44 初恋が始まる音がした
言ってしまった。
もう取り返しはつかない。
沈黙が肌を刺すようで、今にも逃げ出したくなる。
それでも、俺は悠莉に逃げずに返答をすることを強要した。
だから俺が逃げることは許されない。
「……蓮くんは、私のどこが好きなんですか」
ぽつりと悠莉が零した言葉。
緑の瞳には戸惑いが揺れていたが、それでも俺との約束を守ろうと真摯に向き合っているのが伝わってきた。
「一番は、悠莉の笑ってる顔。見ていると胸がどきどきするし、あったかくなる」
悠莉の笑顔にも色々ある。
子どもっぽいものや、優しげな微笑み。
頬を赤らめながらの色っぽさを帯びた笑みに、花火のときに見た満開の笑顔。
笑顔でなくともふとした瞬間に見せてくれる豊かな表情が、好きだった。
「それは蓮くんが私に嫌な気持ちをさせないように気遣ってくれるからで」
「悠莉だってそうだろ? 俺が悠莉といて嫌なことは一度だってなかった。互いに気を遣いあっていたから、結果的に二人とも楽な空間になってた」
「……でも、私が蓮くんを頼ることが多かったです」
「受け入れたのは全部俺の勝手だ。頼って欲しいって言ったのも俺だ。……悠莉が泣いている顔なんて、もう見たくないと思ったから」
夏祭りの翌日。
泣いていた悠莉を図書室に連れ出したときから、俺は悠莉を支えたいと思っていたのだろう。
きっと、その理由は悠莉のことが好きだったから。
好きな人が泣いているのが、耐えられなかった。
たったそれだけの……けれど、揺らぐことのない思い。
俺はもう、悠莉の笑顔に惹かれていたのだから。
しかし、悠莉は首を横に振る。
「……私、重い女ですよ? もしも蓮くんが違う女の子と話していたら、嫉妬してしまいます」
「俺も悠莉が俺以外の男と話してたら嫉妬するから同じだな」
「束縛感だって強いと思いますっ。私は寂しがり屋ですから、一緒にいられるときはいたいです」
「ああ。ずっと隣にいても、悠莉となら飽きないだろうな。俺こそ一緒にいられるときは一緒にいたい。離れたくない。離したくない」
「……私は弱いですから。いっぱい泣いてしまうかも……いえ、泣いて、蓮くんを困らせてしまいますよ?」
「いつだって胸を貸して、頭を撫でて、それでも足りないなら抱きしめてやる。泣き止むまで、ずっと付き合う。どうせ泣くなら、俺にだけ見せて欲しい」
悠莉が次々と出す否定の言葉の全てを肯定する。
恋心という淡い感情でコーティングした独占欲と呼ぶべきもの。
他の誰にも悠莉を渡したくない。
歪んでいるようで純粋な想いを、ありのままに伝える。
悠莉は口ごもるばかりで、次の言葉は出てこない。
「――悠莉。俺が悠莉を好きな気持ちは嘘じゃない、本気だ。悠莉の全部が好きだ。笑顔も、性格も、その容姿も……全部ひっくるめて、俺は本倉悠莉という一人の女の子が好きだ。だから、悠莉の答えを聞かせて欲しい」
二者択一。
中途半端な答えは存在しない。
はいかいいえ、ただそれだけ。
黙り込んでしまった悠莉の返事は、いつまでも待つつもりだった。
悠莉が両手で顔を覆う。
そして――聞こえてきたのは、いつかの嗚咽に似たもの。
両手からはみ出た耳は赤く熟れていて、肩を震わせながら俯いている。
「悠莉、泣いて――」
手を伸ばそうとした。
だが、手が届く前に悠莉が両手を退けて、隠されていた表情が露わになる。
悠莉は泣いていて――それを補って余りあるほどの笑顔を咲かせていた。
「違います……泣いてませんっ」
「それは無理があるだろ……」
「いいんですっ!」
そこまで強気に言われれば逆らえず、伸ばしていた手を引いていく。
頬を伝う透明なそれは間違いなく涙で、泣いていた証で。
指摘するのは野暮というものだとわかっていながら、どんな意味があるのか気になって仕方ない。
悠莉は涙の痕をハンカチで拭い、緩めていた頬を引き締める。
微妙に緩んだままではあるが、悠莉は気にせず俺を緑の瞳に映した。
「蓮くんの告白への返事でしたね。わかりました。逃げずに、私の言葉で答えます」
遂に来る。
心臓が締め付けれらているかのように痛む。
呼吸でまともに酸素を取り込めている感覚が薄い。
全神経が悠莉の一挙手一投足に集中していて、他の情報が頭に入らなくなった。
これが告白――好きな人へ、思いを伝えること。
その緊張は、重圧は、並大抵のものじゃないのを、身をもって知る。
たったの数秒が永遠にも等しいほど引き伸ばされているように感じられて。
「――私が蓮くんと出会ったのは、ここでしたね。眠っていた蓮くんを起こしてしまって、図書委員の仕事を手伝ってもらいました」
そう遠くない過去を懐かしむように、悠莉が呟く。
「元々、蓮くんがお礼を考えるために会っていたはずなのに、いつの間にか私の方が蓮くんと会うのが楽しみになっていました」
「俺だって楽しみにしてたし……そのお礼も、今日伝えたけどな」
「蓮くんが図書室に来る理由がなくなってしまったと考えると、少し残念ですね。偽装交際も終わって、今の私と蓮くんは友達という関係です」
「……ああ」
「――私が偽装交際を解消しようと持ち掛けた理由。一つだけ、蓮くんに話していないことがあります」
悠莉は悪戯が成功したように目を細めている。
席を立って、俺の隣に座り直した。
椅子を傾けて俺の方へと身体を向けたので、俺も倣って悠莉と向き合う。
そして、悠莉が桜色の唇を震わせて、
「私が好きな人は――貴方です、蓮くん」
淡い微笑みを湛えながらの言葉に、時が止まったような気がした。
何度も何度も反芻し、聞き間違いではないことを確認して。
すっかり固まってしまった口を必死に動かそうとするも、極度の緊張のせいか声が出てこない。
けれど、自分の意思に従って両手だけが悠莉に伸びて、
「っ、蓮、くんっ」
気づけば、悠莉を抱きしめていた。
耳元で驚きを帯びた囁きが聞こえる。
頬を撫ぜる細やかな髪、悠莉の甘い香りが空気を塗り替えた。
半そでのブラウス越しに伝播する温もりと柔らかさ、沈んでいくほどの幸福感。
悠莉も応えるように腕を背中に回してくれて、抱きしめてくれる。
これが幸せなんだなと確信を得るくらいには、俺の心は満たされていた。
「――改めて言わせて欲しい。俺の恋人になってくれ、悠莉」
「……はいっ」
僅かな恥じらいを伴った、それでいて絶対的な嬉しさを滲ませた返事。
不安も緊張も、何もかもが吹き飛んでしまうくらいの喜びが、どこからともなくあふれ出た。
身体が芯から震えている錯覚すら感じてしまう。
初恋は叶わないというけれど、きっと俺が悠莉へと抱いている気持ちが色褪せることはないだろうと確信があった。
「悠莉」
「どうしましたか?」
「もっと、悠莉に好きだって気持ちを伝えたい。幸せ過ぎて頭がおかしくなりそうだ」
「……でも、もうハグしてますよね。これじゃあ足りませんか?」
「全然足りない。だから……悠莉さえよければ、キス……させて欲しい」
恥ずかしさよりも悠莉への好きを伝える方を優先したが、悠莉は過去にないくらい顔を赤らめて、
「ちょっとまだそういうのは恥ずかしいというか……」
「ああいやそうだよな、うん、俺が無茶言った。わかってる。そういうのはもっと段階を踏んでから――」
「でも私も同じなので……だから、口じゃなくて、ほっぺたなら、ギリギリ、大丈夫、です」
細切れにされた言葉。
そして――左頬に感じた、潤いを帯びた柔らかな感触。
優しく触れるようなそれは数秒で離れて、呆けながらも至近距離で悠莉と視線を交わせた。
「……今度は蓮くんの番、ですよ?」
甘い誘惑。
顔が真っ赤になるほど恥ずかしがっているのに、頬へキスをするように要求する悠莉は可愛すぎて――さっきまで頬へ触れていたはずの唇へと視線が吸い寄せられる。
許されたのは頬へのキスまで。
それがもどかしく、いっそのこと強引に奪ってしまおうか、なんて考えてしまうくらいには魅力的だ。
けれど、無理やりにはしたくなかった。
ちゃんと悠莉を大切にして少しずつ、先に進んでいきたい。
腹の奥で燃え上がるそれを宥めて、きめの細かい雪原のような跡のない頬へ、口づけを落とした。
あまりに柔らかな頬をついばみ、悠莉の表情を観察する。
甘く蕩けた悠莉の目元。
すっかり緩んだ口角、心地よさに身を委ねるように優しい抱擁を続けてくれる。
やっぱり唇にしなくてよかったと自分の選択を讃えつつ、離れながら耳たぶへ吐息をかける。
「それ、は……っ」
「震えるくらい気持ちよかった?」
「……答えるのは悔しいので、このまま抱きしめててくださいっ」
「はいはい」
可愛い文句に喜んで応じて、そのまま悠莉を抱きしめる。
冷房が効いているはずなのに、身体は驚くほど熱を帯びていた。
悠莉も同じようで、触れ合う素肌は火傷しそうなほどに熱い。
それでも離れようとしないまま、お互い無言で溢れんばかりの幸せを分かち合うように抱き合って。
今、このとき。
悠莉と出会ったこの場所で。
初恋が始まる音がした。
これにて完結です!!最後まで読んでいただきありがとうございました!!
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