廃品回収 其の壱 虐待編
どうしてリヤカーを引いているか、でございますか?
それが仕事でございまして。はい。回収業を営んでおります。
珍しいとおっしゃる。
言われてみれば、確かに、そうでございますね。
最近はリヤカーなんて、とんと見かけなくなりました。ついこの間まで、古新聞を山積みにしたリヤカーなどは、珍しくもなかったのですがねえ。
いやはや、光陰矢の如しとは、よく言ったものでございます。
商売になるかって言われますと、どうでしょう。儲かりはしないですねえ。
はあ、他の仕事をすれば良い?
おっしゃるとおりでございます。
ですが、私は年も年ですし、これしか知らないものですから、今から別のことを始めるってわけにもまいりません。いつからやっていたのか、自分でも忘れてしまっているくらいでして。
ハハハ・・・。
いえいえ、冗談ではございません。
ええ、この仕事に就いたのは、そりゃあもう大昔のことですから。はい。本当に覚えていないのでございます。
年齢ですか。
それも忘れちまいましたねえ。いくつに見えますか?
七十五歳。おお、それは嬉しいですなあ。ありがとうございます。この年になると、若いと言われるのは嬉しいものでございます。
おや、おかしなことを申し上げましたかな? 七十五と言われて喜ぶのは変ですか。ははあ、そう言われると、その通りでございますね。
いや、これは一本取られました。
ハハハ・・・。
この仕事の何が楽しいのか、とお尋ねでございますか。
何が楽しいんでございましょう。
お聞きになりたいので?
ああ、そうでございますね。聞きたいから尋ねたと、そうおっしゃる。全くもって、その通りでございます。大変、失礼をいたしました。
そうですねえ。
今もなんでございますが、他人様のお役に立てたと思うことが、ごくたまにでもあるから、でございましょうか。はい。
ええ、本当です。私、こう見えて正直者で通っております。嘘偽りは申しません。
申せないと言う方が正しいのですが。あ、いえ、こちらの話でございます。
勘違いだと言われれば、それもまた、ありそうなことでございますなあ。なにしろ、もう年が年ですから。
はい? 私の仕事について、具体的に・・・。
ううん、さして面白くはないと思いますが、よろしいのですか? はい、はい。そこまでおっしゃるなら、お話いたしましょう。
私どもの仕事には、一応の縄張りがございます。人の獲物を取ったの取らないのと、以前は揉めることもあったのですが、今はすっかり同業者も減りましてね。ええ、トラブルはほとんどありません。気楽なもんです。
ですがね、見かけによらず、この仕事はきついんでございますよ、いろいろと。最近はこういう仕事を3Kと言うそうで。
違う、とおっしゃいますのは? 新3K? 存じませんでした。
いやですねえ、年寄りは時代に取り残されるばっかりで。
ああ、そうでした。縄張りの話でございましたね。
そうですなあ、今となっては、この国全体が私の縄張りみたいなものでしょうか。
ハハハ・・・。
はい、はい、それほどまでに成り手がいない仕事、ということでございます。
まあ、私なんぞから言わせていただけるなら、私が最後の一人でよろしいかと、そう思いますです。
毎日、いろいろなところへ出向いては、回収をさせていただきますので、途中で様々な人にお会いします。袖触れ合うも他生の縁と申しますように、まさしくそれが、この仕事の一番の醍醐味でございます。はい。
道に迷った方をご案内する、ということがちょくちょくございますんで。
ええもう、意外に多いんでございますよ。
ここは何処だ、何処へ行けばいいんだ、そういう方。
ははあ、お笑いになる。
そうでしょうなあ。そうでございましょうとも。
ひとつ、貴方様向けの話がございました。是非お聞きください。
一昨年のことでございます。
いつものようにリヤカーを引いて歩いておりますと、河原の土手に女の子が座っておりました。ポツンと独りきりで、なにやら物寂しい様子でございました。
近づくにつれて、女の子は半袖に短パンだと分かりました。
一月のことでしたから、思わず目を瞠ったものでございます。
いくら子供とは言え、冬のさなかにその恰好では、さぞや寒かったことでしょう。
女の子は七、八歳ほどに見えました。何か辛いことでもあったのか、涙の痕が頬に残っておりましたねえ。
私は見なかったふりをして、そのまま通りすぎようといたしました。できれば、気づかれたくなかったのです。その時でした。
「こんにちは」
鈴を転がすような声で、女の子が挨拶をしたのです。
私はギクリと首をすくめ、辺りを窺いました。近くには誰もいません。
どうやら私に向かって声をかけたようだと思いましたが、すぐには振り向きませんでした。
彼女はリヤカーの後ろに駆け寄り、何かを拾いました。
「おじさん、これ」
小さな手には汚れたズック靴が。
荷台から落ちたものでした。荷台には、再生用と再利用、二つの箱を積んでおります。靴は再利用の箱から落ちたものでした。再生用は言わばゴミですが、再利用は違います。
私はギクシャクと手を伸ばし、靴を受け取りました。
「ありがとう」
私がそっと女の子に眼を向けると、彼女は私を見ていました。
大きな眼がキラキラと輝いて、口もとには笑みが浮かんでおりました。白い歯が印象的でしたねえ。
はい。貴方様のおっしゃるとおり、実に優しい子でございました。荷台から落ちたものに気づいて、それを拾い、わざわざ声をかけてくれたのです。黙って荷台に放り込むか、そのまま捨ててもいいような、ボロボロのズック靴だというのに。
人の親切に触れたのは、いつ以来か、思い出そうとしても思い出せませんでした。大変嬉しくはありましたが、同時に困惑もしておりました。私のような者は、気づかれることなく、ひっそりと擦れ違うだけ。それが一番なのです。
彼女はまじまじと私を見ていました。服装が気になったのでございましょう。
「その恰好、お祭りですか?」
明るく人懐こい笑顔でした。
思わず笑い返してしまうほどに。
しかし、私は返事をためらいました。子供に声をかけられるなんて、あってはならないことなのです。
とはいえ、無視するわけにもいきません。それでは彼女を傷つけてしまいます。
「いいや。この半纏はね、仕事で着るものだよ」
「はんてん?」
今時の子供には分からないでしょう。どこかで見たことはあっても、半纏などという言葉を聞いたことがないのですね。
彼女は首をかしげていました。
「そう。昔は半纏に股引で働いたのさ。最近は見ないかもしれないが」
私は彼女に御礼をしようと決めました。
私たちの世界では、他人様に借りを作ったら、必ず返すという掟がございます。
商売物を拾ってもらったのも、何かの縁でございましょう。
「それはそうと、靴を拾ってもらったから、御礼をしたいのだけれどね」
「いいえ、結構です」
彼女は首を横に振り、大人びた口調で遠慮しました。
見知らぬ年寄りに関わったことを、今さらながらに後悔したのかもしれません。最近はなにかと物騒ですから、それも無理からぬことでございましょう。
「では、いずれどこかで、お返しをさせてもらいましょうか。その時まで、お元気で」
無理にとも言えず、私は彼女に一言だけ伝えて別れました。
それが、一昨年のことでございました。
私どもの稼業は、一年をかけて全国を巡ります。
道すがら、再利用できるもの、できないものの区別なく、いろいろなものを拾うのです。
いえいえ、ただのゴミ拾いではございません。
これでも私は目利きでございまして、拾うべきものが分かります。こういう稼業の者にしか分からないのです。はい、そういうものでございます。
その翌年、つまり昨年ですな、再び彼女に会う機会がございました。
少し背が伸び、髪もおかっぱから肩の長さになった彼女は、一年前と同じ河原の土手、コンクリートの階段に座っておりました。
私はリヤカーをゆっくりと引いて、彼女の前を通り過ぎました。
彼女が私を見ないように、気づかないようにと願いながら。
しかし無駄でした。彼女は半纏に股引という妙な出で立ちの年寄りを、覚えていたのでしょう。
「こんにちは」
挨拶をされてしまっては、もういけません。知らぬふりはできないのです。
私は重苦しい気持ちで、彼女に眼を向けました。案の定、一年前よりも痩せていました。よく見れば、手足に痣もあります。可愛らしい面差しに、暗い影が見て取れました。
「こんにちは。元気かね」
私は自分の言葉に罪悪感を覚えました。空々しいと分かっていたのでございます。
彼女は弱々しく微笑み、足元に目を落としました。
「去年の御礼をしようか」
何を言われているのか、彼女は分からないようでした。
澄んだ瞳を私に向けて、小首をかしげておりました。
「靴を拾ってもらっただろう。忘れたかね」
「ああ・・・」
大きな双眸に明るさが戻りました。
少しだけでしたが。
「何がいいかな」
彼女は少しためらって下を向き、しばらくしてから顔を上げました。一拍おいて、恥じらうように、こう言いました。
「なにか食べたいです」
「食べたいって、なにを?」
「ラーメン。カレーでもいいの」
私は不覚にも、彼女を正面から見てしまいました。不躾に見つめられ、彼女は目を伏せました。
さぞ、不快だったことでございましょう。
「そうか」
私は懐から幾ばくかのお金を出して、彼女に渡そうとしました。
しかし、彼女は受け取ろうとしないのです。
「一緒に行って」
「すまないが、私は店に入れないんだよ」
「じゃあいい」
女の子は言い捨てて、踵を返しました。
「あ、待っておくれ」
御礼をするといいながら、私は彼女を傷つけてしまった。それが手に取るようにわかりました。
これでは本末転倒です。
せめてもの償いに、私は彼女の力になりたかった。
「これをあげる。持っていなさい」
「・・・これ、なあに?」
彼女は立ち止まり、不思議そうに私の掌を眺めています。乗っているのは、透きとおった小さな玉でした。
「びーだま?」
「そうだ。お守りになるから、肌身離さず持っていなさい。人に見せてはいけないよ」
「うん」
「ついでに、これも渡しておくよ。まあ、そう言わずに受け取っておきなさい。お礼だからね、遠慮はいらない。では、ごきげんよう」
彼女に小銭を握らせ、私はリヤカーを引いて歩き出しました。
しばらくして振り返ると、彼女はまだ同じ場所にたたずみ、手を振っておりました。
これは申し訳ございません。
貴方様には、つまらない話でございましたか。
ただ、これで終わりではないのです。はい、続きがございます。お聞きいただければ幸いですが。
ははあ、ついでだから聞こうとおっしゃる。
これはこれは、ご奇特な御方ですなあ。
私のような者の話に、最後までお付き合いくださるとは、正直に言って驚きでございます。誠にもって、ありがとうございます。
ところで、こんな話をご存知でしょうか。
人は死ぬと、生前の想いが形になって残るのです。それが魂なんだとか。
ご存知ない?
そうですか。そうでしょうなあ。知っていたら、私が驚いてしまいます。
いえ、こっちの話でして。お聞き流しください。
それはそうと、一昨年、昨年と会えた女の子に、今年は会えませんでした。
はい。実に残念なことでございます。
なぜでしょうなあ。
貴方様は、ご存知で?
知るわけがない、と。
そうでございましょう。もちろん、そうでございましょうとも。
実は亡くなっていたのでございます。はい。可哀そうな事を致しました。
お前が殺したのかと、そうおっしゃるので?
とんでもございません。
どこをどうしたら、そんな話になってしまうので?
なんでございます?
女の子が可愛いから、つい悪戯をしようとして、騒がれたから殺したのではないかと? 可哀そうな事をしたというのは、そういう意味だろうとおっしゃる?
これは驚きましたな。
貴方様から、そのような事を言われるとは。
私はむしろ、助けたいと思っていたのでございますよ。
二度目に会った時なぞ、ひょっとして、私に助けてもらう事を期待した彼女が、河原の土手で待っていたのではないかと思ったくらいです。
はあ、そうですねえ。
おっしゃるとおりです。ええ、そうでございましょうとも。
汚いジジイが子供から好かれよう、子供を助けようだなんて、思い上がりでございました。むしろ、彼女の笑顔にこちらが助けられたと思うべきでございました。
もっともなご指摘、ありがとうございます。
ともかく、話を戻させていただきます。
はい、まだ終わってはおりません。
この後を聞いていただいて、やっと本筋の話ができるのでございます。
どういう意味かとおっしゃるので?
それは話が終わってから、ご自分でお考えなさいまし。
それはそうと、先だっては奥様が逮捕されたようですな。
はい、貴方様の配偶者でございますよ。
なぜ知っているかって、それはもう有名な事件でございます。
ネット全盛の時代ですから、どこからともなく情報というのは漏れるものです。個人の特定など誠に簡単、本当に恐ろしい時代ですなあ。
私の若いころには考えられないことでございます。はい。
いえいえ、私が調べたわけではございません。
見ての通り、年寄りでございますから、教えてくれる者がいたので、こうして知っているのでございます。私の仲間には、結構な情報通がおりまして。
なんでも、奥様は子供殺しの容疑で捕まったとか。
お気の毒です。
言葉が浮かばないくらい、お気の毒です。本当に、ご愁傷様でございます。
しかし、奥様は全面否認なさっているとか。全く身に覚えがないとか。そう証言しているそうですな。
貴方様は、ご自分の娘が死ぬまで、何も御存じなかった?
でなければ、ここにこうしているわけがない、自分も娘を亡くした被害者だと、そうおっしゃる?
そうでございましょうとも。よく分かります。
犯行当時、貴方様のアリバイは完璧でした。非の打ち所がないほどで。
それも、よく存じ上げております。
母親が犯人であるという証拠も、揃っておりましたね。
動機だけが不明、なんですね?
もちろん、そうでございましょうとも。
これで、貴方様の趣味を知る者は、もういない。娘殺しもバレない。
そう思ったのでございましょう?
ごまかそうとしても、そうは参りません。
よくお聞きなさいまし。
貴方様は、娘の持っていたビー玉を取り上げましたね。わずかばかりの小銭も一緒に。
フフフ・・・。
とぼけてもダメです。
貴方様は、それが何なのかは知らずに、ポケットに入れた。
金の出所が見知らぬ年寄りと知って、貴方様はたいそう怒りました。それで娘を折檻しましたね。
娘が年寄りを相手にしたと思って、いつもより、ずっと念入りに。
まったくもって、貴方様の趣味は理解の外でございます。
いえいえ、ご謙遜を。
人とは思われぬ所業の数々、知らぬふりは無用でございます。
もうお分かりでございましょう。
あのビー玉は、私がヨーコさんに差し上げたものでございます。
彼女の危機を救うためにね。はい。
身代わりの玉と申しまして、絶体絶命の危機を救ってくれる、それは貴重な宝玉です。
おや、お顔の色がすぐれませんな。どうなさいました?
全部、ご自身の話なのですから、驚かれるのは変でございましょう。
証拠?
そんなもの、私どもの世界では不要です。
何もかもお見通しでございますよ。天知る地知る、我が知る。違いますか?
ご自分のこと、ようやく思い出されましたか。
それは、ようございました。
私、貴方様を迎えにやってきたのでございます。ここでうろうろと迷われても困りますからな。
ほら、あそこをご覧なさい。
そう、階段の下に転がっているでしょう。あれが、貴方様ですよ。首がこう、折れていますなあ。
ええ、もうご臨終です。はい。ヨーコさんと初めて会ったこの場所で、ちょいと貴方様には足を踏み外していただいた、という次第でございます。
残念ながら、痛みはなかったようですな。はい。即死というやつで。
そのあたりは悪運が強いといいましょうか、やり直しもできませんから、このまま旅立ってくださいまし。
はあ、死にたくない?
ハハハ・・・。
御冗談を。それだけは相成りませぬ。
お前は誰だ、と?
名前など、もう忘れてしまいました。とうに人ではございませぬ故、ご容赦ください。
他人様は死神と呼ぶようでございます。
いいえ、本当でございますよ。
私、正直なだけが取り柄でございますれば。
はい、信じなくて結構。
では、そろそろ刻限につき、冥土へ行きなされ。
え? まだなにか?
この後、どうなるかって? そんなこと、行ってからご自分で確かめればよろしい。
すぐにまた生まれ変わりたいと、そうおっしゃるので?
呆れましたな。もう来世の心配ですか。
そんなことはお気になさらず。ささ、お行きなさい。
では、ごきげんよう。
死神の足元に、血で汚れた子供の下着が落ちていた。男の魂である。
死神は下着を拾い上げ、リヤカーの後ろに積まれた再生用の箱に、それを放り込んだ。
粗悪な魂でも捨てるよりはマシでございます。地獄の釜で煮て、ミジンコにでも再生すればよい。はい、貴方様のような方は、そうなるのが定法でございます。
「おじさん、用事は済んだの?」
「ああ、終わったよ」
傍にヨーコが立っていた。
真新しいブラウスに、チェックのスカートを身に着けている。
「これはこれは・・・良く似合っている。お店の人は親切だったかな」
「ええ、とっても」
「それなら良かった。その服はお前さんにあげよう」
ヨーコは眼を丸くした。
「この服、もらっていいの?」
「ああ、いいとも」
「・・・ありがとう。嬉しい」
ヨーコは自分の着ている服を確かめるように下を向いて、しばらく眺めてから死神を振り仰ぎ、輝くような笑顔を見せた。
去年よりも頬が少しふっくらとして、愛らしい面差しであった。
「じゃあ、行こうかね」
死神は頷いた。
これから一緒に食事をするのだ。八百万の神が行きつけの繁華街で。
「ねえ、おじさん」
「なんだね」
「ずっと一緒にいてくれるの?」
彼女は死神の手を握り、嬉しそうに灰色の顔を仰ぎ見た。
「お前さんさえ良ければね。だが、お母さんに会いたくはないかな?」
ヨーコは頭を振った。
「そうか」
哀しい事だが、父親を止めなかった母親にも、相応の責任はあるだろう。この子もそれを知っている。
それに、私が金など持たせたりしなければ、この子が死ぬこともなかった。自分にも死なせた責任がある。
お前さんが成仏するまで、ずっと一緒にいよう。
私の二の舞にだけは、決してさせまい。
「ねえ、おじさん」
「なんだね」
「あたし、やっぱりラーメンがいいな」
「いいとも。ヨーコの好きなものにしよう」
「やったあ!」
リヤカーを引く死神の横で、ヨーコは歓声を上げた。
死神の心に温かな光が灯る。
それは彼が現世を去って以来、初めての温もりであった。
了
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