8.本当の強さ
地上任務が実行されて2年後、彼女達は無事帰還した。2年という月日がヌルにとって大きく成長することが出来た期間であったことは、彼女の容姿から見て分かるが、何よりもはっきり現れてるのはアハト様とのやりとりの様子だった。2年前までアハト様に自ら口を開くことは許されざる行為だったが、今ではヌルが自ら口を開く行為に対してアハト様は何も言わずに彼女の言葉を聞き入れている。その時のアハト様とヌルの心情は恐らく、表情には出していないものの、お互いに会話することに対して楽しさを感じていることだろう。
ヌルが負傷したという傷は、帰ってきた瞬間すぐに分かった。恐らくアハト様の元に駆けつけた瞬間、黒魔術によって左腕全てを失ったのだろう。その証拠に左肩から下はアハト様が魔術によって与えたのであろう、鉄によって生成された自動式の義手が接続されている。
アハト様はそのことを気にかけているようだった。毎日、訓練の後に腕の状態を調べている。本人が平気だと言っているにも関わらずだ。
他人を気にかけるアハト様を見たのは初めてだった。この2年間の間で一体何があったのだろうか。
「デケム、こっちに来い」
ふと、部屋の中からアハト様が私を呼んだ。そのことに隣にいたヌルは微かに驚いているようだった。呼ばれたからには仕方なく、私は恐る恐る二人の元へ近付く。するとアハト様は視点を私に、そして片手をヌルの方へ向けて口を開いた。
「デケム、君にはまた彼女のメンテナンスを頼みたい」
「えっ…でも、もう強化手術は終わりましたし」
そのことに対して付け足すように私に続いてヌルも口を開いた。
「先生、メンテナンスなら他の回復魔術師にも頼めます。わざわざ被検体に頼む必要は無いかと」
「いいや、そもそも私はここの回復魔術師を信頼していない。実際、彼らの痴なる行動のせいでお前は瀕死の状態に陥るところだった。彼らに任せるよりデケムに任せた方が安全だろうしお前のためにもなる」
「それはどういう意味ですか…」
最後の言葉に疑念を抱く弟子に対してアハトは黒曜の瞳を見つめて質問に対する回答を述べる。
「そのうち分かる日が来る。デケム、私の弟子のことは頼んだぞ」
初めてアハト様に期待の言葉を送られ、過去のヌルの言葉を思い出すことなく私は思わず「はい!」と大きな声で返事をしてしまった。私の返事を聞いたアハト様は、それ以上何も言うことなく私と弟子より先に出口の方へ向かうとそのまま部屋を出て行ってしまった。
静寂が私達の元に訪れた。だがそれも刹那に過ぎない。私が沈黙を破ってしまったからだ。
「えっと…2年間の地上任務お疲れ様。第4属性は得ることが出来た?」
「まあ…」
「へぇ〜何の属性を手に入れたの?」
「極秘だ」
「そうなんだ…。ごめん、知らなかった。左腕は大丈夫?痛かったりキツかったりしない?」
「問題無い」
この2年で、さらに人形になってしまったなと思わずにはいれなかった。アハト様と楽しそうに会話してたから大丈夫だと思ったが。なおかつ、返答が早すぎる。やはりヌルにとってアハト様以外の者との会話は鬱陶しい上に時間の無駄なのだろう。
ヌルとの対話は難題だな。
「お前は、少しは強くなったか?」
「え?」
ヌルからの唐突な質問に思わず期待を寄せて視線を向けてしまった。だが質問内容をもう一度意識してしまった途端、その期待も泡のように消えてなくなった。
「変わっていないのか。明日の模擬戦でお前の強さがどの程度のものか確かめれると思ったのだが」
「私は、模擬戦に参加しないよ」
すると微かにヌルの視線が色を変えた。
ずっと様々な視線を向けられたから今彼女がどのような心情で私を見ているのかハッキリと分かる。恐らく彼女は被検体が番号によって能力の高低が定まっていることを知らないのだ。
「ここの被検体はね、1〜10まで番号がつけられていて、それによって能力の高低が決まるの。私は被検体10の最も能力が乏しい被検体。あなたは例外の被検体00。つまり私達の中で最強の被検体。だからアハト様はあなたを最強にしたがってる」
ヌルの視線の色がまた変化した。
これであなたもここの職員と同じ目の色を持つことになる。自ら弱みを晒したことに後悔はしてない。いずれ知ることだから。
するとまた視線の色が変化した。
「番号なんて、そんなものはただの数字だと先生は言っていた」
「っ…」
「生まれながらの能力で見込みのあるかどうかを決めつけるのなら、お前達以外の人間はほとんどが10以上だ。それともお前、人形か…?」
「違う、私は人形なんかじゃ…」
「だったら少しは努力して強くなってみろよ。強さってのはな生まれながらに決まってるもんじゃ無い。己の力で掴むもんだ。それに、強さに高いも低いも、大きいも小さいも無い」
その言葉に、何かが抜けたような感覚がした。そして何かが自分の手を引いたような気がした。私はヌルの目をもう一度見る。
彼女は職員とは異なっている。今の彼女の色はそう、ロウやカイ、そしてノランと同じだ。
「お前が参加するかどうかは興味無い。今後は、くれぐれも強さの意味を履き違えるなよ」
そう言ってヌルは師匠の後を追って行った。私はヌルの姿が見えなくなるまで彼女を見つめていた。
「あんなこと言われたの、初めてだった…」
翌日、ヌルの力を試すための被検体達による模擬戦が行われた。
多くの被検体は彼女の力を知らない。外から来た者と聞いて、弱者だの楽勝だの決めつけて嘲笑う者もいれば、アハト様の愛弟子だと聞いて少々肩に力を入れる者もいた。ちなみにロウやカイ、そしてノランはどうかというと…。
「ヌルとの対決かあ!どうなるか楽しみだなー!」
「落ち着けよロウ。まあ、どれくらいのものなのかお手並み拝見といこうじゃないか」
「ナメた奴から死ぬな」
ロウとカイはヌルがとの対決を楽しみにしているみたいだがノランは彼女の様子から既に死の宣告を行っている。相変わらず反応が統一しない3人だ。
「そういや、結局ネアは参加するのか?」
「ううん。私は辞退したよ」
ロウは私の返答を聞くと「そうか〜」と少し残念そうに頭を下げる。カイは「ネアは俺達の回復専門」と言い、ノランは「その判断は正しい」とコメントする。最初にノランのコメントを耳にした時、それは私が被検体10だからそのように言ったのだろうと思っていた。
だが、まさかノランの言葉通りになることら恐らく本人とアハト様以外は誰も思っていなかっただろう。
試合開始5分前
ヌルは模擬戦用の衣装に着替え終えて、他の被検体を伺っていた。
「調子はどうだ?」
後方からの師の問いにヌルは振り返り今の状態を伝える。
「問題ありません」
「今回の模擬戦ではモデリガンと第4属性を使用することは禁止されている。お前以外、まだこの2つを手にした被検体は他にいないからな」
「分かっています」
「緊張するな、落ち着いてやれ。お前の力なら被検体04まですぐに片付くだろう。力加減には注意しろ。一人でも殺したら私の半身が消えるからな」
アハトを殺せる力のある者はそういない。万が一、被検体を殺してしまった場合、ギルスがアハトに罰を与えるのだろうか。考えても仕方の無いことだが、師であるアハトが死ぬことには何のメリットも無い。
「気をつけます。では行きます」
「ああ、期待している」
そして、模擬戦が始まった。ネアが辞退したため最初の相手は被検体09、ノイ。試合は10秒も経たないうちに終了した。
試合が始まってすぐ、ノイが魔術を放つ前にヌルはその場から動かずに魔術を繰り出した。
「基礎魔術、エンドフレイム」
その瞬間、戦場は業火に包まれ炎はノイを包み込み、瀕死の状態になるまで燃え続けた。
ノイが手を出すこと無く倒れたことに全員が驚愕し、唖然した。
「被検体09、戦闘不能」
審判が告げた瞬間、待機していた回復魔術師が駆けつけ、その場で治療することなく即座にノイを医務室に搬送した。
基礎魔術で被検体がここまでヤられたのは初めてのことだった。その後もヌルは一つの技で被検体05まで瀕死の状態へ追い込んだ。
5分間で半数の被検体を倒してしまった。
だがここからはそう簡単にはいかないだろう。
「被検体04、トゥオル。出ろ」
トゥオルはこれまでのヌルの圧勝振りに引き下がる様子を見せるかと思いきや、口の端を上げてニヤリと笑っていた。
「お前、もし俺に負けたら俺の女になれ」
「断る。かつお前は嫌いだ」
審判が片手を下ろし、試合は開始された。
ヌルはこれまでと同じ手でトゥオルに挑むが、エンドフレイムが放たれた瞬間、相手の大波によって初めてエンドフレイムが打ち消された。
その光景に周囲の者達はトゥオルに歓喜の声を上げる。
だが歓喜の声が上がろうと上がるまいとアハトはヌルから視線を外すことはしなかった。
「お弟子さん、ちょっと苦戦してるね」
ふとかけられた後方からの声にアハトは目だけを向ける。後方には高級感を漂わせる背広を纏い、律儀に瑠璃色の髪と唇上の髭を整えた男が立っていた。
「この程度の攻撃で倒れる奴じゃ無い。それより何しに来た?レオーネ」
「試合の見物と伝言を君に届けにね」
「誰からだ?」
「デミウルゴスの創設者の一人」
「サカヅキか。それで内容は?」
「そろそろ期日が迫ってるから早く受け渡して欲しって」
「自分にとって都合が良くなれば何が何でも奪う気か。悪いが私は弟子を渡すつもりは無い」
「おやおやサカヅキに逆らう気かい?彼相手じゃあ、流石に君でも敵わないよ?それとも、君はギルス側に立つ気かい?」
「貴様も言うようになったなレオーネ。私が奴の手下になると思うか?」
その答えにレオーネは軽く噴出して笑う。
「そうだね、君がギルス側に立つことは天地がひっくり返ってもありえないさ。じゃあ君はあの子をサカヅキに渡さないでどうする気だい?」
「さあな、まだ決まってはいない。だが決して、捨て駒にはしない」
「そうか…。だが、現実はそう甘くは無いよアハト。サカヅキは君があの子を渡さないことを既に予期していた。悪いけど、サカヅキの命令は絶対だ。命令に逆らうのなら相応の罰を与える」
「そういうのなら彼の罰を甘受しよう」
「言っておくが罰を受ける相手は君じゃ無い。彼女だ」
アハト目が大きく開かれる。
「ッ…なぜだ?逆らったのは私だぞ」
「嫌ならサカヅキの命令に従うんだ。それ以外にこの状況を打開する策は無い」
アハトは歯を食いしばって睨みつけながら視線を落とし、暫くの間黙り込むと小さく口を開いて回答を述べた。
「分かった、命令に従おう。だが条件がある。ディア・アイズを与える際は私に任せてくれ」
「友人の頼みなら、私の方でサカヅキに説得してみるよ」
その瞬間、轟音が空間を揺らし数本の稲光が一点に向かって地面をはい巡っていった。
数本の稲妻は全てトゥオルに命中し、彼を戦闘不能に追い込んだ。
トゥオルは黒焦げになって地面に倒れ、審判は試合終了の合図を行った。
トゥオルの様子を見て全員が絶句する。
「あれは一番酷いな」
「トゥオルが変なこと言うからヌルが怒ったんだろ」
ロウとカイはヌルに対する怒りより、トゥオルに対する呆れの方が勝っているようだった。まあ、当然の結果だろうと、ほとんどの者が納得していた。
「次、被検体03、ドレース、出ろ」
「おいカイ。次お前の番だろ?早く行けよ。それともビビってんのか?」
ロウがそう言うとカイは笑みを浮かべて右腕を高く挙げた。
「すみません、俺辞退します」
そのことに全員が目を丸くする。ここで初めて試合中に辞退することを選んだ者が現れた。それも上位3人の一人が。
「おいカイ、何やってるんだよ!」
「俺は戦うより見てる方が好きだし、今回の試合はそっちの方が面白そうだからな。それにこの試合で負傷して今後、彼女の心情がどう変化するのかを読み取れないのは正直つまらねぇからな」
「全く、お前なあ…!!」
「ていうことで審判、次に回して下さい」
審判はカイの辞退を認めて、次の番号へと移行した。
「次、被検体02、ドゥオ。出ろ」
ロウは拳を握り締め、口の中にある唾を一気に飲み込む。
正直怖い。勝てる気がしない。負けるならまだしも、死ななくても黒焦げになるのは考えただけでも背筋が震える。だが全力を出して挑むんだ。そしたらきっと黒焦げになっても何かしら得られるものがある。
「頑張ってねロウ!応援してるから」
「試合中ヘマしたら、たとえボロボロでもぶん殴るからなあ」
後方で心から応援してくれるネアと揶揄してくるカイ。そして無言のノラン。本当に俺達は反応に統一性が無い。まさに混沌。だがそれでも心の中では繋がってる。友情の絆が俺達を繋げてくれてる。だから無力じゃ無い。たとえ歯が立たない相手だろうと、俺達は負けたりなんかしない。
君もそうだろ?ヌル。
審判は手を高く掲げ、そして風を切り裂きながら一気に手刀を下ろす。
「試合開始」
開始のゴングが鳴った。