40 ずるいのは私かもしれません
近くのスーパーで食材を買い込んで帰宅して、悠莉はすぐ調理に取り掛かった。
俺も手伝おうとしたが、「蓮くんが料理したら意味ないです」と却下されたので、大人しくリビングで待たせてもらっている。
買い物には付き合ったものの、何を作るのかは知らされていない。
完成を楽しみにしておこう。
一時間ほど経つと、キッチンの方から「できました」と声がかかった。
運ぶくらいは手伝おうと顔を出してみれば、エプロン姿の悠莉が皿に盛り付けをしている。
料理の時は長い髪を結んでいるらしい。
素直に可愛くて無意識に頬が緩んでいないか心配だったけど、悠莉の反応を見るに顔には出ていないと思う。
盛り付けられている皿の内容で、今日は和食らしいことが判明した。
肉じゃが、出汁巻き玉子、シラスとほうれん草の和え物、わかめや豆腐などの具材が入った味噌汁。
シンプルながらどれも出来栄えが綺麗で、食欲をそそる香りが漂っていた。
「美味しそうだな。お世辞とか抜きで」
「ありがとうございます。今日は私の独断と偏見で和食にしてみました。苦手な物とかはないとのことだったので」
「なんか特定の料理を出せればよかったんだけどな」
「いえいえ。誰かに作る機会がなかったので、私も楽しく料理できました」
明るく微笑む悠莉。
事情を知っている身としては、そんな風に笑ってくれることが何よりも嬉しかった。
「男の人は肉じゃがが好きと聞いたので」
「それどこ情報?」
「紗那さんですけど……あ、いえ、これは別にはじめからそのつもりだったとかではなくて――」
「自爆してるぞー」
「うう……」
美鈴……悠莉になにを吹き込んでいるのか。
「でも……俺を喜ばせようとしてって考えてのことなら、嬉しい」
「……はい」
悠莉は返事だけして、照れ隠しをするようにご飯をお椀によそい始めた。
俺も準備を手伝っていると、
「……家族ってこんな感じなんでしょうか」
聞こえてしまった悠莉の呟き。
慌てて何も聞いていない風を装ってキッチンから出ていき、とんでもない速度で高まった鼓動を必死に鎮めようと試みる。
血流が一気に全身を巡ったような熱さを感じた。
耳まで赤く、熱くなっているのが鏡を見るまでもなくわかった。
どうして悠莉があんなことを言ったのかわからない。
わざわざ俺がいる場所で、俺に聞こえるか聞こえないかくらいの声量で言われたら――とてもじゃないけど意識してしまう。
俺が悠莉を好きなことなんて、自分でも理解している。
友好的な好きではなく、恋愛感情としての好きであることも。
悠莉が調べていた好きの意味を思い出す。
――『心がひかれること。気にいること。また、そのさま』
当たり前だと思っていた意味が、今ならわかる気がした。
偽装交際という関係になったことで、より関わる機会が増え、結果として悠莉の色んな一面を知った。
水族館で子供のように楽しんでいたこと。
思い出として買ったお揃いの栞を嬉しそうに受け取ってくれたこと。
お見舞いの時に見せた甘えたがりで寂しがり屋な部分も。
夏祭りの浴衣姿と、花火に勝るとも劣らない満開の笑顔。
高嶺の花、『雪白姫』なんて呼ばれていた存在ではなく、一人のどこにでもいる普通の少女――本倉悠莉としての表情はとても魅力的だ。
それでいて、悠莉には他者へ見せない影の部分がある。
家族からいないものとして扱われていることは悠莉にとっての辛い過去であり、今も続く責め苦だ。
ひたすら孤独感を味わう日々の辛さは想像するしかない。
悠莉の笑顔をずっと、見ていたかった。
それが、悠莉を好きになった理由なんだと思う。
「これで全部ですね。冷めないうちに食べましょうか」
「そうだな」
二人で料理をテーブルに並べ終わり、対面の席に座って手を合わせて「いただきます」と挨拶をしてから箸を伸ばす。
悠莉は俺を待っているようだったので、まずは個別で盛り付けられた肉じゃがを食べてみることにする。
具材はシンプルなにんじん、たまねぎ、じゃがいも、豚肉に加えてインゲンも入っていて彩りも綺麗だ。
一口大のじゃがいもを口に運び咀嚼すると、ほろりと解れて薄口の上品な味が広がった。
他の具材もしっかり味が染みていて、思わず次々と箸が進んでしまう。
安心できる温かい味と言えばいいのだろうか。
決して濃い味ではないのだが、自然な納得感がある。
「……美味い」
「そう言っていただけると腕によりをかけて作った甲斐がありますね」
悠莉は内心、俺の反応が心配だったのだろう。
一言だけのそれを本心からだと察した悠莉は頬を綻ばせて微笑んだ。
他の料理もシンプルなものではあったものの、どれもがお世辞抜きに美味しかった。
どれが一番かなんて甲乙つけ難く、気づけば完食してしまっていた。
「おかわりもありますよ」
「……じゃあ、貰おうかな」
「私が持ってくるので座っていてくださいね」
先んじて釘を刺され、空になったご飯のお椀をもってキッチンへ消えていく。
……なんだろう、このそこはかとない新婚感。
抱きしめて慰めてくれて、膝枕で寝かせられて、しまいにはこんなに美味しい食事をおかわりまでできるって……幸せ以外の何物でもないな。
いやまだ気が早いしそこまでの関係性じゃないしなんなら俺と悠莉は偽装交際ってだけの友達同士で。
――それなら、やっぱり終わらせるしかない。
悠莉との歪で居心地のいい関係性を。
想いを伝えるのは怖い。
もし拒絶されたらと考えると、伝えない方がいいんじゃないかと思えてくる。
でも、言葉にしないと伝わらない。
そう悠莉に言ったのは、俺だ。
「おかわり持ってきましたよ。他の料理もあるので、好きなだけ食べてくださいね」
「……ありがとう」
こんもりと盛られたご飯。
部活をやめてから食べる量が少なくなったが、これくらいなら全然食べられる。
他の料理もおかわりを貰いつつ、俺が食べる姿を悠莉はニコニコと笑みながら眺めていた。
ほどなくして悠莉が作った夕食を食べ終え、食後のお茶を貰ってから帰ることとなった。
空はすっかり暗くなっていて、きらりと輝く星々が点々としている。
「夕飯、美味しかった。ありがとう」
「いえいえ。こちらこそ喜んでもらえて何よりです」
「機会があれば、また食べたいってくらいは美味しかった」
「私はいつでも構いませんよ? 一人で食べるよりも、二人で食べたほうが美味しいですから」
嘘か本当かわからないことを平然と言っていた。
……そういうところだぞ、ほんと。
あの呟きを思い出してしまって、熱が上がってくるのを感じる。
「……ちゃんと戸締りするんだぞ」
「子どもじゃないですからわかってますよ。気を付けて帰ってくださいね」
赤くなっているであろう表情を誤魔化しながら、悠莉に見送られて帰るのだった。
■
ばたん、と扉が閉まって、私はその場にしゃがみこんでしまった。
両手で顔を覆い、その熱さに自分で驚く。
だって、仕方なかった。
「……絶対聞こえてましたよね」
夕食を用意しているとき頭の中で考えていたことを、無意識に口にしていた。
あの声量では蓮くんに聞こえていてもおかしくない……いえ、十中八九聞こえていたと思う。
ああいってしまった直後に蓮くんはキッチンから消えてしまったし、その後も少しだけぎこちない気がした。
でも、それは蓮くんが私を意識してくれているからこその反応で。
……また、顔の温度が上がった気がする。
「だって……仕方なかったんです」
誰もいない家の中で言い訳のように呟いた。
私は祖母を別にして、家族愛や団欒といったものを知らない。
父も母もほとんど家にいなかったし、いても一緒にいることはなかった。
「憧れていた……なんて、笑えませんね。でも……ずっと続いて欲しいと思うくらいには――」
さっきまでの温かな空気を思い出して、きゅっと胸が痛む。
まだ蓮くんと一緒にいたかった。
強引にでも引き留めて、家に泊めて、お話をして、二人で朝を迎えたかった。
そういうことをする勇気はないし、そういう立場ではないのもわかっているけれど、蓮くんが帰った途端に寂しさと恋しさが同じくらいの熱量で湧いている。
もうその感情がなんなのか、わかっていた。
もう止められそうにないことも、わかっていた。
「これが好き、ということなら――」
私は、先に進みたい。
この好きを伝えた、その先に。
「……私、自分勝手ですね。でも、ごめんなさい。やっぱり、ずるいのは私かもしれません」




