第32話 手汗の量で嘘がバレるって本当ですか?
「フィロス、おはようっ♪」
翌朝、大使館を出ると、いつもの場所にサーティアは立っていてくれた。
挨拶をしようと手を挙げかけると、サーティアの方からとても上機嫌そうな挨拶が飛んできた。
顔は満面に笑み、声は少し高めで、機嫌の良さがそれだけで分かる。
「おはようサーティア。何だか嬉しそうだね」
その嬉しさの元は自分にある事は分かっていても、敢えて言わせたくなった。
「だって、フィロスと一緒に登校出来るんだもん、嬉しいよ!」
「登校は、いつもしてくれてたじゃん? そこじゃなくない?」
「えー? い、言わせるの……? うーん……
か、彼氏と一緒に登校出来るのが、嬉しいの。その彼氏がフィロスだから、嬉しいのよ」
僕はその言葉を聞き――と言うか無理矢理言わせて――心底満足した。
少し自分の性格が変わったんじゃないか、とすら思った。
言わせたくなったのも、実は昨晩の『重さ』が心の芯にまだ残っていて、
それを何とかしたい……そんな思いもあった。
その思いは果たせて、重さの代わりに嬉しさと、あと自分でもよく分からない優越感に近い様な、おかしな感覚まで付いてきた。
サーティアは、恥ずかしげだけれど、ハッキリ言ってくれた。
そのお陰で、僕は『今』に集中出来る。サーティアと付き合ってる、この『今』だ。
そこは噛み締めるだに、嬉しさと喜びしか出てこない。
「ありがとう、言ってくれて。その言葉で、僕は自信が持てるよ」
「……フィロスのイジワル。じゃ私のワガママも聞いてよ」
「うん、もちろん。何を言えば良いの?」
「手、繋ご? 学校まで、ずっと」
ドキーン、と胸が一拍強く打って、そのままドキドキと胸の鼓動のスピードは一気に加速した。
「学校、まで?」
「うん。彼女と手を繋ぐの、イヤ?」
「そんな訳無いよ! けど学校までって……」
「繋いでくれるの? くれないの? イジワルするだけのフィロスになっちゃうの?」
「むぅ、そんな言われ方したら、繋ぐほかに選択肢ないじゃん。
でも良いよ、繋ごう。ただ僕、手汗、結構かくから、不快だったら言ってね」
「うん。どっち側が良い?」
「いつでもサーティアを守れる様に、右手はフリーにしておきたい。だからこっちかな」
と、僕はサーティアの右側に移動する。
ハンカチを取り出し手を拭ってから、サーティアに左手を、低い位置に差し出す。
「そんなに手汗の事、気にしなくて良いよ? 好きな人の汗だもん、嫌じゃないから」
「そういうものなの? 僕もそのうちそうなるのかな」
「なると思うよ。って言っても、小説なんかから得た知識だから、実際どうかは分かんない」
サーティアはフフッと笑って、僕の手を取った。
サーティアの手の温もりが、柔らかさが、質感の全てが、ダイレクトに伝わる。
僕の心臓は更に加速した。
「フィロス、すごく緊張してるね。手、握ってるだけで、脈拍凄いの分かる」
「うん。本当にドキドキしてる。でも嫌なドキドキじゃないんだ。何て言うか……照れくさいドキドキ、かな。
そう言えばサーティア、昨日の晩、じいちゃんに、つまり大公閣下に魔導通信を入れたよ」
僕が言うと、サーティアは目を見開いた。みるみるサーティアの表情は硬くこわばっていく。
「歩きながら話そう、サーティア。結論から言っておくと、ほぼ大丈夫だったから。心配しないで」
僕は固まりかけてるサーティアの手を引くようにして、いつもの半分くらいの速度で歩き出した。
そして、昨日のじいちゃんとの話を、省くところは省き、隠す所は隠して伝えた。密偵が動いてる話は、さすがに言えない。
こういう時こそ、僕のお世話をしてくれているセバスの出番だ。セバスとじいちゃんの間で話が通ってたことにしてしまう。
セバスはサーティアが毎朝迎えに来ている事も知ってるし、その印象も掴んでる。それを利用させてもらう。
「そっか、じゃあ大公閣下からも、わたし幸い印象悪い感じじゃないのね」
「うん、全然悪くない。サーティアが、セバスに丁寧に接してたのが良い様に転んだ感じだね」
「やっぱり、どんな人でも、立場がどうこうとか関係無く、誠意って大切よね。どこで繋がってるか分からないし」
「そうだね。今回はまさにそこだった、と、昨日じいちゃんと話して感じたよ」
「そっか。でも、今の話の中に、ウソが混じってるよねそれ。どこがウソなの?」
僕は思わずギョッとした。
ギョッとしたらその表情でバレる、と思った時には既に顔面はそういう顔面になっていた。
「フィロスは優しいし、大公家ならではの秘密もあるとは思うから、無理に聞きだそうとは思わない、わたしも。
でも、最初の報告でウソつかれたのは、ちょっと嫌かな……仕方ないのかもしんないけどね、立場上」
僕は心底うろたえ、どこでバレたのか一生懸命頭の中で反芻した。
けれど、自分の言葉で流ちょうさを欠いた箇所は無かったはず。バレるはずは、無いはずだった。
「あは、ホントだ、すごい手汗。わたしも手までしっとりしちゃうわ」
「そ、そのサーティア……何で、僕が嘘を吐いてるって……」
「バレたか? うん、分かるよ、何となく。いつも少しだけ、アタフタする感じがフィロスの特徴なのに、
今日のその、すごく大事な報告なのに、綺麗にまとまりすぎてるんだもん、フィロスの言葉が」
「まとまりすぎてる?」
「うん。あらかじめ作っておいた原稿をスラスラ読んでるみたいな感じ?
原稿までは無いのかも知れないけど、架空の設定に乗って調子良く滑ってる感じ、ってところかな」
「そうなんだ……ごめん、サーティア。正直に話すよ。ショックを受けるかも知れないけど」
「大丈夫。朝イチから彼氏にウソつかれることよりショックな事なんてそうそう無いから」
うぐ。サーティアは笑顔で言ってくれてるが、それが余計に堪える。
けれど僕は、何故か気持ちの中に『安堵』の成分が流れてきている事に気付いた。
何故この場面で安堵が? どこから? と思ったが、そうか……
サーティアは、僕より僕のことを見てくれている。だから嘘も見抜く。
僕より僕を理解してくれる彼女がいる――そこに、安堵している自分がいる。
「……朝イチから、嘘吐いたのは、本当に、ごめん。
実はサーティア、もうじいちゃんの方には情報がかなり入っていて……」
僕は一旦サーティアとの手を離し、使いかけのハンカチを裏返しに折り返してサーティアに渡した。
そうしながら、サーティアに絶対伏せなきゃいけない事が無かったか、頭の中で昨日の魔導通信をよく振り返りながら、少しずつ言葉を紡いだ。
サーティアは僕の渡したハンカチで、僕の手汗をスッと軽く拭うだけして、僕に返した。
そんなうちに僕の手はもうビチャビチャだったので、返ってきたハンカチでこすり取る様に手汗を拭った。
「……ってこと、なんだ。うちの家の密偵さん、僕も誰がそうだか知らないんだけど、凄い優秀だって、じいちゃんがよく言ってる。
2組出したって言ってたから、サーティアの家の領地とか、領主館とかと、サーティア自身と……で、2組だと思う」
「んー、そっか。フィロスが隠したかったのは、大公のおじい様の『先手』だったのね。
いつの間にか見られてたのはちょっと怖い感じもするけど、でも仕方ないし、悪い感じもしないわ。
だって、大公家にお嫁入りするって、きっとそういう事じゃない? 平民同士の結婚じゃないんだから。
身辺調査はもちろんだろうし、きっと色々過去の事も調べられて、情報的には丸裸にされちゃう、みたいな」
「ど、どうだろ。じいちゃんがどこまで調べたかは、言ってくれはしなかったな……」
「多分、子爵位持ってるお父さんや、その奥さんなわたしのお母さんでも知らないことまで、知ってると思う」
「そこまでするかなぁ」
「するよ、それは。大公家を守る為には、変な血は入れない。変なのと縁戚関係にならない。
そういう仕組みと論理が、この貴族社会の“普通”だから――わたしも、多少でしかないけど、そういうのを呑み込んで生きてきた自負はあるわ。
でも、それでもわたしはあなたを選んだの。家の事情ごときで迷うような恋なら、最初からしない」
自信ありげにサーティアは言い切った。
サーティアの覚悟が、僕の覚悟を遙かに凌駕している気がした。
そのせいか、不意に、全く唐突に、僕の心が強くざわついた。
「……それでも、サーティアは僕と付き合い続けてくれるの?」
「フフッ、そんな不安そうな顔しないの。わたしはあなたを好きになったの。
他の事は、他の事が気になる大人に任せておけば良いわよ。
しかも、嫁入りなら大丈夫なんでしょ? もう公認もらえたも同然じゃない!」
と、サーティアが僕の背中をポンと叩いた。
僕は少しだけ長い息を吐いて、それから再びサーティアに手を差し出した。
気付いたサーティアが、素早くその手を掴んでくれる。
やっぱり、サーティアで良かった。
僕の心が、言葉にしがたい幸せ感に再び満ちていくのがじんわりと感じられる。
「そろそろ校舎ね。どうする? 手、繋いだまま行く? さすがにやめとく?」
「なにか、自慢っぽくなっちゃうのは避けたいから、やめておきたい」
「うん、じゃしばらくは行き帰りだけかしらね、フィロスを直接感じられるのは。
いつでもデートに誘って? 定期考査前とかは厳しいけど」
「うんっ。少し日程とか考えてみるよ」
そう言って、どちらからともなく手を離した。スッと手の温もりは退いた。
サーティアの温度はもうそこに無くても、サーティアの心に、僕の手のひらがずっと繋がっている様な気がした。
この繋がりだけは、この先どんな嵐が来ようと決して離さない――僕はその手を固く握り、自分に誓った。
***
「明日、一時編入生がこのクラスに来る」
ディラグニア先生が朝一番に放った言葉は、教室をざわつかせるには十分だった。
「先生、一時編入生と言うのは、転入生とは違うのですか?」
黒服の誰かが挙手して質問をする。
「転入生は、入ったら入ったきり卒業までだが、一時編入生は時期を区切った編入生の様なものだ。
予定している時期は2週間から1ヶ月と聞いている。明日からの登校だそうだ。ただ」
と、ディラグニア先生はそこで言葉を明白に切った。
その上、喉を鳴らして、少し言いよどむ様な仕草を見せる。片眉もグッと力が入っている。
「その編入生が問題だ。東方の小国の王族の娘だそうだ。つまりフィロス、お前より格上の相手が来る。
文化差もあるだろうから、下手な衝突を起こすような真似は、出来る限り避けてくれ。
無視などはもっての外だ。小国とは言え王国、プライドもあることだろう」
先生の表情はいつになく真剣だった。
「なぁ先生、その編入生って女子は、俺達と同じ制服を着るのか?」
ライアスが問うた。
「そうだ。あちらさんとしては、王女に王国の文化体験をさせる事が主眼らしい。
『出来るだけ自然に、あるがままに扱って欲しい』という要望まで来ている。故に制服も白服を着用する。
ただ相手国、文化差もある他国の王族相手に何が自然か、という答えは私も持ち合わせない」
「ディラグニア先生、女子が気をつけておく事はありますか?」
サーティアだ。僕の後ろから、よく届く声が教室の前まで響く。
「先方からの要望は、『出来るだけ自然に』だ。故に、寧ろどうこうと手筈を整える事の方が嫌がられるやも知れん。
長くて1ヶ月程度の事だから、話し相手になるなり、状況が許すなら校外活動を共にするなりすると良いだろう」
僕も疑問が湧いた。さっきから『東方の小国の王族』という言葉は出てきているが、国名が出ていない。
僕が国名を知ったところで、遠隔地の小国など残念ながら僕の頭には無い。きっと他の生徒にとってもそうだから省いているのだろう。
だが、相手の国名を知らずに相対するのは、政治的に危険過ぎる。事前に知れるのであれば、知りたい。
「ディラグニア先生、伺います。『東方の小国』との事ですが、その国の国名は?」
「それがな、学校にも知らされていないのだ。少々不気味だろう? フィロス」
不気味だと言われるまでも無く、不自然さは強く感じる。
国名は、ある意味その国民の、もちろん王族の、誇りそのものである。
その国名を、学校に敢えて伏せる理由が、そもそもあるのか?
実は難民申請が前提ですとか、そういう話なら理解出来なくも無いが……
「続けて伺います。編入生の女性は、単独で学院に? それとも、国家間交渉団の一環、あるいは付属ですか?」
「交渉はするらしい。ただその詳細までは、こちらに情報は来ていない。
ただ言える事は、どうやら国王と一人娘の2人で来るらしい。護衛は、都度都度街道で雇いながら。
軍備が整わないほどの小国なのか、あるいは軍備を何らかの理由で持てないのか分からないが、それもまた不可解だ」
いつの間にかディラグニア先生は腕組みをし、顎を下げ、目線もすわっていた。
「先生、関係無い話題でごめんなさい。ロザリア君は?」
サーティアが言う。
「ん? あぁそうだった。日常の連絡を忘れるところだった。
ロザリアは、昨晩屋敷の階段から転落し、どうやら骨までやられたらしいから1ヶ月程休む、との事だ」
「まぁ可哀想」
サーティアは本当に同情している声音で答えた。
昨日の事があっても、すぐ切り替えて恨み言を引きづらないのは、サーティアの美点だよなぁ。
ただ……。
なんだこの……嫌な違和感。何かピースが上手くはまらない様な、嫌な感じ。
望まぬ不老不死のロザリアは、骨が折れると1ヶ月も休まないといけないのか?
風刃のサーベルは、骨をも切り裂いた。けれどロザリアは、数時間放置しておけば治ったと言い切っていた。
何かロザリアは、学校に嘘を吐いている。
深く考えすぎか?
まぁ……ロザリアの事だから、不意に「サボりたくなってその理由付けに」骨を折ったことにした、なんてのは当たり前に考えられる。
けれど、1ヶ月か……丁度その東方の小国の王女が来る期間と丸かぶりになる。
……。
なんだろうな、この、言葉にならない不安感。
心の底辺がゾクゾクする感じが、とても落ち着かない。




