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どうせなら楽しく行こうぜ、だって生きていくしかないんだからさ。  作者: おぐら あん


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18

「お聞きではないのでしたら、結構です。夕食の席では皆が揃うでしょうか?」

 姉上の顔から笑顔が消えていた。オレの口調が今までと違うことに不安を感じているようだ。

「そうね。こうしてラルファも戻ったのだし、久しぶりに皆で夕食を囲めそうね。なあに? どうしたの、ラルファ?」

「夕食の席で、きちんと説明いたします」

 答えると、姉上が握っていた手をそっと解いた。姉上が立ち尽くす。

「疲れたので、湯を浴びたら少し休ませてもらいますね」

 姉上をその場に残し一旦自室に戻る。首に下げたままだったペンダントを外して宝石箱にしまった。抽斗から取り出した小袋をぎゅっと握り締めて浴場に向かい、下働きの女たちに湯の準備を頼んだ。

「それから──ヨシュクは?」

「ヨシュクは屋敷の清掃をしておりますが」

「ここに呼んでもらいたい」

「かしこまりました」

 女は応えてその場を離れる。すぐに女はヨシュクを連れて戻って来た。

「お呼びでしょうか」

 ヨシュクは相変わらずかわいらしかった。こんなふうに名指しで呼び出したのは初めてのことで、やや緊張しているようだ。

「頼みがあるんだ。ヨシュクにしか、頼めなくて」

 脱衣所の隅にヨシュクと共に移り、その耳元で小さく囁いた。

「トクナの店に行って、男子用の衣服を調達してきてもらいたいんだ」

「男子用の?」

 ヨシュクの声が高くなり、慌ててヨシュクは自らの両手で口を塞ぐ仕草をした。

「ごめんなさい」

 小さく詫びたヨシュクに、こっちこそ驚かせてごめん、と詫びる。

「おおよそ私が着られそうなものであれば、デザインや色はヨシュクに任せる。できれば、正装に近いもので」

 女たちが湯の準備を続ける様子を横目に話を進める。ヨシュクは戸惑ったような表情を浮かべていた。

「もしもトクナに理由を聞かれたら、適当に答えてくれていい。恋人のために用意するんだ、でもなんでも」

 そこで微かにヨシュクの頬が赤らんだ。きっと今、ヨシュクは脳裏に誰かの姿を思い描いた。そうか、ヨシュクにも想いを寄せる人間がいるのか。それもそうか。オレは勝手にヨシュクは恋などしないと思い込んでいたらしい。ショックを隠して、ヨシュクの手に金貨の詰まった小袋を押し込む。

「代金はこれで」

 ヨシュクは自分の手に収まった小袋をじいっと見下ろしながら言った。

「──もし、私がこれを手にしたまま、言いつけを守らず戻らなかったらどうなさるおつもりですか?」

「そんなこと考えもしなかった」

 思ったことが反射的に口をついて出る。

「あ──いや。だってヨシュクは、そんなこと、しないだろう?」

 うふふ、と小さくヨシュクが笑う。

「意地悪をしてごめんなさい。だってラルファ様、あまりにもひとが好いのですもの。私はただの下働きの女でしかないのに、言いつけを守って戻ってくると信じておいでのようだから」

「もし──ヨシュクが本当にそんなことをしたとしても、私はヨシュクを責めたりしないよ。無理を頼んでいるのは私なんだし。私はヨシュクを──」

 言葉に詰まるオレに、ヨシュクが軽く首を傾げて促した。

「ヨシュクを、信じてる。頼めるだろうか?」

 ヨシュクは大きくしっかりと頷いた。


 湯を浴びて自室に戻り長椅子で身体を休めていると、遠慮がちなノックの音が聞こえた。

「ヨシュクです」

 ドアを開け迎え入れた。ヨシュクはするりと身を滑らせるように部屋に入ってきた。ヨシュクは両腕で大事そうに荷物を抱えたまま、どこか申し訳なさそうな表情を浮かべている。

「ヨシュク?」

「あの……詳しい事情を話せなかったものだから、お預かりした金貨、すべて使ってしまいました……」

 そんなことを気にして。軽く首を振って応える。

「気にしないで。ありがとう。助かったよ」

 ヨシュクから受け取った荷を広げた。鏡の前に立ち、ヨシュクが見繕ってくれたシャツを当ててみる。少し大きいかもしれないが、ベストを着ればどうかなりそうだ。ズボンを目の前に広げてみると、さすがにこれは腰回りが余りそうだ。ベルトが必要そうだがどうしようか。考えていると横からヨシュクの手が伸びてきた。

「余計なお世話かと思ったのですが、このズボンに合いそうなベルトも探してきました。いかがでしょうか?」

 ヨシュクが取り出したベルトを見せてくれる。

「ありがとう。助かる」

 それからオレは、ヨシュクにもうひとつ頼んだ。

「タイの結び方を知らないんだ。着替えを手伝ってもらえるだろうか?」

「かしこまりました」

 着替えを済ませる間、ヨシュクは余計なことは一切言わなかった。下働きの女として淡々とやるべきことをやる。そんな感じだった。最後にヨシュクにタイを結んでもらい、姿見の前に立った。

 鏡の中のオレは、数日前、仮縫いでドレスに袖を通したオレとは全然違って見えた。どこからどう見ても男か、と言われるとさすがにそれは無理がありそうだったけれど、小柄で細身の少年──に、見えなくもない。実際に見たことも会ったこともないけれど、男装を好む女性もいると聞くし、だから今のオレも周りからは「男装を好む少女」と思われるだけのことかもしれない。

 でも、それでもよかった。

 ぱっと一目で「少女」と断じられるような恰好をするよりは、うんと。

「こうして見ると、少年と言われたら信じてしまうかも」

 鏡の中のヨシュクの目が笑っているように見えて、それにほっとしていた。

「でもどうして、このようなお姿に?」

 ヨシュクがオレの髪を梳きながら尋ねてきた。本当のことを話すなら今しかない。そっと瞼を閉じる。すぐそばに本人がいるというのに、いろんなヨシュクが瞼の裏いっぱいに浮かんでは消えた。瞼を開けて鏡越しにヨシュクを見る。実物のヨシュクは脳裏に浮かんだヨシュクの何倍もかわいい。そのやさしい瞳でオレを促しているように感じた。思い切って口を開いた。

「こんなことを言っても、信じてもらえないだろうけれど」

 信じてほしい。強く願いながら先を続ける。

「私は、男、なんだ」

 ヨシュクは口を挟まず、オレの髪を梳き続けていた。

「幼い頃からずっとずっと、男だと思って生きてきた。だから鍛錬場に通って剣の稽古もしてきたし、いつかきっと男子として成人の儀式を迎えるものだと、信じて疑っていなかった。立派な剣士になって、領地と国を守るために生きるのだと。でも実際には、そうじゃなかった。いつからかは覚えていないけれど『女の子なんだから』って言われることが増えて。成人の儀式が近づいて準備が整う中──苦しくて苦しくて仕方がなかった。女子として儀式を済ませ、ドレスで着飾って披露目のパレードをして。それが済んだら貴族の娘として相応しい嗜みやマナーを身に付けて。そして──いつか──誰かの元へと嫁すのだと。そんなの──────」

 思わず俯く。ヨシュクの手が止まっていたことに気がついたのはそのときだった。僅かに目を上げると、鏡の中のヨシュクは戸惑ったような表情で櫛を片手にぼうっとしていた。

「……ヨシュク?」

 はっとしたようにヨシュクがオレを見た。慌てて櫛を握る手を動かし始める。

「──────ごめん。こんな話をして」

「ううん」

 ヨシュクは首を振る。

「あたしには──うまく想像できないのだけど。それは例えば、あたしがもしも男の子だったら、下働きなんかせずに自由に生きられるのに、って考えるのとは、違うのかしら?」

「自由に生きる?」

 不思議に思って尋ねるとヨシュクはうん、と頷いた。

「ここだけの話ね。あたし本当は、旅の商人になりたかったの。でも旅には危険がつきものだし、女には商人は向かない、だって計算に弱いだろう、なんて言われてね。女の子だから、っていう理由で、やりたいことができないのはあたしと似てるのかなって思ったんだけど。そういうのとは、違うの?」

 ヨシュクがそんなことを考えていたことに驚いた。

「ヨシュクって──かわいらしいし女の子らしいし、気遣いもできるし、こういう仕事が好きなのだとばかり」

「嫌いではないわ。でも。できるなら、他にやりたいことがあった、という意味」

 で、どうなの? 続けて聞かれて考える。もしも男だったら? その考え方には違和感があった。だって男だし。もしもこんな身体じゃなかったら、は、幾度となく考えたけれど。

「だってオレ、男だもん。男だから当たり前に、受ける儀式は男子のものだと信じてたし、大きくなったら父上のように逞しく立派になれるって」

「解るような──解らないような。だから──男子用の服、なのね?」

 頷いた。

「ずっと思ってたんだ。どうして女の子の服ばかり着せられるんだって。シンプルなデザインのものならどうにか我慢して着ることができて、だからそういうのばかり選んで着ていたんだ。今日、ヨシュクに頼んでみて思ったよ。もっと早く、こうしておけばよかったんだなーって」

 もう一度鏡の中のヨシュクと目が合った。

「ちょっと緩いけれど、この服を着てタイを結んでもらったら、これこそがオレの本当の姿だ、って感じがした。だからありがとう、ヨシュク」

 しつこいくらいに礼を言っていた。ヨシュクは手にした櫛を鏡台の棚に戻した。

「ラルのお役に立てたのならよかった」

 さっきまでオレが着ていた服を、ヨシュクはクローゼットにきちんとしまってくれた。

「そのままでもよかったのに」

「そうはいかないわ。これがあたしの今のお仕事だもの」

 ヨシュクはヨシュクなりに考えたり悩んだりしているんだ。苦しんでいるのはオレだけじゃないんだ。そんなこともオレは知らずにいた。

「では後ほど、食事の準備ができたらお知らせに来ますね」

 ヨシュクの顔が「下働きの女」の顔になった。ひとりの友人として心を開いてくれたヨシュクが消えたことが哀しくなってその手を握ると強く引いた。胸にヨシュクを抱き締めていた。

「……ラル? どうなさったんです?」

 ヨシュクの声には戸惑いの色が濃く漂っている。

 ヨシュクが好きだよ。大好きなんだ。

 でもそれは口には出せず、しばらくヨシュクを抱き締めたあとでやっと、これだけが言えた。

「──ありがとう。ヨシュク。話を聞いてくれて」

 ヨシュクはオレの背に腕を回してそっと撫でてくれた。

「あたし、なにもしていません。ただ話を聞いただけ」

「それが嬉しかった」

 ふふ、と小さな声を立ててヨシュクが笑う。部屋を出る前にヨシュクはオレの顔をしっかりと見てから、深々と頭を下げた。


 食事の準備ができたことを知らせに来てくれたヨシュクに返事をして、だけどしばらく、部屋を出られずにいた。父上や姉上たちに説明する内容を頭の中で繰り返していた。あまりにオレが姿を見せないものだから、ヨシュクではない他の女があらためて呼びに来た。

「皆さまお揃いでございます、ラルファレッテ様」

 解った、と返事をして、思い切って立ち上がる。姿見の前に立ち、両手で強く自らの頬を打った。廊下で幾人かの男や女とすれ違うが、皆一様にぎょっとした様子でオレを見た。背筋を伸ばして。しっかりしろ。自分に言い聞かせながらダイニングを目指す。その廊下は永遠に続くのではないかという気もしたし、続けばいいとも思った。

 ダイニングのドアノブに手をかけたまま深呼吸をしていた。

「遅れました」

 腹の底から声を出しドアを開けた。皆の視線が一斉にオレに注がれ、同時にはっと息を呑んだのが解った。立ち止まらずに自席まで進む。引かれた椅子にかけた。


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