第41話 いざサーティアのもとへ
「ここがサーティアの住まいか……」
件の調査によって、サーティアは、ロンド男爵家の邸宅に住んでいることが分かった。
僕はデュアからその場所をよく聞き、単身現地に赴いた。
実際、ここからどうすれば良いのかなんて、僕も分かっていない。
会ってくれるかどうかも、正直怪しい。門前払いをされても不思議じゃない。
僕が邸宅の豪華な門の真ん中に立つと、庭の木にハシゴを立てていた庭師のおじさんがこちらへとやってきた。
門を挟んで、そのおじさんがこちらに声を掛けてくる。
「白服の坊ちゃん、ロンド男爵家に何か用があるのかい?」
「いえ、僕が用があるのは、こちらでお世話になっているサーティアさんに、です」
「ほお、するとアレか、サーティア様が言ってた婚約者というのは……」
「……はい、僕です」
そう答えたが、自分の中にギシッと軋むものを感じた。
婚約者。だった、あるいは、なりかけた……頭の中に次々と失敗ワードが浮かんでくる。
僕はぎゅっと目をつぶって、それら不吉な言葉を自分の心の奥底に叩き落とす。
「なぁ、婚約者君。今日はサーティア様は、随分早いお帰りだったんだ。
しかも、いつもなら俺らみたいな者にも気さくに声を掛けて下さるのに、それも無かった。
凄く怒っておみえだった様に思えたんだが……君が何か関わっているのかい?」
ある意味、門番。庭師さんにも良い印象を持ってもらえないと、邸宅に入れてもらえない。
とにかく中の人に繋いで……と強引に切り抜ける事も出来るけれど、多分良策ではない。
「僕がサーティアの気持ちを傷つけてしまったんです。
だから、サーティアに聞いてもらえるかすら分からないけれど、頭を下げに来ました」
「そうなのか。まぁ男女の仲は、色々あるわな。今女主人を呼んでくるから、そこで待っててくれ」
「はい、ありがとうございます」
第1関門、突破。
庭師さんは、女主人、と言っていたから、来るのはロンド男爵夫人かも知れない。
相手は貴族夫人。社交の経験がほぼ無い僕が、失礼をしない様に気をつけなければ、その場でおしまいになりかねない。
少しの間、考えながらも門の前で棒立ちに立っていると、中の邸宅の扉が開いた。
そこから、色使いこそ貴族らしい服だが、普段着、と言った感じのワンピースを着た、中年の女性が出てきた。
そしてどういう訳か、こちらに向かって、走ってきている。
もしかして、「早く帰れ!」って追い出されるパターンだったりするのかな……
女性は、息を切らして門の前に辿り着くと、荒れた息のまま僕の顔をじっと見た。
どうなる。この女性の第一声で、僕の運命は決まるようなものだ。もう、ダメか……?
「あなたがフィロス・シューラン様ですね」
「は、はいっ。僕がフィロスで間違いありません」
「うちの庭師が失礼な事をしませんでしたか、あとサーティアも」
「えっ? 失礼な事なんて、何もなかったです。僕の拙い話も、庭師さんはじっくり聞いてくれましたし……」
「ザレス! シューラン家の方を門の前に立たせておくなんて! 今すぐ開門しますので、どうぞ、どうぞ中へお入りください」
「いえでも、僕は今日、サーティアを傷つけてしまったんです。そのお詫びに来たので……
サーティアが入って欲しくないなら、僕はこのまま帰ります。サーティアの気持ちを……」
「そんなこと仰らずに! 是非お上がり下さい、大公閣下のご家族様! ほらザレス、すぐ門を開いて!」
言われた庭師さんが、門に掛かる簡易的な鍵を外している。
そうして、門が家の方へと大きく開かれた。
「……僕、入って良いんでしょうか。サーティアの気持ちも確かめないままに……」
「あなたとサーティアの間に、今日何があったかは、わたくしも存じ上げません。
サーティアは帰って来るなり自室に籠もってしまって、呼び掛けても出てきません」
「それじゃ尚更、僕がサーティアの住まいに入っては……」
「サーティアへの説得はわたくしもお力添えします。どうぞ堂々とお入り下さい!」
よく分からないが、女性の必死さは伝わってくる。
大公家のご家族様、と言ってるから、じいちゃんの権威のお陰でこうなってるのは分かる。
けれど、僕を邸宅に招き入れる事で何か得をするのか……? 分からない。
ただ、関係者総出で立ち入り禁止を連呼されるよりは、まだ希望が無い訳では無い。
ここはありがたく、じいちゃんの権威に感謝しつつ、中に入ることにする。
「そこまで仰って頂けて、ありがとうございます。お言葉に甘えて、中に入らせてもらいます」
「ええ、どうぞ! 大したおもてなしは出来ませんが……ザレス、お客様を応接にお通しして!」
名指しされた庭師さんが、ハイッと勢いよく答え、僕の前に来る。
ザレスさんは無言で視線を僕と交え、頷くようにしながら、僕の前をゆっくり歩く。ついてこい、という事だろう。
僕はザレスさんの後ろに付いて、邸宅の庭の中をゆっくりと進んでいく。
庭はよく手入れされているが、あまりその詳細は僕の心に入っては来ない。
庭の事より、サーティアが今どんな顔をして、僕と顔を合わせるときはどう変わるのか。
泣いていてくれれば、まだマシかも知れない。過去の人、と割り切られていたら、もう芽は無い。
さっきまでと異なりザレスさんも緊張しているのか、時折僕の方を確認しつつ、黙って家に近付くだけだ。
そうして……家の扉に辿り着く。あの女性、余程焦って出てきたんだろう。扉が少し開いたままになっていた。
と、ザレスさんが振り返り、頭を下げながらその手を頭にやった。
「さっきは気軽に話しかけてしまってすんませんでした、まさか大公閣下のご関係とは存じ上げませんでして」
「それは、気にしないで下さい。ただ単に僕は、大公のじいちゃんの孫なだけですから」
「いやまぁ、そうかも知れませんが……」
ザレスさんは困った事になったと言わんばかりの眉をして、僕を家の中に通してくれた。
ふわっと一瞬、他人の家独特の匂いが香った。ただすぐそれも上書きされる。
玄関ホールに大きな花瓶、そして花があり、その香りが生活臭を消すように甘い香りを放っていた。
「応接は、こっちです。女主人ももうすぐ来ると思うんで」
言いながら、1階フロアの手前側の部屋の扉を、ザレスさんは開いた。
僕はザレスさんに感謝を込めて黙礼し、応接の中に入った。
応接には、革のソファーが4つ。1人掛けが向こうと手前の端に、それを繋ぐように長いソファーがある。
応接としては、普通の構成。長いソファーも程々の長さで、3人が座れる程度、と言ったところか。
その奥に、大きくてなかなか立派な、黒い無垢の木で出来たテーブルがあり、それに見合った革の椅子もある。
僕はどの場所に腰掛けるのが正解か分からず、立ち尽くしていた。
すると背後でガチャッとドアノブの音が鳴った。
「フィロス様、どうぞ何処なりとお掛け下さい! 今、サーティアも呼んで参りますので」
「何処なりと、と言われても、すいません、僕こういう時、何処に座れば良いのかよく分からないんです」
「では、サーティアをこの席に座らせますので、こちらではいかがですか。正面でお話し頂けますよ」
指された座席は、長いソファーの一番向こう側。
サーティアの席を指定してくれるのであれば、僕としても座りやすい。
「ご指導ありがとうございます。それでは、あそこに座らせていただきますね」
「ご指導だなんてっ! 今、サーティアをここに来させますので、どうかお待ち下さい」
「は、はい、ありがとうございます」
大公閣下の力がえげつない。普通、親類でもない貴族が突然訪ねてきたら、まず一蹴される。
サーティアが普段と違うことも分かった上で、僕が今いるところにサーティアを連れてくる、と言ってる。
下宿先の女ご主人に言われれば、寄宿してる関係で応じざるを得ないだろう。
そういう強引な手法はあまり使いたくなかったのだが、半ば偶然、そうなってしまった。
胸が、ドキドキするのと共に、少し締め付けられる様な気がしている。
手段の善悪は問わない、とデュアには言ったけれど、サーティアにまでそうするつもりは無かった。
サーティアが納得行く形で、会うことが出来れば……いや、とにかくサーティアと再び会えるんだ。
これが、今回の僕の失策に於ける、ラストチャンス。
ここで先に繋げられなければ、2人の関係は終わる。
僕がそんな事を考えていると、扉が静かにノックされた。き、来たのかな……
僕は出来るだけ爽やかさを意識して、はいっ、と端的に答えた。
「サーティアを連れて参りました。ほらサーティア、あなたの席はフィロス様の正面。早く座りなさい」
連れてこられたサーティアは、遠目からでも分かるほど泣き腫らした目をしていた。
元気のない視線が、僕を一瞥してから座るべきソファーへと移動し、歩いてくる。
僕の前に座って……視線は落ちたままで、僕のことを見てくれてはいない。
「サーティア」
僕が呼び掛けると、その泣き腫らした目がゆっくりこちらを見た。言葉は無い。
幸いと言うべきか、サーティアの視線からは毛嫌いされている様な雰囲気は感じ取れなかった。
「サーティア。本当にごめん。僕がしっかり立て分けが出来ずに、サーティアの気持ちを傷つけてしまった」
サーティアの視線は、僕を向いている。けれどまるで僕を見ていない様な、光の無い目をしていた。
「フィロス……王女様の件はどうなったの」
サーティアは覇気の無い声で、ボソッと呟くように言った。
「王女様ごっこはもう辞めてもらった。手続きは、ロザリアなりにしっかりやるんだろうと思う」
「わたしって、今でもまだあなたの恋人でいるの? それとももう、お払い箱?」
「お払い箱な訳ないよ! サーティアは、僕が好きになって、僕が告白した、人生唯一の女性だよ。
そんなサーティアの事を、お払い箱にするつもりなんて全く無いよ。もちろんその……」
サーティアが嫌なら、という注釈を付けそうになった瞬間、喉がギュッと締まって声に詰まった。
「もちろん、もっといい人が出来たら、やっぱりわたしは捨てられるのよね、きっと」
「今のサーティアに、僕の言葉の全部は信じてもらえないのを分かった上で言う。何度でも言う。
僕にとってサーティアは不動の1番だよ。誰が新たに関わろうが関係無い。僕の目にはサーティアしか映っていない」
「ふぅん、そう……」
言葉が届いていないのが嫌でも分かる反応が返ってくる。
何とか思いのままにサーティア中心だと叫んだけれど、当のサーティアの心に届いていないのが明白だ。
と、不意に言葉を発した人がいた。女主人、と呼ばれていた、あの人だ。
「サーティアさん。私はあなたとフィロス様が付き合い始めた、という話しか聞いてないですよ?
けれど、付き合い始めてちょっと相手に落ち度があったらその態度。幼いにも程があります」
「でも、エミリアさん。わたし、フィロスのどこが嫌って言うより、フィロスの八方美人な様子が苦手なの。
これからも、学院が終わったら、フィロスはもっときっと、八方美人で世の中を渡ってくんだと思うと、
やっぱりお付き合いするのは間違いだったかなって、そう思えて……」
「若いわねぇ、サーティア。貴族が八方美人で無かったら、貴族界は回りません。八方美人で正しいの」
「えっ、で、でも……」
「あなたはきっと、平民がする様な純愛とか、二人きりの関係を考えているのかも知れないけれど、
それは貴族にとっては『存在し得ない』。ある種、夢を見ている様なものよ。
フィロス様はいずれ大公の地位を受けられる方なんだから、八方美人で当然でしょう。
1人に肩入れしかしない大公様だったら、領民も安心して暮らせません。分かりますか、サーティア」
「う……はい」
「フィロス様の行動に何か問題があったとしても、まずあなたが『平民の恋』を夢見てる時点で間違いなのですよ。
貴族の恋愛結婚は比較的最近の出来事ですが、自分も貴族、相手も貴族となれば、相手の立場や考え方にも
配慮をしてお付き合いするのは当たり前です。もっともそれはお互いに、にはなりますが」
「あの、エミリアさん。そんなにサーティアを責めないであげてください……サーティアに今回、
そこまで思わせてしまったのは、僕の行動が原因なんです。僕の軽率な行動と言葉とが」
「仰る通りなら、フィロス様に問題が無かった訳ではないのでしょう。けれどもう少し根本のお話しです。
サーティアが平民であるならともかく、貴族である以上、家の付き合いや貴族同士の付き合いはあって当然。
その中で、思わせぶりな言葉で相手との交渉を上手く運ぶ、なんてことも、貴族として当然の動きです。
いちいちそれに嫉妬したり気持ちを荒げていては、その家の厄災になりかねません」
「…………」
エミリア夫人の言っている事は、全く間違っていない。貴族同士は丁々発止のだまし合いが平気で行われる。
相手が女当主であれば、男側が色恋を匂わせておいて気を引き、交渉の材料にする事くらいありそうな話だ。
「さあサーティア、どうするんです。いつまでもそんな辛気くさい顔をして、フィロス様を困らせるのがあなたの望みなの?
それとも、フィロス様のお立場を考えて自分を弁える女として、今よりもう少し大人になって考えることが出来るかしら」
エミリア夫人とサーティアとの間に、目には見えないけれど激しい圧の掛け合いが生じてるのがヒシヒシと伝わってくる。
サーティアが発する次の言葉が、きっと僕の運命を決める。
僕は息を飲んで、サーティアの事をじっと見つめた。




