妹
奏が呪われた翌日。二十八日金曜日。
特にこれといった報告も、そして異能が出現した様子もない。一年生の教室は北校舎三階にあり、俺たち二年は南校舎の二階。ここから奏の様子を監視することはできない。そこで、
「奏の友達でいいか?」
「一年バスケ部の神山萌奈です! 初めまして!」
元気に挨拶をした萌奈はスッと右手を差し出してくる。
「わざわざ私だけ呼び出したってことは、奏のことで何かあるんですよね?」
「話が早くて助かるな」
俺は萌奈の手を握り返した。
「俺が頼みたいのは奏の監視だ」
「奏の?」
「ああ。どこか普段と違う様子があったら教えて欲しい。どんな些細なことでも構わない」
「先輩また楽しそうなことしてるでしょ」
萌奈はニマニマとした笑みを浮かべる。
「どうしてそう思う」
「そんな表情してますから。先輩、小学生の時から変わってないですね」
「当たり前だ。俺は小学生の時からこんなだからな」
それを聞いた萌奈はケタケタと笑い、俺の頼みを快く承諾した。
「それじゃあ先輩、昼休みに」
「ああ。南校舎三階の踊り場でたむろしているから」
「了解っす!」
ピシッと敬礼した萌奈はそのまま自分の教室に戻っていく。奏がいない朝の時間を狙って俺は一年の教室にやってきた。奏はまだ登校中のはずだ。今日はいつもよりも目覚めがよかったのか、二度寝することなくすんなりと起きてきた。なんなら、俺が声をかけた時には既に起きていた。
「やはり何かあったか」
俺は朝の日が斜めに差し込む渡り廊下をゆっくりと歩いていた。考えることは当然奏の能力について。
朝の奏は「分かった」と言った。普段の奏であれば「何を馬鹿なことを」と鼻で笑っているところだ。心当たりがなければ分かったなどという発言はしない。奏が何か能力に目覚めたことは分かった。これが奏ではなく、全くの他人であればまだ気づけていないだろう。
奏は俺には言うつもりはないらしい。何か恥ずかしいことでもあるのか、それとも人には言えない、言いたくない能力か。単純に俺に言いたくないだけか。
もし俺に言いたくないだけであれば萌奈には相談するだろう。萌奈にも相談されなかった場合は、安易に人に教えることのできない能力ということだ。
「どんな能力だろうか。楽しみだ」
呪いが異能の原因であることは分かった。後は呪いを克服するだけだ。克服するまでに期限はあるのか。最悪の場合奏が呪いを克服、つまり能力をコントロールできずに、何かしらの理由で死を迎える可能性がある。それだけは避けなければならない。
現時点では、呪いについて対処の仕方が分かっていない。克服失敗の事例がないため安心はできない。
「奏が素直に吐いてくれるのを待つしかないか」
兄として妹が呪いに倒れるのは見たくない。今まで異能だ魔法だと本気で調べ、本気で信じていたのに、実際に目にした時に何もできないなんて情けない。
俺は眩しいと感じる朝日から逃れるように南校舎に入っていった。
それから俺は奏が話してくれるのを、萌奈の報告を聞きながら待った。今のところ萌奈から異能の報告は上がっていない。
もしかしたら、萌奈には相談しているが、俺には伝えないように口止めされているという可能性もある。だとしたら仕方がない。
『最近はー、落ち着きがないっていうか、イライラしてますね』
俺は萌奈と電話をしながら近況報告をノートにまとめていく。
「イライラか」
『それで、なんで奏のこと調べてるんですか? あ、もしかして反抗期ってやつですか?』
「まあ、そんなもんだ」
『あんまり嗅ぎ回らない方がいいですよ。年頃の女の子はそういうのに敏感ですから』
「気をつけてはいる」
『まあ、私もなんとかバレないようにしますんで、先輩も頑張ってください』
萌奈はそう言い残して通話を切った。
「お兄、風呂上がったからリモ貸してー」
「あいよ」
頭にバスタオルの乗せたままの奏が風呂から上がってきた。まだドライヤーで乾かしていない髪は湿っぽい。艶のある黒髪に櫛を通しながら奏は髪を乾かしていく。
「今日面白いテレビやってないじゃん!」
奏は気が立っているのか、少し乱暴にリモコンを置く。たしかにイライラしているようにも見えるが、異能が関係しているとは思えない。
「いいや。音楽かけて勉強しようっと」
「ここでやるのか?」
「エアコン効いてるし、どうせ誰もテレビ見ないからいいでしょ?」
「まあ、俺は構わないが」
「お母さんも部屋でなんかやってるしね」
リビングには俺と奏しかいない。母さんは自室で読書か裁縫でもしていることだろう。父さんはまだ帰ってきていない。いつもは八時過ぎ頃に帰ってくる。もう三十分もすれば帰ってくるだろう。
「お兄は宿題とか出てないの?」
「学校で終わらせてきた」
「ふうん。ねえ、私のやつ教えてよ。今数学面倒なところでさあ。お兄頭良いし」
「いいぞ」
「さんきゅー」
奏は軽い口調でそう言うと、二階の自分の部屋に勉強道具を取りに行った。ドタドタと走る音が聞こえ奏が戻ってくる。
「よし、じゃあこれお願い!」
「教えるとは言ったが代わりにやるとは言ってない」
「ケチ」
「夏休みの宿題は出たか?」
「まだに決まってるじゃん。先生たちホント仕事遅いよね」
奏はノートを開き宿題を進めていく。と言っても、隣に広げたノートを書き写しているだけだが。
「それ去年の俺のじゃねえか」
「いやあ、まさか数学の担当が同じなんてラッキーだよね。それに問題も去年とまったく一緒だし」
「じゃあ俺は教えなくてもいいな」
「うーん、分からないところあったら聞くからよろしく!」
「了解」
それから奏は黙々と書き写す作業に勤しんだ。リビングには奏の好きな洋楽が、スマホのスピーカーから流れている。
木製のダイニングテーブルに四人分の椅子。奏は女子っぽい丸い文字でノートを埋めていく。俺の異能ノートとはえらい違いだ。
提出用のノートは丁寧に書いているが、自分で見返すものはどうしても適当になってしまう。
「うーん……」
奏の対面に座る俺は、スマホを弄りながらかなでの様子を見ていた。奏は数行書いては止まり、数行書いては姿勢を正しと、なにやら落ち着きがない。
ここまで集中力のないやつだっただろうか。
「集中できないのか?」
「いや、まあ、なんかやる気は出ないよねー」
これは何か異能と関係あるだろうか。普段よりも集中力が続かない状況。たとえば脳内に何かしらの影響が出る能力だとか(優子のテレパシーのようなもの)体に普段と違う異変が起こっていたりだとか。後はストレス……ストレスか!
「奏、最近静かだよな?」
「え、何。どういうこと?」
「最近指パッチンしてるの見てないなって思っただけだ」
「あー……先生に怒られたからねー」
奏は少しの沈黙の後、視線を少し逸らしてそう答えた。当たりだな。
奏は集中すると無意識に指パッチンをする癖がある。最近落ち着きがない、イライラしているというのは、自分で意識して指パッチンをしないようにしているせいだろう。
だが癖というのはやらないようにしようとするほど意識が向いてしまう。そのせいで集中できていないのだ。
つまり、奏の能力発生条件は指パッチンなのではないだろうか。どんな能力かは見てみなければ分からないが、人に見せたくない、あるいは危険というものだろう。
「ここは家なんだからしてもいいんだぞ?」
「いやあ、やめとくよ。耳障りでしょ?」
「俺しかいないんだ。気にする必要はない」
これは百パーセント当たりだな。この誤魔化し方には心当たりがある。
奏が小学生で、俺のお菓子を食べてしまった時と同じ躱し方をしている。
「俺は全て知っている。今更誤魔化そうなんて無駄な足掻きと知れ」
「何意味分かんないこと言ってんの。本当に何もないから」
「何もないのにそんなに慌てるのか? 指パッチンをするだけだぞ?」
「そ、それは……し、知らない! お兄のバカ!」
「あ、おい」
奏はリビングを飛び出して自分の部屋に逃げていった。すぐにガチャガチャと音が聞こえ、奏が部屋の鍵を閉めたことが分かる。




