生徒会
新学期が始まって数日。まだ冬の冷たさを残す朝、真はDクラスの教室に座っていた。授業開始前、突然、担任から名前を呼ばれる。
「七宮。お前、生徒会室に行け。会長から呼び出しだ」
「……え?」
教室の空気が一瞬止まった。
Dクラスにいる生徒たちにとって、生徒会は「別世界」だった。Sクラスのトップ層、さらにその中でも選ばれた者たちだけが集う場所。そこに自分が呼ばれるなど、誰も想像していなかったのだ。
「な、何かの間違いじゃ……」
「いいから行け。遅れるなよ」
担任の冷たい声に背を押され、真は渋々立ち上がった。
教室の後ろからは小声でざわめきが起こる。
――生徒会室? なんで俺が?
疑問と緊張を抱えたまま、真は学院の最上階にある「生徒会執行部室」へと向かった。
扉をノックし、中へ入ると、重厚な雰囲気が一気に押し寄せてきた。
広い室内には、磨き抜かれた長机と革張りの椅子。壁には世界地図や大理石の装飾が並び、普通の学校の部室とは比べ物にならない。
「来たな、真」
真っ直ぐに視線を向けてきたのは、会長――三日月 翠だった。
冷徹で表情をほとんど変えない従兄弟。その存在感は、教室で見るのとは別次元だ。
「お、おう……」
部屋の中には、すでに幻人、樹璃、奏、翔が揃っていた。
彼らはそれぞれの役職に就き、自然体でいながらも鋭い空気を纏っている。真は一歩でさえ踏み込むのをためらった。
「安心しろ。別に処分や叱責じゃない」
幻人が軽く笑みを浮かべ、気さくに声をかけてきた。
「ただ、君にやってもらいたいことがある」
「俺に?」
「そう。真、君は俺たちと血を分けた従兄弟だ。そして学院に籍を置いている以上、無関係でいることはできない」
翠が淡々と告げる。その声は冷静で、しかし逆らえない重みを持っていた。
「今度、黒金学院で国際交流行事が行われる。世界各国の名門校を迎える大規模なものだ。執行部だけでは手が回らない。そこで、補佐をしてもらう」
「……俺が、か?」
「そうだ」
翠の視線が突き刺さる。
「断る余地はない。これは“役目”だ」
真は息を呑んだ。
――俺が……生徒会の補佐?
-
翌日から、真の「補佐」としての仕事が始まった。
それは想像以上に地味で、過酷だった。
コピー機の前で大量の資料を印刷し、ホチキスでまとめる。
各クラスに配布物を届け、質問を受ければ記録し、執行部へ報告する。
時には机や椅子の配置を変え、時には外国語の案内板を準備する。
「これ、Dクラスの俺がやる意味あるのか……」
ぼやきながらも手を止めない。
生徒会室に戻ると、奏が几帳面に書類を仕分け、樹璃がふわりとした調子で確認をしている。
「おつかれ、真。君の仕事、ちゃんと役に立ってるよ」
樹璃が笑顔を向けてくる。
「こういう細かいところを誰かがやらないと、全体が回らないからね」
その言葉に少しだけ救われた気がした。
だが、執行部の会話に混ざることはできなかった。
翠と幻人が英語で要人のスケジュールを調整し、奏が予算の数字を即答し、翔が力強く雑務をこなす。
その中で真は、ただ影のように動くしかない。
――やっぱり、俺は場違いなんだ。
心の中で何度も思った。
だがその度に、翠の言葉がよぎる。
「断る余地はない。これは“役目”だ」
逃げることは許されない。
ついに国際交流行事の当日がやってきた。
学院の大講堂は豪華に飾られ、各国の制服を着た生徒たちが集まっていた。
空気は張りつめ、失敗は許されない緊張感が漂う。
真は裏方として動いていたが、そこでトラブルが発生する。
招待校の一つが急遽、席順の変更を要求してきたのだ。
「どうするんだ、これ……!」
係の生徒たちが慌てふためく。
真は即座にメモを取り、会場図を修正し始めた。
「大丈夫、ここをこう入れ替えれば対応できる。空席を一つ飛ばしてバランスを取れば、全体の格は保てるはずだ」
即興で考えた案を、真は係員に伝えた。
結果、混乱は最小限で済み、レセプションは予定通り開始された。
夜、生徒会室で後片付けをしていると、翠が静かに声をかけてきた。
「今日の判断、悪くなかった」
「え……」
「お前なりに考え、行動した。それが混乱を防いだ。……それで十分だ」
短い言葉だったが、真の胸に深く響いた。
幻人や樹璃も笑顔でうなずき、翔は「よくやったな」と肩を叩いた。
「……俺、少しは役に立てたのか」
呟いた声は、自分でも驚くほど軽かった。
帰り際、翠が一度だけ真を見た。
「進むなら、俺たちと同じ場所に来い」
その瞳には冷徹さと同時に、確かな期待が宿っていた。
真は返事をせず、ただ強く拳を握った。
まだ道は遠い。けれども――。
自分も、歩き出さなければならない。
国際交流行事が無事に終わったあとも、真はそのまま生徒会の補佐を続けることになった。
毎朝のように生徒会室へ顔を出し、各部局から届く書類をまとめ、行事の準備や備品管理を担当する。
「七宮、コピー百部追加だ」
「了解っす」
「このリスト、各クラスに回して確認取ってこい」
「はいはい……」
仕事自体は雑務が多かったが、真にとっては学びの場でもあった。
翠が冷静に議事を進める姿、幻人の交渉術、樹璃の柔らかい人心掌握、奏の精密な会計管理、翔の実行力――。
同じ血を分けた従兄弟でありながら、自分との差は歴然で、だからこそ刺激になった。
――俺も、少しは近づけてるのか。
そんな思いを抱きながら、日々を積み重ねていった。
だが、その影響は真のクラスにも波及していった。
昼休み、Dクラスの教室。
友人の一人が、わざとらしく真に声をかけてきた。
「なあ七宮、お前最近、生徒会室に入り浸ってるよな」
「……まあ、補佐頼まれてるからな」
「へえー、Dクラスのくせにすごいじゃん。あの三日月 翠さまのお側付きってわけか?」
周囲がくすくす笑う。
表向きは冗談めかしていたが、その視線には羨望と猜疑心が入り混じっていた。
「もしかしてお前、三日月家と関係あるんじゃね? なんか裏で繋がってるとかさ」
「ち、違うって。俺はただの補佐だ」
「でも普通、選ばれねーだろ? 血縁とかコネとかないと」
クラスの空気がじわじわと真を追い詰めていく。
実際、真が補佐を任された背景には「七宮家の跡取り」という事実があった。けれどクラスメイトにそれを説明をしても疑われる。
――なんで俺ばっかり……。
胸に鉛のような重さを抱えながら、真は笑ってごまかすしかなかった。
その日の放課後。書類整理を終えて帰ろうとしたとき、翠がふいに声をかけてきた。
「真。クラスで何か言われているな」
「……わかるのか」
「表情に出ている」
翠は机に視線を落としながら、淡々と続けた。
「お前が生徒会に出入りしていれば、周囲は必ず疑う。人は理解できないものを恐れるからだ」
「じゃあ……どうすればいい?」
「気にするな」
あまりに即答だった。
真は思わず苦笑する。
「簡単に言うなよ……」
「必要なのは結果だ。お前が補佐として役に立ち、存在を示せば、やがて言葉は意味を失う」
翠の冷徹な言葉は厳しかったが、不思議と心に残った。
数日後、学院で次の行事「学年別討論会」が行われた。
議題は世界経済に関するもので、各クラス代表が登壇する。真は舞台裏の資料管理を任されていた。
ところが開始直前、代表者の原稿が一部紛失していることが判明する。
係の生徒たちは大混乱に陥った。
「どうするんだ! もう時間がない!」
その場にいた真は即座に動いた。
事前にコピーを取っていた自分の控えを取り出し、順序を確認しながら並び替えて渡す。
「これでなんとかなる。すぐステージへ!」
代表は無事に発表を終え、行事は滞りなく進行した。
終わったあと、樹璃が笑顔で拍手した。
「さすが真。やっぱり、君がいると助かるね」
「……俺、ほんとに役に立てたんだな」
その小さな成功は、真にとって大きな自信となった。
翌日、教室に入ると、再びクラスメイトがひやかしてきた。
「昨日の討論会、お前裏方で活躍したらしいな」
「やっぱ三日月家にコネあるんじゃねーの?」
真は一瞬、返す言葉に迷った。
だが、翠の言葉が頭をよぎる。
――必要なのは結果だ。
真は静かに、だがはっきり言った。
「コネとかじゃない。俺は補佐としてやることをやっただけだ」
教室が一瞬、静まり返る。
誰もがその声音に「逃げていない」意志を感じ取った。
やがて、別のクラスメイトが肩をすくめる。
「まあ、七宮がいるなら俺らも安心だな。雑用押し付けてやろうぜ」
「やめろバカ!」
笑いが起こり、空気は少しだけ和らいだ。
真は心の中で深く息をついた。
――俺はもう、逃げない。
その夜。真が帰ろうとすると、生徒会室で入鹿の姿を見かけた。
長期出張から戻ったばかりの彼は、翠たちに軽く声をかけたあと、真の前で足を止める。
「真。……よくやっているな」
「えっ」
「人の視線に晒されながらも逃げず、役割を果たしている。それで十分だ」
穏やかな声。けれどその瞳には厳しい眼差しがあった。
「お前は七宮家の跡取りだ。見守る立場として、私はお前の成長を確かに感じている」
真は不意に胸が熱くなった。
――俺は一人じゃない。




