監視対象
黒田里美、峯山雫両名の調査にはそれぞれ三日充てた。分かったことはそんなに多くない。
まずは黒田里美。彼女は紙一重の馬鹿だ。天才的な観察眼、そして野生動物のような勘の鋭さ。それらは私にとって脅威になり得る。しかし、彼女は紙一重でバカだった。これからは警戒レベルを一つ下げても問題ないと判断した。
峯山雫。彼は薙宮友に対し、友情以上の感情を抱いている。しかしそれが恋愛感情であるかは判断しかねる。だが峯山雫は私をかなり警戒している。おかげで、学校で薙宮友の身辺調査を進めるのに時間がかかった。こちらは里美よりも警戒をする必要がある。
そして薙宮友。彼の調査には一週間を要した。六月十七日より七日間の調査で分かった事は、薙宮友は暗殺するべきであるということ。
彼はおそらく私と同じ人間だ。幼い頃から英才教育を施され、裏の仕事をこなすためだけに育てられたエージェントだ。
その証拠に、彼はこの一週間、私の存在をしっかりと認識し警戒していた。
彼の家から直線で二百メートル離れた、古びたアパートの一室を借り彼を監視していたが、彼はそれを察知してか、部屋のカーテンを閉めていた。
それだけではない。学校では私と遭遇する回数が極端に少なかった。教室で当然会うのだが、昼休みになると忽然と姿を消す。
私は薙宮友の位置を把握しているため、いつでも接触することができるのだが、接触しようとすると彼は私を避けるような行動をする。深追いすれば私が追っていることがバレてしまうため、結局接触することは叶わなかった。
そして一週間の調査を終え薙宮友について知ることができたのは、交友関係と家族構成、学校での立ち位置など、多少交友関係を持っていれば知っているような情報ばかり。流石に家の中までは調べられていない。見つかるリスクの方が大きいからだ。
彼のことだ、きっと罠がしかけられているだろう。家に侵入するにしても、もっと入念な調査をしてからだ。彼の性格や人柄、戦力については何一つ分かっていない。
クラスメイトからの情報を鵜呑みにするほど私はバカではない。彼のクラスメイトからの評価は子供、中二病、アホ、才能の無駄遣いと、見事に掌の上で踊らされていた。誰も彼の本質に気づいていない。彼の恐ろしさに気づいていない。
そして私は決心した。彼をこの手にかけ、この世界から存在を抹消すると。
彼には申し訳ないが、このまま同じ教室で生活していれば、いつバレるか分からない。私たちの星のために、犠牲になってもらう。
時間をかければ、彼は確実に私たちの尻尾を捉えるだろう。そうなっては意味がない。何もかもが失敗になる前に、彼をこの世から消す。
中途半端な作戦では失敗するだろう。そして暗殺に失敗すれば死ぬのは私の方。彼に殺され、そして私以外の仲間も殺されることになるだろう。それだけはあってはならない。
殺すと決めた以上は、刺し違えても殺しきる。
揺るがぬ私の決意。薙宮友に全てをぶつける。
私は機を伺った。薙宮の警戒が最も薄い瞬間、そして、薙宮行動パターンをなんとか把握した。
そして私は敗北することになる。そう決まっていた。未来を変えることも、運命から逃げることもできない。
「友、じゃあな!」
「友君バイバイ!」
「ああ」
「薙宮殿、これ経過報告です」
「助かる」
放課後の教室に薙宮とその配下が多数。
数日の調査では一切名前が浮上しなかった、幽霊子という少女がいるが、霊子は薙宮友に何かを渡すと去っていった。他の者たちも何かすることはなく帰っていく。放課後の教室には薙宮友が一人。友は、霊子から受け取った紙に視線を落としている。
「む。怪しい影の報告が多数。これはあれのことだろう」
薙宮は紙を見ながらそう呟く。影とは、あれとは、何のことだろうか……まさか!? 霊子は薙宮友の部下で、今まで姿を見せなかったのは私に気取らせないため? もしくは、薙宮友を監視していると分かった彼は、自分に代わり霊子に私のことを調査させていた?
くっ、あの紙の内容が気になる。中には一体何が書かれているのか。どれだけの情報を彼が得ているのか。
「あまり進展はないといったところか」
まずい、薙宮友が出てくる!
私は慌てて廊下の柱に身を隠した。教室の出入り口からでは死角になるこの位置。幸い、薙宮には気づかれていな――
「ん?」
「っ!?」
突如、薙宮友は私の方を振り返った。息が止まるかと思うほど驚いた私は、声をあげそうになるのを必死に堪え、慌てて顔を引っ込めた。
「気のせい、ということにしておこう」
薙宮友はそう呟くと、再び前を向いて歩き出した。
全身の血の気が引いていくのを感じた。薙宮友は気づいていた。この時、私と彼の間には埋められない大きな実力差が存在したことを実感した。だが、
「情報だけは何としてももらっていく」
薙宮友が去った後の教室で彼の机を漁る。中からは先程見ていた紙と、一冊の真新しいノートが出てきた。
「これは霊子の。こっちは?」
霊子の書類を写真に保存し、先にノートに目を通す。
「エリカ・ルイザ・ウォルターの能力と出生、それに伴う考察?」
私の名前が出てきたことに一抹の不安を覚え、私は食い入るようにその内容を読んでいく。
ノートの中は簡易の暗号のようになっているが、即座に読み解いていく。
「宇宙からの来訪者。地球の観測に来たエージェントで、この地球の生態系の調査に訪れている。そしてこの崎萱中学を人類の基本調査拠点に設定。友好関係を良好に築くことで周囲に溶け込み隠れ蓑を作成……。これは私のプロフィールのようね。やはりバレている。ますます生かしてはおけない」
ページを捲る手が止まらない。私についてどこまでバレているのか。地球の文明レベルで考えれば、母星まで把握している可能性は限りなくゼロだ。だが――
「大事な物を忘れていた」
戻ってきた!?
私は、訓練された超人的な反応速度と身のこなしで教室に身を隠した。私が薙宮友の接近に気がついた時、彼は既に教室の二メートル手前にいた。教室を出るのは絶対に間に合わない。
私はバレないことを祈りながら気配を全力で殺す。
「あったあった。家に帰って続きを書かねば」
私が読みかけていたノート。続きが気になるが、もう危険を犯すのはやめた方がいいだろう。これ以上踏み込めばこちらの情報を絞り尽くされることになる。
「ふふ、ふははは!」
なんだ!?
薙宮友は突然笑い出した。何がおかしいのだろうか。彼はノートを片手に何かを考えている。
「いいことを思いついた」
薙宮友は笑みを浮かべる。その表情が、今の私には悪魔のように見えた。彼が教室を出て行った後も、私はすぐに姿を現すことができなかった。
薙宮友はどこまで知っているのか。それに、わざわざノートを忘れたフリをしてまで私にノートを読ませた。自分は知っているのだというアピールであり、私に対する挑戦状だろう。
「薙宮友。このFW32の名にかけて、必ず殺してみせる」
私は生まれてから初めて本気になったかもしれない。ここまでプライドをコケにされ、生まれて初めて本気で怒っているのかもしれない。
私に感情などないと思っていた。プライドなど持っていないと思っていた。あるのは才能と実績だけ。人並みの誇りや信念などなく、私は生きる機械なのではないかと思っていた。
だが今日、はっきりと分かった。私は悔しいのだ。そして、この思いは薙宮友を殺すことで晴らされる。
「覚悟しておけ。薙宮友!」
私の絶叫が、誰もいない教室に響き渡った。




