9.懸命な一撃
試合が始まった途端一瞬にしてヌルの姿と気配が消えた。だがその刹那、彼女はロウの後方に立っていて拳を放っていた。ロウは危機一髪のところで彼女の拳を受け止め、カウンターを取ろうとするが、すぐに重い打撃が横から加わった。
蹴り倒されたロウは瞬時に立ち上がり、ヌルの方へ飛翔する。
「基礎魔術、雷蛇の牙!!」
「基礎魔術、疾風の摩天楼」
ロウが放った電撃はヌルが発生させた風の塔によって防がれた。ロウは体勢を整えて次の技を繰り出そうとする。それに対してヌルは未だに疾風の摩天楼を発生させている。その理由がネアには分からなかった。早く次の技に移行しなければロウが摩天楼を超える技を出してくる。魔術を発動し続けたままだとロウの攻撃を避けるどころか、攻撃の威力に耐え切れずバランスを崩してしまう。そしてバランスを崩したところでロウが連続攻撃をすればヌルは防御もまともに出来ず、負けざるを得ない。
「カイ、このままだとロウが勝つよね?」
隣の友人に共感を求めてみる。カイの返答は早かった。
「いや、負けるね。摩天楼の中をよく見てみろよ」
ネアはもう一度摩天楼に目を向けてみる。すると、渦の向こう側で何かが光った。
「あれって…」
「ロウが放った雷撃だよ。ヌルのヤツ、ロウの攻撃を防いだんじゃなくて吸収したんだ。それを相手に悟られぬように上手く隠してる。恐らくあの技はアハト様から伝授されたモンだろうな」
「じゃあロウはそのことに…」
「気付いていない。なおかつ渦の中の雷撃は既に力を増している。今逃げても多分間に合わないだろう」
これをまともに喰らえばロウが確実に負ける。
新たな一手を出していたのはヌルの方だったのだ。
ロウは右手に魔術を発生させ、雷によって生成された槍を掴み、ヌルに狙いを定める。
この一撃はどんな攻撃よりも速い。なおかつ、俺は狙いを外さない。放てば一瞬でヌルの急所を貫けるはずだ。
「基礎魔術、雷神の槍!!」
槍を放った瞬間までヌルは動かなかった。
これで勝った。ヌルもここまでだ。
槍はヌルの急所を貫き、部屋の壁に突き刺さった。
ロウは目を疑った。
槍が貫通した後、ヌルの輪郭は徐々に揺れ始め、最後は朧となって消えてしまった。
「基礎魔術、風の魔影」
声は、摩天楼の中から聞こえた。ロウが摩天楼の方に目を向けた瞬間、魔術は発動した。
「複合魔術、神風神雷」
魔術が発動した瞬間、ロウの雷蛇が摩天楼の外側に現れ、渦を巻きながら天に向かって上っていく。そして頂上に達した瞬間、雷蛇は一匹の雷龍へと姿を変え、最後は咆哮を上げてロウの元へ向かっていった。
ロウに逃げ場なんて無かった。矛先上から免れようにも竜巻が両側を塞ぎ、雷龍の視界から逃れられないようにしている。
「だったら!!基礎魔術、雷虎の咆哮!!」
龍と虎の激昂の一騎打ちとなった。だが勝負は既についていた。ヌルの雷龍がロウの雷虎を飲み込み、さらに力を増してロウへ襲いかかる。金色の光がロウを覆い、ネア達の前から彼の影を消し去った。
「ロウ!!」
ネアが前のめりになって必死に叫ぶ。
風と雷轟が鳴り止み、戦場に静寂が訪れた。視界を閉ざしていた粉塵が風によって払われ、視界が開けた瞬間、全員が絶句した。
ロウは身体のあちこちから赤い血を流して床に倒れていた。
早く治療をしなければ命に関わる傷だ。
「チッ、ヌルめ…」
ようやくノランが口を開いた。その瞬間、審判が口を開き、終わりを宣告する。
「ドゥオ、戦闘…」
「まだだ…!」
審判が宣告する最中、ロウは血まみれの両腕でなんとか身体を支えて再び立ち上がると、よろめきながらも拳を構える。
「まだ…俺は負けて…」
黒い影がロウを覆った。全員がヌルの姿を視界に入れた時には、彼女の拳がロウの溝内に食い込まれていた。
「グハッ…!」
目にも留まらぬ速さで拳を溝に入れられ、腹の底から血飛沫が上がる。
とてつもない威力だ。少女の拳とは思えない。
「けどっ…!」
ロウは地面を踏み込み、拳を投げる。だが軽々とかわされ、背に重い打撃を喰らわされる。
ロウは再び床を這うように倒れて静止した。さっきの一撃で骨が折れたのを感じた。恐らく立ち上がることはもう不可能だろう。
「まだ…だ…。まだ…俺は… やれるぞ…!」
「黙れ…」
ロウにさらに鋭い攻撃が加えられた。
「グッ…!」
ロウは力を振り絞り、なんとかヌルの片足を掴み、下から睨みつけ、血の滴る口を開いた。
「お前…何のために魔術習得してるんだ…?」
「あ?」
「はは…見りゃ分かるさ…お前が何のために魔術習得したのかを…。お前、俺達が憎いんだろ…?だから一歩間違えれば俺達を殺す程の威力で魔術を放ってる…。なあ、教えてくれよ…俺達がお前に何したってんだよ…?」
ヌルは暫くロウを見下ろしていたが、何かを決めたのか膝を曲げてさらに近い距離でロウを見下ろして口を開く。
「私の仲間はお前達、デミウルゴスによって殺された」
その言葉にネアは耳を疑った。
外から来た者の過去は施設の者、特に他の被検体には知らされない。だから本人の口からしかその過去は知ることが出来ない。
「そうか、だからあの時…」
『地上へ這い上がった悪魔は陽光に晒された瞬間、灰となって消え去る。それがお前達の運命だ』
あの時ヌルが言った言葉の意味。あれは、最終的にヌルが私達被検体(悪魔)を一人残らず根絶やしにするから、外の世界へと出られることは無いということを暗示していたのだ。
「お前らは全員、私の敵だ。お前達が生きていけば、また人は死ぬ。罪のない者達が殺される。だから最強になってお前達を殲滅する…。それだけだ」
ヌルは、自分の足を掴んでるロウの手を片足で踏みつけると、続いてロウの身体を蹴り続けた。鈍い音が鳴り響く度に血が飛び散って床につく。
「本当なら、ここでお前達を全員殺すつもりだった。なにせ将来、人を殺すのだからな。これで多くの者達の命が救われる。死んだ私の仲間の仇も討てる。お前達は本来、存在してはいけなかったのだ。恨むのなら私ではなく、お前達を生み出した創造主を恨むんだな」
「もうやめて!!」
甲高いその声にヌルの足が止められた。ヌルは、眉をひそめて、声の主へと視線を向ける。その途端、声の主であったネアは走ってロウの元へ駆け寄り、傷の具合を確認し始めた。
「ロウ、大丈夫?」
「…離れろネア…アイツは本気だ…。お前も…殺されるぞ…」
アルテイラーは少女の顔を見てニヤリと笑った。
「お前も、やはりそいつらの仲間だったんだな」
ネアの金色の瞳がヌルを映す。その目には悲しみの色が滲んでいた。
「もうやめて。今あなたがしてることは私達から見れば、大切な仲間があなたによって殺されかけてるのと同じよ。あなたが私達を殺してもあなたの憎しみの鎖が切れることも、悲しみがなくなることもないわ」
「お前達が始めた…お前達が生み出したんだ」
「分かってる。だからその責任をとります。私達は誰かを殺したりしない。そして、あなたを殺したりもしない」
「何を言ってる?そんなこと出来るものか。お前達の存在意義は人を殺すことにあるはずだ。人を殺さない以上、お前達が存在する意味は無い。ならば私が排除するのと変わりはないだろう?」
「いいえ。それでは、結局あなたが冷酷な人殺しとなってしまう。そして最終的にはあなたは一人になってしまう。私はあなたにそんなふうになって欲しくない。きっと死んでしまったあなたの仲間もあなたが人殺しとなることは望んでないはずよ。だから私は、あなたと友達になって分かり合いたい。その悲しみと私達の悲しみを一緒に浄化してあげたい」
その言葉を聞いた瞬間、ヌルは、腹の底から声を出し、ネアを嘲るように大きく笑い始める。
「盛大に笑ってやるよ劣等たる作られし者よ。クククッ…一つ教えてやろう。私とお前達が分かり合うことは決してない。なぜなら、お前達はもう私を赦しやしないからだ。無論、私もお前達を赦さない。だからなッ…!!お前の意志が私に通じることも分かり合うことも決して無いんだよ!」
拳と拳が打つかりあう鈍い音が弾いた。
「ッ…!」
赤く錆びた短髪に色あせた緑色の瞳、そして研ぎ澄まされた殺意。
「ノラン…?」
「俺の仲間に勝手に手ぇ出すんじゃねぇよ、よそ者が…」
「あ?」
ヌルは手刀をノランの首筋に向けて放つ。だが、手刀は一瞬にして弾かれ、矛のごときノランの足が溝に食い込んだ。
「グハッ…!」
久々に感じた苦痛が身体前身を蝕んだ。威力に任せて体が後方へと飛び、壁に打ちつけられた。
感覚と意識が、消えつつある。おまけに口の中はたった一発で赤一色に染められ、慣れぬ鉄の香りが漂ってる。数が一つしか変わらないのにこれほどの実力差があるとは。しかも、自分と同じように外からやって来た者のくせに。
ギシギシと痛む腕を壁に立てなんとか身体を持ち上げる。
壁側を見ると、アハトが腕を構えて冷酷な眼差しでこちらを見ていた。
『先生が見ている。ここで止まってたまるものか…!』
立ち上がる寸前、誰かがヌルの肩を掴んだ。それは優しく触れるようだが力強く、今の彼女を引き止めるには十分な力量だった。
『アンタ…何してるのよ…』
「ッ…!」
久々に聞く声だった。透き通っていて落ち着くその声は持ち主とは真逆の性質を持っていた。
「神室…?」
『振り返らずよく聞きなさい。今あなたがしてることは私達を殺したギルスと同じことよ』
「な…何言って…。違う…私は神室達の仇を…これ以上犠牲者が生まれないように…」
『ふざけないで。アンタを信じようとしてる人を殺して誰が喜ぶのよ…』
「ッ…!」
『あの子達を守り抜きなさい。そしてたとえ全身が変わり果てたとしても、あなたは誰かのために生きなさい。今からでも遅くはない。破壊するのではなく、今あるものを全身全霊をかけて守り抜きなさい。私が命をかけてあなたを守り抜いたように…』
枯れていたのではなく、熱く溜まっていたものが尾を引いて流れ落ちた。もう涙を流すことはないと思っていた。日々の訓練の中で私の涙は枯渇してしまったと思っていた。だが今、確かに私の頬を乾いた大地に水が流れていくように伝っている。
そういえば、あの時なぜ神室が自分を助けたのかをずっと考えていた。
私がこうなることを神室は分かっていたはずだ。彼女は頭脳明晰であった。自分を殺した人間がその後、何をするのかある程度予測していたはずだ。
彼女は大切なものを一つでも守り抜くことを目標としていた。だから命をかけて守った。そして私に託していた。誰かのために生きていくことを。たとえ、それが困難な道であったとしてもそれは逃げずに立ち向かえという神室からのメッセージだったのだ。
私の方が強さを履き違えていた。
それを知った時、身体中が震えた。
「わ…私は……」
人を傷つけるだけでなく、殺そうとしていた。神室が願ったことと逆のことを私はしてしまったのだ。取り返しがつかないことをやってしまった。
微かに風が頬に触れた。視線を上げたとき、そこには錆びた赤と色褪せた緑があった。避けようがない。今ここで動いてもどうすることもできない。その瞬間、全身に絶望と死の樹木が深く根づいた。
「終わりだ。死ね」
「ハッ…」
目の前で拳が受け止められ、徐々に下がっていった。刹那の間にそこにはいなかった人物がノランの拳を軽々と捉え、動きを封じこめる。
「先生…」
「もう十分だろうウーヌス。下がれ」
「クッ…」
アハトの言葉に準じてノランは殺意をしまった。流石のノランでもアハトの前では逆らうことは出来ない。
「何をしてる?模擬戦試は終了した。お前達も下がれ」
「は、はい…」
周りでは3人を見ていた者達がアハトの言葉に従って虫のごとく散っていった。床に倒れていたロウは仲間に抱えられて医務室に運ばれ、ネアはカイと共にロウの後を追っていった。ヌルは静止したまま動くことはなく、ただ片目から溜め込んだ分涙を流し続けていた。
全員が部屋から出て、アハトと二人だけになると、今自分がいる部屋はとても広すぎるように感じた。
アハトは膝を曲げ、ずっと下を見続けているヌルと顔の位置を合わせる。
「ヌル、貴様は今何を考えている?」
「…」
「答えろ。それとも私の質問を無視するのか?」
「…ません…」
「ん?」
「すみません…感情的になり過ぎました。本音を告げてしまった…。このままじゃあ先生も無事ではすみません…。罰なら受けます…」
「お前の本音は私が展開した魔術によってあの4人の被検体しか聞いてない。だが、お前の言ったように感情的になり過ぎた点に関しては無視できない。よって、私はもうお前を弟子とは認めない。感情に左右される弟子は私には不必要だ」
その言葉に思わずヌルは頭部を勢いよく持ち上げた。黒曜の瞳がアハトを映しながら微かに震える。
「そんな…。先生無しで私はどうすればいいのですか…?」
「今後はサカヅキがお前の担当となる」
「サカヅキ…?」
「サカヅキ・アグレティオ、デミウルゴスの創設者の一人だ。お前の兄は彼によって保護されている。これでお前も私も、少しは気が楽になるだろう。今後はあの子達とも仲良くやるんだな」
そう言ってアハトは踵を返し、出口を去っていく。
「ま、待って…先生…!」
ヌルは恐る恐るアハトの背中に向けて手を伸ばし、師を呼び続ける。ヌルの声にアハトは足を止めた。だが振り返りはしない。そのことはヌルにも分かっていた。
だから腹部を押さえつつ両足で立ち上がり、一歩ずつアハトの方へ歩み寄る。
「認められません…。私は、アハト・テルアドの弟子です。だから絶対に…あなたから離れたりしません…!」
「ならばこうしよう。もし、私に勝てたらもう一度弟子として認める。だがお前が負ければ、私の言葉に従ってもらう」
「…分かりました」
「ならば、お前の全力を私にぶつけてみろ」
刃が普段の2倍の速さで向けられた。ヌルは、間一髪で、アハトと壁の狭間から抜け出すと、すぐに体勢を立てアハトの攻撃を防ぎに入る。だが瞬きする間に距離は詰められ、1秒にも満たない速さで刃が向けられた。
いつもと動きが違うことは明らかだった。魔術を発生させる暇がない。やはりまだ力を隠し持っていた。
「どうした?お前の全力とはその程度か?」
「クッ…!」
「本気で私と共に生きるつもりか?兄はどうする?彼に会いたければサカヅキの下につくしか術は無いぞ?」
アハトの向けた刃が皮膚を切り裂き、血しぶきを上げた。だが2年前に比べれば少量だ。ヌルは反撃を挑むが相手の攻撃をかわすので精一杯だった。以前の自分なら。だが、今は違う。この3年の地獄のような日々を乗り越えてきたお陰で、反射速度と瞬発力は莫大に上がり、課題だった回避能力も磨きあげられた。そして持久力も。これも全て今目の前にいるアハトのお陰だ。
「自分の力で兄は取り返してみせます。だからそのためにあなたの力が必要なんです」
「結局貴様は私を利用したいのだろう?貴様の復讐劇を披露するためにな」
「違う…!!私があなたの弟子でありたいのは復讐のためじゃない!あなた達と本当の意味で分かり合うためだ!!」
ヌルはアハトの刃を避けながら距離を置き、瞬時に魔力を込める。ロウとの対決で魔力がほとんど残っていないため、一発が限界だろう。
感情を鎮め、残された魔力を一点に集中させる。
他のことは考えるな。余計な感情は流せ。
魔力を一点に閉じ込めろ。魔力の熱で手に穴が空くほどに。
一瞬もアハトから目を離すな。機会を逃さず、掴み取れ。
その刹那、全身が合図を告げた。
「基礎魔術、開闢の神槍!!」
研ぎ澄まされた魔力が一瞬で放たれ、雷撃である神槍は光と同等の速さでアハトに向かった。矛先はアハトの急所。魔術で防ぐ暇も回避する余地もない。この攻撃は逃れられない。
とん、と、背中を誰かが押した。神室の手とは違う。さらに大きくて細い。
1秒にも満たない時間の流れが、なぜか数秒にわたって流れているように感じた。
「タイミングは悪くなかったが、着眼点が悪かった。人は見えてるものが全てではない…」
気付けば目の前にアハトの姿は無い。
「ッ…!!」
即座に振り返る直前、彼の魔術は発動した。
「基礎魔術、断罪の血樹」
その瞬間、触れていた部分から根が生え巡り、体内で一つの樹木が幹を伸ばし、枝を外へと突き出す。
体内から突き出た岩石の枝がが紅く色づき、一本の紅い樹が高くそびえ立つ。
「グハッ…」
大きく血を吐いてをしてヌルは床に倒れた。その瞬間、樹は枯れて消えていく。身体の真ん中に風穴が空き、そこから次々と血が流れていく。
弟子を殺すために樹の種を彼女に植えたのではない。
アハトは金属で傷口を防ぐとヌルを抱き上げて出口の方へと向かう。
部屋を出る途中、不自然にアハトの足が止まった。
微弱な力でアハトの腕を掴み、動きを阻止させる。その根性には流石のアハトも驚愕した。顔には見せなかったものの、彼女の芯の強さと生命力に言葉を無くした。
「まだ…終わってなんかいませんよ…」
「コイツ…」
自分ではない。今ここに居ない者が彼女を奮い立たせている。それも、絶望を上回るほどに。
「いや〜すごいものを見せてもらったよ。これじゃあ流石のアハト君もお手上げか」
不意に前方から言葉が放たれた。ハッとして声のする方に目を向ければ、そこには黒い背広を身に纏った、カーネーションの髪に、右側の額に頬にかけて変則な薄い傷のあるマゼンタの眠そうな双眸を持つ男が…。
男はアハトと目があった瞬間、ニッコリと微笑んだ。
「やあアハト。元気にしてたかい?」
「サカヅキ・アグレティオ…」
デミウルゴスの創設者の一人が目の前に立っていた。