10
スウェンに叩き起こされた。
「適当になんか食べちゃって」
むっとしたままで首を振ると、スウェンが呆れた、という顔をする。
「まだ拗ねてんの? そういうところがお子ちゃまだって言ってんの」
スウェンは焚火の後始末をしながら言った。
「もういいからさ、頭切り替えなよ」
イオはイオで、無言でテント代わりの布を畳んで荷物の整理をしていた。
「よし、っと。イオくん、準備はいい?」
「いつでも」
スウェンがちらっとオレを見る。手早くまとめた荷物を背負ったところだった。
「食べないともたないよ?」
「うるさい」
それ以上スウェンはなにも言わなかった。イオに歩み寄るとその耳元に小さく囁いて、イオは真面目な表情で頷いた。
「じゃあ行こう」
スウェンが歩き出す。イオの様子を伺うと目で促されたのでスウェンの背を追いかけた。その後にイオがついてくる。三人が三人とも無言のままで歩き続けた。いらいらむしゃくしゃはちっとも収まらない。
まったくオレのどこが我儘でお子ちゃまだって言うんだ。どれほど歩いたのか、さすがに腹が減ったなと思ったところでスウェンが休憩しようと言い出した。正直ありがたく思いながら荷物を下ろす。そのまま座り込むとはあ、と勝手に深いため息が漏れた。水筒から水を飲み、干した肉と果物を食べた。後頭部に視線が突き刺さるのを感じたので見てみるとイオがじいっとオレを見ていた。
「……なんだよ?」
「別に」
イオはそのまま視線を逸らす。スウェンは相変わらず、地図とにらめっこだ。
「今どの辺にいるとか、解るのか?」
イオがスウェンに尋ねる。
「正確な場所までは解らないよ。大体この辺かな、ってくらいで」
イオはスウェンが手にしている地図を覗き込んでいる。地図を指でなぞりながらイオが尋ね、そのたびにスウェンはきちんと答えているようだ。イオとスウェンの声が遠くなる。抱えた荷物に頭を乗せた。瞼を閉じる。あーこのまま眠りたい。
「ラル!」
呼ばれてびくっとして、慌てて顔を上げた。イオがほっとしたような顔でオレを見ていた。
「大丈夫か?」
「大丈夫だよ!」
本音を言えば全然大丈夫じゃなかった。昨日とは比べものにならないほど足が重いし、荷物も肩に食い込むようだ。だけど、もう少し休もう、なんて、悔し過ぎて口には出せなかった。
「よし、じゃあ行こう」
スウェンが言った。やっぱりイオは、オレがスウェンに続くのを待っている。荷物を背負うとスウェンを追った。スウェンがちらっとオレを振り返り、そのまま無言で歩を進める。しっかりと足を運んでいるつもりなのに、今日はやけに下草が足に引っかかる。大きくバランスを崩し転びそうになったオレの腕を、後ろからイオが掴んだ。
「しっかりしろよ」
オレを支えるイオを仰ぐ。
いつの間に、イオはこんなに背が高くなってた?
初めてイオと会ったとき、よろしくな、と笑ったイオはオレよりチビで、だから勝手にイオはオレより年下だと思っていた。だけど実際にはイオがふたつも上だった。気がついたらイオはオレよりも背が高くなってて、それと同時に身体も大きくなっていった。いくら稽古に精を出してもオレの腕はなかなか太くならず、その間にもイオの腕や肩回りはしなやかな筋肉で覆われていった。剣を合わせるとイオの斬撃は重く、だからオレはレイジーの指導で、早さを重視した剣術を磨くようになった。イオとの手合わせでは、オレはイオよりうんと早く斬撃を繰り出せる。力では叶わなくても速さでは負けない。でも──だけど。
こんなときには、思い知らされる。
オレはきっといつまで経っても──。
「おい、ラル?」
イオの目が厳しい。はっと我に返って頭を振る。
「スウェン!」
イオがスウェンを呼ぶ。
「少し休もう」
「うん」
スウェンがオレたちのところまで戻って来た。イオはその間、オレが背負った荷物を肩から引き剥がした。荷物から解放されても身体は重く、オレの意思とは裏腹にその場にへにゃへにゃと座り込んでしまった。地面に手をついて、肩で大きく息を吸った。荷物がなくなったせいか空気が身体の奥までしっかりと入ってくるような感じがした。目を開けているつもりで全然開いていないことに気がついたのは、額の辺りにひんやりと冷たいものが触れたときだった。
「……な、?」
額に宛がわれた腕の向こうでイオが心配そうな顔をしてオレを見つめているのが見えた。目の前に突き出された水筒を受け取って口をつけた。水筒を差し出していたのはスウェンだった。
「ここから動かないでね。辺りを見てくるから」
「ロープは?」
「そんな遠くに行かないし、見失ったら呼ぶから答えて」
「解った」
イオが短く答える。オレはそのまま、その場にだらしなく横になっていた。額に当てられた手拭いがずるりと滑って落ちた。手を伸ばして拾おうとしたところまでは覚えている。ひょう、っと甲高い笛の音が聞こえたような気がした。ぼうっとしたままで目を開けると、ぼんやりと柔らかい炎が見えた。瞬きを繰り返す。ぱっと慌てて半身を起こした。さっきまで周りにあったはずの木々はなく、昨夜野宿をした場所のようにやや開けた場所にいた。なにが起こったのかさっぱり解らない。見上げた空は夕暮れの色に近かった。
焚火の傍らで、スウェンがポットを手に持っていた。あの匂いがする。
「目、覚めた?」
返す言葉もない。俯いて小さく頷くのが精いっぱいだった。地面の草がぼやける。う、と小さく声が出た。そのままオレは、地面に倒れ伏して声を殺して泣いていた。なんだこれ。なんだよこれ。オレは──オレは。誰かが歩み寄る気配がして、背中にその手が触れた。思わずびくっと身体が跳ねた。悔しい。顔を上げることもできずに蹲っていると、スウェンの声がした。
「これちゃんと飲んでね。それから今夜はこのままここで野宿」
答えないオレに、さらにスウェンは続けた。
「明日もこんな調子だったら、僕ひとりで領都に戻るから」
すっかり日が暮れていた。イオが作ったスープで固いパンをふやかしてしっかりと食べた。スウェンの煎じ薬も飲んだ。少し離れた場所でスウェンが眠ってて、イオは焚火をじいっと見ている。おずおずとイオに話しかけた。
「あの……さ、イオ」
「うん?」
「……怒ってる?」
イオは首を振った。
「呆れてる」
そうだよな。オレもオレに呆れてる。
「無理してるのは解ってたけど、無理すんなって言えば意地になって余計に無理するんだろうなって。だから放っておこうって──スウェンが」
ちらっと眠るスウェンに視線を投げた。
「これで解ったろ?」
頷くしかなった。ぱちっと枯れ枝が爆ぜる。
「おれにはおまえが男子の儀式にこだわる気持ちなんて、これっぽっちも解んねーけどさ」
イオは淡々と、枯れ枝を焚火に放り込む。
「でもやり遂げたいって気持ちは本物なんだろうな、ってことは、解るつもりだ。そのためにおまえ、ちゃんとおとなになれ」
またそれか。むっとした。だけど確かにイオの──スウェンの言うとおりだった。スウェンの言葉に逆らった挙句が、あの体たらく。納得できないこともたくさんあるけれど、頷いていた。頷くしかなかった。
「あ。あとこれ。おまえに飲ませておけって、スウェンが」
イオはオレの隣に移動してきて、小さな紙包みを手に押し込んだ。開いてみると丸薬だった。匂いはしない。見たこともない丸薬で、オレはイオに疑いの眼差しを向けていた。
「よく眠れるんだって。ベッドじゃないから疲れは完全に取れないかもだけれど、眠ればその分、回復するってスウェンが」
またスウェンかよ。思ってそう突っ込むとイオは唇を噛んだ。
「そりゃあさ。なにもかもスウェンに頼りっきりで情けないったらないけど。よく考えてもみろ、スウェンはおれよりも三つも上で、いろいろ知ってる。ラルが目的を達成するためには、いやかもだけどスウェンの言うことは聞いた方がいい。それがきっと『おとなになる』ってことなんだよ」
イオの言葉を素直に聞けるほど、オレはおとなではないみたいだ。それも悔しくて、だけどオレはその丸薬をつまみ上げて口に入れた。水で流し込んで、そのまま横になって瞼を閉じた。
おやすみ、とイオがオレの頭を撫でる。
「お子ちゃま扱いすんなって」
言い返すとイオの笑い声が返ってきた。
「そういらいらすんなよ。楽しく行こうぜー」
悔しい。悔しい。悔しいことばっかで、どうしようもないけれど。
とりあえず、今日みたいな失敗は二度としないから覚えとけ。
その先の旅は、おおよそ順調だった。
予定を一日遅れたけれど出発から五日目で峠の麓の宿場に着き、宿に泊まって久々に水浴びをしてさっぱりした。宿のおかみさんの好意でおかみさんお手製のおいしい煮込み料理を食べ、固かったけれどベッドで眠れる幸せを噛み締めた。峠を越えた日は天気もよくて、森の中の道とも呼べない所を進むのに比べたら、整備された道は見通しもよく歩きやすくて楽だった。休憩のタイミングはやっぱりスウェンが決めて、だけれどオレはもう、スウェンに反抗しようとはしなかった。この旅が終わるまでの辛抱だ。そう自分に言い聞かせて。
峠を越えると少し気候が変わったようだ。風が重ったるい。峠を越えた先の宿場で宿を取り、その翌日にはソルダという小さな町に立ち寄る。さすがにここまで来ればもう、オレの身分を知っている人間もほとんどいないだろうし、野宿続きで小汚いこの身なりを見て、オレがルグレン家に連なる人間だと判断するものもいないだろう。心細くなってきた食料の調達に出かけようとしたイオとスウェンに聞いてみた。
「オレも買い出しについて行っていい?」
ふたりは顔を見合わせた。首を振ったのはイオだった。
「駄目。万が一ってこともあるし」
「イオのケチ」
むくれるオレにイオが笑う。
「気持ちは解らないでもないけどさ。おとなしくしとけ?」
「ラルの好物があったら買ってくるね」
スウェンがそう付け加えてふたりは部屋を出て行った。いつものように鍵をかけてベッドにぼふん、と身を投げ出した。このまま不貞腐れて眠っちゃおうかと思ったけれど、それも成長がないなと思い直して起き上がると、荷物から地図を取り出してベッドに広げた。
領都を抜け出してもう八日。シャル姉さんはどうしているだろう。あと数日で父上も王の拝謁から戻るはずだ。きっと父上のことだ、オレが南端の洞窟に向かったことなんてお見通しだろう。そこから迎えを寄越される前に、洞窟に入ってしまいたい。この先、進むべき道を指でなぞる。ソルダを出て、この旅で一番大きな森を縦断すれば洞窟はもうすぐそこだ。森を抜けるまでには三日程度かかる見込みで、父上が追手を差し向けたらすぐに追い付かれるのではと考えると不安だった。スウェンが言うには、整備された街道を進んで洞窟を目指す人間はおろか、この森を抜けて洞窟を目指す人間なんてまずいないから、きっと大変な道行になるだろう、ということだった。
「それにこの森。野生の獣の宝庫らしいよ。小動物はいざってときの食料になるからいいとして、厄介なのは大型の獣たち。いよいよイオくんの腕の見せ所かもね」
スウェンの科白が頭を過る。大型の獣なんて見たこともないけれど、どれくらい大きいのだろう。もう少しスウェンに詳しい話を聞いておけばよかった。戻ったら聞いてみよう。微かなノックに気がついてドアを振り返る。
「戻ったよ」
スウェンだ。鍵を開けた。
「お帰り」
「おう」
イオは大きな荷物を抱えていた。
「なにをそんなに買い込んで来たんだよ?」
「食料がメインだけど、ランプの燃料とか念のための蝋燭とか。ラル忘れてないよね? 最終目的」
「忘れる訳ないだろ?」
荷物を下ろしたイオが、ベッドに広げっぱなしだった地図をちらりと見た。
「ああ。この先の日程を計算してた。父上が領都に戻ったら、きっと迎えを寄越すだろうなって」
「迎え?」
イオに問われて、さっき考えていたことを話す。
「確かになあ」
イオが納得顔をした。スウェンは買い出しの荷物を広げている。




