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どうせなら楽しく行こうぜ、だって生きていくしかないんだからさ。  作者: おぐら あん


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15

『口が見えるか』

 問われて他所事を考えていたことに気がついた。頷く。

『そこから、こちらへ』

 腕にぐっと力を込めてようやく立ち上がった。はあ。辛い。喉渇いた。腹も減った。それでようやく、ここはあの世なんかじゃない、ということに気がついた。いつものオレならきっと、こんなふうに命じられたら反発して逆らいたくなるはずなのに。素直に従っている自分自身に驚きつつも、重い足を引きずるように歩き始めた。水際の砂はさらさら細かくて足を取られる。砂上を抜け踏みしめた地面の感触は芝生に似ていた。示された口から中を覗くと小さく光が見えた。壁に手をついて慎重に中に入る。踏みしめる感触は石のそれに変わったけれど、乾いていて心なしか温もりを感じた。狭い場所に入ったからなのか動いているからなのか寒さも感じなくなっていた。一定の間隔でくり貫かれた壁の中に光を放つ玉が置いてあって、それを頼りにゆっくりと進んだ。歩いているうちに身体のだるさが抜けていくようだ。いや、あちこち痛いし歩くのがしんどいことには変わりはないけれど、壁に手をついていることで足の力だけに頼らず歩けるから、そのせいなのかもしれない。光の玉の脇を通るたびにその数を数えていた。上っているのか下っているのかも解らないままひたすら歩く。光の玉を十三まで数えたところで視線の先に小さな白っぽい点が見えた。どうやらあそこが出口のようだ。少しずつ大きく見え始める光を目指してひたすら歩いた。

 道を抜けたその先は、一瞬自分がどこにいるのかを忘れてしまうほどの広々とした空間だった。左右に柱のようなものがあって、その上に、これまで見たものとは比べ物にならないほどの大きな光の玉が据えてある。そのおかげで周囲の様子を伺うのに十分な明るさがあった。地面はつるつるに磨かれた床のようで、凹凸が一切ないように見える。視線を上げたが天井は見えなかった。洞窟の中を進んで来たのだから天井がないはずなんてないのに。いったいどれほどの深さなのだろう、ここは。柱の間には、大きな岩がいくつか転がっているのが見える。転がっている──というのは正しくないかも。置いてあるのかもしれない。少し息が苦しいような感じがして胸を撫でる。思い切ってその空間に足を踏み入れた。岩の側まで歩み寄るとそこに手をついて奥を覗き込んだ。

 地の底へ向けてぽっかりと穴が開いていた。

 穴の先は、深い闇に繋がっているようだった。

 玉の光が届かないから闇に見えるのとは絶対に違う。どこまでもどこまでも続く深淵にしか見えない。落ちたらどうなるのだろう。考えた瞬間、背筋がぞっと寒くなった。闇の縁から離れようとしたまさにそのときだった。その深淵からこちらに向かって強い風が吹き出した。反射的に目を瞑っていた。岩を掴む指の先に力がこもる。時間にすればほんの僅かだったに違いないのに、ものすごく長い間、その風を受けていたように感じた。

「ようく来た」

 頭の中でしか聞こえていなかった声が、やや頭上から降るように聞こえた。瞼を開けると真っ先に見えたのは、光を受けてつやつやと光るもの。視線を上げる。息を呑む。しっかりと岩を掴んでいた指先から力が抜けて、そのままそこに尻もちをついていた。

 オレの知っている生き物で例えるならそれは、蛇に似ていたかもしれない。でもその顔貌は蛇とは違い、馬のようにも見えた。馬を連想したのは後頭部にたてがみのようなものが見えたからだ。言葉が出ない。黒っぽい瞳がこちらに向けられている。玉の光を反射して緑っぽくも青っぽくも見えた。

「ドラゴンの髭を求める若者か?」

 おずおずと頷く。そうだ、オレはドラゴンの髭を求めてここまでやって来た。その目的を思い出したことで、心の底にちょっとだけ力が戻っていた。

「いかにも」

 答えて立ち上がった。

「名を聞かせよ」

「ルグレン家が四女、ラルファレッテ」

 力を込めて名乗る。目の前の生き物は、人間がするように僅かに首を傾ける仕草をした。

「──四女? ではそなたは、女子であるか?」

 認めたくはないけれど、男か女かで言えば女なので、そうだ、と答えた。

「ふむ。不思議なこともあるものだ」

 それきりそれは黙り込んだ。考えているようにも見える。目の前のこの生き物がドラゴンであることを疑う余地はなかった。ドラゴンなんて、お伽噺の中にしかいないと思っていたけれど、本当にいたのか。それも、我が領地の地下深くに。子どもの頃に読んだ話では、雨を司るドラゴン、炎を司るドラゴン、風を司るドラゴン、他にも様々なドラゴンが神の命を受け、世界を調整していることになっていた。

 目の前のドラゴンからは敵意のようなものは一切感じられないが、それはオレの思い込みかもしれない。あの大きな口にひと呑みにされればひとたまりもないだろう。気を引き締めてドラゴンの次の言葉を待った。

「長らくこの地にとどまり、幾人かと相見えたが、すべて男子だったと記憶している。なのでお主もてっきり男子と思うておった。まあ、よい。女子に髭を与えてはならぬという定めがあるものでもないしな」

 ドラゴンは微かに頷くと、さらに続けた。

「我は地のドラゴン。お主がドラゴンの髭を授けるに値する人間かどうか、見極めさせてもらうぞ」

 はい?

「それはどういう?」

 そんな話は聞いてない。やや焦って問い返すとドラゴンがうっすらと口を開けた。

「闇の炎に耐えよ。それだけだ」

 言い終えるや否やドラゴンは、さらに大きな口を開けた。何本もの鋭い牙が顕になる。さらにドラゴンはオレに向かって息を吐き出した。咄嗟に両腕を組んで顔を庇った。ドラゴンの吐く息が強風のように襲いかかる。その勢いに負けないよう片足を引き、ぐっと利き足に力を込めて踏ん張った。炎というから熱いのかと思ったけれど熱くはなかった。とにかく勢いが強い。ぎゅっと目を瞑り、吹き飛ばされないよう転ばないように踏ん張るのに必死だった。ドラゴンの呼気に嬲られながら、いつまでこれに耐えていればいいのかと考え始めたときだった。

 脳裏に、剣を振るうイオの姿が見えた。

 稽古場で、イオがレイジーと剣を交えていた。素早く繰り出されるレイジーの剣を受け、いなし、隙をついて自らの斬撃を繰り出すイオ。どちらの動きにも一切の無駄がない。負けるな、とイオを応援する一方で、心の片隅からじわじわと黒い影のようなものが拡がっていくのを自覚していた。

 負けてしまえ──イオなんか。

 これ以上、オレとの差を見せつけないでくれ。どうしてオレはイオみたいになれない? 悔しい。いっそイオなんて──。

 そう思った瞬間、イオがちらっとこちらに視線を投げた。もちろんレイジーがその隙を見逃すはずがない。辛うじてレイジーの剣を払ったイオがまたちらっとこちらを見たから──オレは。

「よそ見すんなバカ! 集中しろ!!」

 そう叫んでいた。レイジーを睨みつけるイオの口許が綻んだように見えて、イオは斜めに構えた剣を右上に向かって払った。レイジーの手から剣が飛ぶ。

「勝負あり!」

 審判役の兵士が叫んで、ふたりは互いに礼をした。結局イオが勝つのかよ。オレは未だにレイジーに勝てないのに。悔しい。悔しくて憎らしい。それなのに。

 誇らしい気持ちでいっぱいだった。

 幼馴染で親友のイオが、レイジーよりも強いことが。オレの目の前に立つイオの顔を見上げながら、真っ直ぐにその瞳を見ていた。力強く宣言する。

「今に見てろ。もっともっと強くなって、いつかレイジーにも、そしておまえにも勝ってやるからな!」

 イオはオレの言葉を受けて笑った。

「じゃあおれは、それよりもっと強くなるだけだ」

 イオの顔が空気に溶ける。次に見えたのはヨシュクの横顔だった。

 ヨシュクは水場で洗濯をしていた。ときおり額に流れる汗を拭うヨシュクは、とても綺麗だった。無言のままにヨシュクに歩み寄る。気配に気がついたのかヨシュクが顔を上げた。目が合うとヨシュクはにっこりして、そのまま洗濯を続ける。ヨシュクの隣にしゃがんでオレは、その顔を飽きずにずっと見つめていた。ヨシュクが笑う。

「どうしたのラル? 言いたいことがあるなら言ってくださいな?」

 くすくす笑いながら言ったヨシュクの、洗濯を続ける細くて白い腕を見ていた。この腕を掴んで──さっと抱き寄せてそしてぎゅっと抱き締めて。思い描いた動作を実行に移そうとしたところでヨシュクが再び顔を上げた。

「ラル?」

 その瞳に浮かんでいるのは信頼の光だ。こんなことをしたらヨシュクはどう思う? 呆れたように笑ってはくれるだろうけれど、この光はその瞳から失われてしまうだろう──永遠に。そんなのいやだ。いやすぎる。思い止まってオレは、洗濯桶の縁をぎゅうっと掴んでいた。

「大変だよね、洗濯って。手伝おうか?」

 ヨシュクは笑う。

「まさかそんな。ラルにそんなことを頼んだら、叱られてしまいます」

「じゃあ、少しここで、見ていてもいい?」

「いいですよ。いいですけれど。つまらないでしょう?」

「そんなことないよ。オレは──ヨシュクが好きだもの」

 言葉にした想いの本当のところは、きっとヨシュクには伝わらない。それでもよかった。ふふ、と、ヨシュクが声を立てて笑った。

「私もラルが好きですよ」

 オレが本当に欲しいのもこれじゃない。でも。嫌われるよりはうんといい。ヨシュクの手を見る。働く女の手だった。洗濯物を絞る手の所々に赤い裂け目が見えた。痛々しい。

「今度、手荒れに効くという香油をあげる」

「本当ですか? 嬉しい」

 ヨシュクがこころから嬉しそうにそう言ってくれた。ああ、思い止まってよかった。直後にヨシュクの顔が崩れて消えた。

 そう思ったら、目の前に現れたのは、執務室で仕事をする父上の背中だった。

 父上はオレに構うことなくさらさらとペンを走らせ続ける。きっとこのひとは、出来損ないのオレなんか要らなかったに違いない。いつの間にか手にしていた短剣の柄を強く握っていた。このひとがいなくなれば──オレは。これであの喉元を掻っ切れば。

 このひとが、オレの世界から、いなくなれば。

 そうっと静かに短剣を構えた。もう少しでその刃が父上の首筋を舐める──という寸前で、その刃を握った手があった。オレの左手だった。左手に熱が奔って、つう、っと真っ赤な血が伝った。

 この世から父上がいなくなることは、根本の解決になんてなりはしないのに。ちらっとでもその命を奪おうなんて考えた自分が恐ろしかった。一歩後ずさる。父上がオレの気配に気がついて振り返った。

「ラルファか、どうした?」

 その瞳にやさしい光を見た。どうしてオレは、父上はオレなんか要らなかったに違いない、なんて思えたのだろう。確かに厳しいひとではある。でもそれは、オレが父上の思うような娘として生きられないことにも理由があって。ただただ反発するようなことばかりするオレに、それでも父上の瞳はいつでもやさしいじゃないか。ただ反発すればいい、ということではないのかもしれない。ではどうすれば?

「怪我をしているではないか! なぜ短剣など」

 父上は慌てて立ち上がるとオレの手から短剣を奪った。もしかしたらオレの考えなんてお見通しかもしれない。それなのに父上はそれを咎めようとせず、短剣で傷ついたオレの手に、自らのチーフをぐるぐると巻き付けた。父上の横顔がぼやける。

 いつしか目の前には、寝台に横たわる母上がいた。

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