第42話 サーティアの戸惑いと、僕の決意と
エミリア夫人の呼び掛けに、サーティアは困惑している様だった。
唇を真一文字に噛み、その目線は視線が曖昧で、まるで、今では無く過去と未来の両方を見ようとしている様に見えた。
膝の手前にある手はギュッと握られている。目に見えない緊迫感も伝わってくる。
サーティアは、今この一言で、すべてが終わると分かっている顔をしていた。応接の空気が、薄氷のように凍りつく。
ただそれでも、ロザリアの問題、僕のあやふやな対応、それらを何もなしには許せないのだろう。
サーティアに僕は、酷な事をしている。けれど、ここを越さなければ、2人の未来は、ここで終わる。
「フィロスと2人だけで、話しをさせてくれますか。エミリアさん」
「ええ、構いません。今のあなたであれば、きっと妥当な結論を導き出せるでしょう」
妥当な結論とは何だろう。貴族の因習にならい、高位貴族子弟の僕の言う事に、ただ従うことなのだろうか。
でも僕は、サーティアにそういうことをさせたいと思っている訳じゃない。サーティアの意志こそ大切だ。
「それでは私はしばらく席を外します。戻ってくる頃には結論が出ている事を期待します」
と、言い残してエミリア夫人は部屋の扉を閉めた。
「サーティア……」
僕が声を掛けようとすると、サーティアは手を差し出してそれを制止した。
「うん、分かってる。貴族の振るまいとして、フィロスは正しい事をしてたってこと。
それに、わたしが庶民と同じような恋物語を夢見てたのが、そもそも間違いだったことも、よく分かった。
けど、どうしても私の中で引っかかりが2つあるの。それは、貴族として間違ってること。でも、聞いてほしいの」
「うん、もちろん。何でも言って欲しい」
ハッキリ言葉にしたものの、心の奥底では不安が色濃く渦巻いている。
サーティアが何を問うか次第で、僕らの絆は音を立てて崩れる。分かっている。たった一言で、もう二度と戻れない。
「フィロスは……ロザリー王女様のこと、女性として、好きになったの?」
「いいや。髪色や髪型も含めて珍しいから、そういう意味で興味は持ったけれど、好きになった事実は全く無い」
これは言い切れる。実際には、好きになるどころか登場から即座に、ロザリアは僕に正体を明かした。
その時点で恋心など持ちようもない。もっともロザリアの側は、それが本当に恋心だったのか僕には分からないが、
僕に恋をしている、という様な内容の事を言ってはいた。
「じゃあ逆に、ロザリア君の事を、同じ男性として恋人の様に思った……?」
「それも無いよ。ロザリアは親友だ、けれど恋の対象じゃ無い。
ロザリアの口ぶりからすると、ロザリアにとっては僕は恋の対象だったのかも知れない。
けれど、僕にとってロザリアは心許せる親友だけれど、恋愛対象として見ている訳じゃないよ」
「そっか……」
サーティアは、それまでうつむいて、暗い声音で話していたが、ここで声音が変わった。
心から安堵したのかは分からないが、さっきまでより柔らかく、温かい血の通った声に、いつもの声に近付いた。
「うん、何だかちょっとスッキリした。あなたが男性とも女性とも恋愛出来る人だったら、
わたしはちょっと付いていけないと思ったの。ロザリア君への態度が、わたしから見て
とても手厚かったから、恋愛なのかなって……そう勘ぐっちゃった」
「そこは、思い違いをさせてしまった僕の手落ちだ。サーティアの事を1番に考えないといけないのに、
親友っていう、僕にとってこれも初めての関係だからと、大切にしすぎたのかも知れない。
気に障る事をしたことは、謝りたい」
「ううん、良いの。考えたら、あなたは恋愛も初めて、親友も初めて。そうなったら、そこに上手く順位を付けるとか、
どこまで誰を優先にすれば良いかなんて、分からないのも無理は無いんじゃ無いかなって……そう思えたから」
いつの間にか優しい笑顔に戻っていたサーティアは、そう言った。
一方僕は、うーん、と答えたまま思考の落とし穴にはまり込んでしまった。
優先順位。確かに分からない。自分の彼女を大切にするのも、多分そうすべきなんだろう、位でしか分かっていない。
ただ、僕の頭の中では、親友も「大切にすべき者」という同じ括りにいて、差が無い。
これからどうすれば……そう思った時、サーティアが言葉を出した。
「もう1つ。しつこくてごめんね。私やっぱり、あなたが誰か他の女性と話してたりしたら、嫉妬すると思うんだ。
今回の件で、確かに少し特殊な話だったとは思うんだけど、それでも嫉妬心が沸き起こって、私自身それを
制御することが出来なかった。だからきっと、これは繰り返すと思うの。もちろん努力はするわ、あなたの
邪魔になりたい訳じゃないもの。でも、嫉妬って、気づくともう心の奥が焼けてるの。小さな火種が、息もできないくらい大きくなる。
フィロスが誰か他の女の子に、ちょっとでも優しくしたら、それだけで胸が焼けるみたいに痛くなると思う。
きっと、何年経っても私はそのたびに焼ける。
でもそれって、フィロスの立場とかお役目を考えたら、邪魔でしかないと思うの。言い方を変えれば、
私と付き合い続ける事が、フィロスにとって、そして大公家にとって、足かせになるかも知れない。
そう考えると、どんなにフィロスが優しい言葉を掛けてくれても、本当にそれで良いのかって……悩んじゃう」
「いいよ、嫉妬深くて」
僕は思い切って言った。
「えっ、でもそれじゃあ色々な所に迷惑が……」
「掛かるかも知れない。でもそれでいい。サーティアの嫉妬も、迷惑も、全部僕が引き受ける。誰に何と言われても、僕はサーティアを選ぶ」
サーティアの嫉妬。今回その片鱗を味わって、どうすれば良いか分からなかった。
きっとこれからだって、正解と言える対応が出来るようになるには、何年も、それこそ一生掛かるかも知れない。
けれど僕は決めた。サーティアが荒れるなら、それは僕がなだめる。
サーティアがどれほど嫉妬に苦しんだって、僕が向き合って、受け止める。
話し合う限り、僕たちは前に進めるはずだから。
それに、サーティアは大公家への影響まで考えてくれているけれど、これはまだ先の話だ。
実際、父さんと母さんの仲は、子供の僕から見ても決して良くない。けれど外面的には何となく整っている。
もっともそれは、今父さんが北方遠征隊の隊長として家を空けているからこそある平和、なのかも知れないが。
いずれにしてもこれから先、嫉妬心に火が付くことは出来るだけ避ける。ないしは見せない。
それでもサーティアの嫉妬心が燃え上がってしまったら、徹夜でサーティアの話に耳を傾けて、なだめる。
今の僕にはその位しか思いつかないけれど、その位の小さい覚悟はもう僕の中で決定だ。
「フィロスがそこまで言ってくれるなら……わたしも、大人げなかったって思うし、あれだけ言っておいて
図々しいのは分かってるんだけど……またわたしと付き合ってくれる? フィロス」
「うん、もちろん!!」
「ふふ、わたしね、あなたの無意識に素直なところ、実は好きなの。今も、手とかほら、表情とか」
言われてハッと気づく。いつの間にか両手は握りこぶしで上下に振っていた。
表情は、自分では見えないのでよく分からないところはあるが、口が大きく開いていた。
客観的に見ると、このまま次の行動は「両足揃えてその場で飛び跳ねる」位しててもおかしくなかった。
ちょっと恥ずかしくなって再び冷静に努めようと思った一瞬はあった。が、辞めた。
無意識に現れてしまう仕草すら好いてくれる相手に、嬉しさを隠す必要は無い。
でもさすがに照れはあるので、少しだけ大っぴらきに開いた口は閉じた。手も膝に戻した。けれどあとはそのままだ。
「フィロス。これからもあなたに迷惑掛けると思う。けどあなたとなら、ずっと一緒にいたいとも思う……本心。
フィロスと大公閣下やご家族が許してくれるなら、わたしはいつでも、あなたのもとに嫁ぐ覚悟、出来てる」
「ありがとう、サーティア。まだ学生同士、しかも1年生で、僕自身が学ばないといけない事がたくさんあるから、
すぐにサーティアを娶ることは、正直難しいと思う。けれどいずれ時が来たら、僕のところに来て欲しい。
それと学院でも、恋人同士としても、未来の夫婦としても、仲良くやっていこう。サーティア」
僕はソファーに浅く腰掛け直して、サーティアに右手を差し出した。
サーティアは柔らかい笑顔を浮かべて、僕の手を両手で包み込むように取った。
サーティアもソファーの浅いところに移動したと思ったら、サーティアは僕の右手に顔から寄って、チュッと音を立てて口づけをした。
「仲直りのしるし! これからもよろしくね!」
ずっと凍っていた心が、急に溶けていくみたいだった。サーティアが笑っている。それだけで、息ができる。
僕は手の親指の付け根辺りに触れたとても柔らかい感触に、心が痺れていた。
決して悪い痺れなんかじゃない。ただ、何とも言えず圧倒されてしまい、言葉が出てこない。
と、部屋の外から咳払いが1つ聞こえた。
エミリア夫人だろう、心地よい心の痺れは消え、冷静が降ってきた。
ここはサーティアが返答すべきなのか? それとも、伝統的貴族意識が強いエミリア夫人には、僕から言うべきか?
迷ったが、サーティアは黙って少しだけ頷いて、サインを送ってくれた。僕はそれで自信を持てて、扉の向こうに声を飛ばす。
「どうぞ、入っていただいて構いません」
扉が開く。エミリア夫人の後ろに、2人のメイドさんがいて、銀のワゴンと共にそこにいた。
「お茶もお出しせず、フィロス様には申し訳ございません。お急ぎの事と思いましたので」
「お気遣い、誠に痛み入ります。サーティアとよく話し合って、結論に至りました」
「そのようですね。ご表情から険が取れて、話し合いが上手く行った事が私にも分かります」
エミリア夫人が、2歩中に入る。その隙間からワゴンが進んできて、僕の背後に止まる。
コポコポと御茶を注ぐ音が聞こえてくる。全てがうまく行った。もう憂いは無い。
カップアンドソーサーに注がれた紅茶が、テーブルに置かれた。サーティアの方にも、置かれる。
と思っていると、四角い銀盆の上に小さな山に盛られたクッキーが、僕とサーティアの間に置かれた。
「今回は、フィロス様突然のご訪問でしたので、この位しかご用意が出来ませんでした。
次回またお越しになる際は、是非サーティアを通してでも事前にお知らせ下さい」
「はい。重ねてになりますが、今回は本当に唐突にお宅を訪れたご無礼、お詫び致します」
「あーいえいえ、フィロス様の御身分でお詫びなんて……ただその、図々しいですが、1つ、申し上げても宜しいでしょうか」
「もちろん、何でも仰って下さい」
ピンと来た。ロンド男爵家と大公家の関係強化、あるいは貿易交渉だろう。
関係強化を求められると、さすがに僕の一存ではじいちゃんに進言すら難しい。
貿易交渉であれば、大公領で余るもの・足りないものは粗方理解出来ているので、内容によっては交渉は出来る。
「当家の領地は、主に綿花の栽培、綿織物の生産を産業としております」
「綿花、綿織物ですか。大公領は水が豊富には無いので、綿花は生産が難しい物の1つです。
綿製品は使い勝手が良いので、王国から輸入をしているのが現状です」
「左様でございますか。
……恐れながら、お願いがございます。ロンド男爵領と大公領とで、もし貿易をお考えいただけるなら、是非御進言いただけませんでしょうか」
「丁度大公領で足りない物を扱っている領地と直接繋がれることは、大公領にとっても利益になると思います。
王国との輸入量調整が必要になるので、すぐにとは行かないと思いますが、祖父も喜んでくれると僕は思います」
「まぁ! それでは、ご進言頂けると……」
「はい。もちろん最終的な判断は大公である祖父ですので確約は出来ませんが、
互いの領地に利益になる上、こうしてサーティアとの仲を結んで下さったご恩があります。
それ程遠くない時期に、大公領から事務方がこちらにお伺いすると思います。
大公家は、受けた恩は必ず倍にして返すのが本分です。エミリア夫人のお望みは、叶うでしょう」
「それはありがとうございます。私なんて何もしていませんのにこんな図々しい事を申し上げて、
御不興を被ったらどうしようと心配をしておりました」
明らかに心配なんてしてないな、これは。
ゆっくり怯えたフリをしてステップを着々と進める。下位貴族が上位貴族によくやる手口だとじいちゃんから聞いてる。
「そのご心配はご無用です。エミリア夫人が場を取りなして下さったお陰で、サーティアとも仲直りする事が出来ました。
繰り返しですが、受けた恩は倍にして返すのが大公家の信条。御期待に添える取引になると保証までは出来ませんが、ご期待頂いて大丈夫かと思います」
「本当にありがとうございます。何とお礼を申し上げて良いか」
「お礼は先払いで頂きました。サーティアとの仲を繋げて頂き、こちらこそ感謝のしようもない程にありがたく思っています」
……とこんな調子の貴族の褒め合い合戦がしばらく続いた後、僕はロンド男爵家邸宅を後にした。




