後日談1
新年を迎えて数日が経過した。
年末にプロポーズを受けて、初めてショウ・ヨコヤマに会う日だった。
チアキの都合で、ここまで時間が経過してしまった。
実家に帰ったわけではない。
市場が閉まっているのに、生花を扱う貴重な花屋という都合で店を閉められなかったのだ。
神社などで使われる榊や家に飾る縁起物の花の注文があり、その上で成人式までの準備の打ち合わせが舞い込んだのだ。
宇宙時代ということもあって、生花は少数ながら流通している。
それこそ365日。24時間。
ネットで注文して自宅に宅配でもいいような気がする。
わざわざ花屋に相談しなくてもいいのだろうが、品数が多いと目移りしてしまったり、こだわりのある場合は、対面で選びたいものらしい。
肌を切るような寒さの中、チアキは慣れない恰好で指定された場所へと向かう。
完全に天候が選べるはずのコロニーなのに、吐く息が白いのだ。
地球に住んでいた以上に、『惑星CA‐N』の天候は暦に忠実だった。
指定された店は、チアキの住んでいる家からほど遠くない場所ではあったが、ややこしい場所にあった。
プリントアウトされた地図が同封された手紙が事前に届いていたし、チアキ自身も検索をした。
舗装された道を何度か曲がると、こじんまりとした喫茶店があった。
完全な個人店なのだろう。
移住が開始されたばかりの『惑星CA‐N』なのに、古民家のような雰囲気があった。
アンティークもいいところだった。
『地表主義』のチアキですらそう思ったのだから、かなり貴重な店だとわかった。
店のドアを開ける前にマフラーとコートを脱いで、左腕にまとめる。
初デートが今後の話し合いだと言うことだというのが、チアキらしくない流れだった。
「お待たせしました」
窓際で薄い端末を眺めていたショウにチアキは声をかけた。
公務員にとっては通常業務中だろう。
……時間帯的には休憩時間かもしれないけれど。
「それほど待ってはいません。
場所と時間を指定したのはこちらなので合わせていただいて光栄です」
ショウは顔を上げて、チアキを見た。
否応がなくチアキの心拍数が上がる。
もちろん異性とデートするなんて初めてということもある。
二人きりで食事をする、という展開は……同性であっても少なかったのだ。
「チアキさんでもそのような恰好をするのですね。
機能性重視だと思い込んでいたので、新鮮です」
ショウの目が細められる。
「……はい。
一通り、季節に合わせて外出してもおかしくはない服は持っているんです。
友人の勧めもありましたから」
チアキは緊張しながら答えた。
度し難い懐古主義のハルカ・モリヤのおかげで、冠婚葬祭や大口の取引相手に対するスーツ以外にも、それなりに華のある女性らしいワードローブを持っていた。
ベビーブルーのゆったりとしたシルエットのブラウスに落ち着いた色合いの膝下丈のフレアスカート。ストラップのついた靴に、書類一式が入るけれども可愛らしい印象のネイビーの合皮のトートタイプの鞄。
化粧の一つでもすればいいのだろうが、あいにくと基礎化粧以外の持ち合わせはなかった。
「では個人的に会う時は、このような姿を見ることができるのですね。
友人のセンスが良いのでしょう。
チアキさんによく似合っています」
ショウはさらりと言った。
顔面偏差値の高い男性に褒められるというのは、居心地のよくない、とチアキは痛感する。
社交辞令や色眼鏡かもしれないけれども。
馬子にも衣裳と言われた方がマシかもしれない。
そう思う程度には恥ずかしかった。
「あ、ありがとうございます」
チアキはとりあえずお礼を口にした。
「座って、お好きなものを注文してください。
苦手なものやアレルギーがおありでしたら、先に言ってくれれば、ある程度こちらで選ぶことができますが」
ショウに促されてチアキはソファ席に座った。
柔らかに沈みこむ感覚と手ざわりの良さにチアキは驚く。
地球にいた時から、講習会などで人体工学を使われた樹脂の椅子に座ったことは何度かある。
ハルカに誘われて個人店の木製の椅子に座ったこともある。
が、段違いに座り心地が良く、高級品だと言うことが分かった。
緊張感が増して、テーブルに置かれたメニュー表すら文字を追えない。
メニュー表は手書きで、銀河標準言語ではなく、チアキにも馴染みのある言語で軽食や飲み物が書かれていた。
しかも分厚い紙に書かれたメニューは合皮かもしれないが皮に包まれていた。
書かれているメニューも基本的だろうし、値段が高価すぎるわけではない。
下手したらごく普通のカフェの方が高いぐらいだろう。
女子会と称して連れて行かれた場所に比べたら、たまにはゆっくりしたい、と思って出せる程度の価格帯だった。
……この店の店主は、趣味で店を開いているのだろうか。
採算度外視、というどころの騒ぎではない。
チアキは唾を飲みこんだ。
「こういった場所が初めてなので、勝手がわからないのですが……。
ヨコ、……シ、ショウさんは普段からこのような場所でお仕事をしているのですか?」
「窓口業務に向いていないので、端末さえあればどこでも仕事ができます。
オンライン通話ができない場所は『惑星CA‐N』には存在していません。
守秘義務があるので、職場でないとできない仕事は存在しますが、通常業務でしたら、おおむねできるでしょう。
目立つつもりはないいのですが、職場でも浮いている存在なので、同僚たちの仕事の効率を下げてしまうようなのです」
「そうなんですか。
お仕事、大変そうですね」
チアキは思わず同僚にも、ショウにも同情してしまった。
毎日、顔を合わせなければならないのに、仕事の効率が下がるというのは良くないだろう。
「成果主義ですから、それほどではないです。
実力があれば問題視されることはありません」
ショウは淡々と言った。
意を決してチアキは口を開いた。
先手必勝ではないが、用件を言われる前に自分の意思を言っておきたかったのだ。
「誤解をしてもらいたくないのですが、結婚証明書の提出は待っていただけないでしょうか?」
チアキは切り出した。
プロポーズを受けておいて、こういった用件を言うのは難しい。
結婚という制度がすでに存在していない時代である。
『入籍』というのは古語であり、市民番号が割り振られている時代だから、一人ずつ戸籍を持っている。
結婚証明書は、『地表主義』のために取ってあるような書類形式にしか過ぎない。
独り暮らしをするために、物件を借りるための手続きよりも簡易なものだった。
身元を保証する人を探す必要も、収入が安定していることを証明することも、貯蓄があることを証明することも、成人年齢に達していることを証明する必要もないのだ。
緊急事態になった時の連絡先、死亡した場合の財産分与で揉めないための書類程度だった。
結婚をしたからと言って、姓を統一することもないし、住居を共にしなくてはいけないという強制力もない。
一応のところ州法が『惑星CA‐N』でも適用されるので、重婚はできないことにはなっている。
そのため、自由な考え方を持っている場合は、わざわざ結婚などしないのだ。
プロポーズをされたから結婚する、という図式自体が浮かぶのが前時代的なのだ。
わざわざ呼び出されたのだから、気を使って、結婚証明書を出すのではないだろうか、とチアキが思い込んでいるだけかもしれない。
勘違いだとしたら非常に気まずい話題だった。
「プライベートなことではありますが、チアキさんのデーターは閲覧させていただいています。
『地表主義』の方であれば当然の価値観でしょう。
ご両親に挨拶をしに行っていません」
あっさりとショウは言った。
「あ、はい。
プロポーズをされたと報告をしたら、パートナーを連れてくるように言われたのです。
お時間をいただいてしまって申し訳ないです」
チアキは安堵した。
いまだにピンとこないが、きちんと結婚をするのだと分かり、心配が一つ減った。
大昔のように戸籍が統合されることはないが、チアキの産んだ子は、ある程度の年齢になったら、好きな方の姓を名乗ることができるのだろう。
他の州では両親の姓を生まれた段階で併記する場合もあるという。
もちろん『惑星CA‐N』でも結婚証明書を出している二人の間に、子どもとして登録されている未成年にも認められている権利だった。
「やはり挙式は洋式ですか?
大昔は仕立てる職人もいたようですが、『惑星CA‐N』には存在していません。
他のコロニーでは生花のブーケすら怪しいでしょう」
意外なことをショウは言った。
『地表主義』の女性であれば夢に描くような願いだった。
結婚証明書を提出して、広いレストランを貸し切って、身近な人物を招いて祝ってもらう。
それだけでも、手間暇をかけてもらって、ずいぶんと心が広いパートナーだと言われる時代だ。
挙式なんて、両親の若かった時代ですら稀で、『地表主義』同士だから、こだわりすぎていると言われたものだ。
チアキは両親の若かりしウェデイングフォトを見たせいか、お姫様のような白いウェディングドレスを着たい、という思いはあったが、あくまで憧れにしか過ぎない。
公務員のショウにとっては、滑稽にも等しい思考パターンだろう。
「……いいんですか?
わたしの両親は本当に古風なので、挙式をしてからじゃないと証明書を提出させないとか言い出すと思いますよ。
ドレスはレンタルをするとしても……その、無駄なぐらい時間がかかります。
効率的ではありません」
チアキは目を瞬かせる。
式を挙げて、結婚証明書を出すなど、いつの時代だろうか。
『入籍』という言葉があった時代ですら、もう少し結婚に対するものはおおらかだったはずだ。
「私もチアキさんのウェデイングドレス姿を見てみたいです。
映像ディスクでしか見たことがないものです。
ブーケの花材はチアキさんの方が詳しいでしょうが、スターチスとカスミソウを入れてもらえませんか?
印象に残っている花なのです」
ショウは柔らかく微笑んだ。
現金なものでチアキの心臓は跳ねる。
時間をかけてゆっくりと結婚の準備をするなんて、ハルカのことを笑えない。
度し難い懐古主義者の友人であっても、陽気に指摘してくれるだろう。
ショウとは3年間以上の時間を積み重ねてきたけれども、交際らしき時間は一切なかったのだ。
お互いを知る時間というのはとても大切だろう。
「はい。
お任せください。
きっとショウさんの正礼装も素敵でしょうね。
ブートニアにカスミソウは地味なのですが、それを中心にしてもかまわないでしょうか?
古典的な話ですが、プロポーズの承諾に花束から返事として返した一輪の花を第一ボタンホールにつけたのが由来だと言われているので、……子どもじみていると思いますが、一生に一度なのでしたら、こだわりたいところなのです」
チアキは恥ずかしく思いながら言った。
恋人のいない歴と年齢が一緒という人生だったので、何もかもが手探りだった。
「名案だと思います。
まずはご挨拶に行く日取りを決めないといけませんね。
一般的なスーツでよろしいでしょうか?」
ショウは自然に言った。
きっと生まれも、育ちも、就いている職業すら違うのだから、価値観は天と地ほどの差があるはずだ。
それなのにチアキの価値観に寄り添ってくれるらしい。
学校に通っていた時代であっても、友人と呼べるような少数の人数の中にも、ここまでチアキの価値観を尊重されたことはなかった。
自己主張をしない人物は、大きな声を上げている人物に盲目的に付き従っていると思われている。
二度と地球の土を踏むことができなくても。
一生、『惑星CA‐N』から出ることがなくても。
ショウの傍は、楽園であり、帰る場所になりそうだ、とチアキは確信した。
「両親はいつでも大丈夫だと言っていたので、ショウさんの空いている時間に。
仕事も成人式が終われば、バレンタインデーまで余裕があります」
チアキは言った。
「実はこの時間を指定したのは理由があったのです。
知的好奇心に近いのですが、窓の外を見てもらえませんか?」
ショウに言われて、チアキは窓を見る。
透明なガラスの先には、わずかな庭。
冬枯れという単語にふさわしく、シンボルツリーの針葉樹林以外は葉を落していた。
白い雲に覆い隠された空から、それは……降ってきた。
チアキは目を見開いて、その光景に息を飲みこんだ。
室内の暖かさと反比例した外は白くなっていく。
「雪は神さまが世の中を掃除をした、という説のある象形文字です。
チアキさんなら、どのような考え方をするか知りたかったのです」
ショウの声が静かに届く。
「わたしは、とても綺麗だと思います。
たとえ、これが人工的に作られたものだとしても。
もし、ショウさんがこの景色を美しいと思ったのなら、天然も人工もありません。
美しいのだと感じた心が美しいんです」
チアキは降り続ける雪を見ながら、感じたことを口にした。
「やはりチアキさんは天国に近い場所にいる」
ショウは呟くように言った。
聞き落しそうなほど小さな声にチアキは振り返る。
黒に近い深い焦げ茶色の瞳が寂し気に微笑んでいた。
「人間というよりは使者……天使のようだと思います。
天の声を聴く仲介者ですね」
ショウは言った。
「無神論者だって……」
チアキは驚く。
神さまを信じていないのだったら、霊的なもの――天使なんて、もっと信じていないのだろう。
もちろん天使という単語からイメージするものがないとは言わないけれども。
「私は語彙が少ないものですから、一番近い単語が天使だっただけです。
それとも気に障るような比喩表現でしたか?」
ショウは尋ねる。
「あ、あまり、男性と接点がなかったので。
天使と褒められるような容姿や性格をしていると思っていないので……ちょっとだけ、驚いただけです」
チアキは素直に言った。
「私は女性が喜ぶような文学的な表現を勉強しないといけませんね。
仕事に必要な知識は常にアップデートしていますが、それ以外は疎かですから」
何でもないようことのようにショウは言った。
「だ、大丈夫です!
そんなに褒めていただかなくてもっ!」
チアキはキッパリと言った。
二十代半ばで公務員になったエリート中のエリートであり、容姿に優れた人物が、下手に口説き文句を覚えてきた日には、チアキの心臓が持つはずもない。
他の州並みに挨拶代わりの甘い言葉を言われ続けられたら、日常が耐えきれない。
銀河標準言語は、ただでさえチアキが普段使っている言語よりも、気恥ずかしいフレーズが大量にあるのだ。
普段、仕事で扱っている花ですら、そこに込められた花言葉の数々に、交際の始めやプロポーズなどに使うから、女性の夢が入っているのだろう、と納得するようなものばかりなのだ。
「チアキさんは、カスミソウのように清らかだと思いますよ。
だからこそ選んだのですが」
ショウの言葉にチアキは耳まで赤くなるのを感じた。
さらりとそんな言葉を吐かれて、平気な女性がどこに存在しているというのだ。
どうして自分なんかにプロポーズをして、なおかつ前時代的でお荷物な価値観に寄り添ってくれるのか、チアキは理解に苦しむ。
どう考えたって引く手は数多だろうに。
チアキには窓の外の珍しい天気も、採算度外視の喫茶店も、目の前の男性も、自分には何もかも不釣り合いなような気がして、うつむいた。
鼓動は短距離走を全力疾走した時のように早ければ、耳の奥まで響いていた。
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