17
がらがらと回る車輪の音が絶え間なく聞こえていた。ごとごとと揺れているしこの音だ、馬車に乗せられたんだろう。向かう先は間違いなく領都だろう。自力で領都に戻る、というのは叶わなかったけれど、ドラゴンの髭を手に入れたんだから、それでよしとしそうだドラゴンの髭!!
がばっと起き上がる。右手はしっかりと閉じられていた。恐る恐る開くとそこにはなにも無い。ああそうかイオに託したんだった。ほっとしたのも束の間、今度は託した相手が本当にイオだったのかということに疑念がわく。そもそもドラゴンの髭を手に入れたこともすべてが、長い長い夢だったのかもしれないし。確かめないと。イオはどこだ? 近くにいるのか? 馬車にはオレ以外誰の姿もなく、またそのままぽふん、と横になっていた。なんで一緒にいてくれないんだよ。ああ、違う。帰れと遠ざけたのはオレの方だった。都合がよすぎる。力ない笑いが漏れていた。考えるのも疲れた。頭から毛布をひっ被って丸まる。どれくらいそうしていたのか、車輪の音が緩やかになっていき、揺れもゆったりとしてきた。やがて馬車が止まり、かたん、と窓が開く音がした。
「ラルファレッテ様、お気づきですか?」
男の声がした。返事をするのも億劫で無視。続けて誰かが馬車に乗り込む音がする。女の声でしつこく呼ばれ、仕方がないから毛布から顔を出すと、見覚えのある下働きの女がふたり、心配そうな顔でオレを見下ろしていた。のそのそと起き上がると歳かさの方の女がひぃ、と小さな悲鳴を上げた。
「なぜかようなことに?」
女の視線は頭に注がれている。ああ、そっか。
「うん。旅の邪魔になるだろうから、自分で削いだ」
整えたのはスウェンだけど。それから女たちは、早速自分たちの仕事に取りかかりはじめた。有無を言わさずオレの顔や身体を拭き、香油を塗り込んで着替えさせた。さらに白湯を飲ませた後で、皮を剥いた果物を口に押し込んだ。ああ──美味い。これってなんだろう。小さい頃からよく食べてるし好きな果物なのに、そういやオレは、ろくろくその名さえ知ろうとしてこなかった。恥ずかしかった。こんなことを尋ねたらどう思われるだろう? 貴族という身分にふんぞり返るだけの、ものを知らない愚か者と笑われるだろうか。それでもやっぱり、知りたかった。
よく好んで口にしてきた、この果物の名を。
「……ね、これってなんて名?」
ふたりのうち若い方が答える。
「ヒヨクの実です。ラルファ様の好物なので取り寄せました。少し盛りは過ぎましたが、その分柔らかく熟れているかと」
そう、と小さく答えた。ヒヨクの実。もう忘れない。もうひとりはオレの髪を梳いていた。ぶつぶつと呪いのように繰り返しながら。
「もったいない……もったいない」
髪なんていくらでも伸びるのに。思ったが女のなすがままになっていた。ひととおりオレの手入れを済ませると女たちは降りていき馬車は再び動き出した。洞窟から一番近い町、カルシスで馬車を下ろされ宿に連れて行かれた。促されるまま部屋に入るとそこには父上とスウェンがいた。スウェンがオレに視線を投げかけていることには気がついていたけれど、オレは頑なにスウェンを見なかった。
「おお……ラルファ」
父上はその広い胸にオレを抱いた。
「なぜこのような無茶をした?」
理由はこれまで、何度もしつこく訴えてきたことと同じだから答えようもない。じっと押し黙っているとスウェンの声がした。
「エリュウド様。それはこの私からも説明差し上げたとおりです。ラルファ様が見事ドラゴンの髭を手に入れたことも。御覧いただきましたよね? ラルファ様が手に入れたドラゴンの髭を」
淡々と、一切の感情を感じられない声でスウェンは喋る。スウェンの言うドラゴンの髭は、あの蔦みたいな細長い奴のことだろう。すっかり忘れていた。スウェンが持ってたのか。それには少しだけ感謝していた。あのとき──確かスウェンは一足先にあの場を離れていたはずで、そうするとイオが運んでくれたってことだろうか。
「確かにあれは間違いなくドラゴンの髭。おまえの言うように、おまえは男子にも負けぬ気概と胆力を持ち合わせていること、あらためて父にも解った。しかしな、ラルファ、おまえは女子。ドラゴンの髭を手に入れたとて、私の後継にはなれぬ」
「解っています」
小さく答える。父上はオレを抱く腕の力を緩め、その代わりにオレの両肩を掴んだ。真っすぐに、しっかりと父上の瞳を見つめる。
「スウェンが父上になにを進言したのか存じませぬが、私の本意は、父上の後継となることではありませぬ。そのような畏れ多いこと、考えたこともありませぬ」
「では、なぜ?」
問われて目を伏せた。父上の手から力が抜けたことに気がついて、オレは身を引くとその場に跪いた。
「洞窟に向かうまで、私は私に自信がありました。どのような辛い目に遭おうと、自分の力でやり遂げられると。でも、実際には違いました」
目を上げる。父上はしっかりとオレを見ていた。
「そこにいるスウェンと、もうひとり、兵のイオニアに助けてもらってばかりでした。私は力も知恵も持たず、浅はかで、子どもでした。それを知ることができて、私は、少しですが成長できました」
「──そうか。ならばまったくの無駄でもなかったのだろうな。ではこれからは、大人の女性としての嗜みを身に付けると約束するか?」
その問いには、首を左右にするしかなかった。
「いいえ。それはできませぬ」
「いい加減に目を覚ましなさい、ラルファレッテ」
「父上。私の性質が姉上たちやジュニとは異なっていることは、これで父上にもお解りいただけたことと思います。私は、ひとりの女性として──あなたの娘として生きていくことはできません」
「ラルファレッテ!」
父上が声を荒げる。それとは反対にオレのこころはすうっと冷えていく。
「これまでも何度もお願いをして参りました。私の気概と胆力をお認めいただけるのでしたら、どうぞルグレン家より私を除籍ください」
深く深く首を垂れた。父上の答えを聞くまで一歩も動かないつもりでいたのに、そこでスウェンが口を挟んだ。
「エリュウド様。ラルファ様も、まだお疲れで冷静な判断ができない状態なのやもしれませぬ。それにシャルファル様以下、お嬢様方のご意向を伺わず、この場で答えを出せようもないでしょう。この件は保留とし、まずは領都へ帰られては?」
「………………ラルファ、下がりなさい」
オレは顔を上げずにもう一度深く礼をして、その先は一切父上の顔を見ずにその部屋を出た。後を追ってくる気配を無視してどんどん歩く。町の外れで飼葉を食む馬の姿を認めて足を止めた。
「……ラル、本当に本気なの?」
「ほっとけ」
「いーえほっとけません。もしもあなたが除籍されたら、僕の仕事がひとつ減ってしまうじゃないですか」
「気楽だろ、オレみたいな阿呆の相手をしなくてよくなるんだからさ」
「そんなつれない」
「うるさいよ。オレはもう、おまえとは関わり合いにはならないって決めたんだ。まあ──世話になったことに、感謝はしてるけど」
馬の世話をする者、馬車の手入れをする者の姿の中に、イオの姿は見えない。
「もしかしてイオくんを探してます?」
「……悪いかよ」
「イオくんなら一足先に領都に戻りましたよ。レイジーの命で」
はっとしてスウェンを振り返った。スウェンがにやっとする。
「やっと僕の顔を見ましたね?」
「見たくもないけどな」
スウェンはむうっと唸った。
「イオくんにどんな用なんです? もしや……?」
「変な想像すんな。ちょっと確かめたいことがあったんだ」
「確かめたいこと?」
「おまえには関係ない」
「またそれですか。一緒に旅をした仲なのに」
「ただそれだけの仲だろ」
言い捨てるとくるりと振り返ってその場を立ち去る。スウェンはもう追っては来ないようだった。宿に戻ると宛がわれた部屋にこもり、食事はどうするのかと聞きに来た宿の使用人にいらないと断り、夜が明けるまでひとりきりで過ごした。イオとスウェンとの旅はキツかったけれど楽しかった。そう感じたことに自分でも驚いた。いろいろなものを置き去りにしてしまったような寂しさに襲われ、ぎゅっと強く瞼を閉じる。どうにか寂しさを追い出すと今度は、本物のドラゴンの髭のことが頭をもたげた。
オレが本物を預けた相手はイオだったんだろうか。もしもイオじゃなかったとしたら、きっともう二度とオレの手には戻らないだろう。こころの中で、オレを認めて髭を授けてくれたドラゴンに詫びていた。
でも、二度と戻らなかったとしても。
オレはちゃんと、大事なものを受け取った。
そう信じるしかなかった。
無性にイオの顔を見て、前みたいにバカを言って笑い合いたかった。こんなことを考えているのももしかしたら、オレだけかもしれないけれど。
大事なものを手に入れたはずなのに、考えるのは失ったもののことばかりだった。
馬車での帰路はあっという間だった。わざわざカルカスまで出向いてくださった父上は、執務もあるので先に領都に戻っていた。さっさと戻ればいいのにスウェンはオレに同道し、宿などで顔を合わせるたびに声をかけてくるけれど、ほとんど口を利かなかった。それなのにスウェンは変わらず話しかけてくる。スウェンはオレなんかよりもやっぱり、もっとずっと「おとな」なんだ。わだかまりを棄てられず世間話にも応じないオレは、スウェンやイオの言うとおりまだまだ「お子ちゃま」でしかない。こころではそう思っても、なかなか「おとな」にはなれなかった。
屋敷に着くとシャル姉さんがオレを待ち構えていた。どんな雷が落ちるのかと覚悟を決めていたのに姉さんは、泣きながらオレを抱き締めた。しばらく言葉もなくオレを抱く姉さんの背を緩やかに撫でていた。
「どんなに心配したか。どうしてこんな無茶をしたの?」
姉さんたちやジュニには、男子としての儀式を受けたいという話をしたことがなかった。どうして、と聞かれると真っ先に浮かぶ返事は「オレは男だから」なのだけれど、それを姉さんに話したところできっと解ってはもらえないだろう。どう答えたらいいだろう。言葉を探すけれどどれもこれも嘘になってしまうから、結局答えることができなかった。言葉を発せず黙ったまま背を撫で続けるオレを、姉さんはどう思っているのか。やっとオレを解放するとそのほっそりとした右手でオレの左手を取った。姉さんに手を引かれて歩き出す。子どもみたいで恥ずかしいけれど解くことはできなかった。
「あと十五日でお披露目のパレードよ。ドレスも完成しているわ。それから──本当はいけないのだけれど、靴は少し、踵の低いものを用意させたから。せっかくの髪飾りは、この長さじゃ映えないかしらね。もったいないことを」
涙の痕を隠そうともせず、明るい声で喋る姉さんが痛々しく見えてしまう。母上が亡くなって以降、長姉であるシャル姉さんはある意味母親代わりでもあった。姉妹の中でも異質なオレの我儘に振り回されて、さぞ苦労を重ねてきただろう。シャル姉さんの婚儀がまとまらないのもオレのせいなんじゃないだろうか。
「ね──────姉上」
改まって呼ぶと、姉上は目を丸くした。
「まあなあに? そうするとまるで男の子みたいね?」
まるで、じゃないんだけど。こころの中でだけ付け足して。
「父上からなにか、お聞きではありませんか?」
「お父様から? なにを?」
この様子だと父上は姉上には話していないのだろう。話す気がないのかもしれない。父上の胸のみに収めるつもりなのか。この場で姉上に話したとして、もしかしたらショックのあまり卒倒してしまうかもしれない。どうせなら全員が揃っているときに口にした方がいいだろう。こころは決まった。




