第40話 悪だくみの花
「おやフィロス様、お早い……何かございましたな?」
僕の表情から察したのか、セバスがいつもの和やかさを封じた、真面目な目つきになる。
「サーティアの件で、やらかしてしまった。下手をすると再起不能・交際破談になる。
僕は今からあらゆる手を尽くして、サーティアともう一度会話すべく尽力する。
ふう……でもその前に、軽くパンでも食べておきたい。パンはある?」
「焼きたてではございませんが、パンはございます。何かスープは?」
「要らない。パンと、水だけで良い。味わってる余裕は、今の僕に無い」
「かしこまりました。すぐにパンのご用意をし、お部屋にお持ちします」
頷き、僕は私室のドアを閉めた。
こういう時、セバスはいちいち詮索をしたりしないから助かる。
数年前になるが、社交界を10分で逃げて帰ってきた僕に、ただ一言、
「坊ちゃま、お疲れ様でございました」
と言って、無言のミルクハーブティーで慰めてくれた。
温かく甘いミルクハーブティーは、惨めさや自己非難から生まれる負のループを断ち切るのに、十分だった。
今日は、方向性も緊急性も違う内容だ。これから少しすれば、サーティアの家が明らかになる。
そうなれば、場合によっては長い時間『食い下がる』必要も出てくるかもしれない。
そんな時に腹が減りました、ではどうにもならない。最低限ではあるが、食べ物を腹に入れておく。
……ただ待つ、というのが、ここまで苦痛を伴う日は初めてだ。
僅か一瞬の時間の進みが、永遠に感じられる程長い。このままではダメだ、もっと冷静になれ……
と、扉がノックされる。
「フィロス様、失礼致します。パンをお持ちしました」
「ありがとう、入って」
「失礼致します」
そう言って、さっきまでサーティアと座っていたテーブルセットに、ささっとパンと水瓶に入った水が置かれる。コップはパンの横に伏せて添えてある。
「それでは、何かございましたらお声がけ下さい」
「あっ、僕の用事で、学院白服のデュアという生徒がそのうちここを訪れる。そうしたら、ここに通して」
「かしこまりました。それでは」
セバスはいつもの倍増し早いんじゃないかと思える程スピーディーにパンと水をセッティングし、素早くこの部屋を後にする。
僕のピリピリした感覚が伝わってるのかも知れない。セバス相手なら、長年の付き合いでもあるし、良いかも知れない。
けれど、こんなにピリピリしていたら、サーティアに会えても良い結果は生まないだろう。
僕は薄切りにされたブールパンを3枚重ねて掴むと、大口を開けて頬張った。
確かに、焼きたてには敵わない。けれどこれはこれで十分に美味い。
味なんて感じないだろうと思っていたが、寧ろこの美味いパンに、少し心が落ち着いてくる。
これならスープも頼んだ方が良かったろうか……そんな事を思いながら、最初に掴んだパンは腹に収まった。
とそのタイミングで、再びドアがノックされた。
「フィロス様。ご学友のディア様がお越しになりました。入って頂いて宜しいですか?」
「待ってた! 今すぐ入って!」
と、ドアがゆっくり開く。そこにいたのは、分厚いデザイン画書籍並に大判の、本の様なものを2つ抱えたデュアだった。
「フィロスさん、僕1人で探すより、頭と目は二人分の方が良いかと。……それに、極秘データでもありますし」
デュアがニヤッとした笑みを浮かべる。
少し、デュアは勘違いしてるのかも知れない。
僕は単にサーティアの行方を追いたいだけであって、サーティアの下着データに興味がある訳ではないのだが……
「まぁ、1人より2人の方が早く探せそうだ。その2冊分が?」
「はい。ブラジャーに絞って頂いたお陰で、それ専用の採寸簿を見つけ、持ってくる事が出来ました」
「じゃあ早速見てみようか。そのベッドの上に広げて、どんどん見ていこう」
「はいっ!」
デュアが、ベッドの下手の方に1冊、枕寄りの、丁度僕が今立っている横辺りに一冊、その帳簿を置いた。
帳簿をポンと置いた重さだけで、ベッドがぐわんぐわんと揺れる程だ。相当重い帳簿だ、これ。
「相当重かったんだね。僕の為に動いてくれて、本当に助かる」
「僕はフィロスさんに、文字通り命を救われました。もしあの場で退学・強制労働となったら、準男爵家もお取り潰しだったでしょう。
恩人の為に働けるのは、僕にとってはうれしい限りです! かなりのページ数ありますので、気合いを入れていきましょう!」
「うん。まずは開くか」
表紙を開き、関係なさそうな頭の数ページを飛ばしていく。と、地図が貼ってある。
その地図に、薄紫色で囲いがされている。恐らくこの帳簿が担当している地域なんだろう。
大使館から5、6軒坂の上方面の所から、かなりの領域をカバーしている。
地図を見る限り、サーティアの徒歩圏内と言えば、全ての家が入る。そんな領域だ。
次のページを開くと、名前と、いくつもの数字が表組みで並んでいる。
逆に言うと、それしかない。どの数字が何の意味か、などの解説は無い。
そして、ページの左上角に、小さい字でセオルド様御邸宅東8軒目、とあった。
「この角の記載は?」
「地図に通し番号を振ると、誰が見てもそれがどの邸宅の方のデータか、分かってしまいます。
かと言って、目印が無いと引き継ぎが上手く行かなかった時、この顧客簿が意味を失います。
このセオルド様は、坂上の一番手前の通りで最高位の伯爵様で、王都別邸をお持ちなんですが、
有名なそこを目安に何軒目か、という様な形で、それぞれの家を少しぼかしているんです」
「……でも、実際に地理を知ってる人間相手だったら、あんまり意味が無くない?」
「そうですね。気休め程度です。それと官憲から何か言われた時に、秘匿している、という事実が大切になることもあります」
「商売人の家は、そういうものなのか……まあそれはいいや。この数字の読み方は?」
「左から、年齢、身長、デコルテ、トップバスト、アンダーバスト、腹囲になります」
「年齢があるんだ! それなら、15歳か16歳を探せば、確実にヒットするね」
「はい。ただ、1,000人以上のデータが入っている帳簿が2冊です。時間は掛かるでしょう」
「よしっ、早速見ていこう。デュア、水とパンならそこにあるから、適宜休みながら進めてくれ」
「お心遣い、ありがとうございます。早速数字、特に年齢をターゲットに見ていきましょう」
さて……帳簿に取り組もう。
見る限り、1ページに40行以上はある。細かい罫の帳簿だ。
しかも、年齢は全ての該当列のマスにある訳ではなく、年が変わると新たに書かれる形式だ。
ざっと、ページを見ていく。43、とかその辺りの数字の下の行はしばらくパス出来る。
9、というのもあった。9歳でブラジャーをするのか。女子の世界はそういうものなのか?
細かい事に気を取られながらも、段々慣れて気にならなくなる。スピードも上がっていく。
15、という数値をその列に見た時、心臓が跳ねるのを感じた。名前を確認すると、マリアンヌ。違った。
更にページをめくっていく。めくってもめくっても、全然めくっていない側の束が減った感じがしない。
――そのまま、1時間が経過した――
全力で探している。18、20、17、14。若いんだろう女性の数字は見つかるが、肝心の15と16が極端に少ない。
ある意味、いちいち止まらずに読み飛ばせる、と考えれば、良いんだろう。効率としても。
けれど、ここまでその数字が出てこない事に、内心どんどん心臓を通る血液が冷えていくのを感じる。
ひょっとしてこれは間違った探し方だったのか――そんな疑いすら、思い浮かんでしまう。
「……デュア、進捗はどの位?」
「全体の1割と言ったところです。フィロスさんは……その半分くらいですね」
うぐう、さすが商人の息子。帳簿を読むことに慣れているんだろうな。倍速とは。
せめてどっちの帳簿にサーティアが居るか分かればまだ良いのに……
いやっ! そんな弱音を吐いてる場合じゃない!
1時間で5%しか進まなくても、この帳簿のどこかにサーティアは必ずいるんだ。
それを、今の僕が見つけないで何の意味がある! 僕の為に用意された『秘密の閲覧会』なんだ、絶対にこの機を逃してはいけない……!
――更に、2時間が経った――
目がチカチカする。数字が数字の意味として読めなくなりつつある。
頭を振ったり、目を押さえたりして、何とか数字を見続けているのだが、時折数字が何かの図形に見えてしまう。
しかも一度その状態になると、何か切り替えないと元の数字に戻ってくれない。
このまま見つからないのではないか……
実は最後のページとかではないのか……
いっそデュアが早く見つけてくれれば良いのに……
僕の中で、色々な雑念が交錯する。全てこの数字との格闘に邪魔でしかない雑念だが、止められない。
一方でデュアは、淡々と機械のように、最初から今まで、同じペースでページをめくっている。
一切口を開く事も無く、もちろん水を飲むこともなく――一方の僕は数度、水を飲みに席を立っている。
数字が図形に見えてきたら、水でも飲まないとその状態が解除出来ないのだ、仕方ないのだと自分に言い訳をして、水を飲んでいる。
僕がその状態に苦悩しながらページをすっとめくると、不意に横から声が掛かった。
「そのページ、16の表記がありますが、違いましたか?」
えっ、と僕は急いでページを戻し、そこを確認する。
『 16』
16歳表記でページが止まって、名前も無いということは、前ページに15歳の表記と名前があるはずだ。
僕は恐る恐る前ページに戻ると、ページの真ん中位に、
『サーティア様 15』
と書かれたデータの始まり行を見つける事が出来た。
「や、やった……ありがとう、危うく見落とすところだった、永遠に、辿り着けないところだった……」
ベッドサイドで膝立ちになっていた僕は、脱力しきってベッドの横にぺたんこ座りしてしまう。
「良かったですね、フィロスさん! まずはページ数と場所を押さえておきましょう」
と、デュアは制服の内ポケットからメモと小さなペンを取り出して、サラサラと何か書いている。
「これで、不意に帳簿が閉じてしまっても大丈夫です。念のため全ての内容をうつしておきます」
更にデュアのペンが走る。
僕は床にぺたんと腰掛けたまま、格闘していた帳簿を、もう見るではなく、眺めていた。
「おお、さすがフィロスさん。良い選択をされましたね」
「良い選択……?」
「サーティアさんですが、バランスの良いバストをしています。それでいて、大きいです」
「バストが、大きい……?」
白服の制服は、上着として着るその白の服が身体を大きく包み込む様なデザインになっている。
上着のデザイン自体は男女共通で、どちらも体型が隠れる様な作りになっている。
サーティアのバストが大きいなんて意識した事も無かったけれど、そうか、大きいのか……って。
「ちょっとデュア! サーティアは僕の婚約者だよ?! 勝手にバストサイズを……」
「まぁ、悪だくみの花はこんな花しか咲きませんので。フフ」
とデュアは今書いていたメモを僕に渡してくれた。




