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平凡と運命のあいだで  作者: 星月 ましろ
17/21

水無月 奏

学年末試験も終わり少し落ち着いてきたある日のことだった。

 三日月本邸の応接間で、真は冷徹な声を浴びることになる。


 「七宮」

 ソファに腰掛ける翠は、淡々と告げた。

 「お前の立ち位置はもう“ただの転校生”ではない。三日月家の一員として、それに相応しい装いを整えるべきだ」


 その言葉に、真は思わず背筋を伸ばした。

 「……装い、ですか」


 「服装は人の印象を左右する。場に相応しくない姿で立つことは、我々全員に対する侮辱となる」

 翠の言葉には一片の感情もない。まるで冷たい刃が突き刺さるようだった。


 「だから、奏に同行させる。彼が選ぶものなら外れることはないだろう」


 そう告げられた瞬間、真は胸の奥で小さく溜め息をついた。

 ――奏と二人きりで買い物、か。



休日の朝。

 真は黒塗りの車に乗り込み、奏と共に都心へ向かった。

 目的地は三日月グループ傘下の最高級百貨店。芸能人や政治家、大企業の役員すらも利用するという、特別な顧客専用のフロアだった。


 車内で、奏は窓の外を見つめたまま一言も発さない。

 真は何度か口を開きかけたが、言葉が出なかった。

 (……相変わらず、会話が続かない)


 やがて車が到着し、二人は重厚なエントランスをくぐった。

 すぐに外商担当の社員が姿を現す。

 「七宮様、水無月様。本日はご来店いただきありがとうございます。特別室へご案内いたします」


 柔らかな笑顔を浮かべながらも、その態度には畏怖が滲んでいた。

 ――七宮の名と、奏の存在。どちらも彼らにとっては絶対的な重みを持つ。


特別室は広いリビングのようで、壁際にはずらりとブランドの最新コレクションが並んでいた。

 真は思わず息を呑む。普段着ている制服やカジュアル服とは、まるで別世界だった。


 「では、七宮様にお似合いになるものを」

 外商が説明を始めようとした瞬間、奏が一歩前に出た。


 「必要ない。僕が選ぶ」


 短く放たれた言葉に、外商は深く頭を下げた。

 「かしこまりました。ご自由にご覧ください」


 それからは奏の独壇場だった。

 無駄のない動作でラックから服を取り出し、真に差し出す。


 「着替えて」


 「え、あ、ああ……」


 試着室に押し込まれ、真は次々と与えられる服に袖を通していく。

 ダークグレーのジャケット、ネイビーのスーツ、シンプルなシャツにハイブランドのコート。

 どれもこれも、鏡に映る自分が別人のように見えた。


着替えるたびに奏は淡々と評価を下す。


 「それは肩が合っていない。次」

 「その色は似合わない。もっと明るい方がいい」

 「……悪くない。だが靴が合わない」


 的確ではあるが、感情の籠もらない声。

 真はなんとか会話を広げようとする。


 「奏って……普段からこういう買い物するのか?」


 「必要なときだけ」


 「へぇ……じゃあ、ファッションに興味あるんだな」


 「別に。身分に合うものを着るだけ」


 「……そうか」


 会話は途切れる。

 真の努力もむなしく、奏の返事は常に最小限だった。


 (やっぱり難しいな……でも、何か少しでも知りたいんだ)


 真は諦めずに言葉を探す。

 「じゃあ、奏は俺にどんな格好をさせたいんだ?」


 奏はふと目を上げ、真をじっと見つめた。

 無機質な瞳の奥に、わずかな光が宿る。


 「……“七宮真”ではなく、“三日月家の一員”として恥ずかしくない姿」


 短く、それだけを言って視線を逸らした。

 それ以上の説明はなく、また淡々と服を選び始める。


外商担当は、その光景を固唾を飲んで見守っていた。

 「……水無月様がこれほど熱心にお選びになるとは……」

 小声で漏らす。


 普段は徹底して冷静で、余計な感情を見せない奏。

 だが今日だけは、わずかにその姿勢が揺れているように見えた。


 「これと、これ。それからこのアクセサリー」

 奏は迷いなく指示を飛ばす。

 時計、革靴、シルバーのカフス。全てが一流ブランドの逸品だった。


 真は慣れない重厚感に戸惑いながらも、着こなしを整えられていく。


 「……これでいい」

 奏が最終的に選んだのは、ネイビーのスリーピーススーツに白いシャツ、細身のタイ。

 無駄がなく、それでいて若さを損なわないスタイルだった。


 鏡に映る自分を見て、真は思わず息を呑む。

 「……俺、本当にこうなるんだな」


 「当たり前」奏は淡々と答える。

 「君はもう、そういう場所に立つ人間だから」


 真は返事を飲み込み、ただ小さく頷いた。


買い物を終え、再び車に乗り込む。

 外は夕焼けが街を染めていた。


 真は窓の外を眺めながら、勇気を振り絞るように口を開いた。

 「……ありがとう、奏」


 奏は隣で無表情のまま視線を外に向けていたが、ほんの一瞬だけまぶたが震えた。


 「礼は不要」

 それだけを告げる声は、どこか柔らかく聞こえた。


 真は気づいていない。

 だが奏の心には、わずかながら“彼を支える”という確かな意志が芽生えていた。


買い物から戻った夜。

 三日月本邸の長い廊下を抜け、真は新しい衣服の入った紙袋を抱えて自室へ消えていった。

 その背を無言で見送った後、翠はゆっくりとソファに腰を下ろす。


 しばらくして、奏も同じ空間に現れた。

 静かに足を止め、翠の隣に座る。

 いつもの無表情、しかしどこか疲れの色が滲んでいた。


 「終わったか」

 翠が低い声で問いかける。


 「うん。必要なものは揃えた」

 奏は簡潔に答えたが、その言葉の裏に含みがあることを、翠はすぐに察した。


 「……どうだった、七宮は」

 「……」


 奏は少しだけ言葉を選ぶように視線を伏せ、やがて小さく息を吐いた。

 「思ったよりも……似合ってた」


 翠の眉がわずかに動く。

 「ほう。お前の口からそんな評価が出るとはな」


 「事実だから」

 淡々と返す奏。だが、その声はいつもより柔らかい。


しばし沈黙が落ちる。

 やがて翠が静かに言葉を重ねる。

 「奏。お前は必要なこと以外、滅多に言わん。だが今日の顔は、少し違うな」


 「……」


 奏は無表情のまま、窓の外の庭園に視線をやった。

 夜気に照らされた樹々の影が揺れる。


 「……僕は、無駄を嫌う。でも、今日は……無駄ではなかった」


 「七宮と過ごすことがか」


 「うん」

 奏は頷いた。

 「彼はまだ何も知らないし、覚悟も揺らいでる。だけど……服を選んで、姿が変わっていくのを見て、思ったんだ。――少しずつなら、本当に“ここ”に立てるかもしれないって」


 翠は瞼を閉じ、僅かに口元を緩める。

 「らしくもないな、奏。お前が他人を認めるのは珍しい」


 「僕が認めたんじゃない。……事実を見ただけ」

 それでも声は、どこか温かさを帯びていた。


翠はしばし黙し、やがて目を開ける。

 「七宮は未熟だ。だが、その未熟さを補うのは我々の役目ではない。奴自身が這い上がるしかない」


 「分かってる」

 奏はすぐに答えた。

 「僕は導くつもりはない。ただ……支えるくらいなら、してもいいと思った」


 「支える?」翠は視線を鋭くする。

 「珍しい言葉を使うな」


 奏は少しだけ目を伏せた。

 「……君と違って、僕は冷徹にはなれないから」


 翠の瞳が微かに揺れる。

 従兄弟である二人の間に、わずかながらも感情の波が走った。


 沈黙がまた訪れた。

 しかし今度は奏が自ら破る。


 「翠。……僕は七宮に、少し似ているのかもしれない」


 翠は眉をひそめる。

 「何を言っている」


 「僕も“影が薄い”なんて言われてきた。存在感を消すのは得意だ。でも、それじゃあ何も築けない。……七宮も同じだろう。だけど彼は、それでも前に出ようとしてる」


 「……」

 翠は黙って聞いていた。


 「だから……少しだけ、応援してみたくなった」

 奏の声はいつもより低く、どこか自分自身を確かめるようだった。


 やがて翠が息を吐く。

 「奏。お前がそう思うなら、それでいい。だが忘れるな。七宮は“家の跡取り”だ。感情だけで関わるな。……必要以上に深入りすれば、お前自身が傷つく」


 「分かってる」

 奏は短く答えた。だがその瞳は、静かな決意を湛えていた。


 翠はその横顔を見て、再び瞼を閉じる。

 ――奏がここまで言うとは。七宮、お前……思ったよりも影響を及ぼしているな。


 時計の針が深夜を指し示す頃、二人はそれ以上言葉を交わさなかった。

 ただ同じソファに座り、静かな夜を共有した。


 外では冬の風が木々を揺らしている。

 その音を聞きながら、翠は心の中で呟いた。


 ――七宮。お前がどこまで這い上がるか、見せてもらおう。



 こうして、真がいない場所での短い会話が交わされた。

 冷徹な翠と、寡黙な奏。

 そのどちらもが、わずかながら真という存在に心を動かされ始めていた。

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