大林 翔
休日の午前。
まだ冬の冷たい空気が残る街を、七宮真と大林翔は肩を並べて歩いていた。
「真、久しぶりに二人で出かけるの、ちょっと楽しみだな」
翔はどこか少年のような笑顔を浮かべ、背の高い体を少し前に傾ける。普段は大人びた落ち着きを漂わせる彼だが、今日は私服のカジュアルな装いに身を包み、年相応の16歳の高校生の顔をしていた。
「そうだな。いつもみんなでいることが多いからな」
真も頷きながら歩調を合わせる。スーツではなくパーカーにコートという普段着の真は、街行く若者とさほど変わらない。けれど、二人とも背が高く、顔立ちが整いすぎているため、どうしても人の視線を集めてしまう。
向かった先は原宿。休日の竹下通りは人でごった返していた。カラフルな看板、流行のファッションに身を包んだ若者たち。外国人観光客の姿も多い。
「うわ、やっぱり人多いな」
翔は感嘆の声を上げながらも楽しげに目を輝かせる。
真は人波を見回しつつも、内心では少し不安があった。
――こいつと歩いていると、必ず何かが起こる。
その予感は早速的中する。
「こんにちは! ちょっといいですか!」
二人が最初に足を止めたクレープ屋の前で、派手な服装の男女が翔に声をかけてきた。片方はカメラを持ち、もう片方は名刺を差し出している。
「すごいスタイルだね! モデルに興味ない? 今度オーディションがあって――」
「……ああ、ありがとうございます。でも俺、まだ学生なんで」
翔は慣れた様子で笑顔を浮かべ、軽く頭を下げる。
「ええー、本当に? もったいないな!」
「絶対売れる顔だよ!」
スタッフたちは食い下がるが、翔はやんわり断り続け、真に目を向ける。
「ほらな、こういうのばっかりだ」
「予想通りだな」
真は苦笑しながらクレープを注文する。
翔は肩をすくめてクレープを受け取り、二人で竹下通りを歩きながら食べる。
「正直、こういうの、ちょっと面倒なんだよな」
「お前、断るの上手いな。俺だったらもっとぎこちなくなる」
「慣れだよ。小さい頃からちょこちょこ声かけられてたから」
翔はあっけらかんと言うが、その横顔にふと陰が差す。
「でもさ、モデルとか芸能とか、正直どうでもいいんだ。俺にはもう“背負うもの”があるからな」
真は一瞬、言葉を飲んだ。
翔――大林グループ副社長、大林組の若頭。16歳にして既に大人以上の責任を抱え込んでいる。その重圧を本人は決して口にしないが、こうした何気ない会話の端々に滲み出る。
「……でも、こうして遊んでるときぐらいは、普通の高校生でいいんじゃないか」
真がそう言うと、翔は目を丸くし、それから柔らかく笑った。
「そうだな。お前と一緒だと、なんか自然でいられる気がする」
二人はそのまま古着屋を回り、雑貨店でふざけ合いながらアクセサリーを選び、プリクラ機に入って笑い転げた。翔がふざけて変顔をしたり、真が真剣な顔で落書きをしたり。そのどれもが、彼らにとって貴重な“普通”の時間だった。
夕方。人混みを抜けて、明治神宮の参道に並ぶ木々の下を歩く。
「なあ、真」
「ん?」
「もし俺らがただの高校生だったら、今日みたいな日がもっと普通に続いてたのかな」
翔の横顔はどこか遠くを見ていた。
「……どうだろうな。でも、俺は今の翔を嫌だと思ったことは一度もない」
「真……」
言葉を失った翔は、やがて吹き出すように笑った。
「お前、真面目すぎ。……でも、ありがとな」
その後も二人は原宿の街を歩き回り、夜になってようやく本邸へ帰った。
――ほんの数時間の外出。
だが、彼らにとってそれは、ただの遊び以上に心に残る“普通の思い出”となったのだった。
三日月本邸の玄関をくぐった瞬間、外の喧騒とはまるで別世界のような静けさに包まれる。
原宿の人混みを歩き回った後の真にとって、その静けさは心地よい反面、少しばかりの寂しさも感じさせた。
靴を脱ぎ、深く息をついたところで、廊下の奥からゆっくりと歩いてくる人影があった。
背筋を伸ばし、淡々とした足取り。水無月奏だった。
「……おかえり、真」
声は柔らかく、それでいて抑揚が少ない。けれども、その瞳には確かに関心の光が宿っていた。
「ただいま、奏」
真は軽く頭を下げる。
「翔と一緒に出かけていたんだろう?」
「そうだ。原宿に行ってきた」
「ふうん」
奏は相槌を打つと、壁際に背を預けて腕を組んだ。その仕草は不思議と大人びている。
「人、多かっただろう」
「多かった。まるで祭りみたいだったよ。歩くのも一苦労だった」
「……それでも行ったんだな」
「行きたかったんだ。普通の高校生みたいに、ただ遊んでみたくて」
そう言う真を、奏はしばらく見つめていた。淡い表情の中に、かすかな理解と探るような気配が混じっている。
「普通、ね」
「……ああ。俺たちが普通じゃないのは分かってる。でも、あの人混みに紛れて、翔とクレープ食べて、くだらない話をして……なんか、少しだけ普通に戻れた気がしたんだ」
言葉を吐き出すと、真は苦笑した。自分で口にしていても、どこか夢みたいな話に聞こえる。
奏は視線を外し、廊下の奥の窓の外に目をやった。
「普通を欲しがるのは、贅沢だよ」
「分かってる」
「でも……それを知ろうとするのは、悪いことじゃない」
声色は淡々としているが、その言葉にはどこか温かみがあった。
「それにしても」奏は唐突に視線を戻す。「翔は大丈夫だったのか」
「……ああ、やっぱり気になるか」
真は苦笑して、昼間の出来事を思い出した。
「何度もスカウトされてた。モデルやら芸能やら。断るのに慣れてるみたいで、全部笑顔でかわしてたよ」
「翔らしいな」
奏は肩をすくめる。
「顔がいいというのは、時に呪いだ。本人にとっては面倒ごとばかりだ」
「……そうかもしれないな」
真は頷く。彼自身も整った顔立ちゆえに視線を集めることは多いが、翔ほどではない。あの落ち着きは、きっと幼い頃から繰り返されてきた経験の積み重ねなのだろう。
「でも」真は言葉を継ぐ。「翔は“普通の時間”を楽しんでいたよ。プリクラ撮ったり、古着を見たり、馬鹿みたいに笑ってた。あんな翔は、こっちに来てから初めて見た」
「……そうか」
奏は短く答えた。その横顔には一瞬、表情らしきものが浮かんだ。安心か、羨望か、それとも別の感情か。すぐにまた無表情に戻ってしまったが。
真はその変化を見逃さなかった。
「奏、お前も行ってみるといい。普通の場所に。人混みに紛れて、ただの一人になれる時間を」
「……考えておくよ」
奏は少し視線を落とし、口元だけで小さく笑った。
沈黙が落ちる。だがそれは気まずさではなく、互いの言葉を噛みしめる静けさだった。
やがて奏が問いかける。
「真。今日みたいな時間を過ごして、何か変わったか」
真は少し考え、答える。
「……少しだけ、自分が“普通を欲している”って気づいた。無理だと分かっていても」
「それを口にできるだけで十分だ」奏は断言するように言った。
「俺たちは皆、背負うものがある。でも、その中で“普通”を求める気持ちは人間として当然だ。それを否定したら、ただの機械だ」
真は驚いたように奏を見つめた。普段は影が薄く、ふわふわとした言動が目立つ奏が、こんなにも明確に言葉を放つとは思わなかった。
「……お前、時々すごく核心を突くよな」
「そうかな。言うべきときに言うだけだよ」
奏はそう言うと、踵を返して廊下を歩き出した。
その背中に、真は思わず声をかける。
「奏」
「ん?」
「……ありがとな」
奏は一瞬だけ振り返り、淡い微笑みを浮かべた。
「礼を言うほどのことじゃない。俺たちは従兄弟だろう」
その言葉を残し、彼は静かに廊下の奥へ消えていった。
真はしばらくその場に立ち尽くし、ふと息をついた。
原宿での喧騒と、奏の静かな声。その落差が胸に深く残り、彼にとって忘れられない一日になっていくのを感じていた。




