20
「見違えたのぅ」
ひょっひょっひょ、といつものようにガルアンド様が笑った。土産を忘れたことを詫びると、そんなものどうでもよいよとまた笑った。早速とばかりにガルアンド様が口を開く。
「スウェンのことは許せ。あやつは儂の指示に従ったまで。お主にとっては腹に据えかねることばかりであったろ」
すぐには言葉を返せなかった。
「中にはあやつの独断もあったろうがな。お主が洞窟の奥で水に潜ると言ったときには肝を冷やしたそうだぞ? あやつは泳ぎがからっきしだからな。共に行くとは言えなかったのだ」
スウェンにもできないことがあると知って驚いたと同時に少しだけ得意になった。オレにもスウェンよりすぐれた面があったんだ。それにしてもガルアンド様はどうして、勝手にやれと言いながらそんなことをしたのだろう。
「スウェンの言葉どおりだ。本当に勝手をすればすぐに追手がかかって連れ戻されたことだろう。だからせめて洞窟までは行けるよう手を回した。それだけだ」
それだけ、と言われればそうかもしれないけれど。腑に落ちない。
「どうしてそこまで?」
問うとガルアンド様は目を細めた。
「解らぬ」
なんとまああっさりと。
「呪い師の直感などそんなもの。気にするな。して、本物とやらは手に入ったのか?」
あ。
イオに「やる」と言ってしまったことを早速後悔していた。せめてガルアンド様には本物をお見せするべきだった。しょんぼりしつつ顛末を語った。ガルアンド様はぽかんとして、それから笑った。
「不思議な奴だなお主は。まあ──すべてが、なるようになるだろ」
ガルアンド様はあっけらかんと言った。もう少し話をしていたいようにも思ったけれどとにかく時間がなかった。スウェンにも挨拶をしなければならない。事実を知ってしまったから、なおさら。
「キルギルに戻ることがあったら、いつでも立ち寄れ。この呪いが解けない限り、儂はどこへも行けぬからの」
はい、と力強く頷いたオレを、ガルアンド様は笑いながら送り出してくれた。
スウェンの屋敷を訪ねた。自室へ通すようにとのことで、と答えた取次の男に、ここで構わないと辞去した。玄関先までやってきたスウェンはオレを見るなり動きを止めた。
「どうしたんです、その身なりは」
どうしたもこうしたも。自分に相応しいと思う衣服をまとっているだけだし。答えるとスウェンはその場にくずおれた。いちいち大袈裟だ。絵になってしまうのが苛立たしい。
「なんと──なんともったいない。見た目だけなら、随一の美少女なのに」
くずおれたままのスウェンに、ルグレン家を除籍になること、その後はひとりの平民として生きていくのだと告げた。スウェンはオレの話を聞いて我を取り戻したらしい。
「そんなことできるんですか? ラルファ様に?」
疑いに充ちた眼差しを向けられ、むっとしながらも答える。
「できるのか、じゃなくて、やるんだよ」
「はあ」
気の抜けた返事にいらっとしつつ、目的はそんなことじゃなかったんだ、と思い直した。
「いろいろ世話になった。ありがとう」
スウェンはオレの礼に目を丸くした。
「ラルファ様、どこかお悪いのでは?」
いちいち失礼な。怒鳴りかけて──やめた。それはお子ちゃまのすることだ。それにルグレン家を除籍となるオレと、ルグレン家に仕えるスウェンがこの先関わり合いになることも、おそらくもうない。礼儀だけは尽くしておかなくては父上の面目も立たないだろう。
「世話になったことには間違いないし、事実、めちゃくちゃ助けてもらったし。感謝してるのは本当だ。だから礼を言いに来た。ルグレン家の娘の立場があるうちにね。それに」
スウェンが小首を傾げる。先を続けた。
「ガルアンド様から聞いた。なんにも解ってなかったくせに偉そうな口を叩いて悪かった」
スウェンはゆるゆると首を振った。
「いいんです、僕はどうせ、最初っから憎まれ役だったんで。ところで僕も気になっていることがあるんですが」
次になにを言われるか予想がついたので先回りをした。
「本物なんてなかったんだ」
大嘘だ。でも、本当のことを話すつもりはなかった。イオとスウェンが気を回してくれたおかげで、オレは「男子としての儀式」をまっとうしたことになってるし、今さらもう、本物のドラゴンの髭を手に入れたことや、それをイオにあげたことを語る理由もない。
「なんの話です?──あ、もしかしてドラゴンの髭?」
頷いたオレにスウェンは呆れたように首を振った。
「そんなことどうでもいいんです、僕が気になっているのはイオくんとのことで」
「イオとのこと?」
なんでだ。スウェンがいやらしい笑い方をする。
「いやだなあ。あれだけ熱烈な愛の告白をされたのに」
はぁ、と深く深くため息をついていた。こいつはまったく。色恋以外に興味が向くものはないのか。
「イオはオレの幼馴染みで、大事な親友だ。この先もそれは変わらない」
きっぱりと答える。さも残念そうな表情を浮かべるスウェン。
「えぇ? そんな、もったいない」
きっと本心からの言葉なんだろう。そうは思ったが、言い返せばさらにまた突っ込んでくるだろうことがリアルに想像できたので、返すのを諦めた。気を取り直してあらためて礼を言った。
「本当に世話になった。ありがとう」
まだなにか問いたげなスウェンに向かって深く頭を下げてそのまま立ち去ろうとすると、思いがけず呼び止められた。
「ラルファ様!」
振り返る。笑う。
「もうその名も捨てるんだ。もしまた会うことがあったらそのときには、ラルでよろしく!」
スウェンが口を開こうとしたのに最後まで聞かずに、オレは駆け出していた。
ルグレン家の四女として過ごした「最後の日」は思った以上に穏やかだった。トリルカ姉さんも、リコレッタ姉さんも、そしてジュニも、今までのように悪態をついたり嫌味を言ったりしなかった。オレが本気で身分を棄てて生きて行こうとしていることを、それぞれにどうにか受け止めようとしてくれているようだった。
「ねえラルファ」
「ラル」
「──ラル。もしも、なにか珍しいものを手に入れたら、見せに来てくれない?」
トリルカ姉さんがそんなことを言う。
「珍しいもの? 解った、覚えておく」
「約束ね?」
子どもみたいに指を絡めて約束をした。ジュニは自分のお気に入りのハンカチをくれた。ジュニが自ら花の刺繍を施したハンカチだ。
「上手だって、褒めてくれたでしょ?」
確かに褒めた記憶がある。オレなんかよりもジュニはうんと、刺繍が上手だ。
「ありがとう。大切にする」
シャルファル姉さんはオレを抱き締めたくせになにも言わなかった。言えなかったのかもしれない。
「姉上。今までありがとう。母上が亡くなってからずうっと、母上みたいに愛してくれたこと、絶対忘れません」
「──今生の別れでもあるまいし、変なこと言わないでちょうだい」
シャルファル姉さんは涙声だった。家族が揃うのは今夜が最後だから、と、顔を揃えて夕飯を食べた。父上は静かだった。オレも口を開かず静かに食事を終えた。しんみりとした空気の中で、リコレッタ姉さんが給仕に声をかけると、大ぶりのケーキが運ばれてきた。
「本当は、ラルファの成人のお祝いにと思っていたんだけれど。でも、これもお祝いよ。ラルファ──じゃなくて、ラルの、新しい門出のお祝い」
リコレッタ姉さんを見た。目に涙が浮かんでいる。姉上方の、ジュニの顔を順番に見た。皆泣いてるからオレも泣いてしまった。
「ねえラル。最初に聞いたときにはなんてバカなことを言うんだろうと思ったし、今でもやっぱり、ラルはおばかさんだって思うのだけれど。除籍になってもラルは私たちの家族だから。それは忘れないで。どうしてもどうしても行き詰ってどうしようもなくなったなら、そのときには、私たちを頼ってね?」
トリルカ姉さんの気遣いが嬉しくてますます泣けた。涙を拭いながら、うん、と頷くことしかできなかった。
「お祝いの席で泣くなんて変よね。さあいただきましょう」
シャルファル姉さんが言って、歯が溶けるほど甘いケーキを皆で分け合って食べた。こんなに美味しいケーキを食べる機会も二度とないだろうと思うと、余計にしんみりした。いつもよりも少しだけ夜更かしをして、それぞれに部屋に下がる。ベッドに横になり目を閉じた。
この部屋で、このベッドで休むのもこれが最後か。
不安だった。どうしようもなく。とりついた不安はなかなか頭から離れず寝付けない。強く瞼を閉じて眠ろうとすればするほど、頭が冴えてくる。がばっと身体を起こしていた。
寝付けないなら、起きていようか。
阿呆みたいだ。でもそれでよかった。窓から外を見るとすっかり夜が更け真っ暗で、どこか遠くに獣の鳴き声を聞いた。声の主はどんな獣だろう。窓枠に凭れて瞼を閉じ耳を澄ませる。
オレ、マジでなんにも知らねーのな。この無知のせいで、どっかで野垂れ死にでもしたらどうしよう。
ふっと小さな笑いが漏れた。
生きるも死ぬも、自分の責任じゃん。野垂れ死になら、それでもいいか。だってオレの人生だもん。
楽しく行こうぜ。
それで腹が据わった。ようやく眠れそうだった。
翌朝、まだ夜も明けきらぬ頃。
旅装を整え鏡の前に立ち自分の姿を見ていた。男装も少しは板についただろうか。宝石箱に手を伸ばし蓋を開ける。母上の形見のペンダントを手に取る。旅から戻り除籍が決まりその準備をしている間、今までずうっと母上が守ってくださっていたのではないかと考えていた。旅の間もそうだ。大きな怪我をすることもなく、本物のドラゴンの髭を手に入れることができたのは、これのおかげだったのではないかって。ルグレン家を除籍となるオレが、持ち出しても許されるだろうか。父上に確かめることに決めてそのまま首から下げた。
まとめてあった荷物を背に、敷地内の母上の墓所に挨拶のために参る。
もしも母上が生きていたら、喜んで賛成してくれただろうか、泣いて反対しただろうか。母上のことだから──泣きながらでも賛成してくれただろう、と都合よく考える。もしも時を巻き戻すことができるなら、あのとき泣いた母上に、産んでくれてありがとうと言えるのに。母上の考えた「ちゃんとした男の子」というのが、どういう意味合いだったのかは母上にしか解らない。身体つきが男子だったらそれで「ちゃんとした男の子」になるのか。答えは見つからない。でも。これだけはオレは、胸を張って言える。母上には届かないことを承知のうえでそれでも、きちんと言葉で伝えておきたかった。
「母上。私を産んでくださってありがとうございました。男とか、女とか、そういうことではなくて、私は。立派なひとりのおとなとして、生きていきます、これから。だから。──────見ていて」
手向けた花の花弁が揺れた。まるで母上が頷いてくれたようだった。その足でオレは父上の執務室に向かう。父上はすでに書類を用意してくれていた。書類に視線を落とす。ここに署名をすれば除籍処分は完了。オレはすぐに屋敷を出なければならない。ペンを取り上げる前に真っ先に、父上にペンダントのことを確かめた。
「おまえの私物を持ち出すことを制限するつもりはない。リリアナも喜ぼう」
父上の返答にほっとした。ゆっくりと深呼吸をしてからペンを手に取った。
「しばし時間をくれぬか?」
なんだろう。顔を上げた。




