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歌い手

作者: 柳明広

「姉様、『歌い手』が亡くなったそうです」部屋に入ってあいさつもなしにそう告げた。豪奢な姿見の前に立つ姉様を見てハッとなった。

 姉様ことグレイスは長く美しい金色の髪がひときわ目を引く女性だ。凛々しく、常に毅然とし、そして美しい。私はそんな姉を尊敬していたし、私もそうなりたいと思っていた。

 姉様の右手には大振りのナイフが握られていた。勝気な姉様はお父様や家臣たちとともに狩りに出る。そのときいつも身につけているナイフだ。

「知っています」振り返りもせず、姉様は言った。「あわてることはありません。この日のために、私は訓練を続けてきたのですから」


 この世界は神の怒りに触れた。本来なら、一週間も経たずして消し去られてしまう運命に常にさらされている。それを食いとめているのが、「歌い手」だった。

 「歌い手」は歌を神に捧げることで、神に赦しを請う。世界の中心・大聖堂で歌をつむいでいる限り、世界が滅びることはない。

 「歌い手」は救世主だ。誰もがなりたいと思うほど誇りある責務を担っているが、なれる者は限られている。神に声を届ける素質を持って生まれ、厳しい訓練の末、「歌い手」の技術を体得した者のみが、この名誉に浴することができる。「歌い手」を輩出した一族は王国から手厚い保護を受け、ひ孫の代まで遊んで暮らせるほどの財を授けられる。それほど、「歌い手」という存在は重く見られていた。

 ただ、今回は事情がちがった。いつもなら市井から「歌い手」の素質がある者たちを探し訓練するのだが、今回は王国の第一王女グレイスにその素質が見出された。市井からも数名、その素質を認められた者はいたが、未だ訓練中で、技術においてグレイス姉様に敵う者はいない。

 その矢先に、現「歌い手」が亡くなった。宮廷を衝撃が駆け抜けたのは言うまでもない。

「そんなに悲しまないで、ローザ」姉様は言った。「誰かがやらねばならないことだったのです。それがたまたま私だっただけのこと」

 私はうつむき、唇をかんだ。姉様は私に近づくと膝をつき、顔をのぞきこんだ。「聞いて。私はうれしいの。みなのために、そしてローザ、あなたのために『歌い手』になれることが。王になって国を治めるより有意義なことよ。そうじゃなくて?」

 かぶりを振った。姉様はとても聡明で、責任感の強い方だ。でも、なにもわかっていないのだ。それが歯がゆくてたまらなかった。

 私がさびしがっていると思ったのか、姉様は私の背中に腕をまわすと、きつく抱きしめた。「大丈夫よ。なにも心配はいらない。あなたの未来は私がかならず守るから」

 こくり、と無言でうなずいた。

 姉様は姿見の前に戻ると、もはや邪魔でしかない長い髪をつかみ、ナイフで一気に切り裂いた。金色の髪が日の光を浴びながら、さらさらと舞い、落ちていった。


 大聖堂は天高くそびえる塔だ。あの塔の頂上から、神に歌を届けるのだと、みなは信じている。私も、「歌い手」の素質がないことがはっきりするまではそう思っていた。

 姉様は質素な麻のドレスを着て、衛兵が引く馬に乗っていた。長い髪は切ってしまったため、横顔がはっきりと見える。表情はかたく、とても緊張しているようだ。周囲は完全武装の騎士たちがかためている。

 私とお父様、お母様は馬車の中からその様子を見つめていた。

「余計なことは言わなかっただろうな、ローザ」お父様が冷厳な態度で言いはなった。

 私はうつむいた。言えるわけがない。言ったら、この世界は滅びてしまう。

「グレイスに会えなくなるのはつらいでしょうけれど、我慢しなさい」お母様が言った。「あなたももう小さな子供じゃない。五年もすれば今のグレイスと同い歳になって、結婚し、子供を産むのですから」

 五年も世界が残っていれば、だけれどね。そう叫びたかった。叫んで、優しい姉様を助けてあげたかった。

 結局、私もお父様やお母様と同じ。自分の身がかわいいのだ。だから、お母様は涙を流しながら姉様を大聖堂に送り、お父様は「立派に責務を果たすのだ」などとえらそうに言い、そのあとは姉様などいなかったように振る舞う。そんな両親と自分が同じだと考えるのも嫌で、汚らわしかった。

 私は忘れない。姉様のことを、絶対に。

 姉様を送ったあと、馬車の中から東の空を見た。空の一部が剥がれ落ち、闇がのぞいていた。一時的に「歌い手」が不在になったことで、神が世界を消し去ろうとしているのだ。

 翌日、東の空はもとの青色に戻っていた。大聖堂からはかすかな歌声が聞こえはじめた。


 どうしても気になることがあった。先代の「歌い手」はなぜ死んだのか。先代は六年前に「歌い手」になった。まだ二十になったばかりの若い娘のはずだ。

 姉様を見送った翌日、老神官に「歌い手」の遺体を見せてほしいと頼んだ。老神官は私の家庭教師をしていたこともあり、「あまり見るものではありませんよ」と釘を刺した。なぜ亡くなったのか問うと、老神官は顎に手を当てて黙りこんだ。

「ローザ様に『歌い手』の素質はありませんでしたな」老神官はたしかめるように訊いた。私がうなずくと、「……自殺ですよ。衛兵の隙をつき、首を吊ったのです」

 やっぱり。私は窓から大聖堂に眼を向けた。

「グレイス様は大丈夫ですよ」老神官はあわてた。「御聡明で、強いお方でいらっしゃる。御自身に課せられた責務がどれほど重大かも理解しておられる。愚かなことだけは絶対になさいませんよ。

 先代の『歌い手』には問題があったのです。『歌い手』になったことに浮かれ、その責務の重さをまったく理解しようとしなかった。愚かな優越感に毒されておったのです。それでも、六年ももったことは奇跡です」

「わかっています。しょせんは市井のいやしい身分の『歌い手』。姉様とくらべようもないことは自明の理です」ぴしゃりと言った。

 彼の言うとおり、姉様は聡明な方だ。きちんと自分の責務を果たすだろう。

 そう自分に言い聞かせても、不安はぬぐいきれなかった。


 三ヵ月後。

 騎士たちの部隊にまじり、私は馬に乗っていた。お父様と狩りに行くときと同じいでたちで、背中には弓、腰には大振りのナイフを身につけている。

 狩るのは狐や鳥ではない。同じ人間、それも「歌い手」だ。

 姉様は大聖堂を脱走した。それが一時間前のことだ。すぐに捜索隊が編成され、私はお父様に無理を言って捜索隊に加えてもらった。条件として、護衛の若い騎士が一人、つくことになった。

 騎士たちの松明が森の中で妖しく揺れている。すでに日は沈み、視界は非常に悪い。

「これから森の奥に向かいます。大丈夫ですか、姫様」護衛の若い騎士が言った。早く帰ってほしいという気持ちが言葉の端々にありありと見てとれる。

 他の騎士たちは次々と馬をおりた。当然、走りやすいように軽装である。私も若い騎士も馬をおりた。

 髭を生やした隊長が近づいてきた。若い騎士に向かって、「お前はあっちを見てこい。見つけたらつかまえろ。必要ならば傷つけてもかまわんが、殺せば貴様の首が飛ぶぞ」そう言ってから、隊長は私に向かって深々と頭を垂れた。「この者が姫様の身を守ります。ですが、あまりご無理をなされぬよう。普段の狩りとはちがいますので」

 存じておりますわ。得物を見つけたら、こうやって首をはねとばせばよいのでしょう? 腰のナイフで、隊長の首を斬り飛ばしてやりたかった。

 若い騎士は松明をかかげ、「参りましょう」と言った。私と騎士は獣道にわけいっていった。梟の鳴き声が遠くに聞こえ、ときおり、森の中を飛ぶ蝙蝠の姿が見えた。

 二人とも無言だった。騎士としては、身分がまったくちがう相手に気安く話しかけることなどできないのだろう。私も特に話したいとは思わない。話せばきっとこの騎士を罵倒し、へたすれば殺してしまうかもしれない。

 おそらく、こちら側に姉様はいない。捜索隊はそうあたりをつけているのだろう。だから私をこちらに誘導し、姉様から遠ざけたのだ。「歌い手」の捕獲という、悲惨な狩りに、私は邪魔なのだ。

 本来、「狩り」という言葉は人間が獣を相手にするときに使う。「人間を狩る」などという使い方はしない。

 ならば、「歌い手」は人間ではない。世界のために捧げられた犠牲いけにえであり、人間ではなくもはや神への供物なのだ。

「御覧ください」沈黙に耐えられなくなったのか、騎士が松明を空に向かってかかげた。「あそこの空が欠けています」

 木々の合間からのぞく空の一部。まわりは星がきらめているのに、ある部分だけ黒い絵具で塗りつぶしたようにどす黒くなっている。じっと見つめていると、底知れぬ闇に吸いこまれそうだ。

「早く『歌い手』をつかまえないと……」

「つかまえられないとどうなるというのですか?」え、と騎士は言葉につまった。「答えなさい。つかまえられないとどうなるというのですか」

「は、はい。『歌い手』を欠いた状態が長く続けば、神の手によって世界に致命的な打撃が加えられ……」

「みんな死ぬ、というわけですね」はい、と騎士は答えた。「いいではありませんか。犠牲を捧げてまでこの世界を維持する必要がどこにあるのですか。みんな、まとめて死ぬべきなのです」

 自分でも無分別なことを言っていると思った。騎士は私が狂ったと思っているかもしれない。犠牲にされ、両親からもしかたがないと見捨てられ、家臣にすら人間あつかいされない。姉様の境遇に激しい怒りを感じると同時に、深い悲しみをおぼえた。

 姉様、どうか逃げのびてください。逃げて、神の怒りの届かぬところへ──

 パキッ、という乾いた音がした。私はぎょっとして騎士と顔を見合わせた。騎士は松明を音のした方へおそるおそる向けた。

 炎に照らされ、金色の髪が見えた。私たちが通りかかったので、草むらに潜んでいたらしい。

 しかし、これは本当に姉様なのか。

 短く切った髪はぼさぼさで、きちんと洗っていないのか脂でてかっていた。双眸は血走り、頬はそぎ落としたようにこけている。まるで狐の顔だ。

「姉様?」呼びかけると、姉様は背中を向けて駆けだした。「姉様!」叫び、私も草むらに飛びこんだ。

 距離は瞬く間に縮まっていく。姉様の身体は弱りきっている。走る力など残っていなかった。姉様の腕をつかむと、姉様は転ぶようにへたりこんだ。肩で大きく息をし、話すことすらままならない。

「見……逃し……て」かすれた声で、やっとそう言った。あの美しい声とは似ても似つかぬ、蛙のような声だった。「ローザ、お願い、助けて」

「もちろんです。ですが、あの大聖堂から一人で逃げだすなんて、なんて危険なことを」姉様が狩りの対象になっていると知っていたから、出た言葉だった。

 姉様は一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐにすりつぶされたような笑い声を喉の奥からほとばしらせた。「危険! そうね、あいつらは私をどんなに痛めつけてでも、あの牢獄へ連れ戻そうとするでしょうね。歌えるなら、きっとこの舌と喉だけでも切りとって持ち帰ることでしょう!」

「姉様、お気をたしかに!」

「あなたも知っていたのでしょう、ローザ! 『歌い手』がいったいどういうものなのか、あの大聖堂がなんのために造られたのか。大聖堂は見せかけよ。本体は地下にあるの。『歌い手』を四六時中見張る牢獄があるのよ」

 姉様の言うとおり、すべて知っている。「歌い手」の素質がない王族は、「歌い手」が大聖堂に連れていかれたあとどうなるのかをすべて知らされるのだ。知ったうえで、目と口を閉ざし、すべてを忘れるように言われる。

「あれは神への供物を閉じこめておく強制収容所よ」姉様はぶつぶつとつぶやきはじめた。その目はもう私を映していない。「供物は一日中、歌い続けなければならない。食事も寝る間もわずか。喉がつぶれても舌がかわききっても歌い続けるのよ。馬車馬のようにというのは、こういうことを指すのね。なにも考えられなくなるのよ、あまりに過酷すぎて。でも、ローザ。あなたやお父様たちのためになるならと、その気持ちだけでずっと頑張ってきたわ」そこで言葉がぶつりと途切れた。姉様は身体をくの字に曲げ、吐きだすようにけたたましく笑いだした。「でもね、私、衛兵の話を聞いちゃったのよ。あなたもお父様もお母様も、ううん、世界中の人が私のことなんか気にもとめていないって。それどころか積極的に忘れようとしてるって。ねえローザ、あなたもそうなんでしょう!?」

 ちがう、と言いたかった。姉様の狂気がそれを押しとどめた。

「馬鹿馬鹿しい! 私はなんのために歌っているの!? 世界中の人間を助けるため? すべての人間のために、私は身も心もすり減らし、誰にかえりみられることもなく死んでいくしかないっていうの!?」姉様は地面に爪を立てた。爪から血がにじみ、土とまじった。

 私は姉様の手を取った。一時、狂気に染まっていた姉様の顔が正気を取り戻した。

「私は忘れてなどいません。ずっと姉様の身を案じておりました」姉様の目を見つめ、諭すようにゆっくりと話した。「あっちに馬がございます。それを使ってお逃げください。どこか、神の怒りの届かぬところへ」

「でも、そんなところがあるわけないわ」

「それでも、どうかお逃げください。たった一人の人間が犠牲になって、他の人間が安穏としているなんて間違っています。滅びるときはともに滅びるつもりです」

「ローザ……」

 そのとき、姫様、と呼ぶ声が聞こえ、木々の合間を揺らめく炎が見えた。騎士が追いついてきたのだ。私は咄嗟に、腰のナイフを抜いた。

「姫様、大丈夫ですか!? 御無事でしたら返事をしてください!」

 私は姉様を背後にかばうと、ナイフをかまえた。

 ドン、と大きな音がして松明が宙を舞った。炎は草むらに消え、声も聞こえなくなった。なにが起こった? ナイフをかまえたまま、おそるおそる騎士がいた方向に近づいた。ぴちゃりと水を踏んだ感触がし、薄い板のようなものに爪先が当たった。それが、砕かれた「夜空の欠片」だと気づき、若い騎士の身に降りかかった悲劇に思い至ったとき、私は絶叫した。

 松明を持った腕ごと首を断たれた騎士に見向きもせず──見ることなどできなかった──、私は姉様のところに飛んでいった。

「ど、どうしたの? いったいなにがあったというのですか?」

 言えなかった。言えるわけがない。

 神が夜空を砕き、この場所を狙って落としてきたのだ。怒りの矛先は間違いなく私だ。「歌い手」という供物を逃がそうとし、神の怒りを軽んじた私への制裁だ。

 ドン、とまた音がした。なにかがちぎれ、裂けるような音とともに、隣の巨木がへし折れて轟音とともに倒れた。

 殺される──!

 私は草むらで燃える松明を拾いあげようとした。騎士の指が握りこんでいたが、爪を立てて無理やり引き剥がした。剥がれなかった指は、ナイフで何度も切りつけ力任せに切り落とした。そして、松明を振りながら大声で叫んだ。

「こっちよ! 『歌い手』がいた! 早く、早く来て!」

 森の奥で揺らめいていた炎が、すぐに方向を変えた。気づいてくれたことに安堵したが、

「ロォザァ!」怒りに満ちた声とともに、姉様は私に飛びかかった。胸座をつかみ、飛びかかった勢いで私を地面に叩きつけた。「少しでも信じた私が馬鹿だったわ! あんたも他の連中と同じ! みんな、みんな死んでしまえ!」叫びながら、私の頭を何度も何度も地面に叩きつけた。そのたびに目の中に火花が散る。

 私は握ったままだった松明を、思いきり突きだした。肉の焼けるにおいと、この世のものとは思えない獣のような悲鳴があがった。

 騎士たちが駆けつけたとき、姉様は顔を押さえてのたうちまわっていた。姉様──いや、姉様だったモノは騎士に引きずられながらも叫ぶことをやめなかた。

「呪ってやる! この世に生きとし生けるものすべてを! 私の憤怒のもとに滅びるがいい! 貴様らの生きる世界に安穏はない! 神の怒りよりおそろしいものがあると知れ!」髪を振り乱し、焼け爛れた顔を見せつけ、呪詛を吐き続ける。

 騎士に支えられながら、私は姉様の顔を見ることができなかった。


 五年後、私は隣国の王子のもとへ嫁いだ。翌年、第一王位継承者となる男児を産んだ。

 久方ぶりに故郷へ帰る途中、馬車の窓から天高くそびえる大聖堂が見えた。歌声はかすかだが聞こえてくる。六年間、一日たりとも休むことなく歌い続ける姉様。それがどれほど過酷か、想像を絶する。

 そこに愛しい姉様を閉じこめたのは、私だ。恐怖に駆られたからだと言いわけはできるだろう。しかし、事実は変わらない。暴れる姉様は騎士たちに滅多打ちにされ、大聖堂へと引きずられていった。未だにあの場所で歌っていることが信じられなかった。

 ──私の知っている姉様はもう死んだのだ。

 あのとき、騎士に支えられながら、私は必死でそう思おうとした。そう思うことで、自分の中の醜い部分、卑劣な部分を覆い隠そうとでもするように。

 姉様の呪詛に反し、世界は平穏そのものだった。神の怒りはおろか、大規模な争いも起きることはなくなっていた。神はどこまでも残酷で皮肉な運命の中に、姉様を突き落としているように思えた。

 お父様とお母様にあいさつし、子供に会わせたあと、老神官に顔を見せた。子供の教育係は彼にお願いしたいと夫に頼んだところ、快く承諾してくれた。ゆくゆくは夫の国へ招くつもりだ。

 老神官は子供を抱き、まぶしいものでも見るように目を細めた。はじめは笑顔だった老神官だが、急に顔色が変わった。私に子供を返すと、子供の額に手を当てたり、目をのぞきこんだりしはじめた。

 その儀式めいた行動には私もおぼえがあった。蒼白になる私に、「落ちついてください」と老神官は言った。

「お察しのとおり──この赤ん坊には『歌い手』の素質が見られます。もっとよく調べてみなければわかりませんが、おそらく間違いないでしょう。

 大丈夫です。黙っていればわかりません。王子の正式な検査は私が行います。いくらでもごまかせます。次の『歌い手』は市井から選出すればよいのです」

 そう言われても、私の不安は消えなかった。近年、「歌い手」の素質を持つ者は激減している。この子が成人するまでに、一人前の「歌い手」が何人育つだろうか。万が一、この子が「歌い手」に選ばれてしまった場合、夫は猛反対するだろう。そのことが「歌い手」を名誉ある役職と信じていた国民に知られればいったいどうなるか──想像に難くない。

 ──これが、呪い。

 すうすうと寝息を立てる子供を抱きしめても、身体の震えはおさまらなかった。

 姉様の歌声がひときわ大きくなったような気がした。


                 (了)

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