【短編版】子リス令嬢は騎士団をスケッチしながら時間を潰すが本音を言えば体格差エロを描きたいと思っている
「お前を愛することはない」
これ知ってるやつだ。こういう始まり方するお話をネット小説で読んだことがある。
「俺には愛する人が居て、女主人としての仕事は全て彼女に任せてある。貧乏貴族のお前を金で買ったのはお飾りの妻になってもらうためだ」
私が嫁入りしたのは中級貴族、それも中の下ぐらいの家格だ。ここにきて初めて知ったけれど、夫となったオリバー・パーキンスには平民の愛人がいる。その愛人は貴族が通う学園に特待生として入学し、優秀な成績で卒業したらしい。
それだけ優秀なら王城の女官になることも出来ただろうに、なぜ、こんな微妙な家の微妙な男の愛人に収まったのだろうか。誘いに乗ったのがこの男だけだったのだろうか。
「お前の部屋は屋敷の端に用意してある。食事も運ぶように指示してあるから余計なことはせずじっとしていろ」
「衣食住が保証されているだけでも有難いと思ってよね」
愛人はエイダという名前らしい。エイダは充実した生活を送っているのだろう、お肌はツルツルで身体は出るところが出ていて美しいプロポーションを持っていた。みすぼらしい姿をしている私よりも貴族のようだと思った。
「エイダの子が生まれたら俺とお前の子として届を出すからな。あぁ、勘違いするなよ、子育てもエイダを中心にしていくからお前はそのまま部屋に閉じこもっていろ」
なるほど。エイダが妊娠したのか。
この国は血統至上主義だ。貴族の血を何よりも尊いとする考え方は好きになれなかったけど、この風習のおかげで命拾いしたところがあるから王家に歯向かおうとか、貴族の意識を変えようとか、そんな大それた事は考えていない。
ちなみに、平民の子を貴族と偽ることは重罪だ。
けれど、このオリバーはエイダ以外の女性と結婚をする気は無くて、エイダとの間に出来た子どもを婚外子という扱いにしたくなかった。そこで目を付けられたのがこの私、アイリス・グレイシー。
下級貴族の中でも下の下に位置するグレイシー家の長女、その身体は栄養が足りていないせいで子どものように小さめだ。令嬢なのにこんがりと日に焼けた褐色肌がトレードマーク。周囲には変人扱いされている。
持参金は不要、更に多額の金を渡すのと引き換えにするという条件に両親は大喜びで結婚を承諾した。しかも厄介者を追い出せると嬉しそうにしていた。オリバーの両親は結婚を見届けると『やっと安心できた』と言わんばかりに息子に爵位を譲って田舎に引っ込んでいった。息子のことを信用しすぎじゃない?
「自分の立場は分かったな? 大人しくしていれば食事は出してやる」
「この待遇に感謝してほしいものだわ」
オリバーとエイダは言いたい事だけ言うと応接室から出ていった。その後はメイドに案内されて自室に向かったのだけれど、場所は本当に屋敷の端っこで、日当たりが悪くて狭い部屋だった。……下働きの部屋かな?
それからの生活は実家にいた頃とあまり変わらなかった。食事は使用人と同じような内容、ドレスは買ってもらえるわけがないので実家から持ってきた粗末な服を着ていた。このような待遇は慣れていたから特に騒いだりはしなかった。
エイダは私の反応がなかった事に腹が立ったのだろう、結婚して1ヶ月が経過する頃にはメイドに命じて私を困らせる方向にシフトチェンジしたらしい。メイドに『部屋の掃除をするから出て行ってください。夕方には終わります』と部屋を追い出されてしまった。
1ヶ月ぶりに騎士団の演習場に行ったときは騎士さん達がザワザワしていた。5年近く通っていたから姿を消したことを心配してくれたのかな? ……そんなわけないか。
騎士団の皆さん、お久しぶりです! 放置子から放置妻にグレードアップして帰ってきましたよ!
今日は正午前に部屋を追い出されたので、厨房に寄って昼食用のパンを強奪(「オリバー様が食事は用意するって約束したのよ!」と叫んだ)してから騎士団の演習場に向かった。
追い出され始めて1週間が経ったけど……
「実家にいた頃と変わらないな~」
グレイシー家でも酷い扱いをされていた。妹のチェルシーは可愛がられていたのに、姉の私には超塩対応。これが義理の母だったらまだ理解できる。でも私を虐げていたのは実母に実父。何でこんなに嫌われているのかと思っていたら、私の顔が祖母に似ている事が理由だった。
祖母はちょっと厳しい人だった。ご存命の間は祖母の目があるから『なんか差別されてるな~』って程度だったのに、祖母が亡くなった瞬間に差別から虐待にレベルアップしたのだ。
家が辛気臭くなるから夕食まで帰ってくるなと言われて、学園が終わった後は外で時間を潰していた。カフェに行くようなお金はないから屋外だ。そのせいで、服で隠せない部分のお肌はこんがりと日焼けをしてしまっている。
私が本当の子どもだったら耐えられなかっただろう。けれど、私は物心ついた頃から前世の記憶を持っていた。精神年齢が高めだったから耐えられたようなものだ。
「チートとか、ざまぁとか、期待したよね~」
憧れの異世界転生を自覚したとき、しばらくはウキウキだった。例えば『虐げられた令嬢はスパダリ気質の騎士団長に溺愛される』とか『虐げられていた令嬢ですがこのたび覚醒して王家に仕えることになりました。私を虐めていた家族なんて知りません。ごめんと言われてももう遅い』みたいな未来を考えたりした。
学園では身分が上のものから声をかけるという暗黙のルールがあったので、身分がぶっちぎりで最下位だった私は同級生に話しかけることも出来ずに陰キャまっしぐら。スキルは『遠見』っていう遠くのモノがハッキリ見える能力だけ。これでチートとか溺愛とか無理があるよね。
「前世の物を商品化する事も考えたけど、ある程度のお金と権力がないと駄目だよね」
平民でも前世の知識で無双っていうパターンの小説はあるけど、あれは子どもの話を信じてくれる家族がいて、尚且つ家族に愛されていることが前提だもん。家族からの愛がない、伝手もない、お金もないという無いない尽くしの私には無理だった。
「あるのはこの腕だけ、ってね……」
定位置に座ってスケッチブックを取り出した。ここは騎士団の演習場で、私がいるのは見学用のスペースだ。騎士団の練習は一般公開されていて誰でも見学ができるようになっている。中にはご令嬢もいるけれど、私と違ってお付きの侍女が日傘を差しているので日焼けをすることはない。更にその後ろでは護衛が目を光らせている。
「護衛とお嬢様……良い」
前世ではプロの漫画家だったので人物のスケッチは朝飯前。大柄な男性と小柄な女性をテーマにすることが多かったせいか体格差エロを描かせたら私の右に出るものは居ないって言われるくらいには名前が売れていた。……まぁ、遠い昔の話だ。
自宅に居場所が無かった私はここで騎士達をスケッチしながら時間を潰していたのだ。
「そろそろスケッチブックが終わってしまう……」
学園に在籍していた頃は美術クラブに入部していたので画材が使い放題だった。芸術を愛する卒業生が寄付してくれるおかげで不自由なく創作活動を楽しむ事ができたのだ。さすがに漫画は描けないからクラブメンバーの実力に合わせたレベルで風景画とか静物画を描いていた。下手に注目されて家族から嫌味を言われるのが嫌だったから実力は隠していたのだ。
このスケッチブックは入部したときに1冊ずつ配られたもので、無駄な余白を残さないよう気を付けて大事に使ってきたが残ページが心許なくなってきた。
「絵を売ってみるか……?」
見学に来ているご令嬢は誰かのファンだったり婚約者だったりするのではないだろうか? そういうご令嬢に騎士の絵を売ってみたら小銭が稼げるかも……
「駄目だ、絵の具がない」
活動は週に1、2回だったけど画材が好きなだけ使えたから美術クラブのときは楽しかったな……
「パーキンス家で絵を描こうものなら確実にメイドに邪魔される」
スケッチブックを閉じてお気に入りの騎士様を探した。彼は目立つからすぐに居場所が分かる。
「団長、全員揃いました!」
「これより打ち合いを始める!」
そう、お気に入りの騎士様というのは騎士団長の事だ。名前で呼び合っているから騎士さん達の名前は把握しているんだけど、皆さんは騎士団長を『団長』と呼ぶから本名は分からない。
身長は195cmぐらい。大きな身体に爽やかな短髪、スキルの『遠見』を使って確認したけど瞳は綺麗な紫色だった。私の身長が150cmぐらいだから、私と団長さんの体格差が好みすぎて妄想の中では何度も抱かれている。今は17歳だけど前世も足したら――歳だ。妄想ぐらい好きにさせてほしい。
団長さんの精悍なお顔をジッと見つめていたら視界が暗くなった。誰かが私の後ろに立って影が出来たのだろう。
「ねぇ、いま少し良いかしら?」
「え? は、はい。何か御用でしょうか?」
振り返ると日傘を差したご令嬢が立っていた。高貴な身分なのだと思う。令嬢の後ろに侍女が二人、護衛が三人も控えている。
「騎士団で噂の子リス令嬢とお話してみたくて、思い切って声をかけに来ちゃったわ」
「あのう、私はコリスではなくアイリスと申します」
コリス……子リス? 手入れのされていない伸びっぱなしの茶色い髪をポニーテールにしているからリスの尻尾に見えた? あとは身長が低くて子どもみたいだから『子』リス? それと、言いそびれたけど令嬢ではなく書類上は人妻だ。
「ふふ、アイリスね。私はジュリアよ。ジュリア・ヴァレスティン」
「ジュリア様……」
ヴァレスティン家は上級貴族の中でも一番偉い家門だったと思う。下級貴族の下の下の位置にいる私でも良く知っている。
「アイリスってほとんど毎日ここに来ていたでしょう? スケッチブックに何を描いているか気になっていたの。あなたの姿が見えなくなった時、もっと早く聞けば良かったって後悔したのよ」
身分が上の人をジロジロ見ると失礼になるから見学スペースでは周りを見ないようにしていたのだけど、ジュリア様も常連だったらしい。気が付かなかった。
「見ても良いかしら?」
「どうぞ」
後ろの侍女と護衛が怖い。なんで平民ごときがお嬢様に……って思われてそう。私、外見はこうだけど血筋だけ見たらちゃんと貴族なんですよ。
「まぁ! すごいわ! 見てちょうだい!」
二人の侍女はスケッチブックを見て目をまんまるにして驚いていた。護衛の三人も上から覗き込んで同じように驚いている。この世界は絵画といったら風景画、静物画、肖像画ぐらいだ。躍動感のあるスケッチや大口を開けて笑っているような自然体を写し取ったスケッチは初めて見たのだと思う。ジュリア様は「すごいわ」「素敵だわ」と言いながら時間をかけて全てのページを見てくれた。
「あなたのように小さな令嬢がこれほどまでに素晴らしい絵を描くなんて……この才能を埋もれさせたら世界の損失だわ」
「あ、あの、私は中級貴族オリバー・パーキンスと結婚をしているので令嬢ではありません」
「えっ! 結婚しているの? てっきり年下だと思っていたわ」
ジュリア様も侍女さんも護衛達も驚いていた。こんがり日焼けした貴族女性なんて私も見たことないからね……そして、ジュリア様は私が既婚者であることにショックを受けたようだ。少しの間、無言の時間が流れた。
「アイリス、あなたにパトロンはいるの? 絵の依頼は受け付けているのかしら?」
「お金が無いのでスケッチブック以外の画材が用意出来ないのと、家の者に嫌われているので自宅で絵を描く事が出来ません。このような理由から依頼を受ける事は出来ないです。申し訳ありません」
「複雑な事情があるのね……それならこのスケッチブックの絵を買い取ることは出来るかしら?」
「はい! 喜んで!」
やったー! 現金収入だ! これで新しいスケッチブックが買える!
「それならカイゼル様と、お兄様の絵を……でも両面に描かれているから選ぶのが難しいわね」
カイゼルさんは大剣持ちの騎士様だ。ジュリア様の婚約者なのかな?
「よろしければスケッチブックごと買い取って頂けませんか? 自宅に置いていたらメイドに捨てられるかもしれないのです」
ジュリア様がスッと目を細めた。え、何か失礼なこと言ったかな。スケッチブック丸ごとはさすがに図々しかったか。
「今日は手持ちが足りないから明日の午後にアイリスの家で商談をしましょう。待ち合わせはここで良いかしら? 私の馬車で一緒に行きましょうね」
「わ、分かりました」
「シルビア、明日までに金貨200枚を用意しておいて」
「かしこまりました」
……おん?
金貨200枚? 銅貨200枚じゃなくて? 金貨1枚が日本円で10万ぐらいだから……2,000万!? 正気か!? スケッチブック1冊に2,000万!?
「ちょ、ちょ、金額がおかしいです、銀貨5枚で買ってもらえればそれで充分です!」
ちゃっかり銀貨5枚(日本円で5万ぐらい)という値段をつけたけれど、ジュリア様は『このスケッチブックには金貨200枚の価値があります』とだけ言うと颯爽とこの場を後にした。
ジュリア様達の後姿を見送って10分くらい放心していたけれど、団長さんの『打ち合いやめ!』という声で現実に引き戻された。
金貨が200枚もあったら小さい家が買える! ジュリア様にパトロンになってもらって別居に持ち込もう! そこで好きなだけ絵を描いて売りまくれば女一人でも生きていける! ついでに学園の美術クラブにも恩返しの寄付ができる!
捕らぬ狸の皮算用というやつで色々と考えながら早めに帰宅してしまったのが運の尽き。翌日、待ち合わせの時間に到着した私は号泣していた。
「アイリス! どうしたの!?」
「き、昨日、いつもより早く、帰ってしまったんです……そうしたら、メイドに、スケッチブックを、めちゃくちゃにされて……」
スケッチブックを包んでいた布を開いてみたけど中身の状態が変わることは無かった。水を掛けられたスケッチブックはゴワゴワと波打っていて、表紙には靴裏の跡がくっきりと残っていた。人前で泣いてはいけないと思うのに涙が止まらない。
「わ、私のスケッチブックが、っ……」
ジュリア様が金貨200枚で買ってくれるって言ったのに!!! 金貨だぞ!!! 200枚だぞ!!!
「私の絵、ジュリア様が、買って下さること、凄く嬉しかったのに、ご、ごめんなさい……!」
家を買ったら好きなだけ絵を描けたんだ!! 私は自分のイラストで栄養補給できる自家発電タイプだから体格差エロ漫画をたくさん描いてニマニマしようと思っていたのに!!!
「まだ1日経っていないわね? アイリス、大丈夫よ」
手を引かれて馬車に乗せられ、連れて行かれた先は美しい装飾が施された建物だった。
「ここは修復を専門にしている商会なの。対象物を1日前まで戻すことができるのよ」
侍女さんが私のスケッチブックを持って馬車を降りると5分もしない内に戻ってきた。そして、スケッチブックも綺麗に元通りになっていた。
「す、すごいです、こんな事が出来るなんて、知らなかったです!」
「ふふ、だから大丈夫って言ったでしょう?」
「でもお高いのでは……?」
物の時間を巻き戻すというスキル、しかも順番待ちせずに修理してもらったからかなりの金額を支払っているはずだ。
「気にしないで。スケッチブックを元に戻したいと願ったのは私だもの」
「女神……ジュリア様の絵も描きたいです」
「それは改めて依頼するわ。ねぇお兄様、見て、この絵とても素敵なの」
そういえば護衛の他に正装した男性が居た気がする。金貨200枚が泡となって消えたことがショック過ぎて、それどころじゃなかったんだ。
「これは……素晴らしいな」
「え! 団長さん!?」
「あらやだ、アイリスったらいま気づいたの?」
目の前に座っているのは団長さんだった! 今日もかっこいい! ……え!? ジュリア様のお兄様って団長さんなの!?
「スケッチブックにお兄様の絵がたくさん描かれていたから、アイリスにお兄様を見せてあげたくて……騎士団の仕事は休暇を取ってもらったのよ」
「わ、わざわざありがとうございます……?」
「私はルカ・ヴァレスティンだ。君はここ4~5年で毎日のように訓練の見学に来ていた子だろう? 騎士団で知らない者は居ないぞ」
12歳で学園に入学して、美術クラブの活動日以外は毎日のように通っていた。さすがに認識されていたか……
「カイゼル様が『癒しの子リス令嬢』って呼ぶから気になっていたのだけれど、本当に子リスみたいに可愛くて驚いたわ」
「ジュリア、止めなさい。内輪の事とはいえ女性にあだ名をつけるなど……不快な思いをさせてすまない」
「いいえ、平気です。家族に嫌われていたせいかご飯も満足に食べられなくてこんなサイズになっちゃいましたが癒しだと言って頂けて嬉しいです」
次の瞬間、馬車内の温度が下がった気がした。
「この国が貴族の血を大切にする国で良かったです。そうでなければとっくに栄養失調になっていたと思います」
国を称えるような明るい話題にしたつもりだったけれど更に温度が下がった気がする。下級貴族グレイシー家の長女として届け出がされているから不審死なんてことになったらグレイシー家は罰を与えられていただろう。私が生きのびてこられたのは血統至上主義のおかげだ。
「あっ、あのー、もうすぐ到着します! 私は正面玄関を使ってはいけないことになっているので裏口の方に馬車を停めてください」
この空気を何とかしたいと思っているのにジュリア様もルカ様も真顔だ。怖い。
「狭い部屋ですみません……」
ジュリア様とルカ様、護衛の男性二人が入ると部屋はいっぱいになってしまった。ジュリア様は一つだけ置かれている粗末な椅子に座ってもらって、男性陣は立ったままという状態だ。私はベッドに座ろうかなと思ったけど、ベッドには靴の跡がついていた。ベッドの上でタップダンスでもしたのかな?
あと、皆さんを部屋に通した後でメイドに『お客様が来たからお茶を持ってきてほしい』とお願いしたけど鼻で笑われた。
「本当は応接室があるんですけど、私はこの部屋から出ないように命令されているんです。せっかく来てくださったのに、お茶も出せなくて、こんな対応で……すみません」
――ビキッ
漫画の話だけど、女の子を抱きかかえるときの男性の腕とか手の甲とか、キレてる描写で額とかこめかみ辺りに筋を描くことがあるんだよね。皮下の静脈の血流が増えることで浮き出た血管、青筋を表現させる手法なの。
それが今、ジュリア様とルカ様のこめかみに浮き出てる。超怖い。
「アイリス! 人を連れて来たって聞いたわよ! 勝手な事を……」
ガチャッ! と、勢いよく扉を開けて怒鳴り込んできたのは愛人のエイダ。この家の住人は基本的にノックをしない。
「無礼者! 彼女はこの家の女主人だろう! その態度は何だ!」
「ああっ! ルカ様おちついて! 乱暴は駄目です!」
素早い動きだったから目で追えなかったけど、ルカ様がエイダの腕を捻り上げた。
「エイダはオリバー様の子どもを妊娠中なんです!」
貴族男性が愛人を持ったり、子どもを産ませたりする事は珍しい話ではない。その子どもは婚外子として届け出をする決まりだった。
「その子どもを私との間に産まれた事にするって言ってました!」
あぁいけない、漏らしたらいけない情報がお口から零れていったけど、オリバーに殺されたら困るから今のうちに全部バラしちゃえーーー!!
「エイダに何かあったら私はオリバー様に殺されるかもしれません! だから乱暴は駄目です!」
「ぎゃあああっ」
ルカ様が恐ろしい顔でエイダを床に押さえつけた。あれっ、私、乱暴は駄目って言ったよね?
「婚外子を実子と偽ることは重罪だ! 覚悟しておけ!」
……エイダとオリバーの人生が終了しました。
「簒奪の計画と夫人への虐待を確認した! この屋敷の者を一人残らず拘束せよ!」
ルカ様の言葉を受けた護衛のうちの一人が部屋を飛び出していった。残りの一人はエイダを取り押さえている。
「騎士団を呼んでおいて正解でしたね、お兄様」
「あぁ。ジュリアから聞いた話だけでも夫人が虐待を受けている事は明白だったからな」
ジュリア様とルカ様は最初からこうするつもりだったようで、その後の流れはスムーズだった。
オリバーとエイダは牢に入れられ、婚外子による爵位の簒奪を計画したことへの尋問が行われた。結果的にパーキンス家は取り潰しとなったのでオリバーは平民として王都を追放された。
エイダは平民なので凌辱系エロ漫画にも出てくるような手加減なしの尋問が行われ、計画を洗いざらい吐き出させた後でオリバーと共に王都を追放されたそうだ。
ちょっと可哀相だと思ってしまったけれど……ゆくゆくは『容姿を変えるスキル』を持っている者を探して、私を亡き者にした後でエイダが『アイリス・パーキンス』に成り替わる計画があったと知って意見を改めた。ぜんぜん可哀相じゃないわ。
屋敷で働いていた者たちは『お喋りしたくなるお薬』をたくさん飲まされて夫人に行った虐待についての自白調書を取られたようだ。使用人達にはそれぞれの身分に合わせた罰が下された。
実家のグレイシー家についても過去に遡って虐待の調査が行われ、両親には多額の罰金刑が命じられた。罰金を支払った後はギリギリ生活していけるかな? ぐらいの生かさず殺さずの金額だった。それが全て私の懐に入るというので有難く受け取らせてもらった。
妹のチェルシーは親の教育が悪かったことを理由にお咎め無し。けれど、家族ぐるみで長女を虐待していたことは噂になっているのでまともな縁談は望めないだろう。
そして、私は今……
「もうお腹いっぱいです」
ルカ様の膝の上で餌付けされていた。
「お兄様、アイリスお義姉様との結婚式が楽しみね」
「団長が子リス令嬢を捕まえたと聞いたときは驚きましたけど、結婚が決まって良かったですね」
ジュリア様と、その婚約者である大剣持ちのカイゼル様も楽しそうに笑っている。
あの騒動の後で白い結婚と虐待の事実が認められたおかげでオリバーとの婚姻は無効になった。グレイシー家に戻らないといけないな、と思っていたらヴァレスティン家の寄子である中級貴族ホルト家の養子になるようジュリア様に勧められたので二つ返事で了承した。
ホルト家は子ども達が既に巣立っているのでお義父様とお義母様と私の三人で楽しい毎日を過ごしている。相変わらずエロ漫画は描けていないけど、たくさんの画材を準備してくれたので手始めに二人がお喋りしている様子の絵を描いてみたら予想以上に感激されてビックリした。
戸籍ロンダリングみたいな抜け道を使って中級貴族の仲間入りをした日、ルカ様は騎士団の制服に身を包み、私の目の前で片膝をついた。
「いつも訓練を見学に来るアイリスを可愛らしく思っていた。実は、アイリスを子リスと呼び出したのは私なのだ……」
ちっちゃい物が好きなルカ様は、私を見つけたときにボソッと『今日も子リスが来ているな』と呟いてしまった。たまたま近くにいたカイゼル様にそれを聞かれていて、あっという間に拡散し、騎士団内で子リス令嬢というあだ名が定着したらしい。
日焼けを気にせず粗末な服ばかり着ている子リス令嬢は平民であるというのが騎士団内で出された結論だった。貴族と平民の結婚は認められていない。そこでルカ様は一度目の失恋をした。
ジュリア様の活躍で私が貴族の娘だということが判明して喜んでいたら既に人妻である事が同時に判明して二度目の失恋をした。
しかしジュリア様に『まだ分からないわ。使用人から虐待されていそうな雰囲気だったから婚姻の無効が狙えるかも』と励まされ、一晩で調査をしたら私が下級貴族グレイシー家の長女という事が分かって三度目の失恋をした。抜け道はあるけれど、爵位を飛び越えて結婚をすることは法律で認められていないのだ。
ここでまたジュリア様が活躍した。ヴァレスティン家の寄子である中級貴族ホルト家に私を養子として迎えるよう打診し、見事に承諾させていた。私のスケッチブックを見せたら即OKだったらしい。
「ヴァレスティン家は兄が家督を継ぐ。私は騎士団長として一生を終えるだろう。アイリスは面倒な社交はせずに好きなだけ絵を描くと良い。私はそんなアイリスの隣で生きていきたい。どうか私と結婚してくれないか?」
何度も妄想のお相手をしてもらったお気に入りの騎士様は騎士団長で、上級貴族ヴァレスティン家の人で、遠い世界にいる人だと思っていた。
その憧れの人が差し出してくれた手を、しっかりと握りしめる。
「はい! 喜んで!」
プロポーズを受け入れてからずっと、幸せな毎日が続いている。
ホルト家ではたくさんの絵が描けるし、ジュリア様は絵を買い取ってくれるし、騎士団の見学とスケッチをする時は侍女さんが日傘を差してくれるのだ。今はまだこんがり日焼け肌だけど、結婚式をする頃には少しでも白くなっていると思いたい。
「ルカ様、本当にお腹いっぱいです。これ以上食べたらドレスが破れますよ」
「それは困るな。そろそろ止めておくか」
口元に運ばれていたケーキがルカ様の口に消えていった。ケーキが無駄にならなくて良かった。
「ねぇ、次はどんな絵を描くの?」
「体格差エロ漫画……」
「タイカックサ? エロマ? ンダ?」
「あっ! 今のは気にしないでください!」
危なかった!!
この世界の人類にエロ漫画はまだ早すぎる!!
「次回作はジュリア様をモデルにした女神の絵を描きたいです」
「まぁ! どんな絵になるのかしら……楽しみだわ! アイリスお義姉様はお兄様と結婚するのだから私の事は呼び捨てで良いのよ?」
「そ、それは結婚したら呼ばせて頂きます。まだ慣れなくて……」
結婚後に専用のアトリエが与えられた事で我慢が出来なくなった私は、登場人物の姿をルカ様と私に寄せた体格差エロ漫画を描き上げた。今までの鬱憤を晴らすべく、私の性癖を『これでもか!』と詰め込んだ超大作を完成させた。
その超大作がルカ様に見つかるだけでなく、ベッドの上で大変な目に遭わされる事になるなんて、今の私には知る由もなかった――