19
「ラル姉さん……それ、どうしたの?」
真っ先に声をかけて来たのは隣に座るジュニだった。
「見てのとおり。私は私の思うように生きることに決めたのだ」
ジュニの瞳を見つめながら答えた。きちんと笑えているだろうか? ジュニは戸惑ったような視線を左右に泳がせ、助けを求めるようにシャル姉さんを見た。シャル姉さんが口を開くより先に、父上に向かって言った。
「皆に話があります。食事の前に聞いていただけないでしょうか?」
父上が微かに頷いてくれた。ほっとして先を進める。
「酔狂でこのような姿をしているのではありません。私は──身体つきこそ女子ですが、気持ちの上ではずっと私自身を、男子と思って生きてきました。剣の稽古に励んでいたのは、いつかは立派な剣士となり、領都と国をお守りするため。いつかは男子としての儀式を済ませ、父上のように逞しく立派なおとなになれるものと、信じて疑っておりませんでした」
ダイニングは静かだった。給仕のために控えている男たち女たちも、身じろぎせずにその場に佇むのを視界の隅に捉えた。
「ですがいつからか──おまえは女の子なのだから、と、いさめられることが増えました。納得できませんでした。だって、私は、男だから。なので私は、もうこれまでのように、女子が着る服は着ません。女子のためのマナーや嗜みを身に付け、どこぞの誰かに嫁すのなど、真っ平です」
「──ラルファレッテ」
父上が静かに名を呼んだ。
「戯れではなく、本気でそう、思っているのだな?」
「何度も申し上げました。私は本気です」
「ならば──あの話も本気と?」
頷く。オレの思う「あの話」が、父上の言う「あの話」と一致していることを信じて。
「そうか」
それきり父上は一言も話さなかった。無言のままにダイニングに控える男たち女たちに目配せをし、それに従い彼ら彼女らはしずしずと給仕を開始した。静かな食事の席となった。誰も一言も発さぬままで時間だけが流れる。食事の後で運ばれてきた茶を一口飲んで、徐に父上が口を開いた。
「これまでおまえには、父としてできる限りのことをしてきたつもりだ。いくらいさめても男のような振る舞いを止めぬおまえを、心のどこかで私は、おまえはまともではないと──そう、思っていた」
まともではない。面と向かっていわれるとさすがにそれは堪える。口を開きかけぐっと引き結んだ。ここで口を挟むのはきっと子どものすること。ひとりのおとなとして、父上の話を遮らず、最後まで聞こう。
「だが──おまえはおまえなりに、おまえが正しいと思ったことをやっていただけだったのだな。あれの気持ちも、今なら少し、解るような気がするな」
母上のこと──だろうか。
「ひとりの人間として、おまえの生き方、考え方を尊重しよう。おまえの話を受ける。おまえを当家より除籍とする。期日は十四日後。除籍に関わる財産分与については、明日以降、話をまとめよう」
父上の顔を見ていた。涙は流していないけれど、泣いているように感じたのはどうしてだろう。
「──質問は?」
尋ねられ、はっとして首を振った。
「ありません」
「お父様!」
リコレッタ姉さんが悲鳴を上げた。
「確かにラルファは、普通の娘とは少しばかり違いますが。でも、だからといってそのような話になるなんて、あんまりではないかと」
「姉上」
呼ぶとリコレッタ姉さんは、恐ろしいものを見るような目でオレを見た。リコレッタ姉さんの代わりに口を開いたのはトリルカタ姉さんだった。
「ねえあなた変よ、ラルファ。十五日後には、披露目のパレードも行われるのよ? 新しいドレスが着られるのよ? 考え直しさないよ」
だからそれが、オレにとっては我慢のならないことなんだけど。それは口に出さず淡々と答えた。
「私は父上の決定に従います。私が望んだことですから」
「姉妹の中にあんたみたいのがいるって知れたら、あたしたちの婚儀にも障るじゃないの。せめてジュニが嫁ぐまで我慢なさいよ?」
そう続けたトリルカ姉さんの物言いには苦笑せざるを得なかった。
「だからこそ除籍を願い出ました。そうなれば障ることもないでしょう」
半分ほど茶を残したままで立ち上がる。きっとあれこれ言い分もあろうけれど聞き入れるつもりもないし、姉上方やジュニに迷惑をかけない方向に考えるなら、これしかないんだ。
「下がらせていただきます。おやすみなさい」
剣士の礼をして歩き始めた。片付けをするヨシュクと目が合う。微笑みを返してダイニングから離れた。
翌日からは、父上の執務の合間にあれこれと手続きを進めた。財産分与については辞退を申し出たのだけれど、父上も譲らなかった。
「貴族の立場を棄て平民として生きるのだから、財産はないよりあった方がいい。おまえの名義で扱える金子の目録を整えておく。どうしても必要なときにだけ使えばよかろう」
そこまで言われると固辞できず受け入れることにした。慌ただしく動き回り続けていたので、姉上方やジュニとゆっくり話す時間もほとんどなかった。父上の執務の都合上、様々手続きが進められないときにはトクナの店に出向き、オレが身に付けられそうな、華美過ぎない男性用の衣服を見立ててもらう。話は通っていたのか、トクナは淡々とオレの要望を受け入れてくれた。屋敷を離れた後には旅に出ようと決めていて、あらためて旅の準備も進めていた。
そんなふうに過ごしていたので鍛練場へ足を運ぶ余裕もなかった。厳密に言うと──行き難かった、とても。イオの顔を見る勇気が出なくて。でも世話になったレイジーに直接事情を話す必要があるのも事実だったし、これ以上先延ばしにもできなかった。意を決して鍛錬場に赴いたのは、除籍の日まで僅かに五日を迎えた日のことだ。男子の衣服に身を包んだオレを見ても、レイジーは顔色ひとつ変えなかった。稽古をする兵たちがちらちらとオレを見て、稽古に集中しろ、と、レイジーの叱責が飛んだほどだった。オレの説明を聞き終えたレイジーの表情は、なぜかさっぱりと晴れやかにも見えた。
「除籍となったその先はどうするのだ?」
「旅に出ようかと考えています。兵としてこの地に留まろうかとも思ったのですが、姉上方や妹に迷惑がかかるかもと考えると、せめて領地は出るべきかと」
「本気、なのだな?」
「はい。さっぱりしました」
答えるとレイジーは笑った。
「どうしても行き詰まったら戻って来い。兵として鍛えてやる」
「ありがとうございます」
それからひとしきり、鍛錬を続ける兵たちの様子を見ていたけれど、イオの姿がどこにも見えない。思い切ってレイジーに尋ねた。
「あの……イオは?」
「謹慎処分中だ。俺に一言もなく、勝手に鍛錬を休んだからな」
レイジーがにやっとする。冷汗が出た。
「それは──解いてやってもらえないでしょうか?」
元はと言えばオレのせいだし。続けたオレにレイジーはにやにやしながら、そっとオレに耳打ちしてきた。
「他の兵たちの手前、処分をしない訳にもいかなかったのでな。気に病むな」
それから続けてレイジーは、おそらく自宅でおとなしくしているはずだ、と言った。まだ迷っていたけれど、会わずに領都を出るという訳にもいかないよな。もしイオがそんなことをしようものならきっとオレはめっちゃ怒るし。覚悟を決めた。レイジーに礼を言って鍛錬場を出て、幼い頃の記憶を頼りに下町へと向かった。確かこの辺りだったはず。きょろきょろと辺りの様子を伺っていると、道を挟んだ向こうの家の玄関先から聞き慣れた声がした。
「じゃあ行ってくるなー」
イオの声だ。はっとしてそちらに視線を向けると、オレを見つけたイオが驚いた顔をして立ち尽くした。
「ラル……」
すぐには動けなかった。オレがイオに歩み寄ろうかためらっている間にイオはずんずんとオレに近づいて来る。
「イオ、あのっ」
イオは黙ってオレの手を取り早足で歩き始めた。しばらく歩いて民家が少なくなったところで、あらためて口を開く。
「なんだよその格好。まるっきり男じゃんか」
「うん」
イオはお母さんの使いで市場に向かうところだった。道すがら簡単に、これまでの経緯を話して聞かせた。イオは口を挟まなかった。
「それじゃあ──領都を出るかのよ?」
「ああ。そのつもり」
「大丈夫なのか?」
「またそれかよ」
笑った。
「確かにまあ、どう見てもオレは女にしか見えないしな。警戒しなくちゃいけないこともたくさんあるだろうけど、それはあの旅で身に染みたし。それに、獣がうようよしてる森を越えるような旅はもう、たぶん、しないし」
イオが黙り込んだ。不安になってイオを見ると、その瞳には不思議な色がこもっていた。これ──前にもどこかで。考える。答えに行きついた。どれだけ大丈夫って言ったところでイオは、オレを心配してくれるんだ。ありがたいけれど少し息苦しい。その気持ちは解らなくもない。だからオレにできることは──努めて笑うこと。それだけ。
「あのさ──イオ。イオが心配してくれるのはほんと嬉しいしありがたいし、だけれどこれはオレの人生で、オレの生きたいように生きるって決めたんだ。どうにか父上も認めてくださったし。オレが責任を持ってやることで。だからあの──イオは、オレのことなんか気にせず、その、イオのやりたいように、生きていてくれたら、それで」
最後の方はしどろもどろになってしまう。イオの掌が伸びてきてオレの頭に載せられた。その大きな手が心底、羨ましくて妬ましい。イオがオレの瞳を覗き込むように見た。
「ほんとに大丈夫か? 一緒に行ってやろうか?」
ゆるゆると首を振る。
「いや。大丈夫。今度こそ、ひとりで」
しっかりとその目を見て答える。イオはこころなしか、寂しそうな目をしていた。
「お使いなんだよな? オレもまだ行くとこあるし。やることいっぱいあって忙しいんだ。じゃあ、またな!」
手を上げてその場を離れようとしたところで、イオに呼び止められた。
「あれは、もういいのか?」
あれ? はっとしてイオを見れば呆れ顔で。
「なんだよなんだよ。必死で預けてくるから、ばれないようにこっそり隠してあるのに」
除籍に関わる雑事や準備で頭がいっぱいだった。託した相手はやっぱりイオだったんだ。今までずっと、隠し持ってくれていたんだ。ありがたいやら申し訳ないやら、複雑な気持ちが腹の底でぐるぐるする。本物のドラゴンの髭のことを思い出すと、つられたようにもうひとつのドラゴンの髭のことも頭に浮かんでいた。
「洞窟からあのドラゴンの髭を運んでくれたのも、もしかしてイオだった?」
「おう。だってあれが目的だったしな。万が一、ってやつを考えた」
答えてイオはこころなしか申し訳なさそうな表情を見せた。
「もしラルが二度と戻らなかったとしても、ドラゴンの髭を手に入れたのは事実で。だからそれを証さなきゃならんだろって。一応おれは従者として同行した訳だし、それくらいはやらないと、さ」
今さらながら、スウェンの言った「イオは賢い」の意味が解った気がした。オレならあんな状況になったら「勝手にしろ」って拗ねて怒って、そんなことを考える余裕もなかっただろう。
「少しは役に立ったか?」
「少しどころかめちゃくちゃ助かったよ」
答えるとイオの表情はぱあっと明るくなった。
「そっか。なら、よかった。──で、もうひとつの方は? 取って来ようか?」
頷きかけて、思い直す。首を振る。髭を授けてくれたドラゴンは怒るかもしれない。でももうオレには必要ない。きっとオレは笑っていた。
「おまえにやる」
「はあっ?!」
「友情の証だ。よかったらずっと持っててよ。じゃあな!」
イオがどう受け取ったのかはオレには解らない。戸惑ったような表情のイオに手を振って駆け出していた。不意に泣きたくなって、それをイオに見られたくなくて、そのままめちゃくちゃに走って走って、気がついたらガルアンド様の屋敷の前に立っていた。
しまった。せっかく市場の近くまで行ったのだから、サンシンの砂糖漬けを買ってくればよかった。後悔しながらノッカーを叩いた。




