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どうせなら楽しく行こうぜ、だって生きていくしかないんだからさ。  作者: おぐら あん


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「そこに署名をすれば以降、おまえは二度と『ルグレン家が四女、ラルファレッテ』と名乗りを上げることはできないが、本当にそれでいいのだな?」

 頷く。父上も頷いた。

「では──最後に父として。私はおまえを愛しているよ、ラルファレッテ。このような形になってはしまったが、おまえがルグレン家の四女として生を受けたことを、今でも神に感謝している。この世のどこにも、おまえがルグレン家に連なるものと証するものはすべてなくなってはしまうが、それでも、おまえは私の子だ。この先も、ずっと。それだけは──忘れないでほしい」

「──もちろんです」

 答えてオレは、手にしたペンを一度置き父上に歩み寄り抱き締めた。父上の腕の温もりをこの先も覚えておくことをこころに誓う。父上の腕を離れてあらためてペンを取り上げ、微かに震える手で署名をした。もう二度と名乗ることも、記すこともない名前を。

 さよなら、ラルファレッテ・ルグレン。

 父上はそれを確かめて頷いた。

「過酷な人生になろう。──達者で」

「ありがとうございます。──エリュウド様も」

 深く深く礼をして執務室を出た。見送られるのがいやで早朝に手続きを完了してくれるよう頼んだはずだったのに、皆揃って見送りに出てくれた。それぞれと最後の抱擁を交わして、下働きの男たち女たちとも別れの挨拶をして。ヨシュクを抱き締めたときには、その耳元でありがとうと囁いていた。

「いつか──一緒に旅をしよう」

 続けて囁く。抱き締めているから顔は見えない。けれどヨシュクはしっかりと答えてくれた。楽しみにしています──と。

「では皆様──お元気で」

 最大級に丁寧に礼をして屋敷を出た。振り向きたいのを堪えて、ただひたすらに前を見て歩く。早朝の澄んだ空気を胸いっぱいに吸う。あの夜を思い出す。皆が寝静まるのを待って洞窟へ向けて出発したあの夜。あのときは、真っ暗な道だったのにうきうきした気分で足を進めたっけ。今はうきうきよりもやっぱり不安が大きかった。昨夜、腹が据わったと思ったのがまるで嘘のように、こころの内は迷いで溢れ返っている。不安に押し潰されそうになっている。ひとりで生きて行く、そう大口を叩いたくせにまったく自信がない。さっき署名した書類はまだ、あの場に残っているだろうか。取り消した方がいいんじゃないか。そんなことが頭を過る。情けないことこの上ない。どうにかその考えを追っ払って、重い荷物を背に歩く。気がつくと、今までよく足を運んだ市場の入り口に立っていた。早朝から賑やかだ。ふらふらと吸い込まれるように市場に足を踏み入れる。旅に必要なものは一通り揃っているので、特に当てもなく市場を彷徨っていた。屋台が目についたのでサンシンの砂糖漬けを買った。

 領都を出ることは決めていたものの、隣の領地に向かうかいっそ隣国に向かうかは決めかねていた。市場の外れに座り込んで辺りの様子を眺めていた。行き交うひとびとの顔も、品物をさばく商人の顔も、荷車を引く牛の顔さえ生き生きと楽しそうに見える。今日は一日、領都を見て回るのもいいかもしれない。下町の宿や酒場では、旅の仲間を募る者たちがいるとも聞いた。そういうところで仲間を得て、それから旅に出るのはどうだろう。

 ぼんやりとそんなことを考えながら、買ったばかりのサンシンの砂糖漬けを一欠けら、口に放り込んだときだった。

「さて、どうしようか?」

 頭上から聞き覚えのある声が降ってきた。わざわざ確かめなくても誰なのかはすぐに解った。だけどその問いかけの意味が解らない。顔を上げて声の主──イオを見た。

「おまえ、なにやって……!」

 その背には大きな荷物。すっかり旅装が整っている。イオはにかっと全開の笑みを浮かべて見せる。

「なにって。領都を出るんだよ」

 よっこらせ、と妙なかけ声とともに、イオはオレの隣に腰を下ろした。オレが手にするサンシンの砂糖漬けを横から一欠けら、奪ってその口に放り込んだ。もぐもぐと口を動かすイオの横顔に向かって言った。

「なに考えてんだよ? 兵として身を立てるのが夢だって、おまえ、言ってたじゃん」

 イオはもごもごと口を動かしながらちらっと横目でオレを見た。口の中の砂糖漬けをすっかり飲み込んだあとで、イオが口を開いた。

「あーね。そんなことも、言ったね」

「そんなことも、って」

 ふっとイオが口許を綻ばせた。

「おまえ、言ったじゃん? オレの人生、オレの生きたいように生きるって。それ聞いておれも、おれの生きたいように生きていいのかなーって、思っちゃったんだよねえ」

 イオは真っ直ぐ前を見たままで話を続けた。

「おれのやりたいことってなんなのかなって考えたんだ。確かに、兵として身を立てたいって思ってたこともあったけど。それは、おまえがいたからなんだなーって思ってさ」

 オレがいたから?

「自信はあるよ。このまま続けてりゃ、いずれ隊長くらいにはなれるだろうし、もっと上──レイジーよりも上に行けるんじゃないかって。でもさ」

 そこでイオは言葉を切ってオレを見た。

「おまえがいないじゃん」

 は?

「兵を続けてても、おまえがいないんじゃ意味がない。じゃあどうしたいのかって考えて考えて。おれはおまえと一緒にいたいと思った。おまえと一緒にいて、おまえを護りたい」

 イオは真っ直ぐにオレを見つめていた。その瞳があまりに真剣で、その奥に秘められたものに思い至った。いやいや。いやいやいやいや。

「──イオ。おまえの気持ちは嬉しい。けど、オレは、」

 イオが笑いながらオレの言葉を遮った。

「知ってる。それはもういいよ。ラルがどう思ってようと関係ない。これはおれがすることだから」

「オレ、おまえに護ってくれなんて頼んでないし」

「そうだな。護られるのが癪に障るっていうなら、もっと強くなれよ?」

「言われなくても強くなるし!──そうだお母さん! お母さんはどうするんだよ? ひとりにするのか?」

「おまえみたいな息子勘当だーだってさ」

 イオは他人事みたいに言った。他になにかなかったか考えを巡らせていた。イオを思い止まらせる理由になるもの。

「それから、ええと………………」

 ………………だめだ。もうなにも思い浮かばない。

「諦めろ。おまえがなに言ったって、おれはついて行くからな?」

 こんなことにまでイオを巻き込むつもりなんてなかったのに。イオはにこにこと楽しそうで嘘を言っている様子はないし、さらに言うならその決意はどうやら固そうで、どれだけ言葉を尽くして説得を試みても翻意させるのは難しそうだ。どうしたらいいんだろう。抱えた膝に頭を埋めてうう、と唸る。頭を撫でられた。目を上げるとイオと目が合った。

「もう。子ども扱いすんなっての」

 その手を払い除けるとイオは、あーとかうーとかもごもご言って、それから急に真顔になった。

「それとさ。おまえに返すものがあるんだ」

 返すもの? まさか? イオは懐をごそごそやって小さな布の包みを取り出した。オレの手を取るとその包みを強引に押し込んだ。中身は見なくても解った。ドラゴンの髭だ、本物の。

「なんだよ、友情の証って言ったじゃん。受け取れないっての?」

 イオはゆるゆると首を振った。

「いーや。嬉しかったよ。めちゃくちゃ。ラルから物をもらったことなんてなかったし。このまま後生大事に持っておこうかなって思うくらいにはね。だけどこれはやっぱ、ラルが持ってるべきだ。だっておれの反対を押し切ってまで取りに行ったんだもんな?」

 確かにそれはイオの言うとおりだけど。

「それにさ。なんか縁起でもねーって。形見みたいじゃん。このまま受け取っちまったらもう、二度とラルに会えないような、そんな気がしてさ。だから。これはおまえに、返す」

 手に押し込まれた布の包みと、イオの顔を交互に見ていた。

「返したからな? 失くすなよ?」

 おずおずと頷いていた。頷くしかなった。ガルアンド様が「なるようになる」と言ったのはこのことだったのか。本当に──これでいいんだろうか?

「ああもうしつこいなー。おれがいいんだからいいんだって。ラルだって何度も聞かれたろ? 本当に除籍を望むのかって。なんて答えた? 自分が決めたことだからいいんだって答えたろ? それと同じさ」

 この話はもう終わり! そう宣言してイオが立ち上がる。

「で。どこに行く? 隣街? 隣の領地? それとも──もっと遠くまで?」

 イオの背の向こうに朝陽が輝いている。逆光になってイオの表情が解らない。ついでに、イオが考えていることも。なんだよ。なんだよなんだよ。おまえはどうして、いつだってそうやって──オレの先に行くんだ。悔しい。悔しすぎる。この悔しさ──いつか絶対に晴らしてやる!! 決意を胸に、足に力を込めて立ち上がった。

「お」

 イオが小さく声を上げる。その顔をきっと睨みつけてから、ふいっと顔を前へ向けて歩き出した。来るのか、とか、来い、とか言ったら、まるでオレが決めたみたいでむかつく。だからなにも言わなかった。すぐさまイオがオレを追ってくる気配がした。

「で? どこ行くんだ?」

 答えず歩く。イオが重ねる。

「だから。どこ行くんだよって」

 仕方がない。行き先くらいは答えてやるか。

「下町の宿や酒場に、旅の仲間を募る奴らがいるって言うから。まずはそこに」

「へえ。楽しそうじゃん。もしスウェンがいたらどーする?」

 それはあまりに突飛な思いつきで、返事なんてするもんかという意地はあっさり消し飛んでいた。イオの科白を笑い飛ばす。

「スウェンはロファラシオ家のお坊ちゃんだぞ。そんな訳あるかよ?」

「いやいや解んねーぞ。あいつならやりかねないだろ。あの性格だし」

 ほう。イオはスウェンのことをそんなふうに思ってたんだ。同意しかない。

「どんな旅になるのかなぁ。楽しみだな、なあ、ラル?」

 その言葉に思わずイオを振り返っていた。イオの笑顔はきらきら眩しい。この先、希望しかないって感じの明るい笑顔。さっきまでオレの内に溢れかえっていた不安は、もうきれいさっぱり消し飛んでいることに今になって気がついた。それもイオのおかげか。悔しいはずなのに頬が緩んでいた。あ。オレ今、笑ってるかも?

「楽しくなるかどうかなんて、オレら次第でしょ」

「じゃあ──こうだな」

 イオがわざとらしく咳払いをする。その先の科白は簡単に予想がついた。

「楽しく行こうぜ!!」

 声を合わせるとイオがぶうとむくれた。右の拳を掲げれば、イオもまた右の拳をぶつけてきた。

「おれの科白取るなよな?」

「いやこれはオレの科白だし」

 負けじと言い返しどんどん歩く。背に負った荷物の重さはまったく変わらないはずなのに、ぐんと軽くなっていた。だから、足取りも軽くなる。朝陽が目の前に続く道を明るく照らしている。胸のうちにどんどん、わくわくと希望が溢れてくる。オレの本当の旅はたった今始まったばかり。いつまで続くか解らない、長い長い旅になるかもしれない。それとも、思いもよらずあっさりと終わってしまうのかもしれない。でも、だからこそ。

 しんどいことも辛いこともきついことも、どんなことでもまるごと全部を楽しんでやろう。そうさ。

 楽しく、行こうぜ!

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。


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