第3話 初めての男友達、獲得。
駆け足で校舎まで辿り着くと、そこには紙の貼り付けられた、背丈を超える立て看板が4枚、壁に立て掛けられていた。
僕の名前は、2組と書かれた掲示の一番上にあった。
サーティアも自身の名前を同じ板に見つけ、僕に「同じクラスだね」とにこやかに言ってくれた。僕も思わず嬉しくなり、頷いた。
立て看板によると、1年生は全て3階に教室がある模様だ。そしてクラスは4組まで。
振り向くと、講堂からわらわらと白制服の生徒たちが押し寄せてきていたので、僕はサーティアに「クラスへ急ごう」と告げた。
サーティアも賛同してくれた様で、軽く頷いて歩き出した。
3階まで、サーティアの足取りに合わせて、ゆっくり上っていく。
こういうゆっくりした時間もきっと、友達作りには重要なんだろう。
身体強化魔法を使えば、踊り場に1歩、フロアで各2歩で、10歩以内で3階まで上がれる。
だが時短ばかりが全てでは、きっとない。
3階まで上がると、長い廊下のあるフロアに出た。
「ここがわたし達が1年間学ぶ教室なのねー、意外と広いかしら」
丁度階段の目の前に当たる教室に、『1年2組』と立派な木の札が掛けられていた。
「座席、イスはともかく、机はとても小さいんですね。これでは資料を複数並べて検討することさえ出来ない」
「えっ? ああ、そういうのがしたい時は、図書室を使うと良いと思うよ。教室だと、もっぱら先生の授業をノートに書き取ることがまず一番だから」
「なるほど、聴講が授業の基本なのですね、学校というのは。それならノート1冊と教科書、それだけが置けるこの小ささも納得です」
「ちなみに、フィロスくんは学校が初めてだからそう感じると思うけど、
この大きさって、規格サイズなのよ。少し背丈に合わせて調整されるけど、初等学校からずっとこのサイズ感と形状よ」
「えっ?! そうなんですか? 個人に割り当てられる区画が、とても小さい……」
並んでいる机たちの一つに僕が視線を落としていると、廊下の方から声が聞こえだした。
まだ遠いようで、ハッキリ何を言ってるかは聞き取れないが、貴族組の生徒たちが上がってきているのだろう。
少し、胸が苦しい感覚を覚える。サーティアとは話が出来るようになったが、他の学生とは、初対面。
……正しくは、僕の側は初対面で、向こうは僕のことを、名前も含めてもう知っている。
じいちゃん……やってくれたものだ。
これまでの人生、初めて顔を見る相手からは、逃げて逃げて渡ってきた。
それを、この学校ではいきなり、全生徒が僕を「知ってる」状況からのスタート。
黒服の庶民生徒からは、もしかすると照明の関係で顔までは見えなかったかも知れない。むしろそうであって欲しい。
だが、総勢で100人もいない貴族子弟の生徒には、まず漏れなく顔を見られた。
後ろの方の席に座ったのは、目立ちたくなかったからだが、逆作用を生んでしまった。
そんな事を考えている間にも、声は近づいてきた。男子生徒の言葉が聞き取れるまでになる。
「3階までって遠いわー、2階にしてくれたら良いのに。なぁ」
「2階は教官フロアらしいよ。先生方に囲まれて過ごしたい?」
「勘弁してくれ、中等学校じゃ散々……あっ! アレはさっきの!」
白い制服を身にまとった3人組のひとりが、僕のことを指さした。
人のことを指さすというのは、随分と無作法だ。いや、それとも学校とはそういう文化のものなのか?
その指を指した人物は、足早に僕のところへと進んできた。胸がドキンと強く打つ。
「お前、じゃなかった、き、君が大公閣下のお孫さんの、フィロス君か?」
「おいおいライアスのヤツが『君が』とか言ってるぜ、不気味だな」
「うっせー! 君がフィロス君で間違いない?」
どうやらこの人物はライアスと言う名の人物の様だ。こっちにあっちにと話を向けて忙しそうだ。
乱雑な様相にセットされた赤髪は、寝乱れとは違う様で、ある種の獣のたてがみの様な風情だった。
「はい。僕がフィロスで間違いありません」
「そうか、俺はライアス! ライアス・リセッターだ!」
と、突然ライアスと名乗る人物は手を差し出した。
なんと。
いきなり握手をするつもりか?
貴族同士が握手をする事には、特別な意味がある。握手は、全ての問題が解決した事を確認するものだ。
握手を交えたら、生じている問題は全て解消済みとなり、もうその問題は蒸し返せない。
だが、握手をする議題が示されていない。
僕がその手を握ることにためらい、つい自分の手を胸元で固めてしまっていたら、
「ちっ! 大公のお孫さんは、俺なんかとは握手もしない、ってことかよ。お高くとまってると、いつか痛い目を見るぜ」
「痛い目を『見せてやるぜ』、の間違いじゃ? あはは」
ライアスの目が、鋭くにらむ様な目に変わる。
いやだがしかし、議題も示されずに無条件で握手するなど、安易過ぎて危険だ。
3人組の残りは、その反応からするとだが、彼らはライアスの取り巻きと言ったところなんだろう。
品の悪さをともかくとすれば、彼らは既に友達関係にあり、その点を見れば僕より優位・優性な人間だ。
イラついた表情のライアスという人物。
さすがにこのまま背中を向けるのは、関係悪化を確定させる様なものだ。なんとかしなければ……
「その……僕が握手に応じなかったのは、あなたの出身領地と僕の出身領地が紛争関係に無いからです。他意はありません」
「はっ? 紛争関係?」
僕が握手しないことの理由を述べると、ライアスは拍子抜けしたような、それまでのイライラした顔つきから一変して、少し間抜け面にすらなった。
とはいえ、しっかり理由を説明しないと、友達作りどころか最初から敵を作ってしまう、頑張らねば!
「僕が大公本人ではないので確定的なものではないですが、子弟同士でも握手による問題解決の最終確定はされるでしょう。
議題の明らかでない握手を、そう簡単に交えることには、強い抵抗感があります」
「……お、お前は、握手一つにそこまで考えるのか?」
「えっ? それは貴族としては普通のことでは?」
僕が言うと、一瞬ポカンとした表情を浮かべたあと、ライアスは腹を抱えて大爆笑をした。
取り巻きに目をやると、そちらもそちらで笑いをこらえるのに必死な様だ。
「あぁあぁ、確かに貴族当主の握手には特別な意味はあるよな、そりゃ間違いはねーわ。
けどな、フィロス、教えてやるよ。平民は、パッと出会ってそいつと仲良くやっていきたいと思ったら、まず握手なんだよ。分かるか?」
「握手の意味合いが、そんなに違う……?」
「おう。大公家じゃどうか知らねーが、子爵家くらいだと領民とも直接、一緒に汗かいて過ごすこともしょっちゅうだ。
他の子爵・男爵家でもそれは同じだ。つまり、握手に紛争解決の意味を乗せるのは、主流じゃねぇな。儀式的なものと言っても良い。
それを知った上で、フィロス、どうだ?」
と、改めて手が差し出された。
本当に、紛争関係なしの、出会い頭の挨拶に握手を用いるのだろうか。本当に?
ライアスの言うことは、ちょっと信頼出来ない感じがする。だが、同じクラスのメンバーとして、これから一緒に過ごす相手だ。
気にはなるが……ここはっ!
「おっ、握手に応じるか。クラスメイトとして、仲良くやっていこうぜ!」
僕が勢いで手を突き出すと、その手をガッと握られ、上下に振られた。
あまりの事にビックリして、意識が固まりかけた。
「うわ、お前手汗ひどいな。緊張してたりするのか?」
「は……はい。とても緊張しています」
「ひどい手汗で困ったら、ミョウバンを溶かした水で手をすすぐと良い。一時的だが、手汗を止められる。俺も昔は手汗で困ってな」
ライアスが大きく、はははと笑う。
「まぁ、俺の仲間を紹介するぜ。右のが」
「いやいやライアス、僕も大公家の人と握手してみたいもんだよ。良いかい? フィロス君」
「は……はい」
ちょっと押され気味な感じで強引さを感じるが、それは多分僕が今まで引っ込み思案に過ぎたからだろう。
「僕はカイエル。カイエル・ソードイン。ソードイン男爵家の次男だ、よろしく」
「よ、よろしくお願いします」
差し出される手を握手しようと思って、手汗の指摘を思い出して急いでポケットからハンカチを取り出し、手を拭う。
「そこまで丁寧にしてくれなくても構わないよ、今日からクラスメイトだ。フラットに行こう」
「改めて、よろしくお願いします。カイエル・ソードイン男爵ご次男」
僕は手を出しかけて、ふと重大なことに気づいた。
「……ソードイン? えっ、国内唯一のミスリル産出鉱山の、あのソードイン家ですか?!」
「えっ? あ、ああそうだよ。うちの領地じゃ使わないし扱いようもないけれど、王宮への献上物としては重宝してるね、ミスリル」
「ミスリルは、カイエルさんの領内では流通していないんですね? 輸出の余剰分はどのくらいありますか?」
「ど、どうだろうね。親からは、今のところ『大体は』王宮に納めている、って言い方で聞いてるけど……」
「少しお話しをしませんか? ミスリルがたとえ少量でも安定供給されれば、領地の戦力底上げに間違いなく寄与できるんです」
「ちょ、ちょっと待ってくれる? ミスリルは、僕の一存で動かせるような軽い物じゃないから、僕じゃ交渉相手にはなれないよ。
所詮次男坊だからね。兄さんなら……いや、兄さんでも厳しいかな、ミスリルについては。
ミスリルがあるお陰で、国税の一部免除もされてるって聞いた事があるし」
「それだけ、ソードイン領としては重要な物だという事ですね。僕でも領地に貢献できるチャンスと思ったのですが……」
「そこは、すまない。まぁ、僕としては出来れば、ミスリルの話は忘れてもらって、気楽に友達づきあいがしたいよ」
ついミスリルの話が出てきたので前のめりになってしまった。
ミスリルは、じいちゃんがいつも「アレさえ手に入ればなぁ」と言ってる、剣や盾、鎧の材料の一部になる金属だ。
「握手は、しても良いのかな?」
僕の宙ぶらりんな位置で止まっていた手を反対側の手で指さしたカイエル。
言われて初めて変な位置で止まっていたことに気づいて、僕は急いで、そしてガッシリと握手をした。
ソードイン家との繋がりが作れる「可能性」。それは僕という大公家のお荷物でも、領地に貢献できる可能性とも思える。
「ぼくも握手会に参加していい?」
3人組の最後の一人が言った。その人物は、古典的な魔法使いがかぶるような三角帽をかぶっている。
「ロザリア・ピーターソン。男爵家の一人息子。よろしく」
手が差し出される。他の二人より、華奢で色白な手をしている。
握手をしつつも、どうしても気になったので、頑張って聞いてみることにした。
「よ、よろしくお願いします……あの、一つ聞いてもいいですか?」
「ん? 何でもどーぞ?」
「何故学校に帽子を? 確か制服の説明書きには、帽子に関する記載は無かったように思いますが」
「あー、これ? ピーターソン家は代々魔法家系だからね。家の象徴として僕はかぶってる。一応事前に学院に許可は通してるよ」
と、ロザリアは握手していない手の方で、ちょっと帽子の位置を直してみせた。
「フィロスくん、そろそろ席に着いた方が良いわ。先生が来る時間だから」
「あ、そ、そうなの? では僕は、この辺りで失礼させて頂きます」
「おいおいフィロス、俺たちもう友達だろ? そんな社交界で早上がりする時みたいな挨拶、要らねぇよ」
「そうなんですか? じゃ、えーと……また後ほど?」
「このお坊ちゃまはどうにかならんのかな、まぁ良いや、席次が無いんだよな。どこに座って良いのか分からねぇよ」
言われて周りを見ると、クラスにはもう白服も黒服も、たくさんいた。
一部に既に座っている人もいるが、単に腰掛けとして利用しているだけの様で、教室の正面に向けてすら座らずに、誰かと話をしている。
と、階段の方から、規則正しく硬い足音が複数響いた。
それまでガヤガヤと喧噪に包まれていたクラスが、さっと静まり返る。
学校では、それぞれのクラスに「担任」という呼称で先生が付く。
説明書きを読んだ時最初よく分からなかったが、どうも常識らしく、ごく当たり前に担任のことは触れられていた。
どんな専攻部門を持つ先生が付くのだろう。
それぞれ全然個性が違いそうなクラスの面々を、どう訓練していく方針なのだろうか。
新しい学びが出来ることに楽しみを覚える反面、相性の合わない先生だったら厳しいなと、不安もまた湧いてきた。