吾輩スライム、冒険者と出会う
お久しぶりです。久しぶり過ぎてスライムの口調を忘れかけていたりしてます。
───気分は旅人である。現実はただの散歩。
朝早くの森というのは木漏れ日と爽やかな風により染まった静寂に支配されている。
その中を移動する事はこの森にて生誕してから現在におけるまで唯一趣味と言える行為である。別段移動などせずとも生存可能な吾輩であるのだが、しかし若い身で運動不足など嘆かわしいし許容しかねる。そう思い歩きだした──正確には這っているだが──のが始まりだったのだが、これがどうにも面白い。
森とは生き物の集合体だ。木々も日々成長し、獣や鳥も生きるために駆け飛び回り、稀にエルフ諸君が巡回している際に立ち会う事もある。森の外から人々や魔物も稀に現れるが、それもまた、森という集合体を彩る外的装飾として機能しているのだ。木々を切り倒し地を広げる人間も、血で森を穢すと煙たがられる魔物達も、やはり本質は命であるのだと吾輩はいつも眩しく思う。
森とは、住まう者、訪れる者、そのどちらが欠けても魅力が半減する。だからこそ、両者が存在するこの森は何者にも勝るほど美しいのだろう。それは生命ではあるが命の概念が希薄な吾輩だからこその感傷も含まれるのやもしれない。しかしそれで美しいと思えるのなら吾輩は森一番の幸福者なのだろう。
さて、本日はどのような出会いがあるのだろうか。
そんな気持ちで森を這う吾輩だったのだが、この時、吾輩は一つの事件に立ち会ってしまう。
ミミルの泉からおよそ5,000メトル程──吾輩の知識の中に存在するメートルと言う単位と誤差ほどしか違わないらしい。おそらく過去の転生体が伝えた知識なのだろう──離れている開けた場所にて一つの戦闘が行われていたのだ。
魔物と人の争いなどこの森では珍しい事ではない。人々は魔物の身体を利用して生活しており、狩りをする事で生計を立てる者も少なくはない。まあ、人間の事情はその程度しか知らないのでどのように扱うかは少し興味を引かれるのだが、如何せん。吾輩はミミル殿抱き枕と言う仕事があるのでこの森から出るわけにもいかないのでいつかミミル殿から解雇通知を渡された──渡されたくはないが──際に知識探求の旅にて色々と見るとしよう。……話がずれた。
ともかく人が来る事は珍しくはなく、そして魔物と戦っているのも珍しくはないのだが。
どうにも今回は珍しい戦闘である。何故なら戦闘を繰り広げるのは魔物と人と言う見慣れたものではなく、人と人と言う殺し合いだったのだ。
ふむ、──まあ、現状を観察するに多勢に無勢。赤毛の女性の腕は剣を知らぬ吾輩でさえ見惚れる程に素晴らしさだが、相手の人数は二桁に及ぶ。転がっている者達を見ればそれでも減っているとわかるのだが、しかしこうも多くては疲労が蓄積して負けかねんな。そしてその懸念はまさしく現実となりつつある。あの素晴らしい剣の冴えが失われるのはなんとも悲しいが、しかしまあ、人同士の諍いに吾輩が口──どこやねん──を出すのは拙かろう。
そう思いその場を去ろうとしたのだが、ふと、響いた声に吾輩は思わず身を止めてしまう。
「すまない───」
最後まで聞こえずともそれが誰かを思っての言葉である事は理解できる。
ならば吾輩は動くしかない。思うと言う行為を、思うという幸福を、吾輩は何よりも愛しているのだから。
内部に存在する小さな、小石よりも尚小さな吾輩の動力とも呼ばれる物質。
その内部に存在する力を内部ではなく外部にて作用させる。
それは炎にもなり、流水にもなり、岩石にもなり、落雷にもなり、強風にもなり、閃光にもなり、暗黒ともなる万能にして森羅万象へと至る鍵の一つ──魔力。
吾輩の内部に宿るそれはスライムという枠を越え、あらゆる生命体の中でも中堅に余裕で食込む量と質であるとミミル殿は言っていた。その事を理解して、動力以外にも使えるようにしなさいと耳──ないが──にタコが出来る程に言われたものだ。
故に吾輩はスライムというとしては異質であるが、魔術の真似事が可能だ。
泉より得た知識、そして吾輩ではない吾輩による高度な演算処理により、魔力は現象へと変化する。
求めるは守護、顕すは宝盾、爾王の盾となるべき大いなる叫びなり。
雷さえも受け止める黄金角の盾が顕現させん、名は「叫ぶオハン」也。
何やら背中─どこやねん─が痒くなりそうな吾輩ではない吾輩の思考にむしろ吾輩が叫びたくなる。
しかしその思考が引き起こした不可思議な現象は森に響き渡る猿叫の如し音波と共に現れた黄金色の角を生やした巨大な盾は、あらゆる方向から迫る幾多の攻撃に俊敏に反応し、鼓膜を破り、脳を揺さぶる音波を鳴り響かせながら見事件の女性を守りきっていた。
不思議な事に、その叫びは襲撃者にしか効果はないらしく、盾の内にて守られた女性は諦めたような表情から、呆然と見つめては叩いたりしてた。うむ、まあ、そういう反応をするだろう。誰だってそうなる、吾輩だってそうなる。
しかしそれよりも驚いているのが襲撃者の男性諸君だ。
確かに衝撃的である。刈り取れた筈の命がふとした理不尽にて阻止される。成程、狩人ならば泣いていい、しかし己等は戦闘者だろう。隙を晒すならその命は貰い受けよう女性の敵諸君。
スライムとは最弱であるが戦闘が出来ないわけではない。思考できない肉体では本能的な行動しか取れないだけであり、思考による制御が可能ならその特性はけして馬鹿に出来るものではあるまい。
なにせ変幻自在、伸びる事も縮む事も、厚くなる事も薄くなることも、言ってしまえば何かの姿を模倣する事だってやろうと思えば出来るのだ。魔力で強化すれば硬度や強度を上げる事だって可能である。
演算処理や肉体の制御は吾輩でない吾輩に押し付ける。働きたくないでござる? しらん、働け。
泣きながらも必死に仕事する我輩でない吾輩が選択したのはどうにも人型らしい。
うむ、なんでも人型こそが至高にして究極、変幻自在で物理無効ならば究極生物にもなれるのさ! ……と言われても。個人的にどれだけ高説垂れようとバランス悪い上に四足時と比べるとあまりに速度が遅いのだが、まあ視覚的衝撃が大きいと言う点では確かに同意する事が出来るので我慢しよう。身近な形である程異質な状態であると許容できないのは生物であるのなら共通だろう。
どろりと、近寄った男性の首元に左手状の肉体を掛け、そのまま皮膚の隙間、毛穴や傷口と言った穴から肉体の内部に侵入する。絶叫を上げる口元に右手状の肉体を押し付け、呼吸と声を抑えつつ、侵入させた粘液を血管内部にて逆疾走させた。血液を逆流させるようなものなので正直見るに堪えない状態になってしまったが、まあ、獣が片付けてくれると思われる。
「ヒッ!? な、なんだこ、ボォッ──!?」
近くで騒いだ茶髪と無精ひげが汚らしい男性には肉体の一部を射出して呼吸器官を機能停止させる事で永眠させ、攻撃態勢を整えようと焦る物には吾輩ではない吾輩を使用──道具かよと言う言葉は当然だがスルー──せずに発動させた魔術にて股間部を石柱にて突き上げる。崩れ落ちた肉体はそのまま石柱を倒す事で圧殺させてもらい、次は逃走した男へと風を足場に跳躍、木々の間に肉体の一部を弾き、立体機動を繰り返し上空から槌状に変化させた肉体を勢いよく振り下ろす事で殺害した。
これで残りは一人であると振り向くと、そこにはその一人が血走った目を向けて吾輩に剣を振り下ろしていた。避ける事は出来ず、深々と突き刺さる刀身の冷たさに、貴重な体験であると頷き、とりあえず抜けないように硬度を限界まで上げて固定した。
泣き叫ぶ男性の腕を内側に引きずり込み、そのまま肉体に取り込み、内部の温度を急上昇せると言う新技を行うが、途中で我輩でない吾輩があまりに騒がしく騒ぐのでしょうがないと溶けかけたそれを地面に吐き捨てた。──それでもまだ叫ぶがどうでもいい。
「くそっ、こんな化物がこの森にいるなんて……!」
なにやら一人で騒いでいる女性に近寄り、作り出された盾を魔力へと解き、そのまま内側に吸収する。
それに驚いた女性だったが、それよりも先に気絶してしまったので、しょうがないと腕型肉体を使用して持ち上げた。
とりあえずどうしていいか分からないので頼れる者に頼るとしよう。
そう思い少年にて案内された集落に女性を運ぶ事にした。
……雨あられと矢を射られたのだが、吾輩、何かしたのだろうか?