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どうせなら楽しく行こうぜ、だって生きていくしかないんだからさ。  作者: おぐら あん


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16

 母上はそのほっそりとした腕を伸ばしオレの頭を撫でている。うっすらと微笑みながら。

「どうしたのラルファ? 哀しいことでもあったのかしら?」

 どうして? 問うと母上は穏やかに答えた。

「だって。涙の痕がついているもの」

 寝台に顔を伏せた。母上のやさしい手つきは変わらない。こんなことを言ってもどうにもならないのに。解っているのに止められなかった。

「母上。母上はどうして、私を男の子に生んでくださらなかったのですか」

 一瞬その手が止まり、けれど何事もなかったかのように母上は、黙ってオレを撫で続けている。たまらなくなって顔を上げた。

「母上……」

 声が出ない。母上は、微笑んだままでほろほろと涙を流していた。

「──そうね。どうしてかしらね。確かに貴女がお腹にいる間、次こそは男子だったらと思ったわ。あのひとも自らの血を引く男子を欲しがっていたから。だけれど生まれたら女の子で──がっかりしたわ。また女の子、って」

 母上の言葉は衝撃だった。生まれたときからオレは。

「でもね、真っ赤な顔で元気に泣く貴女を見ていたら、そんなことはすぐにどうでもよくなった。男の子であろうと女の子であろうと、私のかわいい子どもには違いないのだもの。私は貴女をこころから愛しているわ、ラルファレッテ。ごめんなさいね、貴女を男の子に産んであげられなくて」

 ほろほろと泣き続ける母上に向かってぶんぶんと首を振っていた。オレもボロボロ泣いていた。母上のせいではないはずなのに。オレは母上を傷つけた。全身がかーっと熱くなる。

「ごめんなさい。母上。ごめんなさい、ごめんなさい──」

 繰り返して謝るオレの頭を、母上は撫で続けてくれる。

 こんな身体じゃなければ、と思ったことは数えきれない。死んでしまいたいと思ったことも一度や二度じゃないけれど。それでも。

 生まれてこなければよかったなんて、一度も思ったことはなかった。

「ごめんなさい母上。母上を傷つけるつもりじゃなかったんです。ごめんなさい。母上。どうか私を」

 許してください、と声に出た気がした。

 もうさっきまでの猛烈な勢いの呼気は感じられなくなっていた。恐る恐る目を上げてみれば、ドラゴンの顔が見えた。

「………………今のは、一体?」

 思わず呟く。

「人間誰しも、醜い感情を持ち合わせておるものだ。だが、醜い感情を持つことが罪なのではない。その感情に踊らされることが罪なのだ。お主はどうやら、その醜い感情に踊らされないだけの思慮と分別を、しっかりと持ち合わせておるようだ」

 ドラゴンの言葉を上手く呑み込めなかった。

 オレはいつだって、オレより強くて逞しいイオをやっかんでいるし。

 ヨシュクを見たら、さっと抱き寄せて、その耳元で愛を囁きたいと考えてしまうし。

 父上のことは、いっそ殺してしまおうかと思うほど、憎く感じたことは一度や二度じゃない。

 母上のことは──もしかしたら恨んでいるのかもしれないけれどよく解らなかった。オレがこういうふうに生まれついたのは母上のせいではないから。でももしかすると心のどこかで、母上がオレに詫びておいでだったように、こう思っていたのかもしれない。

 母上がオレを、男に産んでくれていたなら──と。

「闇の炎に灼かれると本能がむき出しになる。その世界で本能の赴くままに行動していたらお主の身体は、本物の業火に灼かれて灰も残さずこの世から消滅していた。実際に消滅した男子もおったのだぞ」

 そこでドラゴンが、にたりと笑ったように感じた。ぞっとした。

「我が恐ろしいか?」

 恐ろしかった。恐ろしくない、と否定することもできないほど。

「恐ろしかろう。我も我を恐れておる。だからこうして地の底で、拝命に従い生き永らえておるのでなあ」

 ドラゴンはそのまま、自らの右腕をその首辺りに向かって伸ばした。手の形は人間と似ているが爪はまるで違う形をしていた。長く太くて、先端は武器になりそうなほどに鋭い。その鋭い爪の先で掴んだものをドラゴンが差し出してきた。促されたので恐る恐る手を伸ばした。掌にぽとり、と落とされたのは、一角が尖った三角形の、鱗のようなものだった。まじまじと見つめているとドラゴンが言った。

「お主の求めるドラゴンの髭だ」

 これが? 洞窟の中でむしり取った蔦のような植物とはまるで異なる形状をしていた。大きさはオレの親指の爪二つ分くらい。先端はちくちくと鋭く、小さな槍先のようでもあった。敵の目に突き立てたならその視力を容易く奪えるだろう。

「なかなかに勇ましい考え方をするの」

 ぎくっとして顔を上げた。

「戦うばかりが物事の解決の手段ではない。さりとてときには、戦わねばならぬこともあろう。お主の武運と──幸運を祈る」

「──ありがとうございます」

 剣士としての礼を返してドラゴンを見上げた。

「お主の魂は、そこらの男子にも一切の引けを取らぬ」

 せめてこの目が見えればなあ、ドラゴンは残念そうにそう続けた。

「目が見えぬのですか?」

「見えぬ」

「不便ではないですか?」

 問うとドラゴンは驚いたように目を瞠り、それからゆったりと目を細めた。

「この地を離れることがないのでな。そうそう不便でもないぞ。それに目が見えぬ分、他のものがよく見える。どうやらお主の従者たちは、お主が戻るのをこころ待ちにしておる」

 従者たち? スウェンが言ったように、シャル姉さんの差し向けた迎えがやって来たのだろうか?

「いや、そうではない。この洞窟に、お主と共に足を踏み入れた従者たちがおったろう。その者たちだ」

 まさか。あのふたりが。

「さて。無事にドラゴンの髭を授けたことだし、お主を洞窟の入り口まで送り届けよう。寄れ」

 素直に言うことを聞いた。ドラゴンの前に立つ。ドラゴンの手がオレの腰を掴んだ。

「なにを?」

 上ずった声が出た。そのまま持ち上げられる。

「しばしの辛抱だ。恐ろしければ目を閉じていよ。それから」

 ドラゴンが深淵にその鼻先を向ける。まさか。

「ドラゴンの髭は、無くさぬようしっかりと握り締めておくことだな」

 言い終えるとドラゴンはオレの身体を握り締めたままで、頭を地に向けて動き出した。ドラゴンが向かおうとしている先が底の知れぬ深淵と気付いて、ひ、っと小さな悲鳴が漏れた。ドラゴンの髭を握り締めた右手に左手をしっかり重ねていた。


 ぴちょん、と水滴が跳ねるような音が聞こえた。

 身体の下に感じるのは冷たく、しっとりぬるぬるとした岩の感触で、暗い中歩き回った洞窟の壁と同じように感じた。

 恐る恐る目を開ける。なにも見えない。身体を起こすため地に手をつこうとして初めて、両手をしっかりと握り合わせていたことを思い出した。しっかり握り締めすぎていて、この中に確かにドラゴンの髭があるのかも解らなくなっていた。もしかしたら長い夢を見ていただけかもしれない。右手に重ねていた左手を外して、右手を開こうとして思い止まる。この暗さだ。万が一手の中のドラゴンの髭を落としてしまったらもう、探し当てることはできないだろう。右手はそのままに、左手を地についてゆっくりと身体を起こした。ドラゴンはオレを、洞窟の入り口まで送り届けると言っていたが、はたしてここはどこだろう。左手でぺたぺたと辺りを探りながら、這いつくばって進む。行きついた先に壁があって、そこに背を預けて座った。

 冷えた地に体温を奪われるような気がした。立って歩くのが正解か、這いつくばって進むのが正解か。こう暗くては、目を開いていても閉じていても同じだった。耳を澄ますと微かにまた音が聞こえた気がした。それから風が動いたような。もしかしてここから無事に洞窟を出るまでが最大の難関なんじゃないか。壁に手を突きそろそろと立ち上がる。左手で周囲の壁を探る。どうやら自分が、袋小路にいることは解った。袋小路ということは進める方向はひとつしかなく、だからオレはそちらに向かって、慎重に慎重に足を進めた。

「い……っつ」

 固い石を踏ん付けた。より慎重に足を進める。ぴちょん、ぽちゃん、と水音がする。

「お……で…………、ラ……ァ様」

 耳をそばだてる。どうやらオレを探しに来た者たちの声らしい。ここだ、と叫ぼうとしたが喉がからからで声が出なかった。声のした方に向かってそろそろと歩き続けるしかなかった。幸い、さっきみたいな固い石を踏ん付けることもなく、細い道を抜け出した。少し明るいような。きょろきょろと左右を見渡した。左手前方に微かな光を見た。出口の明かりか、それとも、オレを探しに洞窟に入った者の持つ灯りか。どっちでもいいか。とにかく明るい方へ。

 明るい方へ向かっているのに、洞窟の奥に向かって進んでいるのではないかという不安が浮かぶ。間違っていたら──でも、他に目指せるものがない。信じるしかない。ゆるゆる進む。次第に光が大きくなり、近づいているのが解る。逸る気持ちを落ち着けるようにゆっくりとした呼吸を心がけつつ、一歩ずつ確実に進んだ。もし転んでせっかく授かったドラゴンの髭をなくしてしまったら目も当てられない。

 だんだん明るさが増していく。間違いなく出口だ。左手で掴んだ縁をぐっと強く引き寄せた。

 真っ先に目に入ったのは篝火だった。外に出られたんだ。ほっとして気が抜けて、その場にへなへなと座り込んでしまった。

「ラルファ様!! なんとおいたわしい」

 誰かが叫んでオレに駆け寄って来て、肩からふわりと布をかけてきた。肌触りでそれが、上等な織物だということが解った。目を上げて見たその顔に覚えはなかった。でもオレの名を呼んだということは、ルグレン家に仕える者であることに違いはないだろう。辺りの様子を伺う気力はもうなかった。

「どうぞ」

 差し出された水筒を受け取って口をつけた。一口目は飲み込めたが二口目はどうしても飲み下すことができず、結局吐き出してしまった。喉は乾いているのに身体が受け付けないみたいだ。ただ肩で浅い呼吸を繰り返していた。もう動けない。そのままずるずると地に倒れてしまう。イオの声が聞こえたような気がした。

「ラル! しっかりしろ!」

 そこにいるのか、イオ。帰れって言ったじゃん。帰らなかったのかよバカ。少しでも気を抜くとそのまま意識を手放してしまいそうだ。くらくらする。まるで世界そのものが揺れているようだ。ぎゅっと握り直した右手の中でちくっと刺さるような感触がした。ああ、ここにちゃんと本物がある。強く握り締めようとするのに指先から勝手に力が抜けていく。どうしようこのままじゃ本物のドラゴンの髭を。

「ラル」

 もう一度呼ばれて、だらしなく地に横たわったまま視線だけを上げる。間違いなくイオの声だ。気がつくとその声に向かって右手を伸ばしていた。視界はぼんやり霞んだようになってイオの顔が見分けられない。もしかしたらまた、オレは泣いているのかもしれない。オレにはイオの気持ちはやっぱり理解できないし裏切られたという気持ちが消えた訳じゃない。それでも──なおオレにとって、イオ以上に信じて頼れる相手は、いなくて。さんざん頼って勝手をして遠ざけて、そしてまた頼ろうとするなんてマジで情けないし消えたい。でも──だけど。

「イオ……イオ。頼みがあるんだ。これを──失くさないように……」

 オレは必死に腕を伸ばしていた。オレの右手に触れた手の上でそうっと手を開く。開いた手から転がったドラゴンの髭の行方を目で見て確かめることはできなかったけれど、間違いなく、オレの右手を掴んだその手に託した。

 もしかしたら、それはイオの手じゃなかったかもしれない。オレが勝手にそう思い込んでいるだけで。

 それももう、解らなかった。

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