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どうしたら父上を説得できるのか、まったく解らない。
このままでは女子として成人の儀式を済ませなければならない。そんなのいやだ、死んでも。はあ、と深くため息をつく。いつものように稽古を終えて剣の手入れをしていたが、どうやら上の空だったようだ。
「ラル、どうした?」
レイジーの声に目を上げた。すぐ脇で立っていたレイジーはそのままオレの隣に腰を下ろした。こんなことを言ったらどう思われるだろう。こっそり左右に視線を投げる。昼の休憩が始まって、幾人かは剣の手入れや型のおさらいをしているが、レイジーとオレを気にするものはいないようだ。迷いを振り切って本心を口に出していた。父上ではない、誰か「おとな」に、話を聞いてもらいたかったのかもしれない。
「──成人の儀式が、いやでいやで死にそうです」
小声でぼそぼそと答えたのは、まだ迷いがあったせいかもしれない。その告白を聞いてレイジーは、豪快にわはは、と笑った。ぎくっとして思わずきょろきょろしてしまう。レイジーはオレの様子にすまなそうな顔を見せ、少し声量を落として続けた。
「なぜ?」
「ふりふりひらひらのドレスを着て、披露目のパレードで見世物にされるなんてぞっとします。んで、そのあとは剣の稽古も続けてはならぬと。女らしくしとやかに、だそうです」
レイジーはまたもわはは、と笑った。さっきよりもかなり控え目に。
「そうか。だがそれもルグレン家の人間として、通らねばならぬ道だろう? 腹を括ってはどうだ?」
その答えにがっかりしていた。レイジーだって──いや、まともなおとななら皆きっと、同じ答えを出すのだろう。ため息をついてぽそっと漏らす。
「いっそ、マジで死んだ方がましです」
また笑ってくれるかと思ったのに今度はレイジーは笑わなかった。不思議に思ってその顔を見ると、レイジーは思いのほか真剣な瞳をこちらに向けていた。
「死んだ方がまし、などという言い方は感心しないな。父君とは話し合いをしているのか?」
「もう三年くらい前から訴えています。女子としての儀式ではなく、男子としての儀式を受けたいと。父上はオレが、男子としての儀式を受け、父上の後継となることを求めているとお考えのようです」
「ほう?」
レイジーが眉を上げる。
「オレは別に、ルグレン家の跡目を継ぎたい訳じゃない。法で定められていることをひっくり返そうなんて、そんな、大それたこと」
それにオレは父上ほど頭の出来がよくないし。レイジーの真顔は崩れなかった。や、ここは笑って欲しかった。
「いくら訴えても父上は信じてくれません。オレに『ラルファレッテ』という女の子として生きることを求めています。それが、オレには──────しんどくて」
「そうか」
レイジーがそのままの表情で腕を組んだ。
「誰か知恵を貸してくれそうなものはいないのか?」
「知恵?」
レイジーは頷いた。
「おそらくおまえが思っているように、いくら訴えたところでそれが受け入れられることはないだろう。かわいい娘が男のように生きたいと言ったら──それは父親として戸惑うに決まっている。その気持ちも解る」
レイジーは国都に妻子を残し単身でキルギルに滞在中だと聞いている。やけに実感がこもった言い方をするところを見ると、娘がいるのかもしれない。
「おまえにできそうなことはやってきたのだろう。ならば、誰かに知恵を借りるしかないのではないか? そうだな、たとえば、家臣のものなどに」
家臣? 考える。古くから主従の関係にある家の人間で見知っているのは、ロファラシオ家の次子で、オレの家庭教師を務めるスウェンだけだ。スウェンの先生が確か──国の相談役に名を連ねる呪い師、とかなんとか。こういうとき、自分の頭の鈍さにうんざりする。
「心当たりの者に聞いてみます」
レイジーが話を聞いてくれたおかげか気持ちが切り替わって、剣の手入れに集中することができた。手入れがすっかり終わるまでレイジーはその場を離れなかった。手入れを終えた剣を見せると、レイジーは納得したように、うむ、と頷いた。剣をしまい礼をした。
「ありがとうございました」
「あまり思いつめるなよ?」
「はい」
返事をして鍛錬場を後にした。屋敷に戻り湯浴みを済ませ、昼食を食べてから自室に戻る。家庭教師のスウェンが次に来るのは明後日。明後日まで待とうかとも思ったけれど、じっとしていられなくて屋敷を出た。
スウェンの家で取り次ぎを乞うと応接室ではなくスウェンの自室に案内された。
「どうしたの、わざわざ訪ねて来るなんて。もしや求婚を受けてくださるとか?」
口を開くなりそれかよ。げんなりする。たぶんめちゃくちゃカオに出た。スウェンが家庭教師として屋敷に通うようになったのは三年くらい前からだ。初対面でいきなり求婚してきて以来スウェンは、飽きずに懲りずに求婚を繰り返す。まさか今日もそんな反応をされるなど思いもよらず、呆れてしまってすぐに用件を口にできなかった。スウェンはそれに気づいているのかいないのか、いつもどおりのにこやかな表情で長椅子を勧めてきた。間を置かず茶と菓子が運ばれてきた。礼を言って早速茶を飲んだ。
「どう? 新しい配合のお茶なんだけど」
「うーん。匂いが好きじゃない。茶の香りと喧嘩してない?」
思ったままを口にした。スウェンはなぜか嬉しそうにした。
「そう? 女の子にはこういう、華やかな香りのお茶が受けるんだよね」
学者家系のロファラシオ家には昔から好色家が多いと聞く。スウェンもその例にもれずかわいい女の子が大好きで、どうやらそれは女の子にとどまらないとか。美しければなんでも好きだと公言して憚らない。鍛錬場の兵たちの雑談にもちょくちょくスウェンの名が出る。内容はどれも色恋の噂ばかりだ。世間の評判は知らないけれどきっと、鍛練場で耳にする噂話と大差はないだろう。実際に会ったことのない人間でさえスウェンの名だけは知っている、ということを、本人はまったく気にする様子がない。学問の合間にそういう話が出たときスウェンは「言いたい奴には言いたいように言わせておいていいんです」と言い放ち、それは少しだけかっこよかった。剣や格闘には向かないだろうひょろっとした体型だけれど容貌は整っているし物腰は穏やかだし、真顔で照れもせずに甘い言葉を囁くような男なのだということは、学問を習い始めていやと言うほど思い知った。そういうところに、女の子はころっと騙されてしまうのかもしれない。
つい先日もどこぞのカフェの女給と旅の一座の踊り子(男)との間でトラブルがあったようで、でも本人はそれほどの大事とも思っておらず、いやーひどい目に合いました、なんて笑っていたっけ。
「ルグレン家のお姫様とお近づきになれたと喜んだのも束の間、蓋を開けたらコレですもんねえ」
ほっとけ。
「見た目は随一なのにもったいない」
スウェンの科白は右から左に流す。茶をもう一口飲んで、思い切って本題を切り出した。
「スウェンの先生って、国の相談役も務める高名な呪い師なんだよね?」
「んあ? まあ、そうですが」
「その人に口利きしてもらえないかな?」
「口利き?」
スウェンが怪訝そうに眉をひそめる。そこでようやく今日の訪いの理由を告げる。
「本気で言ってます?」
「冗談でこんなことが言えるかよ」
スウェンは額に手を当てると、仰々しくはあ、とため息をついた。いちいち大袈裟。でもそれが絵になるのだから、おそらく本人も承知しての仕草なのだろう。
「まさかね。僕のお仕えする姫君が、そういうお考えの持ち主だったとは、ねえ?」
「そういうって、どういう?」
「女だてらに、男子の儀式を受けたいなんて。前代未聞でしょ」
スウェンは立ち上がる。思わずスウェンの動きを目で追っていた。スウェンは壁際の書棚に歩み寄り、小さな声でぶつぶつと呟きながら一冊の本を手にオレの隣に戻った。
「セクトフィーク様の成人はまだ一年以上も先のことだし、僕は長子じゃないから儀式に関わることもなかろうと、真面目に調べたこともなかったけれど」
従兄弟の名前が出てぎくっとした。年に数度顔を合わせる程度のセクトフィークは、いかにも貴族のお坊ちゃん、という風貌で、これが将来ルグレン家の当主となるのかと思うと心配になってしまう。成人になったからといって急にしっかりする、なんてこともないだろうし。セクトフィークを心配しているなんて、オレの立場ではとても口に出せることではないけれど。
「ああ。あった。ええと」
スウェンの呟きで我に返った。隣でスウェンは真剣な面持ちで書物に視線を落としている。しばらくしてからスウェンは顔を上げ、じいっと穴が開くほど見つめてきた。
「これを? ラルファ様が? 本気で?」
頷く。
「いやいやいやいやいや。待って待って待って。ムリでしょ女の子には」
ムッとした。
「やる前から無理って決めつけんなよ」
スウェンは視線を逸らさない。負けずに睨み返す。
「で、どうなの? 口利き」
「なんのために?」
「国の相談役も務める高名な呪い師の助言でもあれば、頭の固い父上でも言うこと聞くかなって」
スウェンが苦笑した。
「頭が固いって。確かにエリュウド様はちょっとお堅い方だけれどさ。でもだからこそ、呪い師の助言なんかに耳を貸すと思います?」
スウェンは慎重だった。こういうところは慎重になれるのに、どうして色恋の噂が絶えないのか謎だ。
「そもそも呪い師の助言から始まった儀式だ。無碍にはしないはずだ」
いつかこの儀式を受けるんだと信じてやまなかったから、儀式が始まった経緯については詳しく知っていた。
ルグレン家のみではなく、貴族の当主が正妻の他に妾を囲うことが一般的だった時代のことだ。当時のルグレン家当主は正妻の他にふたりの妾を囲っていた。そのふたりがほぼ同時に男の子を産んだ。星の巡り的には双子ともいえる運命を負ったそのふたりは互いに精進し、いずれが跡目を継いでも不思議ではなかった。もしも正妻が男児を設けていればそちらが優先されたのかもしれないけれど、残念ながら正妻は娘をひとりしか産めなかった。花のように美しくたおやかな方だったが、身体が丈夫ではなかったそうだ。
で。
その男児のうちどちらが跡目に相応しいかを身内で激しく争ったが結論は出ず、困り果てた当主は呪い師に相談した。ルグレン家が預かる領地、南端にある洞窟の最奥より、ドラゴンの髭なるアイテムを持ち帰るまでの所要時間を競わせてはどうか、と呪い師は答えた。当主はその話を受け、ふたりに洞窟探検に出るよう命じた。所要時間を計るために同じ形の蝋燭を何本も用意したそうだ。
結果、後から洞窟に向かった男子が跡目に決まった。以降その「領地南端の洞窟からドラゴンの髭を持ち帰る」という行為が、ルグレン家の後継者である男子にとっての「成人の儀式」として、今なお続いているのだった。
「だからさ、その、高名な呪い師様に、オレにその儀式を受けさせないとお家断絶の憂き目に合うとか──適当にそういうのでっち上げてもらえないかな、って」
「でっち上げですか」
スウェンがまた苦笑いを浮かべた。いいんだよ理由はなんだって。とにかくどうにか儀式を受けられたら、それでいいんだから。
「で? それを受けてどうなさるおつもりなんですか、ラルファレッテ様は?」
スウェンはその顔をずい、と近づけてきた。どうなさるって、どういう?
「いえねえ僕はいいんですよ、ガルアンド様を紹介するのは手間でもなんでもないし。ほら、ね?」
見返りってことか。
「望みがあるのか? 言ってみろよ?」
スウェンの手が左耳に触れた。視線をスウェンに戻すとスウェンが目を細めた。
「そうだなあ。将来、嫁に来てくれます? あなたを嫁にできるならなんでもしますよ僕は」
スウェンの手を払い除け踵でスウェンの爪先を思いっきり踏んでやった。スウェンには世話になってるけれど、それとこれとは問題が別だし誰かの嫁になることなんて考えられないし。スウェンを頼ろうと考えたのが間違いだった。声にならない悲鳴を上げて悶絶するスウェンを後目にドアに向かう。
「ちょっと……待って……」
振り返るとスウェンは、まだ痛むだろうに微笑んでみせた。見上げた根性だ。
「これでも、それなりに、本気なのですが」
「あーそう。断る」
じとっと睨みつけてドアノブに手をかけたところで引き止められた。しつこいな。
「他に当てでも?」
ないよそんなもの。
「他の手を考える」
振り返って答えるとスウェンはゆっくりと立ち上がった。さっきオレが踏んだ爪先が痛むのか、やや不自然な足取りで部屋の奥に進む。どうやらデスクセットに向かっているようだ。
「宝石ひとつで手を打ちます」
「宝石?」
デスクセットにつき、ペンを手に取ったスウェンが頷く。
「見返りも求めず口利きなんてしたら、また余計なことをお考えになるのではと思ったまでです。ラルファ様がお持ちで価値のあるものと言ったら金貨か宝石でしょう。宝石一択です」