第21話 遠回りの魔法陣、まっすぐな気持ち
「お待たせー、どんな環境かわかんないから、とにかくいっぱい持った」
そう言ったロザリアの足下には、大きな肩掛けのバッグが置かれていた。
「こっちも連絡付ける事が出来たよ。一度先生のお宅に寄って、全員で魔法院に行く行程になるよ」
僕がそう言うと、ロザリアは改めて少し緊張した様子で、息をフッ、フッと二度吹いた。
「魔法院か……いきなり解剖しますとか言われないと良いんだけど」
「あーそれは無いみたいだよ。極秘だけど、って前置きがあったけど、魔法院でもホムンクルスの研究はされてるんだって」
「へぇ……行き着くところは、誰も同じってところなのかな」
「どうなんだろうね。僕は魔法の研究系には疎いからよく分からないけど、研究の行き着く最終地点は、そこなのかもね」
ロザリアは、かなり重たそうなバッグをひょいと軽々と担いだ。
この家の魔力環境が力を出させるのか、身体強化魔法なんかを使っているかのは分からない。
ただ担ぎ上げた時に重心がブレるくらいには重たいバッグの様だ。
「ロザリア、正直言って今僕は迷子なんだけど、ここからどう行けば大公領大使館の道に出られる?」
「あぁ、普通に馬車で進む限りだと、どんなに進んでも出られないよ。行き方があるんだ」
ロザリアが少しバッグに振り回されながら、正面の扉を開け放った。
「御者! お前がゲストを迎えに行った所まで、僕らを運んでくれ!」
お、お? 随分と荒っぽい言葉を御者さんに使う。
無口な御者さんだったが……ん? ひょっとすると……
「御者さんも、ホムンクルスだったりする?」
「だったりするよ。出来は……まあ、指示通り動く程度」
「ホムンクルスの人達は食事ってどうしてるの? 何も食べない訳じゃ無いよね?」
「食事? しないよ。代わりに地下のタンクに沈んで、休息しながら栄養補給って感じ。
あれ、風呂も兼ねてるからね。便利でしょ」
ふむ……なるほど。
あの赤い液体タンクが、ベッド・食事処・お風呂兼用、と言ったところなのか。
そうこうしている内に、入口の近くに馬車がやってきた。
御者さんは相変わらず言葉を発さず、黙々と馬車にステップを付けている。
「さて、載っていこうか。急ぐ必要はある?」
「どうかな。院長先生、通信の感じからするとそんなにお急ぎな感じはしなかったよ」
「じゃあ、ゆっくり行こうか。あんまり遅くなりすぎてもいけないけれど」
御者さんによって馬車の扉が閉じられる。
すぐに馬がいななき、馬車が進み始めた。
「そう言えば行きの馬車で思った事なんだけどさ、ロザリア」
「うん? なんだい?」
「うちの馬車ってさ、馬車の車輪に魔法をまとわせて、この石畳がコトコト言って揺れるのを防いでるんだ。
ロザリアの魔力を考えたら、その位のことは容易に出来そうなのにしてないのはなんでかなって」
「それ自体は確かに容易に出来るんだけど、敢えてしてない、が正解かな」
「敢えて? 魔力の浪費になるからとか?」
「いや、もう少しややこしい理由でね。もうちょっとしたら解説するよ」
そんな事を言っていると、また馬車がおかしな方向へ曲がり始めた。
右折・左折・左折とかなら理解も出来るが、短い距離で左折・左折・左折と連続で左折する様なこともあるので、違和感が非常に強い。
「ロザリア、この馬車が取ってるルートって、何か魔法的な意味があるの?」
「おっ、鋭い。実は馬車の通る道でもって、魔法陣を描いているんだ」
「魔法陣を? 相当大きな魔法陣じゃん」
「そうだね。ぼくの家の場所は、王都外周部でも少し離れた所になるんだけど、絶対普通には辿り着けない様にしてある。
研究してるものがものだからね。間違って入ってこられても困るから」
「そっか。じゃ今は、走路で魔法陣を描きつつ王都内部への道を作ってる最中、ってとこ?」
「そんなところかな。さっきの車輪の保護の件も、それをやると魔法線が綺麗に残りすぎるんだ。
あまりに綺麗に残ると、探知や再描画も可能になってしまう。それは本当に、色々マズい。
物取りがうっかり魔法陣を開いてしまって、王都に凶暴なホムンクルスが多数なだれ込んだら、ね」
それは確かに非常にマズい事態だ。ホムンクルスの管理も大変なんだな。
ロザリアの魔力食事の件だけ解消しても、まだまだ山盛り、問題は残りそうだ。
「ところでフィロス、サーティアとの進捗は?」
「えっ!? な、なんで急に?」
「いや、急にでもないかなーって。ふと思い出しただけ。
――そう、例えば“昨日の夕飯なんだっけ?”って考えるのと同じくらいの軽さで」
ロザリアは不意に気取ったような、吟遊詩人にでもなったかの様な顔付きで言う。
馬車の窓に肘をついて、遠くを見ながら鼻歌交じりに。
「で? どうなの?」
「ど、どうって……サーティアは、その、友達、だよ。うん」
「ふーん。じゃあ、あのネックレスも“友達に贈るだけの軽い気持ち”だったんだ?」
「う……」
「5万ゴールドクラスの軽さ。羽毛より軽いね」
「う、うぐ……あれは、えっと、小切手で――」
「金額の話じゃないよ。気持ちの話。……まあ、金額もまあまあすごいけどね。5万ゴールドあれば立派な馬車が買えるよ」
ロザリアは肩をすくめた。
どこか呆れたような、でも笑っているような、不思議なニュアンスで。
「フィロスさ、“知ってから告白する”って思ってない?」
「えっ、違う……の? だって、よく知らないのに告白するなんて、サーティアにも失礼だし……」
「僕からすると“告白した後でようやく知れること”って、結構あると思うんだよねぇ」
「そ、そんな無責任な……!」
「無責任なんて事は無いよ。近付いてみて初めて見えることはたくさんある。離れて見てるだけが付き合い方じゃないさ」
「……確かに、そうかも知れない」
「フィロスは重く考えがちだからさ。まず気楽に一歩踏み出せばいいじゃん。重く構えずに、さ? ねぇ付き合おう? くらいに。
そもそも貴族なんて大体、既成事実が先で後から書類で後始末する生き物じゃん?」
「貴族は確かにそんな人が多いけど、でもサーティアにはそんな風には――」
「特別視かい? でもそもそも、彼女のことを考えてる時間、最近けっこう長くない?」
「……っ!」
「そりゃね、フィロスがぼくのこと気にかけてくれてるのは、すごくありがたいし嬉しいよ?
でも、それと“きみの未来”は別口じゃない? ぼくに時間使って、きみがきみの人生のチャンス逃すのって――なんか、人生がもったいない」
ロザリアは背伸びをして、静かに言った。
「それに……僕はこんな身体だし存在だから、恋愛なんて一生縁はないからさ。仮にあっても、付き合う相手は日に日に老けていって、死んでいく。
同じ人間だから、同じ様に老けていって、同じ様に歳を取って、どちらかがその最期を見送って。僕には縁の無いことだからね、うらやましいよ、正直言えば」
ロザリア……
その諦観した表情の独白に、僕は添える言葉を見つけられなかった。
少しの沈黙の後、ロザリアは優しい声音で言った。
「約束しよう? この一件が落ち着いたら、彼女に自分の言葉で想いを伝えるって。
もちろんきみの選択だから、言わない、ってのもありかもだけど……言わないまま後悔するのって、多分一生の後悔になるよ」
「……うん、考えてみるよ」
「考える、ねぇ。考えてる間に誰かに取られても知らないよ?――サーティア、けっこうモテるし」
「……えっ!?」
「今ならまだ、誰よりも先行してる状態だよ、フィロスくん?
でもチャンスって、意外と“声をかけた者勝ち”だから。早くした方が良いと思うよ」
ロザリアはそう言って、僕の肩を軽く指先で突いた。
重くない。でも、拒めない重さがあった。
そうこうしていたら、馬車は止まった。
窓の外に目を遣ると、中からセバスが駆け寄ってきていた。
あんなに急いで何事だろう、そう思った僕がいささか浅はかだった。
馬車の扉が開かれたので、セバスに声を掛けた。
「どうしたの? そんなに焦って」
「前院長閣下がお見えになられております! 先ほどよりお待ちです!」
ひえっ。気楽に構えていたら、院長先生をお待たせしてしまう羽目に!
「どうしたの、フィロス?」
「い、院長先生が、大使館に」
「……それって、ぼくに取って初対面で遅刻するサイテーな奴みたいになる予感なんだけど」
「か、寛大な先生だから、大丈夫だとは思うけれど……でも急ごう!」
僕は馬車から飛んで降りた。ロザリアも続いてステップをダダンと降りた。
「セバス! 先生は今どこに?!」
「大使公邸側の応接室にお通しし、お茶とお茶菓子で時間をしのいでおります」
「と、取りあえず急ごう! 待たして良い様な相手じゃない!」
僕は大使館に付随する大使公邸の扉に駆け込んだ。
大使公邸は僕の部屋もある私的な空間だが、やはりそれなりの場所ではあるので、応接室はある。
その応接室に、あろうことか院長先生を待たせてしまった。僕は急いで応接室の前まで進んだ。
一呼吸。落ち着かないので、もう一呼吸。
静かに、けれどハッキリとノックをした。
「どうぞ」
中から上品な女性の声がする。僕はロザリアを一瞥し、そして扉を開いた。
応接室の中へ入ってすぐ、僕は頭を思いきり下げた。
「先生が大使館まで来て下さるとは思わず、お待たせしてしまって申し訳ありません!」
「いいのですフィロス。単に私が待ちきれなかっただけのことですから」
コト、とカップアンドソーサーが机に置かれる音がする。
どうやら御不興を被ったということは無さそうで、少し安堵した。
「先生、こちらがロザリア・ピーターソン。通信でお話しした、件の張本人です。
ロザリア、あちらは魔法院前院長閣下、ソフィア・ルータイト先生。今は第一線からは退かれ、後進の指導に当たられてます」
「あらあら、フィロスも立派に人の紹介が出来るようになりましたね。あなたのおじいさまの策略は、良い具合に当たったようです」
優しそうな微笑みを浮かべる、老貴婦人。
白い小さなハットに金の鎖がアクセントの今日のファッションは、幸いにも戦闘訓練のそれでは無い。
「フィロス、この『先生』にどこまで話したの? ぼくのこと」
「分かる限りのことは。ロザリアに許可を取らなかったのは悪かったと思うけれど、
院長先生で解決出来なれければ、多分他の誰も、解決は出来ない。だから全部話してある」
「あなたがロザリアさんね? 自分のことを知られてしまうのは、やはり不安の方が大きい?」
「そりゃ……そ、そうです。何をされるのかも分からなくて、ただ相手が情報だけを持っている状態は……」
「フィロス。あなたロザリアさんを安心させる気配りの一つも出来なかったの?」
「も、申し訳ありません……」
来たっ。院長先生のドスのきいた、丁寧な言葉のビンタ。
「ただでさえ自分の出自を探られる不安を抱えているのに、友人であるあなたが支えなくて誰が支えてあげられるの」
「は、はい……」
「ロザリアさん、不安だったでしょうね……でも安心してね。魔法院での検査で痛いのはちょっと針を刺すくらいのもので、
それ以上苦しんだり辛かったりすることはありません。むしろ少し退屈だと感じると思いますよ」
「は、はぁ……具体的には、何をするんですか?」
「最初に、採血をさせてね。血液から分かる情報は、とても多いのです。
そこからは、機械を用いた検査が主になります。まず、身体を透過する光を利用した、体内の写真撮影。
それから磁石を使ってあなたの身体の詳細なモデルを作り上げる機械の中に入ってもらいます。
さっきも言いましたが、痛い苦しいはないですよ。ただ、その機械は『動かずに30分』そのままでいてもらう必要があったりするので、
退屈で仕方ないかも知れないわね」
「それで……何か分かるんですか?」
「まずどちらかと言うと、あなたが他の人とどこが違うのか、違わないのかを確かめることが第一義です。
違うところがあれば、そこはより慎重に、出来るだけ傷を付ける様な処置を避けつつどういう組織なのかを観察します。
ただ、恐らく一番違うのは血液でしょう。最初の採血、つまり血を少しもらうんだけれど、そこから分かる情報が一番多いでしょうね」
頭を下げたままロザリアを覗き見ると、イマイチピンと来ていない様子だった。
魔法院は、その名に反して存外物理研究が盛んで、医療に於いてもその影響は強い。
身体を透過する光、それに磁気を使ったスキャン。その辺りで、ロザリアの身体のデータは、他者と比較可能になる。
加えて採血の上詳細な検査がされれば、極論持病があればそれだって分かってしまう。魔法院は最先端の医療施設でもある。
「フィロス」
「は、はいっ!」
「今日はあなたの大切なお友達もいるから、懲罰的訓練は無しにしておいてあげます。
もっと友人を大切にする心を養いなさい。友人の不安に寄り添いなさい」
「はっ、はい! そのように心掛けます!」
懲罰訓練が回避されたことに、僕は顔に出さないよう気をつけながら、心底安堵した。