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イオでもこんな、切羽詰まったような声を出すことがあるのか。驚いたと共に、それだけオレを心配してくれているんだってことが解った。ありがと、心配させてごめん。オレは努めて明るい声で応えた。
「どうして。今までなんでも、一緒にやってくれたじゃん?」
イオと結託して、思いつく限りの悪戯をしてきたことを思い返していた。オレが悪戯を思いつけばイオはいつでも「おもしろそう」って瞳をきらきらさせて、一緒に走り回ってくれたじゃないか。イオが悪戯を思いついたときも同じだった。「楽しく行こうぜ!」を合言葉に、いろんなことを共有してきただろ。この先で本当に本物のドラゴンの髭を手に入れることができると思ったらわくわくするだろ。いつもみたいにごつんと拳を合わせてくれよ。楽しく行こうぜ、って。イオの腕を解こうともがいたけれど、思った以上の強さでどうしても解けない。もがけばもがくほど、イオの腕はきつくオレをいましめるようだった。
「ちょっ、イオ、マジで離して? 冗談キツい」
「ラルこそ。どんな冗談だよ? ドラゴンの髭は手に入ったんだ、後は領都に戻るだけ──だろ?」
首を巡らせた。イオの顔がすぐそこに見えた。
「マジなんだけど。オレは行くよ? 行かせてよイオ」
「行かせない」
「どうして!?」
イオの目が怖い。一瞬の間があって──そして。
「行かせられる訳ねーだろ!!」
イオは叫んでそのままオレの肩に額を押し付けた。
「──頼むよ。まじで勘弁して。頼むから戻ろう」
どうして解ってくれないんだ。一向に離す気配のない、イオの腕を逃れようとじたばたした。イオも必死なのか、ぎゅうぎゅうと強く抱き締めてきて息が詰まりそうだ。
「離せって!」
「離さない!」
「イオ!!」
「見過ごせる訳ないだろっ?! いい加減気づけバカっ!!」
だからなんで?!
「意味解んねえよイオ。どういうこと?」
イオはすぐには答えなかった。オレを抱き締めるイオが震えているのが解った。でも震えている理由が解らない。
「おまえが無茶するのには慣れっこだけど、これは駄目だ。黙って見過ごすなんて、できねーよ」
その声も震えていた。イオがそこで言葉を切った。呼吸を整えているようだ。それから。
「おれ、おまえが好きだから」
イオの言葉が耳に入った。──は?
「や、オレもおまえが好きだけど?」
それとこれとがどう繋がるのか解らず混乱して固まってしまった。
「──ラルの、アホ」
おとなしくなったオレを、イオは今度はやさしく抱き締めた。やさしい声で囁いた。
「頼むから。無茶しないでくれよ」
考える。考えて考えて。
「イオおまえ……好きって、どういう?」
「どういうって。まんまじゃねーか、他に意味あるかよ?」
「いやあの、そーいうんじゃなくて」
「……じゃあ、どーいうのだよ?」
こっちが聞きたい。オレにとってイオは幼馴染で親友で、一緒にバカやって笑い合える奴で、誰よりも信頼していて。好きか嫌いかと言えばそりゃ好きに決まってるけど──暗い水面の奥、視線の先に白っぽい影のようなものが見えた。ヨシュク? ヨシュクは振り返りもせずどんどん水溜まりに入っていく。ざぶざぶと水を掻き分けるヨシュクに手を伸ばしていた。ダメだよヨシュク危ない行かないで! 左手を真っ直ぐに伸ばしていた。
次の瞬間、ヨシュクの幻は消えていた。
そうだもしもヨシュクが今のオレと同じことをしたらきっとオレは、イオと同じことをする。
イオの言う好きって──そういう意味の好きか。
すとん、と腹に落ちた直後、目の前がくらくらした。頭をがつんと殴られたようだった。
イオがまさか、オレに対してそんなふうに思っていたなんて。今まで散々一緒にバカをやってきたのは、そういう気持ちでオレを見てたから? 親友だと思ってたのはオレだけだった?
「おれが嫌いかよ?」
「好きだよ、好きだけどさ」
「──じゃあ、解れ」
「解んねーよ」
答えるとイオは黙り込んだ。でも、腕の力は緩まなかった。
「心配させてんのはほんとごめん。でも、諦めたくないんだ。頼むから離してくれよ」
イオがさらにぎゅうと腕に力を込めた。離せ、は逆効果でしかないようだ。どうしよう。そこにスウェンの、呆れたような声が聞こえた。
「イオくんの一世一代の告白にもそう来たか。さすがというか、なんというか」
スウェンはさらに続ける。
「正直僕はどっちでもいいと思うんだ。ラルを説得して帰るのでも、ラルのしたいようにさせるのでも」
イオに抱き締められたまま、スウェンの言葉を聞いていた。
「だけれど僕は泳ぐのなんて勘弁だし、だからってここで待つのも気が滅入っちゃうから、先に洞窟から出てようかな。たぶんそろそろ、洞窟の外では迎えのひとたちが痺れを切らしてる頃だろうし」
「まるでもう迎えが来てるみたいな言い方、するんだな?」
言い返すとスウェンは答えた。あっさりと。
「うん。来てるよ。だって僕が、シャル様に進言したから」
──なんだって?
「おめでたいねえラル。ほんとにおめでたいよ。ここまで大事にならずに済んだ理由は簡単。僕がシャル様に頼んだからさ。成人の儀式を済ませる前の、最後の我儘になるでしょうから、どうか見逃してほしいって。十日ほど経ったらこの洞窟に迎えを寄越してほしいって」
「なんでそんな!」
裏切られたような気持ちになって唇を噛む。スウェンはどんな表情で喋ってるんだろう。いつもみたいなにこやかな顔か。それとも、何事もなかったような涼しい顔か。イオに捕まってなければスウェンに殴りかかっていたかもしれない。
「ロファラシオ家の人間としては、これより他に手がなかった──そう言えば、納得してもらえる? 途中ジュルガンに襲われたのは予定外だったけれど、その他はまあ、おおよそイオくんにもネタばらししてあったし。ねえ、イオくん?」
今、なんて? イオも──知ってた? イオの顔は怖くて見られなかった。気が抜けたようになって呆然と立ち尽くす。オレを抱き締めるイオの体温が温かくて、だから苦しい。自分の両手を握り合せた。そういう──そういうことかよ。結局ふたりは「貴族のお姫様の戯れ」に付き合ってくれていただけってことか。イオは親友だからオレを助けてくれてるのかと思ったけど、違った。スウェンはスウェンで単に、ロファラシオ家の次子として、いわば自分の主の命に付き合ってきただけ。オレのためなんかじゃなかった。指先がぶるぶると震えていた。その震えを抑えるようにさらに強く、ぎゅうっと両手を握り合わせていた。
「そういう訳だから。僕、先に行くね」
スウェンは冷めた声で言うと、本当に出口に向かってしまったようだ。オレの命を最優先にするとか言ったのも、あの場を繕うためだったのか。ちらっとでもスウェンを信用してすごいと思ったことを激しく後悔していた。やっぱりあいつ、最低だ。スウェンの足音がすっかり聞こえなくなっても、イオはオレにしがみつくように抱き締めたままだった。
「──────イオ。離せよ」
震える声で呟いた。イオは動かない。
「いいからっ!! 離せよ!!」
強く叫んでいた。自分でも信じられないくらいの音量で。瞬間的に膨らんだ苛立ちと怒りが、怒声となってオレの喉から溢れていた。その怒声は天井やら壁やらに反響して、水溜まりの奥に向かって吸い込まれるように消えた。それでもイオはオレを離す気配がなく、だから力任せにイオの足を蹴りまくった。それに気を取られたらしいイオの隙を突いて逃れた。振り向いてイオと対峙する。
「バカにしやがって。ふざけんな。オレだって──」
──好き好んで女に生まれた訳じゃない。悔しくてどうしようもない。自分の力でどうにかできることならまだしも、どうにもできないことが理由で自由に振る舞えないことに、言葉で言い表すことのできない怒りが溢れて止まらない。
今まで──いつもいつもそうだった。
ラルファレッテは女の子なんだから。
その言葉にどれほど縛られてきたか。反発して反抗して好き勝手やってきたけれどそれだって結局は「子どもとして大目に見てもらえる範囲」でのことでしかなかったんだ。オレの意思を尊重したのでも認めてくれたのでもなく。なにもかもに腹が立っていた。悔しさと怒りで勝手に涙が溢れる。涙と鼻水を垂れ流しながら、みっともなく泣き続けていた。両手で拭っても拭っても涙が溢れる。くそ。なんで。
「……ラル」
イオの手がオレの肩を掴む。イオを睨みつけていた。
「触んなバカ。おまえなんて嫌いだ」
びくっとしてイオが手を引いた。涙を拭うのはもう諦めた。ぐずぐずと鼻を啜りながら、オレは下衣も脱ぎ捨てて下着姿になった。
「ラル!」
悲鳴に似た声を上げてイオがオレの腕を掴む。全力で振り払った。
「もういいよ!!」
薄暗い中、イオの指先が宙で彷徨うのが見えた。そのまま水溜まりに身体を向ける。
「もういい。イオも帰れ。おまえもう、従者でもなんでもねーよ。もしも父上やシャル姉さんから咎を受けるようなことがあったら、ワガママなオヒメサマの言いつけに逆らえなかっただけだって答えればいい」
そのままざぶざぶと水に入った。冷たくて心臓がきゅっとした。
「ラル待てって、早まるなって」
腰まで浸かったところで、イオがまたしてもオレを掴まえた。暗くてイオがどんな表情をしているのかはまったく見えない。オレはどんな顔をしているだろう。きっと醜い顔をしている。暗くてよかった。
「信じてた。親友だって」
「ラル……、おれは、」
「ずっと親友でいられるって、そう思ってたのオレだけだったんだな。ごめんなイオ、さんざん振り回して。いいからもう帰れ。オレのことは放っておけ」
力任せに振り解く必要もなかった。イオがその場に立ち尽くす。オレは水の奥──声の方に向かって水を掻き分けるようにしてどんどん進んだ。足がつかない場所まで来た。幸い泳ぎは得意だ。冷たい水で指先や爪先が痺れるような気もしたけれど、それももうどうでもよかった。泳げるところまで泳ぐ。天井がどんどん迫ってきて、ついには潜らないとどうにもならないところまで進んだ。立ち泳ぎで深呼吸を繰り返す。できるだけ息を整え、最後に大きく息を吸って、とぷん、と水に潜った。
目を開けてもなにも見えない。ただひたすらに声の方へ向かって水を掻き続ける。オレがそう思って向かう先が、正しいかどうかも解らないままに。息が苦しくなってきた。目の前が少し、暗くなった。ごぽ、っと大きく、息が漏れた。
イオの顔もスウェンの顔も、もう二度と見たくなかった。
なんの音だろう。耳を澄ます。さらさらさら、と、聞き慣れない音が絶え間なく続く。指先に力を入れるとどうやら濡れた砂を掴んだようだ。膝から下は水に撫でられている。瞼を開けなくても光を感じる。そうっと目を開けた。ぼやけた世界の輪郭が整うにつれ、意識がはっきりしてきた。身体が重くて思うように動けない。それに、剣の稽古でうっかり打撃を受けた後のような痛みが全身に残っていた。這いつくばって水際から離れて仰向けに寝転んだ。空は見えない。なのに周りの様子が判別できる明るさはあった。なにがどうなっているのやら。ここは俗にいう、あの世ってところか。あの世でも身体が重かったりだるかったりするのは納得がいかない。ぶるる、っと身体が勝手に震えた。寒い。膝を抱えて小さく丸くなった。寒さが少し和らぐ。瞼を閉じた。
『眠ってはならぬ』
声にはっとした。地に両手をついてどうにか上半身だけは起こした。胸元でペンダントが揺れているのが目に入る。あらためてぐるりと見回す。足の先には先ほどまで浸かっていた水溜まり。その反対側には岩肌がそびえ、小さな口が開いていた。先ほどからさらさらと続いている音の正体は、左手の上の方から、細く絶え間なく砂が落ち続ける音だった。光源の正体は見たことのない不思議な球だった。目に見える範囲にみっつ見つけた。ガルアンド様の屋敷にあった硝子玉のようなものに光が閉じ込められている。ランプや蝋燭みたいに消える心配がなさそうだ。便利だな。持って帰れるといいのに。




