から逃げません。どれほどの重さかは、まだ計り知れませんが……必ず果たしてみせます」


蓮の目が細められる。叱責も嘲笑もなく、ただ真の内面を測るような沈黙が続く。やがて、ゆっくりと頷いた。


「……言葉だけで務まるものではない。だが、まずはその意志を示したことを良しとしよう」


蓮の視線が広間全体を走り、6人を順に見渡す。その威圧感に、誰一人として動けない。ただ、彼の次の言葉を待つしかなかった。


蓮は深く椅子に身を預け、組んだ指を軽く動かした。わずかな仕草でさえ、広間に緊張が走る。


「よいか。ここに集った六人――お前たちは皆、それぞれの家を背負う者であり、やがて月蓮会を導く存在となる者だ」


その声は、重い鐘の音のように、胸の奥に響く。翠も奏も、幻人も、翔も、樹璃も、一様に姿勢を正した。真もまた、震えを抑えながら耳を傾ける。


「血筋、地位、才能。それらは確かに力だ。だが、それだけではこの一族を導くことはできぬ。世界を背負うとは、すなわち世界から憎悪と畏怖を同時に受けることだ。それに耐え、なお前へ進む覚悟が要る」


言葉の一つひとつが鋭く、真の胸に突き刺さる。彼は昨夜から感じ続けている緊張を改めて意識した。逃げ場はなく、ただ真正面から受け止めるしかない。


「そのために、お前たちは同じ場で鍛えられねばならぬ。己を知り、互いを知り、競い合い、時に手を取り合え。それがなければ、いずれ一族は分断し、弱体化する」


蓮の視線が一人ひとりを鋭く射抜く。翠は変わらず無表情のまま、奏は静かに視線を落とし、幻人は口元に薄い笑みを浮かべて受け止めた。翔は腕を組んだまま真剣に頷き、樹璃はわずかに緊張した面持ちで立っている。


「――黒金学院」

蓮はゆっくりとその名を口にした。


広間の空気が一層張り詰める。

「真は明日より、黒金学院に身を置く。あの学び舎は、ただの学校ではない。一族の後継が集う場にして、真の序列を測る試金石だ。己の立場を知らぬ者は、そこで淘汰される」


真は息を呑んだ。黒金学院――名は知っていた。入学金だけで莫大な額を要する、常識を超えた学び舎。しかしそこが「試金石」と呼ばれる場であることを、彼は初めて知った。


「翠、奏、幻人、樹璃、翔……そして真。お前たちは黒金学院において互いを知り、己を試し、真に世界を背負う器かどうかを証明するのだ」


蓮の声音は低く、だが決して逃れられぬ重みを帯びていた。


「黒金学院での過ごし方次第で、未来は定まる。仲間か、敵か、盟友か、駒か……。選ぶのはお前たち自身だ。だが忘れるな――背負うべき家と、私の目が常にそこにあるということを」


静寂。

誰も声を発せず、ただ心臓の音だけが耳に響いた。


真は唇を結び、必死に自分を奮い立たせる。ここで退けば、すべてが終わる。

翠は冷徹な瞳を揺らすことなく、ただ「おじい様」の言葉を受け止めていた。奏は目を細め、内に決意を固める。翔は大きく息を吐き、緊張を紛らわせるように背筋を伸ばした。幻人と樹璃は互いに一瞥を交わし、それぞれの思惑を胸に秘める。


「――以上だ」

蓮はそう言い切ると、視線を六人から外し、広間の奥へと向けた。

「下がれ。今宵は休め。明日からは、お前たちの新たな始まりとなる」


静かに告げられた言葉は、終わりであり、同時に始まりの宣言だった。


六人は揃って一礼し、大広間を後にする。背後で扉が閉ざされる音が、彼らの胸の奥に深く刻み込まれた。


――黒金学院。

そこで彼らを待つものは、試練か、対立か、それとも新たな絆か。

いずれにせよ、もはや後戻りはできないのだ。

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