37 友達ですからね
閑静な住宅地を、悠莉の要望もあって手を繋いで歩いていた。
図書室に来たときの悲しげな様子は鳴りを潜め、穏やかな雰囲気を漂わせている。
雑談をしつつ歩いて、悠莉の家に辿り着く。
家の前で悠莉はくるりと振り返り、
「蓮くん。今日はありがとうございました」
丁寧に頭を下げてそう言った。
面と面を向かって感謝されるのは気恥ずかしい。
「何かあれば頼ってくれって言ってたし。それよりも、ちゃんと覚えてて頼ってくれたことの方が嬉しかった」
「……そういうところがダメなんですよ」
「何がだ?」
「蓮くんは人誑しだって話です。それより……少し、休んでいきませんか? 以前はちゃんとおもてなしできませんでしたし、今日のお礼も兼ねてお話したいです」
どうですか? と聞きつつも、悠莉はシャツの裾を引っ張ってくる。
言葉と行動がかみ合っていないのは無意識だろう。
「一応わかってなさそうだから言っておくけど、俺も男だからな」
「わかっていますけど?」
「だから……他に誰もいないのに俺を家に入れて大丈夫なのかって話だよ。もし襲われでもしたらどうするつもりだ?」
じっと視線を送りつつ、警告をする。
お見舞いのときも思ったが、家に男を入れる意味を分かっているのだろうか。
そういうことをするつもりはないけれど、万が一、俺が生物的な欲求に呑まれたとして、犠牲になるのは悠莉だ。
俺だって人間、男だから百パーセントの保証なんて不可能。
ただでさえ悠莉といるときは危ないと感じることが多いのに、悠莉の家で、部屋でそんなことをされれば、一線を越える可能性はゼロじゃない。
悠莉は俺を家に入れてもいいくらいに信頼してくれているのは嬉しいし、その信頼を自ら裏切ろうなんて考えていない。
だからこその、最終確認だった。
しかし、返ってきたのは天使のような微笑みで。
「――蓮くんは大丈夫だって、信じてますから。それとも……私にそういうことを、したいんですか?」
湿らせた桜色の唇から発せられた言葉は妙な色気を帯びていて、それでいて強い信頼を宿らせた緑の瞳は俺を映している。
逃がす気はないと言いたげに、くいくいとシャツの裾を二度引っ張られた。
流石に退けない。
ここまで言われて帰ったら善良な悠莉とはいえ逃げたと思われそうで、心の奥に競争心のような火が灯った。
最後に俺の理性残量を確認し、絶対に本能に呑まれないと心に誓い、
「……いや、しない。するわけないだろ? 友達なんだから」
友達という部分を強調して口にすると、なぜか悠莉は渋面を作った後にため息をついて、
「そうですよね。友達ですからね」
なんとなく呆れているような気配を露わにしつつも、俺を家に招き入れた。
通されたのはリビングではなく、悠莉の部屋だった。
お見舞いで来たときと変わらない景色。
大多数の男が思い描くような女の子の部屋ではないものの、綺麗に整理された室内はバニラのような甘い香りが微かに漂っている。
二度目とはいえ異性の部屋にいるという事実に慣れるはずもなく、玄関を潜ったときからじりじりとした緊張感を味わっていた。
だから、つい視線が右往左往してしまうのは仕方のないことで。
心臓を刺激するようなものがなくてよかったと安堵したのも、仕方のないことだ。
「お待たせしました」
悠莉がティーポットやカップなどを乗せたお盆を持って部屋に戻ってくる。
「ありがとう。紅茶?」
「はい。一応茶葉からちゃんと淹れたものです」
「へえ……凄いな。飲むにしてもインスタントか市販のやつだし。それに、クッキーまで」
「そっちは流石に市販品ですね。紅茶によく合うので常備しているんです」
話をしつつ、悠莉は手際よくお茶を淹れていく。
ふわりと広がる芳醇な香り、黄金色と呼ぶべき紅茶が白い陶器のカップに注がれた。
どうぞ、と差し出されたそれをありがたく受け取って、まだ薄く湯気の上がるカップを傾ける。
「……美味しいな。なんだろう、雑味がない? 飲み口がすっきりしてる」
「ダージリンという飲みやすい茶葉です。日本でも結構見かける種類ですね」
軽い説明を挟んでくれた悠莉と一緒に、また一口。
ほっと一息ついたところで、クッキーにも手を伸ばす。
こちらは市販品らしいが、しっとりとした生地の触感と後に引く甘さが上品だ。
紅茶と組み合わせるのは良いなと感じた。
「…………」
「…………」
しかし、互いに会話が続かない。
気まずいというよりも、二人でお茶を飲んでいることに満足しているような感覚。
「……あのさ」
「どうしました?」
「今ふと思ったんだけど、俺って悠莉の話ばかり聞いてて自分の話をしたことあんまりないなって。なんか、一方的に知っているのはフェアじゃないっていうか」
「したくない話を無理にする必要はないと思いますけど」
「それはもっともだし、こんな空気を壊しそうなのもわかってるんだけど……少しだけ話してもいいか?」
断られてもいいと考えていた。
悠莉に俺の話を聞く義務はないし、無理に聞かせたいわけでもない。
ただ、悠莉が聞いてくれたら……自分の中にあるなにかが晴れる気がして、そう言ってみただけのこと。
どうだろうかと悠莉の様子を窺っていると、眉を下げつつ微笑んで――テーブルの体面から、俺の隣に座り直した。
「辛いことは吐き出せるときに吐き出してしまいましょう。私でよければ、話くらいは聞いてあげられますから」
「……それ、俺の真似?」
「そうです。似ていますか?」
「……全く似てないな」
「どういうところがですか」
「俺は悠莉ほど可愛くない」
「……揶揄ってないのが本当に、ずるいです」
見境なく揶揄うと思われていたのか。
それは普通に悲しいけど、わざわざ俺が使ったセリフを流用した悠莉に感謝しながら、忘れたくても忘れられない記憶を思い出しながら口を開いた。




