表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルクシオンの継承者  作者: 夏董象女
第0章 魔術者の子供達
1/64

1.始まりの涙

今思い返せば全ての始まりは、あの時流した涙だろう。あの一粒の涙が大きな川となり、幸せを流したかと思えば、苦痛も綺麗に洗い流してしまった。そして、川は次々と枝分かれし、様々な流れを生み出した。だから私はここにいる。10年前とは異なる世界で残された者を守るために私は戦っているのだ。

私がこの家庭に引き取られたのは一昨年のちょうど春から夏にかけてのこの時期だった。私には帰る家も無ければ両親、兄弟もいなかった。施設でこれまで育てられたが、束縛された生活が嫌いになり、私は一人施設を飛び出した。自由になりたかった。誰かと外の世界で普通に笑いたかった。柵に囲まれた敷地ではなく、どこまでも続く野原の真ん中で。

そんなものは無い。一人は嫌だ、寂しいと気づいた時、私は空腹と疲労で倒れ込んだ。倒れた私をたまたま見かけた一人の女性が私を彼女の家に連れて帰り、看病した。

彼女の名は志露坂 茜26歳。彼女は看護師だった。彼女は幼い頃に両親を無くし、一人で10も年が離れている弟を育ててきた。弟は酷く人嫌いな人だった。だが才能や技術は人より何百倍も優れていたため、小学3年の頃から学校に行かずとも同世代の者以上の技術と知識を自らの力で得ることが出来ていた。だが、たとえどんなに賢いだろうと、どんなに手腕が優れているだろうと、性格も人間性も小学生の頃のままだった。だからと言って子供のように駄々をこねたりわがままなわけではない。寧ろ遥かに大人びている。何が小学生までなのかというと人との接触だった。彼は私と出会うまで茜さん以外の人間とほとんど会話を交わすことなく生きてきた。なおかつ人間嫌いな性格。だから最初に引き取られた時は、他人に自分の名前を呼ばれるのも吐き気がすると言われたため、私は彼の名字、「志露坂」から取った「シロさん」という呼び名で彼を呼ぶことにした。彼は私のことを名前で呼ぼうとはしなかったが。

茜さんは弟と違ってとても優しい人だった。まるで心の隅から隅まで常に聖水で邪気を流し、清らかな状態を保っているかのように。茜さんの笑顔は暖かかった。まるで、真っ青な空に浮かぶお日様のように。茜さんと過ごす日々が私に勇気と生きる意味を与えてくれた。彼女との時間は私にとって幸せだった。

この時間がこれからも続くと、そう思っていた。

彼女が事故で死ぬまでは…。

引き取られてから一年後、彼女は交通事故で亡くなった。唐突すぎる出来事だった。正直、悪い夢を見てるのだと何度も思った。だが、この悪夢こそが現実だった。

茜さんが死んだ。それがシロさんの人間嫌いをさらに悪化させた。ようやく私に対して口を開くようになったシロさんは茜さんが死んでからというもの、口を開くことも目を向けることもなくなった。

それからの日々は絶望的だった。シロさんは私に対して、怨恨を抱くようになった。茜さんが死んだのは私が来たせいだと、そう言うかのように目があった時はそういう視線を向けてくる。

時が経つに連れ、そんな目をされても気にしなくなくなった。というか、受け入れるようになっていた。私がいたせいで茜さんは死んだのだとそう思うことにしていた。そう認識すると、なぜか死についてよく考えるようになった。元々身寄りのない子供だ。迷惑をかけるくらいなら、いなくなっても別に構わないだろう。

だがそう思う時にはいつも、茜さんの言葉が頭を過ぎるのだ。

「ナツが来てから、この家にも少し明かりが灯ったように感じたの」

「え?」

ナツというのは本名では無い。名前の一部を取った呼称だ。

私は茜さんの言葉に頭を傾げた。すると茜さんはニッコリと笑って私を見た。その笑顔がどうしても忘れられない。

「あなたは私達二人をお日様の下に導いてくれているのよ。あなたは気付いていないでしょうけどね」

「…茜さんはそう感じているかもしれませんけど、シロさんはきっと私がこの家にいることをあまりよく思っていないでしょうね」

「そうかもね。まあ、あの子は人と関わるのが苦手だからそう感じていてもおかしくないでしょうね。でもきっと、いつかは見方が変わる時がくるわよ。だから…」



あの子のことをよろしく頼むわね



記憶に無い言葉に私はハッとして目を覚ました。視界には薄暗い自分の部屋が広がっていた。どうやら寝落ちしてしまったようだ。だがそんなことに囚われている場合では無かった。

思わず辺りを見渡して声の持ち主を探す。だが、女性の姿はどこにも無かった。どれだけ祈っても、どれだけ泣いても、茜さんの姿はどこにも見当たらなかった。そのことに私は絶望する。茜さんが死んでから何度も何度も、こんな目覚めを送っていた。

「茜さん…茜さん…」

私には無理だよ。茜さんが生きていた時にすら、シロさんと分かり合えなかった。なのにあなた無しのこの時間の中で分かり合うなんて…


その時、ガタンという音が部屋の外から聞こえた。シロさんだろうか。音がしたのは台所の方だ。何か物でも落としたのだろうか。

私は恐る恐る扉の方へ向かい、ドアノブに手を差し伸べ、ゆっくりと回して扉を開ける。

廊下を見るが誰も居なかった。ということはやはり台所の中にいるのだろう。私は台所の方へ恐る恐る歩み寄る。たとえ、中にシロさんが居たとしても特に言葉をかけるつもりは無いが、流石に何かを食べないと倒れてしまう。

台所の入り口に踏み入れ、冷蔵庫に向かおうと視線を上げた瞬間、私は目の前の光景に絶句した。

「シロさん!!」

私はどうすれば分からなかった。だが、身体は勝手に動き出し、彼の手を必死に取り押さえて引き剥がそうとした。

「離せ!!なんでいつも邪魔してくるんだよ!!」

「だったら早くナイフから手を離して下さい!!」

シロさんはナイフを離すどころか刃先をより一層自分に近付けていた。少しでも力を抜けば、その刃はシロさんの胸を突き刺してしまう。それを考えるだけで汗が止まらなかった。手にまで汗が滲んで、シロさんの手から滑り落ちてしまいそうだ。

「シロさん!お願いだからナイフを離して!!」

その時、シロさんの黒曜の瞳がギラリとこちらを睨みつけ、次の瞬間罵声が私に襲いかかった。

「お前の方こそさっさと手を離せ!!もう俺達に関わるな!!お前がいたから…お前のせいで姉さんはあの日死んだんだ!!そうだろ?お前がこの家に来たせいで、食料の減りは加速した。なおかつ、あまり笑わないお前のために夕飯を作って喜ばせようとして、食料補充のために姉さんは時間を見つけて車で出かけた!夜勤続きの疲れ切った身体でなぁ!!俺だけがこの家にいる状態なら姉さんは決してそんな無茶はしなかった!!」

私はその言葉に何も言い返せなかった。そうだ、シロさんの言う通りだ。茜さんは、何度も無茶をしていた。私を喜ばせるために。

両眼が熱く濡れ始めた。頭と鼻がツーンと痛かった。

それはシロさんも同じだった。彼は涙を頬に一筋流しながら震えた声で私に言った。

「もう解放させてくれよ…。姉さんのいない世界に意味なんてない…。俺一人に意味なんて無いんだ。だから…」

それでもきっと、あの人は…シロさんが今しようとしてることに、決して頷いたりしない。

私はシロさんの手を全力で引き寄せた後、右手を白い手から離して彼の方へ伸ばす。そのことにシロさんも驚いたようだった。私は彼の表情、動作、思考を全て無視して、右手で彼の胸倉を掴み、グッと引き寄せて言った。

「この世界に無意味な人間なんていないと、茜さんはあなたにいつもそう言ってたでしょう!!それに、あなたが自殺したことに対して茜さんはあの世でどんな顔をすると思いますか!!」

「っ…!」

「茜さんが笑顔で迎えるわけがない…!!私だって嫌ですよ…!!シロさんが自ら命を断つことに対して何も言わないはずがない!!一人になりたくないのは私もなんですよ…!!」

目の前の黒曜の瞳は、揺れていた。いや、違う。揺れていたのは私の視界だった。気付いた時には、私は肩で息をしながら泣いていた。泣きながら言葉を溢していた。

「…死なないで下さい…逝かないで下さい…一人になるのは…嫌だ…」

そう言って私は泣き崩れた。思わずシロさんの手を放して、泣きじゃくんでしまったが、シロさんはナイフを自分の胸に突き刺すことはしなかった。ただ、静かに涙を溢しながら、嗚咽と共に泣きじゃくんでいる私を見つめていた。

私はただ、泣きながら謝り続けていた。『ごめんなさい…』と何度も何度も、この世にはもういない太陽に謝り続けていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ