表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
平凡と運命のあいだで  作者: 星月 ましろ
10/21

帰路


機体は安定した高度を保ち、窓の外には広大な太平洋が広がっていた。白い雲が流れ、沈みかけた夕日が機体を赤く染める。真は深く息を吐きながらシートに体を預けていた。長い休暇を終え、現実に戻ることへの名残惜しさと、少しの安堵が入り混じっていた。


「ねえ真」

隣で足を投げ出すように座っていた樹璃が、不意に声をかける。手に持ったグラスの水を揺らしながら、にこっと笑っていた。

「なんだか、あっという間だったよね。三日間くらいしかいなかったのに、もっと長くいた気がする」


「うん……そうだな」

真も同意する。実際は数日程度の滞在だったが、海辺で過ごした時間や、ショッピングで笑い合った瞬間が濃く、記憶がぎゅっと詰まっている感覚だった。


「やっぱりさ、贅沢ってホテルのランクとかブランド品とか、そういうのだけじゃないんだと思うんだよね」

樹璃は視線を外の空へ向け、少し夢見るような口調で続ける。

「誰とどんなふうに時間を過ごすかで、価値って変わるんだと思う。……真と海で遊んだのとか、すごく楽しかったし」


「それ、ハワイの海辺で歩いていた時にも似たようなこと言ってたよな」


「そんなこと言ってたかな?…言ってたかも。忘れてたごめんね」

樹璃はふわりと笑った。真は思わず苦笑する。樹璃の言葉はいつも柔らかくて、どこまで本気なのか、計算なのか分からない。それでも不思議と心に残る。


「なあ樹璃くんってさ。いつも余裕あるように見えるよな」

「え、そう?」

「そうだよ。なんか……悩みとかしてなさそうに見える」


樹璃は一拍置いて、肩をすくめた。

「実はけっこうあるんだよ? 仕事のこととか、家のこととか、考えるときりがないし。幻人みたいに完璧にやれるわけじゃないし、翠みたいにクールでもないし」

「へえ……」

「でもね。悩んでても時間って過ぎちゃうから。だったらなるべく楽しいほうがいいでしょ? 笑って過ごしてたほうが、なんとなく気持ちも楽になるし」


真はうなずいた。

「……なるほどな」

「真は真面目だから、すぐ結果とか順位を気にしちゃうけどさ。そういうのも大事だけど、全部をそれで埋めなくてもいいと思うよ。僕がハワイに誘ったのも、真くんにちょっと肩の力抜いてほしかったから」


「……ありがとな。確かに、あの海で遊んでるときは気持ちが軽くなった」

「でしょ? 僕も楽しかったよ」

樹璃はグラスを空けて、にこりと笑った。ほんのり頼りないようでいて、不思議と真の心を支えてくれる。そのバランス感覚が、彼の魅力なのかもしれない。


しばらくの沈黙の後、真がぼそりと呟いた。

「なあ、俺……ああやって誰かと旅行に行くの、慣れてないんだよ。家族で出かけることも少なかったし、七宮に入ってからは余計に。だから……ありがとう」


「ふふっ」

樹璃は嬉しそうに笑った。

「礼なんていらないよ。僕が行きたかったから誘っただけ。真とだったら、どこでも楽しいと思ったから」

「……本当にそう思うのか?」

「思うよ。だってさ、僕ら家族でしょ? 家族って、そういうもんだと思うんだ」


真は自然と笑みをこぼした。

「お前って……ほんとふわふわしてるな」

「え、褒めてる?」

「たぶん」

「たぶんかあ。まあいいや。僕は僕だから」


二人で小さく笑い合い、窓の外に目をやる。太陽はゆっくりと沈み、群青の空が広がっていく。


「ねえ、次はどこに行きたい?」

「……次?」

「うん。また一緒に出かけようよ。国内でも海外でもいいし、真が行きたいって思った場所で。僕はついていくだけで楽しいから」

「そんな簡単に……」

「簡単でいいんだよ。難しく考えすぎなくていい」


真は少し照れながら答えた。

「じゃあ……そのときは遠慮なく」

「約束だよ」

樹璃は人懐っこく笑った。


プライベートジェットは東へ進み、夜の帳へと飛び込んでいく。二人の笑い声は、機体の静かな振動に溶けていった。


プライベートジェットは、夜明け前の三日月家本邸の滑走路に静かに着陸した。長い滑走路を駆け抜け、減速していく機体の震動が、旅の終わりを告げているようだった。


「ふわぁ……日本に戻ってきたね」

樹璃は軽く伸びをし、目を細めた。まだ薄暗い空港の誘導灯が、窓の外に点々と並んでいる。


真は深呼吸をし、言葉を漏らした。

「……あっという間だったな」

「うん。でも濃かった。僕は結構満足してるよ。真もそうでしょ?」

「まあな」

「ほら、素直に言えばいいのに。楽しかったって」

「……楽しかったよ」

「よし、それでいい」


にこにこと笑う樹璃に、真は苦笑を返すしかなかった。


飛行機を降りると、すでに黒いスーツの護衛たちが出迎えていた。無言で深々と頭を下げ、二人を先導する。タラップを降りると待っていたのは黒塗りのリムジンだった。


車内に乗り込むと、ほっとしたように真はシートに体を預ける。樹璃は窓の外を眺めながら、ふわりとした口調で話し始めた。

「真さ、こうやって護衛に囲まれて移動するの、最初は落ち着かなかったでしょ?」

「まあ……正直言うと今でも慣れてない」

「だよね。でも、仕方ないよ。三日月家の人間になるっていうのはそういうことだから」


真は黙って頷く。まだ自分がその一部にいることに戸惑いがある。しかし隣で気楽そうに笑う樹璃を見ると、不思議と肩の力が抜けた。


やがて車は滑らかに高速道路へ入り、街の明かりが流れていった。東の空が少しずつ白み始める。



樹璃はそれ以上追及せず、窓の外に目を戻した。流れる街並みの光を見つめる横顔は、旅の余韻に浸っているようにも、次の予定をすでに思い描いているようにも見えた。


数十分後、三日月本邸の正面玄関へ。夜明けの光に照らされた白亜の邸宅は、帰還を迎えるかのように静かに佇んでいた。


真は思わず息を呑む。旅で得た自由と、ここに戻ったことでの現実。その二つが胸の中で交錯する。


樹璃はそんな真の横顔を見て、ふっと微笑んだ。

「おかえり、真。ここが、僕らの拠点だよ」


玄関の扉が音もなく開き、二人は再び三日月の世界へと足を踏み入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ